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 私には一つ下の弟がいる。共働きの両親は海外赴任のため、子供の頃から二人だけで家にいることが多かった私たち。
 私と違って弟は人付き合いが本当に上手、初対面の人でも数分経つだけでいつの間にか笑顔で話せているんだから。優しくて人から愛される自慢の弟。
しかしそんな弟も今年で高校生。

「…テヒョン、おかえり。お風呂もう沸いて――「今から出かけるから」そ、そっか……あ、ご飯は…「いらない」………。」

 学校から帰ってきても直ぐにどこかへ出かけて行ってしまうように。高校生になれば出掛ける範囲だって広がるだろうから致し方ないのかもしれない。でも、帰ってくるのはいつも夜遅くで、そんな時間まで一体どこで何をしているのか心配が過ってしまう。
 それに夕ご飯も外で済ませてくるから、最近は殆ど一緒にご飯を食べていない。テーブルを囲んで話せる時間も減り、まともに会話もできていない。

 バタン、と力強く扉が閉まる音が聞こえ、思わず重いため息をついてしまった。
 思春期なのだろう。年頃になってくると訪れるソレに、あのテヒョンがなるとは想像もできなかった。

 【ヌナ、ヌナ】
 【どうしたの?】
 【…へへ、大好き】
 【ヌナもテヒョンが大好きだよ】

 あんなに可愛い笑顔を向けてくれたテヒョン。今では笑顔どころか目も合わせようとしてくれないけど、こればっかりは時間が過ぎるのを待つしかないのかな。
 だが、弟がいないことで起きる弊害は他にもある。

 「…どうしよ。これは今日も余っちゃうな」

 学校帰りにスーパーで買ってきた食材たちを前にして、再び溜息がつきそうになった。
一応テヒョンが夕ご飯を食べるという可能性も考慮して買っているため、どうしても二人分の量になってしまうのだ。
 余ったご飯は基本、次の日のお弁当やお昼に回せばいいのだが、如何せん、そろそろタッパーも尽きてくる。

 「テヒョンの好きな煮込みハンバーグなのに…」

 それでも一応二人分作る。もしかしたらテヒョンが急に帰ってくるかもしれないし。それに今日はいつもより少し豪華なお肉が格安で手に入ったのだ。きっと普段より美味しいハンバーグが作れるに違いない。
 昔からご飯だけは手作りを心掛けてきた。テヒョンにはやっぱり健康的なご飯を食べて欲しかったから。そのためか料理の腕だけはそれなりに自信がある。
きっと弟もまた私のご飯を食べたいと思ってくれる日がまた来るかもしれない。
 その日のために、今日も私は台所に立つのである。




 「とはいえ……やっぱり作り過ぎた」

 結局、最後のタッパーに詰められた煮込みハンバーグたち。また冷蔵庫行きか、そう思った時だ。

 ―――ピンポーン
 予想外の訪れがあった。

 インターホンの画面に映っていたのは、テヒョンと同い年ぐらいの男の子。
 この子はたしか、隣人さんだ。前に一度、私が帰宅したとき偶然隣から出てきたのが彼だったから。
 いつもすれ違いざまに会釈をしっかり返してくれるから、テヒョンの金髪とは対照的な黒髪が揺れていたのを憶えている。それからもう一つ、私が印象に映っていたものがある。

 「…はい」
 「……こんばんは」
 「こんばんは…えっと、」
 「…これ、うちの方に間違えて届いてました」

 隣人の彼が目の前に差し出してきたのは、どう見ても我が家宛ての部屋番号が書かれた郵便物。どうやら配達した人が間違えて、隣に住む彼の郵便受けに入れてしまったらしい。

 「あ、すみません。わざわざありがとうございます」
 「いえ…じゃあ、これで」

 わざわざ届けに来てくれた彼にお礼を言うと、彼の方は早々に立ち去ろうと深い会釈をして自分の部屋の方へ足を向けた。
 そんな彼に、私は何故か、

 「あ、あのっ」
 「……?」
 「………ハ…ハンバーグは、お好きですか…っ?」

 突拍子もない質問を投げかけてしまったのである。

 ***

 「…ハンバーグ?」
 「いや…その…、もし良かったらなんですけど、今日夕ご飯作り過ぎちゃって……郵便物のお礼も兼ねて、お裾分けさせて頂けないかなって……それに、」

