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そこが噂の『三本の箒』であることを知ったのは、中に入りロンが大ジョッキを四本も抱えてやってきた頃だった。人でごった返した店内はうるさくて、暖かくて、煙でいっぱいだった。カウンターの向こうには小粋な顔をした曲線美の女性――マダム・ロスメルタがいる。四人は奥の空いている小さなテーブルに着いていた。テーブルの背後は窓で、前にはすっきりと飾られたクリスマス・ツリーが暖炉脇に立っている。
「メリー・クリスマス!」
ロンが嬉しそうに大ジョッキを挙げた。バタービールは甘くてとても口当たりがよかった。これならば何杯でもいけるかもしれないとソフィアは思う。身体の芯から隅々まで暖まる心地だった。
しかし一息つけたのも束の間、急に冷たい風が入ってくる。ハリーが隣で僅かにむせた。マクゴナガル先生とフリットウィック先生が、肩に白い小さな山を作ったまま入ってきた。すぐ後ろにはハグリッドまでいた。更に、ライム色の山高帽に細縞マントを纏った男まで入ってくる。ソフィアは彼に面識があった。コーネリウス・ファッジの顔は忘れるものではない。とっさの判断でロンとハーマイオニーが同時にハリーをグイッとテーブルの下に押し込んだ。遅れてソフィアがバタービールのジョッキを下げる。三人なのにジョッキの個数が四つなのはおかしい。
「モビリアーブス!(木よ動け)」
ハーマイオニーは低い声で呟いた。そばにあったクリスマス・ツリーが十センチほど浮き上がり、横にふわふわ漂って、彼女たちのテーブルの真ん前に立って四人を隠す。飾り立てられたツリー越しには奥の様子はわからない。しかし何やらボソボソと会話らしきものが聞こえる。何だろう?ソフィアたちは互いに視線を合わせ、同時に首を傾げる。
「何の話をしてるのかな?」
「先生方の他に大臣もなんて……」
「シッ」
ソフィアは短く二人を制した。一番ツリーに近い彼女は杖で僅かに枝の中の隙間を空ける。そして耳をそばだてた。
「……ブラックが……」
「噂は……」
マダム・ロスメルタの軽やかで静かな声が一番聞き取りやすかった。どうやら、ブラックがまだこのあたりにいるかもしれないという話をしているようだ。ソフィアは椅子をズラしてツリーに身体を埋めるようにした。出来るだけ気取られずに会話を聞くために。テーブルの下でハリーも同じことをしている様子だった。ゴクリと喉が鳴った。それすらも大きく感じる程に集中していた。そして、全身の体温が一気に最低まで下がる思いになった。
―――信じられなかった。耳を疑った。しかし今日はクリスマスであってエイプリル・フールではない。笑えない冗談だと思った。ブラックが、あのシリウス・ブラックが、
ハリーの父親の親友だったなんて。
とても仲が良かったと言う。まるで兄弟のように。ハリーの名付け親はブラックで、『秘密の守人』にまでなっていたのだ。そしてそれをいとも簡単に裏切った。自ら申し出て、一週間も経たぬうちに。ハリーの両親が死ぬきっかけを作ったらしい。『例のあの人』に進言して。
「くそったれのあほんだらの裏切り者め!」
誰の声だったろうか。
ハグリッドの話によればブラックは両親を殺されたハリーを引き取ろうとした。しかしダンブルドアの指示のためそれを断った。ブラックは自らのオートバイを差し出した。
「目立ちすぎるからな」
ハグリッドはすすり泣いた。あの時ハリーを渡さなくて本当に良かったと言った。もし、渡していたらどうなった――?
「あいつは逃げるしかなかった」
「でも逃げ切れなかった」
「魔法省が追い詰めたわ」
そしてもう一人の親友を殺した。ピーター・ペティグリューは身体の小さい、臆病な男だったが、不思議と二人と一緒にいたらしい。成績は悪い方から数えた方が早く、教師からも厳しく言われていたようだ。ブラックを追い詰めた彼は木っ端微塵に吹き飛ばされた。何人ものマグルと一緒に、紅い道を作った。唯一残したのは指一本だけだったと言う。
「ブラックは――」
ファッジは重い口調で話し始めた。
「しばらくは正気を、失っていたように見えた。追い詰められ自棄になって――しかしだ、先日の奴はそんな様子を微塵も見せなかった。冷静に、私に新聞を読み終わったらくれないかと言ってきた」
アズカバンにいる囚人は大方みんな暗い中に座り込み、ブツブツ独り言を一生呟いているという。絶望しか生まれない精神状態に思考が動くことを拒絶し自己崩壊を招きやすいらしい。しかしブラックは違った。
「洒落てるじゃないか。クロスワードパズルが懐かしいと言うんだよ。あぁ、驚いたとも」
何故あんなにも『まとも』だったのか。最も厳しく監視されている囚人の一人だった筈なのに。昼でも夜でも、吸魂鬼は彼の希望や幸せな気持ちを貪っていた筈なのに。
「何のために脱獄したとお考えですの?まさか、ブラックは『例のあの人』とまた組むつもりでは?」
マダム・ロスメルタが聞いた。ファッジはしばし間を置いて、そして肯定する。
「最終的な企てと言えるかもしれん。しかし――」
それからの話は聞かなくても良いと判断し、ソフィアは集中を解いた。ツリーから身を離し、テーブルに肘をつく。テーブルの上にガラスを置く音がカチャカチャ鳴った。もう大臣たちはここを出るようである。『三本の箒』のドアが開き、雪が舞い込んで、ついにツリーの向こうに人の気配は消えた。
「ハリー?」
ロンとハーマイオニーがテーブルの下を覗き込んだ。ソフィアは何をすればいいか分からなくなって、結局テーブルと睨み合いっこするしかなかった。