成宮家2
久々の自宅の玄関を開ける。家の中はシンと静まり返っている。あれ、おかしいな。身重の体で空港まで迎えにくるのは大変だから家で待っててって言ったのに。首をかしげながら、お土産でふくれあがったボストンバッグを廊下に放り出す。靴を無造作に脱ぎ捨てて、リビングに向かう。
「いないのー?」
オレが帰ってくるのにそんなわけないよなーと、リビングの扉を開けて、入る。ソファーに横になってる百合の姿をみつけて、そちらに向かう。
寝てんだな。
かっこつけのためのジャケットを脱ぎ捨てて、シャツの袖のボタンを外す。長時間のフライトと空港のマスコミのせいで窮屈な思いをしてきたので、一気に解放感が押し寄せてきた。ネクタイを外す手間も惜しんで、緩めてシャツと一緒に頭から脱ぐ。ベルトも外してそのままズボンを落とした。靴下も脱ぎ捨てて、Tシャツとトランクス姿になる。
あー、楽んなった。
ソファーの前にあぐらをかいて、横になっている百合を見つめた。毎日テレビ電話してても、やっぱり顔を見れるのはうれしい。触れるし。手を伸ばして、髪をなでる。起こさないように軽く口づける。髪に頬に、大きくなったお腹に。心の奥からあたたかくなってきて、彼女のこの姿はオレの幸せの象徴だとしみじみと感じる。大きなお腹を慈しむように置かれている百合のその手に自分の手を重ねた。
一人目のときは、最多勝投手になった年だ。二人目は100勝した年だ。三人目のときはちょうどFA権でメジャーに行くときで、四人目はアメリカでケガしてどん底のときだった。不思議と節目の年に子供が生まれてる。そして、五人目の今、オレはメジャーで今季最高のクローザーと評価された。
それにしても、どうして全員男なんだろうな〜。
女の子がほしくて頑張ったけど、どうやら五人目も男らしい。しかもせっかく男だってのに誰ひとりとして野球してないし。オレの子なのに。ありえないよなー。親が偉大すぎるのも考えもんだな。
百合のお腹をなでる。ちんちんおいてけ。呪文みたいに何度も唱えてみる。
「…何言ってんの」
いつのまに帰ってきたのか、後ろに渋い顔した長男が四男と手をつないで立っていた。大きくなった長男は最近母親の手伝いで四男を幼稚園に迎えにいっているらしい。それにしてもくそ生意気な顔してる。
「おかえりくらい言え」
「おかえり」
「心がこもってない」
「ただいまでしょ」
四男は自分たちが帰ってきたのだから、ただいまだと主張した。幼稚園のコイツはまだ可愛げがある。
「だっこしてやろうか」
手を伸ばすと、やだっと長男の後ろに隠れる。長男はちょっと勝ち誇った顔でオレを見下ろした。てめーこのやろー、オレを見下していいのは、野球の殿堂入りした選手くらいなもんなんだぞ。
「おみやげは?」
だっこは拒否したのにお土産はせがむのか。いい性格してるな。さすがオレの子。
「玄関に置いてある」
そう言うと四男はやったーと玄関に向かう。長男は着替えてくると言って自室に行った。
玄関が急に騒がしくなったと思ったら、バタバタと小5の次男と小2の三男が駆け込んできた。
「お父さんおかえりー」
「おみやげありがとっ」
空気の読める次男はちゃんとおかえりを言う。礼を言える三男もまだまだかわいいもんだ。そこにサッカーの練習着に着替えた長男が下りてくる。
「お前らも早く着替えろよ」
長男の偉そうな口調に二人は顔を見合わせて、
「わかった、お父さんまたあとでね」
「オッケー」
次男三男コンビは慌ただしく自室へと向かう。やっぱり次男は空気を読める。それに比べて長男は…。その姿を上から下まで見て、少し驚いた。サッカーする格好が様になっている。体がそういう体になってきたってことだ。
「お前、何かに選ばれたんだって」
「都」
何が気に入らないのか、一言で済ます。オレが中学の時ってシニアで関東ナンバー1サウスポーとか言われ出したころだな。都と関東ならオレの方が上だな。ヨシ。
「あと、関東と、全国も」
む、か、つ、く。
「サッカーはいっぱいあんだね」
「世界相手だからね」
「それってなに、野球は世界じゃマイナーだとでもいうのかね」
「べつに」
「お前さ、オレとキャッチボールしたい世の中の中学生がどれくらいいると思ってんの」
「アンタさ」
オレのことを、アンタと呼んだ。けっこう衝撃だな。そのままオレの横にあぐらをかいて座った。オレを見ずに百合のお腹をみつめてる。
「何だよ」
「…野球する子供ができるまで、産ませる気なの」
「は?」
何言ってんだコイツ。
「伯母ちゃんたちが言ってたんだけど、もう、母さん、体限界だって」
伯母ちゃんってのはオレの姉ちゃんたちのことだろう。オレの留守中いろいろと手伝いに来てくれている。