 どう見ても怪しげな目を向けてくる彼に、私は精一杯の弁明を踏まえて説明を加えた。
しかし彼が怪しむのも頷ける話だろう。今まで殆ど会話もしてこなかった隣人から、いきなりご飯のお裾分けなど疑ってしまうのも無理はない。
 でも、それでも彼にそう声をかけてしまったのは、

 通りすがりにすれ違う彼の手にいつも握られていたのが、コンビニで買ったのであろうご飯や、スーパーに並んでいるインスタント麺ばかりだったから。

 きっとこの子も、うちと同じ。親と同居していない。
うちの場合は私が料理を担っているけど、もし彼が一人暮らしで、いつも出来あいのご飯ばかり食べているのだとしたら…

 「育ち盛りなんだから、偶には栄養あるもの食べないと」

 空虚な目をするこの子には、あったかいご飯を食べてもらいたい。
 そう思ってしまった自分がいた。

 隣人くん―――チョン・ジョングクくんと初めて会話を交えたその日、私は結局半ば無理やりな形ではあったが、煮込みハンバーグが詰められたタッパーを渡すことができた。
 ジョングクくんの方は終始無言で目が泳いでいた様子から若干放心状態だったと思う。

 「口に合わなかったら、うちの郵便受けにそのまま返してもらっていいから」

相手の好き嫌いも確認せず、振り返ってみればかなり失礼なことをしてしまったのではないか。自分で渡しておいたくせに、後から後悔が押し寄せてきていた。残り物の消費に彼を使ってしまった気がして、申し訳ないことをしたなと思いながら、最後の洗い物を済ませていたときのことだった。



 「これ、ありがとうございました」
 「……え、もう全部食べたの?」
 「はい。…うまかったんで」

 ジョングクくんに渡したハンバーグは一人分にしては多めの量を渡していて、残りは昼の分にでも回してくれれば良いかなとか思っていた。だから、まさか今日一気に食べきっちゃうとは。

 「そ、そっか」
 「………」
 「?」
 「……あの、おかわりとか、ありますか?」

 まだ食べるの…!?
 弟のテヒョンは私と同じぐらいの胃袋だし、弟以外にご飯を作ったことがないから、てっきり年頃の男の子の食欲はそのぐらいの量だとばかり。
 でもそんなことより、自分の作ったご飯でおかわりが欲しいって言われるのが久しぶりだったからか、内心嬉しくて仕方がなかった。

 「…お、おかわりね。うん、あるよ。ちょっと待っててね」

 明日の昼用にとっておこうかと思っていた分がまだ冷蔵庫にある。それを取りにいこうとしたところで、ふとあることが気にかかった。

 「ジョングクくん。…おうちに白ご飯ある?」
 「いや、…ないです」

 まさかのおかずだけで食べていたとは。それはちょっと、こう、もの寂しくないかな。
 そしてなんとタイミングの良いことか。丁度、うちの冷凍庫に余ったご飯たちがあるではないか。

 「………白ご飯と一緒に食べてく?」

 数秒置いてゆっくり頷いたジョングクくんに、何故か私まで緊張してしまいそうだった。

 ***

 うちの家に弟以外の男の子が来るのは、弟の親友であるジミンくん以来で二回目だ。テヒョンはあまり家に友達を呼ばないし、ジミンくんでさえご飯まで一緒にしたことはなかった。だからジョングクくんが初めてかもしれない。
 テヒョン以外の男の子がうちで食べている光景はなんだか新鮮だった。

