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ウィーズリー家の屋敷『隠れ穴』に、ソフィアが世話になったのはこれが二度目だった。誕生日を過ぎて1週間ほど経った頃、ロンから招待状が来てからと言うものの、彼女の日常は忙しなく、そして騒がしくなった。
昨日ハーマイオニーとダイアゴン横丁で落ち合い、そのまま双子に連れられて現在にいたる。夏休みの休暇をいつも通り引きこもって過ごすソフィアにとって、誰かの家で寝泊まりするのは初めてだった。
「ソフィア、手伝ってちょうだい」
ウィーズリー夫人は杖でボールの中にあるクリームをかき混ぜながらソフィアを呼んだ。応えてキッチンに入ると、そこはもう戦場と化している。現在早朝午前6時。魔法界の時計の針は数字を挿してはくれないが、ハーマイオニーのくれたマグル製の腕時計は正確に刻んでいる。普通の家庭では朝食の準備にかかる時間という頃だ。
「おはようございます」
朝っぱらからガチャガチャと騒音のパレードを繰り広げているキッチンを進み、手を洗う。料理を始める前の手洗いは基本中の基本だ。
「起きられたのね、おはよう」
朗らかな笑みでウィーズリー夫人は言った。ソフィアは顔を赤らめて苦笑する。
「あら?目の下に隈ができてるわ」
彼女が隣に来たことを確認した直後、夫人は気付いたように目を剥いた。僅かに大きくなった目が小さな隈を見つめている。ソフィアは罰が悪そうに呟いた。
「すみません、昨日は夜遅くまで本を読んでいたので」
毎年のことだが、真面目な性格のソフィアは、学校が始まる前の予習をしようと夜遅くまで教科書をパラパラとめくる時がある。ハーマイオニーほどではないが。
あらあら、とウィーズリー夫人は息をついた。そして杖を振る。途端に隈はなくなり、陶器のような真っ白い肌が戻った。
「とっても綺麗なお顔をしているんだから、もっと大事にしなさい」
そう言って微笑む夫人に、ソフィアは照れながら礼を述べた。ロンがハリーに招待状を送って二日が経つ。つまり、今日がその日なのだ。明日にはクィディッチ・ワールドカップの会場に向かう――出立時間はとても早い。だからソフィアはこうして前日から早起きをして慣らすつもりだった。これだけ早く起きていれば眠くなるのも早いだろう。起床時間が早くてもなんとかして起きるはずだ。
「じゃあ、早速これを混ぜてちょうだい」
「はい」
ドレッシング作りの途中段階なボールを受け取り、ソフィアは泡立て器を持つ。料理の手伝いは家でもよくやっていた。
「今日はもう1人増えるから、いつもより沢山作らないといけませんからね」
「は、はいっ」
泡立て器を動かしながら、ソフィアは元気よく答えた。眠気はほとんど消えてしまっていた。
***
ウィーズリー家の男たちがハリーを迎えに行くのは午後五時である。煙突飛行ネットワークを一時的に組み込み、暖炉を通って向かうらしい。箒は目立ちすぎるし、一家のフォード・アングリア(中古車)は、ソフィアが二年生の時にハリーとロンが『禁じられた森』の住人にしてしまった。
ロンは朝から妙にそわそわしていた。ハリーが泊まりに来るのが楽しみなのか、それともマグルの家に行くからだろうか?フレッドとジョージは明らかに何かを企んでいた。何しろ昨日やってきたソフィアをさっそく自室に引っ張り込んで、この休み中の発明品を見せてきたのだから。ジニーはソフィアとハーマイオニーが来たことに凄く喜んでいた。自分の部屋が狭くなったのにも文句を言わないでくれた。
「そろそろ準備を始めようか」
午後のお茶を済ませて、ウィーズリー氏が立ち上がる。煙突飛行規制委員会と連絡を取り、暖炉の準備をし始めた。ロンもその後をついていく。ハーマイオニーはジニーに勉強を教えるために彼女の部屋に入り、フレッドとジョージは別の理由で自室に戻る。パーシーは魔法省の仕事が忙しいらしく、未だ再会は果たしていなかった。
ソフィアはティーセットを片付け、洗い物をしている夫人のもとに運んでいた。
「ありがとう」
夫人は微笑んでそれを受け取る。ソフィアは笑顔で応えた。洗った食器を拭いて棚に戻す作業に取り掛かる。すると、不意に夫人がこう言った。
「何だかもう一人娘ができたみたいだわ」
「え?」
突然の言葉に手を止める。夫人は作業を続けたまま、独り言のように続けた。
「ジニーにお姉さんが居たらこんな感じなのかしら?男兄弟に囲まれた生活だから、きっと今が凄く楽しいのね」
「そう、ですか?」
ソフィアからして見れば、確かにジニーは昨日今日と笑って、楽しんでいた。しかしそれは彼女自身が元から明るい性格だからだと思っていたのだ。沢山の家族に囲まれている環境は、ソフィアにとっては毎日がテーマパークに思える。夫人はクスクス笑った。
