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露光

数百年後妄想

 隆起した山岳の針葉樹林をこえた先に、つめたくこごえて霜をおろした鉄の門があった。門をこえると、白いうす衣を着て細い垂水の滝をいだく山あいが、ふっくらとした指をひろげて城の尖塔を手のひらにのせていた。そうして、晴れた空のなかに、砕いた氷のような山巓を背にひろげてたたずむ巨大な城が、外壁を極光の色にかがやかし、雪をかむった深い緑色の針葉樹のすそをなびいていると、まるで旧い工房の机上にのせられた小さく精微な細工のようにみえた。
 無数にある窓枠に切りとられた空が、はるばる遠くまでのぞむ桃色の雪山のふちを光に染めて、ほのぼのと澄みわたっている。静止したゾエトロープの幻灯機のようにたち並ぶ大きな窓のなかで連続する空は、しずけさのなかで、城の廊下をうすら青い海の色に照らした。
 その海のなかで、オズはなにかを待ってじっと立っていた。からっぽのバルコニーを見据えて、何千年も前からそこに立っている大樹のような寛容さで、黒く長い髪を釣鐘のマントにいだいた王のような峻厳で、窓の外にわたる追想をなぞらえているようだった。
 長い時が経ったかのような微醺の風がふいた。オズはふと思い立ったとでもいうように足を一歩踏み出した。誰に言われるまでもなくバルコニーへの大窓が風の門衛をしたがえてゆっくりと開け放たれた。
 オズはまばゆい空をうち眺めて、つと目を細めた。
「オズ様! ただいま戻りました!」
 箒の風を切る音が、森をこえて、尖塔をこえて、雲を突っ切り、きらとした声をあげて星の子が帰ってきた。
 オズの城を去ったとき、子供は、なにも持たされず、北の国でつくられたものよりも粗い織目の外套で細い肩を覆い隠されて、オズの目から顔をそらすように走る仰々しい馬車に乗っていった。あの肩はどれだけ寒かったろうと、憂えたオズのささやいた呪文がひととき吹雪の空を凍りつかせたときにあらわれて、それからすぐに失われた慈眼の輪郭は、今や高く明瞭な色をして、声の鳴るほうを見あげていた。
 母を知らないちいさいからだの、魔王に捧げられたのが穢れとばかり恥とばかり、おのれらを強大な城壁と槍であるとでも信じきっているような人間たちの体にそそくさとして囲われて隠された子供は、すっかりオズをふり向くこともできずに、ただうなだれて去っていったことを、オズは思い出す。
 でもそれが今、身ひとつで帰ってきたのだった。箒ひとつにトランクひとつという装いは、王子、それから王を終えた今となっても、この子供にはとてもふさわしいように思われた。
「アーサー」
 と、オズはつぶやいた。
 バルコニーの上空にたどりついたアーサーは、ほとんど蹴るようにして箒から飛び降りた。足もとを惟ないあらあらしい着地に、積もった雪をこすったトランクが二三条の轍をつけた。細かな雪は、早朝の波がうちつけられたように舞い上がり、門のかたちを描いて白くかがやいた。
 アーサーは雪にすべる足にからだを傾かせながら、とてつもなく遠い距離がもどかしいというような威勢で駆けた。雪草のはざまを転げるウサギの歩調で、ただオズを映す目だけが、まっすぐとして外されることがなかった。
 オズがさらに一歩を踏み出して両手をひろげて待つうちに、アーサーはついに箒もトランクも放り出して、オズの腕にとびこんだ。
 ひろげた両腕のなかにどっとためらいもなくあずけられた重みは、オズの記憶にあるよりもずっと力強く、しっかりとして、繭のような雪よりもやわらかくかがやく光芒の髪がぱっと青い太陽をうつしてきらめいた。
 オズは流れ星のようにとんできた青年を抱きとめて、そのまま、くるりと回った。アーサーの浮いた足とオズの髪とが弧を描いた。また雪が舞った。
「おかえり、アーサー」
 そうして星の勢いが潰えて、ふう、とかすかないとまがあったのち、
「はい! 遅くなりました」と、アーサーは顔をあげて言った。
 十七のころからさして変わりのない利発な顔立ちが、彼が強大な力を持つものであったことをあらわにしていた。
 オズは思わずアーサーの髪を撫でた。親が子にするように。頭をうれしげにオズの手のひらに押しつけてくるアーサーの、まるで彼が好きだと言った小動物性に苦笑しながら、オズはわずかな回顧を数百年前へとめぐらせた。
 どうして子供の髪は、あんなにも砂地の月のような色をしているのか。かつて、それを思うたびにオズの背はまったく雪深い北の氷になった。冷たい雪をやわらかなベッドのようにして今にも死に絶えようとしていた子供が、仰向けでなくうつぶせていた意味を知る。たえなく歩きつづける子供だった。前を見つめて、ときおりオズをふり返りながら、無邪気のままに走り去っていくような子供だった。オズの声もきかず、蛮勇に満ちて、目の前の葉をさわり、ヒイラギの実を噛み、ウサギを追いかけて崖をこえた。それはおそらく今も変わらないのだった。
 不変の人々が石のあたたかさを知るよりも早く、オズはうつむいて言った。
「私が石にする日まで、石にはなるな。中央の国が潰えても、人間がいなくなっても、魔法使いが滅びても、永遠に。……永遠に」
「もちろんです」とアーサーは言った。「これからはずっとここにおります」
 森をととのえ、ヒイラギを噛み、野の動物と人とを見守ります。彼はたれ落ちるオズの髪を子供の頃にそうしたように幼い手つきで梳いて笑った。ひどく大人びた破顔だった。