 白ご飯と煮込みハンバーグ、それから家にあった常備菜をいくつか出してみたけれど、ジョングクくんは本当によく食べる子だ。テヒョンと背はあまり変わらないのに、体格ががっしりしているようだから、その分普段からよく食べるんだろうな。
 頬をふくらませて黙々と食べる姿は、まるでウサギみたい。ちょっと可愛い。

 ジョングクくんは人見知りがあるのか自分から喋ろうとしてこなかったから、沈黙を避けるために私が一方的に話しかけていた。
 そして分かったことは、ジョングクくんは私より二つ下で今年高校生にあがったばかりらしい。さらに通っている高校はテヒョンと同じ学校。世間は意外と狭かった。

 「…今日はありがとうございました」
 「こちらこそ。おかげで冷蔵庫がやっとスッキリしたわ」

 郵便物を届けてくれただけなのに、今日だけでこんなにも会話ができた。でもやっぱり他人行儀なジョングクくんは一度も笑うことなかったけど。

 「ジョングクくん」
 「あ、はい」
 「……お腹空いたら、またいつでもいらっしゃい」

 この日から、私と隣人くんとの交流が始まったのである。

 ***

 夜遊びをするようになったテヒョンは帰りも遅い。いつ寝ているのか知らないけど、学校にはちゃんと通っているようで、せめて学校だけはちゃんと行って貰えれば姉としては安心している。夜遊びするテヒョンに何も言えないのは、そんな甘さがあるからかもしれない。

だからいつも家で一人過ごしていた自分。
 でも今は違って、テヒョンの席には彼が座っている。

 「おかわり、いる?」
 「うん」

 空っぽのお皿を差し出してくれたのはジョングクくん。初めてご飯をお裾分けして以来、今では毎日夕ご飯を一緒に食べている。成長期の彼は食欲旺盛で、いつもおかわりを欠かさない。それに美味しいってちゃんと面と向かって言ってくれるから、私としては作り甲斐があるのだ。
 前まではテヒョンがそう言ってくれていたけど、今は顔をつきあわせてご飯を食べることがないから、誰かに美味しいって言ってもらえるのがこんなに嬉しいって知らなかった。

 初めの頃は他人行儀だったジョングクくんも、ここ最近は敬語じゃなくなって、やっと親しみを込めて話してくれるようになった気がする。
 それにご飯を食べ終わった後は洗い物まで手伝ってくれるから、テヒョンより年下なのにそれを感じさせないようなしっかりした子だ。

 「ユリさん、こっちのお弁当箱も洗う?」
 「あ、それは…ごめん、中身取るの忘れてた」

 台所の隅っこに置かれていた大きめのお弁当箱。それはテヒョンのものだ。
 毎日、自分のと一緒に作ってテーブルに置いておくのだけど、テヒョンはそれすら持っていこうとしない。学校の購買で済ませているのか、それとも食欲がないのか。“いらない”とも言われていないから、今さら作らないのも何だか気が引けて、いつも置いてけぼりをされたお弁当のおかずは夕ご飯に回っていた。
 でも、ジョングクくんがご飯を食べてくれるようになってから、つい張り切って料理をしてしまったためか、今日は何故か存在を忘れてしまっていたのだ。

 「それって、…弟さんの?」
 「うん。最近はいらないみたいなの」

 残されたお弁当の中身を取りながら、つい虚勢を張ってしまった。本当はもうずっとこんな感じなのに。
ジョングクくんにはテヒョンという弟がいることは伝えてあるけれど、最近は友達と外で勉強していることが多いと嘘を言ってしまった。毎日夜遅くまで遊びに出かけているなんてことは、学年が違うとはいえ学校が同じ人に、テヒョンが知られたくないかもしれないと思ったから。誰だって自分のプライベートなことをべらべら喋られたくないだろうし。