「ちょっとした変化だから、多分皆はわからないわ」
そう言うものだ、と夫人は笑う。母親の特権でわかるのだ、と。ソフィアはハッとして作業に戻った。いつの間にか濡れた皿が積まれている。
何やら照れくさい。原因不明の感情に、ソフィアは夫人に気取られぬことを祈った。だが、
「――と、悪い。これも頼むよ」
「!」
「あら、ビル」
不意を突かれ肩から吃驚してしまった。背中越しにチラリと振り返って見れば、そこに居たのはウィーズリー家の長男だった。
背が高く、髪を伸ばしポニーテールにして、片耳に牙のようなイヤリングをぶら下げている。革製の服と靴を着た、ロック歌手のような格好をしている。多分、男でも「かっこいい」と思うのではないか――初対面の時ソフィアは心の中で呟いた。柄にもなくそう思ってしまった。
「悪いね、ソフィア。お客さんなのに手伝わせて」
「い、いいえ、別に……」
手伝いは日常からやっていたことだし、昨日も癖で自主的に夫人を手伝っていたのだ。特にやることも無いので、煩わしくは感じない。しかしビルはソフィアの反応に首を傾げる。覗き込むように見下ろして、そして問いた。
「顔が赤いな。どうかしたか?」
「ど、どうもしないわ…っ」
いきなり近くなった距離に羞恥が募る。熱が昇っていくのがわかった。ソフィアの答えにビルは首を傾げるも、夫人が声を掛けたので視線をそちらに向ける。
「チャーリーを呼んできてちょうだい。今日は外で食べましょう」
「OK」
ビルは軽く頷いてキッチンを出た。嵐が過ぎていったのと、夫人の助け舟にホッと安堵する。顔の熱が徐々に引いていくのを感じた。突然、夫人がクスクス笑い出す。
「な、何ですか?」
「いいえ、ちょっとおかしくて」
ソフィアも流石に弁解ができる状態ではなかった。結局顔を赤くしていたのも見られてしまった。不運が重なったとしか思えない。
「ソフィアも女の子ですもの。そろそろ、そういうお年頃かしら?」
「え?」
「誰かに恋をしたりしないの?」
「……っっ!?」
思わず拭いてる途中の皿を落としそうになる。慌てて持ち直し、平然を装う。しかし夫人は得意気な顔で彼女を見ていた。ニヤニヤした顔に、ソフィアは双子の面影を見た。
「その反応は……、既に“恋している”人がいると見たわね」
ソフィアはハッとして、彼女の洞察力を悟った。そしてそのとき、ある人が頭を過ってしまう。一年生の時からずっと想いを寄せている彼が。しかし、こればっかりは気づかれるのが恥ずかしかった。
「そんな事ないですよ」
できるだけ平静を装って作業を続ける。夫人は笑みを絶やさず「そう?」と返す。そこから、まるで状況をひっくり返したように話題が変わる。夫人の口から双子の話が出てくる。
「まったく…あの子たちときたら……」
夫人は彼らがO・W・Lで期待していた成績を取れなかったことに落胆していた。更に、この夏休み中に見つけた彼らの計画に怒りを沸点に到達させたらしい。
「この間ね、長ーいリストを見つけたわ。『だまし杖』だの『ひっかけ菓子』だの……」
ソフィアは答えあぐねていた。かく言う彼女も、彼らの計画も聞いていた。ソフィアにとってはそれがとても素晴らしいことに思えたし、止める気はこれっぽっちも湧かなかった。
「『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ(WWW)』なんて……」
悪戯が、万人向けの遊びでないことは承知である。リスクも大きいし、相応の覚悟と注意が必要だ。勿論、フレッド、ジョージもそれをわかっている。
「でも…二人は、絶対に危ないことはしないと思います」
ソフィアはそう言って最後の皿を棚に戻した。夫人は夕食のメニューを考えるのを途中で止めて、きょとんとして彼女を見た。ソフィアは布巾を流し上のバーにかける。赤かった顔は元に戻っていた。
「考えてないように見えて、とても周りを気にしていますから」
言って、一つに纏めていた髪を解いた。サラリと美しい銀髪が背中に広がる。呆ける夫人に笑いかけ、キッチンを出ようと歩みを進めた。
「……ねぇ、ソフィア」
「はい?」
扉を開けて出ようとしたところで呼び止められた。何かと思い振り返る。夫人は真面目なのか、面白がっているのか、わからない表情で聞いてきた。
「あなた、ビルかあの子たちに、恋してたりしない?」
「ち、違います…っ!あ、そ、そうじゃなくて、違うんじゃなくて…してないですっ」
収まった羞恥が再び芽を出した。照れを隠すように外に出て扉を閉める。少し乱暴に扱ってしまったようだが、気にしていられるほど心に余裕はない。
夫人は今笑っているかもしれない。年頃の娘を持つ母親は皆、あんな感じなのだろうか。日曜日の午後三時過ぎのことである。