百合はよく見た目より大分若く見られるほど恐ろしいアンチエイジングを持っているが、それでも、体には限界がきていることは知ってる。養う金には困ってない。でも育児は大変だし、オレは単身アメリカ行ったきりだし、何より、出産の体への負担は男のオレが思う以上のものがあるらしい。だから、百合とも女の子欲しいけど、男の子だったとしても、今回で最後にしようって決めてのことだった。
て、いうか。オレたちが女の子を欲しがった理由。
「お前、覚えてないの」
「何をだよ」
気づけば、次男も三男もサッカーの練習着に着替えて長男の横に座っている。四男もお土産のおもちゃを手にその横に寝転んでいる。ちょうどいいや。
「まずさ、お前ら、オレが野球する子供が欲しいと思ってたわけ?」
「…え、うん」
答えたのは三男だ。どうやら、長男から三男まではこの考えが浸透していたらしい。四男はおもちゃに夢中になっている。
「はい、それ、間違い。大きな間違いだから」
「え、でも」
「でも、何」
珍しく口ごたえしたのは次男だ。
「野球やってる自分はすごいっていつも言うじゃん。なんかサッカーバカにしてるっぽかったし」
「オレはすごいよ。野球がすごいんじゃなくて。お前らわかってんの。世の中にメジャーリーガーの親父持ってる子供なんてそういないんだよ。特に日本に」
「それはわかってるけど」
「なのに、お前ら、サッカーしてるからオレのすごさがいまいちわかってないでしょ。だから、主張しないと、オレが自分ですごいって」
次男はちょっとあきれた顔をした。なんだよ、親父としての威厳って欲しいじゃん。
「だってお前らからしたら、オレよりJリーガーの方がかっこいいんでしょ。サムライブルーとか。あ、でもオレだって、侍ジャパンだったしね」
ここも強調しておく。次男はなんとなく納得したらしい。微妙な顔をしてオレから目線を外した。絶対オレのことバカにしたな。
「あとさ」
と、長男を見据える。
「お前が妹欲しいって泣いて駄々こねて、大変だったんだぜ。だから女の子っ欲しいなってなったわけ。オレらはどっちでもいいんだもん」
オレの言葉に長男は目を見開いた。
「え、オレそんなの…」
「コイツが生まれたときかな」
と、次男をあごでしゃくる。次男は驚いた顔で長男を見た。長男はなぜかあせった様に首をふる。なんでだよ。
「いやー、そん時のお前はひどかった。コイツをいじめまくってさ。あちこち引っ張るわ、噛むわ。ちんちん引きちぎるんじゃないかって思うくらい。だからこれは妹作ってやんなきゃ大変だって、オレらは思ったわけよ」
次男はちょっと長男から引いた。三男も次男の陰からうわーって顔して長男を見ている。無言の抗議に長男はさらに首をふる。
まぁ、2歳かそこらのころの話だけどな。たぶん、赤ちゃん返りもあったんだろう。でもさっき、長男はオレを見下したからあえてかばってやらない。
「お前らはさ、野球をやらないお前らのあてつけに次から次へとオレが子供作ってたと思ってたわけね。でもってオレがコイツの体の心配もしてないと思ってたわけだ」
子供たちのオレ評がよくわかった。思ってた以上に低かったな。留守がちだし仕方ないけど、今まであんなにお父さんすげーだろーアピールは実ってなかったどころか逆効果だったわけだ。くそ。軽くショックだ。
「ま、どのみち5人兄弟で終わりだ」
そう言うと全員が顔を見合わせた。なんだかんだで子供たちも妹って存在がほしかったようだ。
「何だ、やっぱまた男なんだ」
三男のつぶやきに四男はお姉ちゃんがほしいと言い出す。
「しょうがないから、みんな唱えとけ」
「何て」
「ちんちんおいてけって」
「ちんちんおいてけー」
四男は大きな声で恥ずかしげもなく言う。三男も普通に言う。次男はさすがに小さい声だ。長男は言わないけど、目は念じてるのがわかる。
おもしろいなぁ。子供ってほんといろいろ予想外だ。しかも、これ全員オレの子なんだもんな。
「ふふっ」
百合が笑いをもらした。いつからか起きてたらしい。百合は横になったまま、目の前で一直線に並んで座っているオレたちを見て、とても穏やかな笑顔を見せた。
「鳴マトリョーシカ」
そう言うと笑い出した。え、なにそれ、どういうこと。オレとオレに似た4つの顔が無言で視線を交わす。まぁ、確かにみんなオレにそっくりだけどね。くそっ。
「みんなオレのマネしてるんじゃねーよ」
八つ当たりのように言うと「してねー」と口々に大きな声で返してきた。もう、そっくりだよ、お前らは、オレに。最高だね。
もうすぐ一番小さなマトリョーシカがまた一つ増える。それはきっと幸せの証以外の何物でもないってことをオレたちはみんなわかっている。だから、安心して出てこいよ。オレがそっと百合のお腹に手をやると、子供たちも同じようにする。顔を見合わせて、オレらは幸せを分かち合った。
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