 「へぇ…」
 「作らなければいいのかもしれないけど、今までずっとこうしてきたからね。癖は抜けないのかも」
 「……じゃあ、俺に作って」
 「え?」
 「弟さんの代わりに、俺にお弁当作って欲しい。それならこうやって無駄にもならないでしょ?」
 「それは、そう…だけど。いいの?私なんかが作っても。恋人とかは、」
 「そんな人いないから。ユリさんのがいいの」

こんなジョングクくんは初めてだ。でもいつもより年相応な雰囲気が、彼が心を開いてくれているような気がしてちょっと嬉しかったのは秘密。
 それに自分の作ったものがいいって言ってくれたら、断れない筈もなかった。

 「そ、そっか。それなら作らせてもらおうかな」
 「やった」

 テヒョンは笑うと口が四角くなってそれもまた可愛いけど、ジョングクくんの笑顔はなんていうか、少年らしさがあって母性がくすぐられるというか、私は結構その笑顔に弱いらしい。

 ***

 「やー、テヒョナ、お前また来てたのか?」
 「なら帰りますけど」
 「いやいや別にいいから!あ、飲み物頼まなくていいの?」

 ジニヒョンの経営するバーでいつもみたいに時間を潰していた。仲間に誘われてクラブとかに行くこともあるけど、趣味じゃない音楽を大音量で聞かされても五月蠅いだけだし、香水のきつい女に声をかけられても面倒だし。
 結局、ヒョンのバーにいるのが一番ラクだ。音楽の趣味は良いし、未成年でも飲めるものを置いてくれてるから良識的でいい。
 同い年の仲間たちは酒や女に簡単に手を出してるけど、俺はそこまで落ちぶれたくなかった。夜遅くまで家に帰らないやつが何言ってんだと思われるかもしれないけど、底辺まで落ちてしまったら、あの人と顔を合わせたとき、俺はもう目も見れなくなりそうで怖かったから。

 「お客が来てくれるのは僕的には嬉しいけどさ、たまには家でご飯食べなきゃだぞ。ユリちゃん絶対心配してるでしょ」
 「…別に」

 あの人の名前を出されてつい身体が反応してしまうのは、俺自身が重症だということを言っているようなものだ。

 「折角ユリちゃん料理上手なんだから、家で食べればいいのにーもったいない〜」
 「そうですね。ヒョンよりは数倍上手いです」
 「どうやら飯はいらないみたいだな」
 「嘘です嘘です。ください」

 ヒョンが持ってきてくれたジャージャー面を無理やり奪い取った。確かにあの人の料理の方が美味しいけど、ここで文句言ったら本気で取り上げられそうだから空気は読んでおく。

 「でもさテヒョナ。今はユリちゃんの愛情がお前に向いてても、いつかユリちゃんにだって大切な人ができるし、そしたら―――「そんなことありえない」

 「テヒョナ?」
 「……ていうか、あの人が男とかつくれるわけないでしょ」
 ずっと俺にしか尽くしてこなかったあの人が、いまさら俺以外に大切なやつができるとか、絶対ありえない。


 そしていつもみたいに家に帰って仮眠をする。もうあと数時間したら、あの人が起きてきて家事をし始めるんだろうな。
完全にすれ違いの生活だけど、俺はこれでいいと思ってる。
 ヒョンの言う通り、多分あの人は心配してるとは思う。俺が出掛けようとする度に、あの綺麗な顔を曇らせているのを知ってるし。
 それでも駄目だから――これ以上一緒にいたら自分が壊れそうになるから。

 そうやって一緒にいたくないと言いながら、あの人が俺以外に目を向けるのが許せなかった。
 だから、あの人がいつも俺のために作っていた弁当がなくなってて、それすら嫌に感じた俺は本当に我儘な弟なんだ。

 ***

 「テヒョナ〜おはよ」
 「………」
 「お?テヒョナ?おーい」
 「……ジミナ」
 「ちょ、どうしたのさ。お通夜みたいな顔してっけど」

 午後から登校してきたジミンはテヒョンの幼馴染であり唯一の親友だ。昼休みにいつもの空き教室で昼食をとるのが二人のおきまり。しかし今日に限って様子がおかしいテヒョンに疑問を投げかけるジミンだった。

 「…俺、なにがしたいんだろ」
 「は?」
 「ヌナを嫌いになれると思ったから離れたのに…」
 「あー…まだそんなこと考えてたの?」
 「そんなことって!」
 「テヒョナがヌナを嫌いになれるわけないじゃん。どうせ無理なんだから諦めな」
 「もう、ジミナ!」
 「あ、一年のチョン・ジョングクだ」
 「俺の話聞いてる!?」

 親友の悩みなど聞く気がないのか、購買で買ったパンの袋を破りながら窓を見ていたジミンが呟いた。

 「あいつ最近彼女できたらしいよ」
 「どうでもいいよ!てか誰?」
 「だから一年のチョン・ジョングク。知らない?今、この学校で三本の指に入るイケメンだって言われてる。ちなみに残り二本は僕とテヒョナだって」
 「なにそれ」
「俺らも一年のときにそういうの勝手に言われてたじゃん。そんで変な噂とか立てられてさ」
 「そうだっけ?」
 「テヒョナはそういうの疎いからねぇ。でも僕とか、知らない先輩に目つけられて散々だったでしょ?ほら、いたじゃん。人の彼女取ってんじゃねーよ、とか言ってきた三年の先輩」
 「……あー、あのゴリラか」
 「そうそう。きっとチョン・ジョングクも苦労してるんだろうなーって」
 「彼女持ちなら別にいいんじゃないの。まぁ、それこそ噂じゃない限りね」
 「それがマジらしいよ。チョン・ジョングクがこの間、急に手作り弁当持ってきたらしいけど、本人が恋人からだって言ってたようだし」
 「………弁当…」
 「またお通夜!?なに急に!?」
 「俺、もう弁当すら作られなくなった…」
 「いやお前が持ってこようとしなかったからじゃん。普通でしょ」
 「…そうだけど、そうじゃなくて…」
 「ハァ………あれ?」
 「今度はなんだよ…」
 「いや、なんかチョン・ジョングクの持ってる弁当袋、テヒョナのと似てるなーって」
 「え、お前よく見えるね。俺、全然分かんないんだけど」
 「なんとなくだけど。まぁ似たものなんていくらでもあるか」

 そう言って二人はそれぞれの昼食を食べ出した。
そんな二人のいる二階の教室、その下から教室の方を見上げている人物がいたとは知らず。

 ***

 「ユリさん、ユリさん」
 「うん?」
 「…へへ、呼んでみただけ」

 ジョングクくんがうちに来るようになってから、いつの間にか随分懐いてくれるようになっていた。テヒョンが外に出かけると、それを分かっているのか、ジョングクくんは直ぐにうちにやってくる。以前、夕ご飯ができたら呼ぶよと言ったら、それだと寂しいと返されたのだ。ウサギみたいでかわいかったな。

 「あ、お弁当出しておいてね」
 「はーい」

 彼に渡したお弁当はいつも綺麗に空っぽの状態で返ってくる。お弁当箱もやっと本来の仕事に戻れてさぞ嬉しいことだろう。
 そしてジョングクくんは弁当箱を出すだけじゃなくて、ちゃんと自分で洗ってくれるから正直助かっている。洗い物はできるだけ手早く済ませたいから。

 「これ、味見してくれる?」
 「……っ、うまい!」
 「ほんと?良かった」

 お弁当箱を洗ってくれているジョングクくんの隣で今日のメイン料理を作っていた。菜箸でおかずを掴みながら彼の口元に持っていくと、その大きな口で食べて美味しいと言ってくれる。
 今日は初めての料理に挑戦してみたのだ。テヒョンがピーマンを嫌っていたから、今まで避けてきたもの。でも、ジョングクくんは嫌いなものがないから作ってみようと思ったのだ。
 今までテヒョンのために作っていた私の料理はいつの間にか、ジョングクくんの好みに合わせた料理になっていたことに、自分自身気付いてはいなかったけど。

 「こっちはもうできるから、そろそろご飯よそってもいいよ」
 「うん。ユリさんのもよそっていい?」
 「ありがとう」

 率先してお手伝いをしてくれるジョングクくんはまるで小さい子みたい。しかし張り切りすぎたのか、私のピンクのお茶碗と、それからテヒョン用だったグリーンのお茶碗の両方を棚から一緒に取ろうとして、

 「あ…!」

 ガチャンッ、と勢いよくグリーンのお茶碗が床に落ちて、割れてしまったのだ。
 もう一つのピンクのお茶碗は欠けてしまった程度だが、ブルーの方は跡形もない。

 「ご、ごめんなさいっ!」
 「大丈夫だから。それよりジョングクくんは足怪我してない?手切ってない?」
 「う…うん。でも、お茶碗が…」
 「割れちゃったものはしょうがないよ。ジョングクくんはなんにも悪くないからね」

 さっきとは打って変わってしょんぼりしたジョングクくんに、私は努めて笑顔を心掛けた。故意でやったわけじゃないのに叱る理由は何もないし、何より手伝おうとしてくれていた彼が謝る必要もない。

 「明日、新しいお茶碗買いにいこっか」
 「え?」
 「実は前からジョングクくん用のお茶碗買おうかなって思ってたの。ほら、ジョングクくんも、もうちょっと大きいほうがいっぱい食べられるし」
 「…いいの?」
 「ちょうど良い機会かもしれないし、どうかな?」
 「…ッ、行く!」
 「決まりだね」

 尻尾でも見えそうなほど喜ぶジョングク君。良かった、どうやら調子を取り戻してくれたみたい。

 一方、新聞紙にくるまれたグリーンとピンクのお茶碗たち、テヒョンと私がずっと使っていたそれはどっちも虎のキャラクターが描かれていた、色違いのおそろいのものだった。
 今回、何の因果で割れてしまったのか、無残に割れたその姿がまるで今の私たち姉弟のようにも見えた。

 ***

 翌日の放課後、ジョングクくんと待ち合わせをして早速お目当ての雑貨店へと足を運んだ。
 放課後にテヒョン以外の男の子と買い物に出かけるなんて、今までなかったから、ジョングク君がはじめてだ。背も高いうえに、ハンサムな彼は道行く女の子からたくさんの視線を貰っていた。でもテヒョンと隣に並んだ時も、似たような光景を何度も見てきたから、やっぱり彼はどこか弟に似ている気がした。

 しかし、雑貨店に並ぶ色とりどりのお茶碗たちからめぼしいものを見つけようにも、何がいいのか自分でもよく分からないから値段と相談しながらになりそう。

 「ジョングクくんは決まった?」
 「あ、えっと……これ」

 ジョングクくんが一点を見て動いていなかったからもう決めたのかと思って声をかけてみれば、彼が指さすものは、白がベースの大きめのお茶碗に青色の差し色が入ってあって、中央にはかわいいウサギがちょこんと描かれていた。
 男の子が選ぶにしては可愛いらしいものかもしれない。でも、ジョングクくんなら似合ってしまいそうなのは、彼がウサギみたいな可愛い顔をしているからだろうか。

 「ウサギが入ってるけど、いいの?」
 「前に…ユリさんが、僕のこと“ウサギっぽい”って言ってたから」

 あ、聞こえてたんだ。自分のなかだけで留めていたつもりが、気が付かないうちに声に出してしまっていたらしい。

 「だから、ユリさんがそう言うから、気に入ってる」
 「そ、そっか…」

 そういえば今日初めて見たけど、彼のスクールバッグにもウサギのキャラクターのキーホルダーがついていた。うん、気に入ってくれているなら良かった。

 「でも、値段が…」
 「わ、ほんとだ。ちょっと高いね?他のと変わらなさそうなのに」
 「これ、こっちのペアのと合わせた一緒の値段なんだ」
 「あ、なるほど」

 よく見れば隣には、桃色の差し色が入った、同じようにウサギが描かれたお茶碗が。青色より少し小振りで、この色違いの二つは多分カップル用なんだろう。青色が男性用、桃色が女性用といったように。

 「それで二つセットで売られてるから………」
 「ふぅん………え、」
 「えっと…ユリさんが良かったらなんだけど」
 「わ、私とおそろいでもいいの?」
 「も…勿論!」

 確かにセットで買った方が、一つ一つ買うよりは安く済む値段ではある。
 でも、カップル用なのにいいのだろうか。私はなんでもいいけど、ジョングクくんは嫌じゃないのかな。いや、でも大丈夫って言ってたし。私の方が自意識過剰なだけ?
 なんて考えながらも結局それらをお会計に持っていくことに。
しかしその途中、お箸コーナーで同じような青色のお箸が目に留まった。これもウサギが描かれていたのだ。

 「ユリさん?」
 「…これも買っていこっか」
 「お箸?」
 「いつまでもお客様用じゃ、なんだか悪いから」

 ジョングクくんが使っていたお箸は家に置いていたお客様用のもの。別にそれをジョングクくん用にしてもいいんだけど、こっちの方が彼に似合ってる気がしたから。それに新しいお茶碗ともピッタリだ。

 「あ、勝手に選んじゃ嫌だった?」
 「ううん。…すげぇ嬉しい。嬉しすぎて声出てこなかった」
 「えぇ、そんなに」

 そんなに喜んでもらえるとは思わず、ちょっと笑ってしまった。

 「……そうだ。もう一つ買っていかないと」
 「え…、」
 「弟のお茶碗をね。うーん…どれにしようかな」
 「………」

 テヒョンは小さい頃から虎が好きだった。今はどうかは知らないけど、あのグリーンのお茶碗も虎を好んだテヒョンが選んできたものだから、とりあえず似たようなものを探してみる。
 すると、私の後ろにいたであろうジョングクくんが、突然私の手首を握ってきたから少し驚きながらも振り返る。
 それから彼はいつもの笑顔を浮かべてこう言ったのだ。

 「今はいいんじゃない?」
 「でも一応、」
 「本人も自分で見て決めたいかもよ」
 「ジョングクくん…?」
「それに弟さん、どうせ家で食べないんでしょう?それなら置いてたって意味ないしさ」

 その笑顔はいつもと変わらない筈なのに。
 どうしてだろう。

 目を背けてしまいたくなってしまったのは―――初めてだった。


そして結局、家の食器棚に並んだのは二つの色違いのお茶碗と、ジョングクくん用のお箸。
 次第に増えていくジョングクくんのもの。
 しかし反対に、テヒョンのものが消えていくような気がして、少しだけ怖く感じた。


 そんな私の不安が当たったのか。
 それからある日、珍しく家に帰ってきたテヒョンと、いつものように家に来ていたジョングクくんが初めて顔を合わせたことで、“私たち”の関係はさらに歪なものになっていったのだ。

 ***

 普段と変わらなかった。テヒョンは学校から帰ってきて早々に鞄を置いて外へ出かけていき、すれ違いのようにジョングクくんが家にやってくる。
 そしていつものように二人で夕飯を囲んで、他愛ない話から学校の出来事など会話を弾ませていたときだった。

 「……は?」

 ガチャリ、とリビングの扉が開き、この時間帯にいつもならいない筈の人物がそこに立っていたのだ。

 「テ、テヒョン…」
 「…なにしてんの?……は?マジで意味分かんないだけど」

 呆然としたように立っているテヒョンはぶつぶつと独り言を言っているかと思いきや、今度は目つきをガラリと変えて、私とは別の方向へ一直線に向かっていった。

 「お前誰?なんでそこ座ってんの?てか、なんでここで飯食ってんの?」
 「………」

 テヒョンが向かっていったのはジョングクくんの方。一方的に質問をするテヒョンだけど、その低い声色と口調が怒りを表しているのは直ぐに分かったから、私は慌てて二人の間に入った。

 「なぁ、お前誰だって聞いてんだよ」
 「テヒョンっ、この子はチョン・ジョングクくん。私たちのお隣に住んでる子で、一人で住んでるから一緒に夕飯を、」
 「ヌナに聞いてないんだけど。つーかヌナこそ、なんで男を部屋にあげてんの?しかも二人だけで飯食うとか意味分かんないし」
 「それは…、」
 「………ハァ…、とにかくお前帰れ。そこ、俺の席だからどけよ」
 「待ってテヒョン。ジョングクくんにそんなこと言わないで」
「ねぇ、さっきからなんでヌナがこいつのこと庇うの?そいつ赤の他人だよね?ヌナが庇う必要なくない?ほらどいて。そいつ追い出すから」
「や、やめて…!」
「だからさぁ……どけって!」
 「…ッ、!!」
 「ユリさん!!」

 テヒョンに肩を強く押されたことで後ろの方に背中から倒れそうになった。でも、咄嗟にジョングクくんが腕を伸ばしてくれたから、なんとか床に激突することはなくて。

 「大丈夫…!?」

 心配そうに眉を寄せるジョングクくん。まさかここまでテヒョンが激情するとは思わず、ジョングクくんにも嫌な場面に遭遇させてしまい申し訳なくなる。

 一方で興奮しているテヒョンは今度、夕食が並べられたテーブルに目を向けると、今度は驚いたように目を見開かせていた。

 「は………なんで、」
 「テヒョン…?」

 そして何かを必死に探そうとしているのか、食器棚の方へと向かっていったのだ。私はそこでようやくハッとした。そう、テヒョンが探していたものとは、

 「なんで俺のがなくなってんの……」
 「ち、ちが…テヒョン…これは、」
 「こいつのを置いて、俺のは捨てたのかよッ!!」

 自分の食器がなくなっていたことに気付いてしまったテヒョン。
さらに感情が抑えられなくなったのか、テーブルにあったご飯に手を伸ばし、あろうことかそれらを床に投げていったのだ。

 「やめて!!やめて、テヒョン…!」
 「俺は…ッ、…ずっと、ヌナのこと………クソッ!!」
 「テヒョン待って!!」
 「だめ、行かないでユリさん…ッ」

テヒョンを止めにいこうにも、先ほど私を受け止めてくれたジョングクくんがその筋肉質な腕を離そうとしなかったから、泣きながら家を出て行く弟の後ろ姿を、私は何もできずただ見ているだけだった。

 ***

 テヒョンが出て行った後、リビングに残った私はそのまま床に座り込み、ただただ泣いていた。弟がやっと夜遊びから帰ってきたと思ったら、今度は本当に出て行ってしまったようで、今まで抱えていた不安や悲しみが一気に溢れてしまったようで。

 「……ユリさん、」

 私が泣いている間、ジョングクくんは何も言わず一人で後片付けをしてくれていた。割れた食器や食事を、何もなかったように全て綺麗にしてくれていたのだ。
 そしてそっと私のところへやってきて、ぎこちなく、でも優しく、腕を回して抱きしめてくれた。

 「…ごめん、俺のせいだ…」
 「ちが…う…っ、ジョングクくんの…せい、じゃ…ないから…」

 彼のせいじゃない。一番の原因は私だ。
 テヒョンと真剣に向き合おうとせず、目を背けていた私のせいだ。

 「でも……」
 「…うん、なに?」
 「もう、テヒョンに……あわせる顔ない……姉失格だ…」

 初めて弟を傷つけてしまった。姉弟喧嘩をしたことはあっても、あんなに悲しませたことはなかった。今の私には、テヒョンに会わせる顔もない。
 そんな私に、ジョングクくんは、

 「……じゃあ、俺んちおいで」

 それは甘い毒のようだった。

ALICE+