mad2
ユリの朝は早い。季節によってはまだ陽が昇らないうちに起床しなければならないほど。それもその筈。この家の家事を担っているのは彼女なのだから。両親が仕事で家を空けていることが多いこの家で、唯一の女の子であるユリは子供の頃から自然と家事をこなしていくようになっていったのだ。
「んー…ユリ、おはよう」
「兄さん、おはよう。お顔洗ってきた?」
「これからー…」
台所でスープを温めているユリの後ろに抱き着くようにやってきたのは長男のテヒョン。目を擦りながらよぼよぼ歩くその姿は、未だ夢から覚めていないようだ。ユリに促されてようやく顔を洗いに向かっていく。
一方でユリはお弁当を詰める最終段階へと移行していた。三つ並んだお弁当箱を上手に埋めていく。できる範囲で手料理のものを、それが彼女のモットーだ。
そしてお弁当袋に入れる際、赤色の大きなお弁当にだけメモ書きを挟み込んでようやく完成。
それから目の覚めたらしいテヒョンがリビングに戻り、タイミングよく置かれていく朝食たち。テヒョンはいつもと同じく、「いただきます」と発すると美味しそうにご飯を食べていくのだが、なかなかご飯を食べようとしないユリに視線を送った。
「…なにしてんの?」
「昨日、ジョングク兄さん遅かったみたいで、もしかしたら朝御飯食べれないかもしれないから一応ラッピングをね」
ユリはもう一人の兄のために、お皿に盛られたご飯たちに綺麗にラップをかけていく。昼にでも食べられるようにしているのだ。
しかしそれを見ていたテヒョンはもう一人の兄妹の名前が出ただけであからさまに顔を顰めた。
「別にいいよ、そんなの。起きてこないアイツが悪いし。ていうか夜遅くまでどこで何してんのか知らないけどさ、いい加減やめてほしいよね。アイツのせいで僕たちまで近所で変な目で見られるじゃん」
「そんなこと言わないで。ジョングク兄さんにも何か事情があるのかも。あ、兄さん服にご飯粒ついてるよ」
「え、どこ?!」
ユリは、テヒョンがもう一人の兄妹――ジョングクを嫌っていることを知っている。何故、そんなにも毛嫌いするのか分からないけれど、おそらく思春期特有のものなんだろうと思っていた。だからできるだけ彼らが衝突しないよう、ユリはこうやってテヒョンの意識を別のものへ逸らすようにしているのだ。
「あぁもう最悪!ユリ、ごめん今日日直だったから先行くね!」
「大丈夫だよ。行ってらっしゃい」
「うん!あ、帰りはいつものとこね!」
兄妹は全員、同じ高校に通っており、ユリとテヒョンは殆ど登下校を共にしている。これはテヒョンたっての希望らしい。しかし日直で朝早く学校に向かわなければならないテヒョンを見送り、今日はユリ一人での登校となりそうだった。
彼がリビングに降りてくるまでは。
階段から降りてくる音に気付いて振り返れば、そこにいたのは無造作に伸ばされた前髪で顔色は伺えないが、もう一人の兄であるジョングクが立っていた。そしてダイニングテーブルの椅子へと腰かけると、何も言わずに黙々とラップを外して朝食を食べ出す。
「ジョングク兄さん、牛乳いる…?」
ユリが冷蔵庫から牛乳を取り出すと、ジョングクは返事を返したわけではないが、目線だけを彼女の方に向け小さく頷いていた。それを確認したユリはコップに牛乳を注ぐとテーブルに差し出す。
「今日、学校これそう?」
「……」
「…あ、体操着はいつものところに置いてあるから、体育あるなら持っていってね」
それからユリも学校へ向かう支度をし、いつもより少し遅めの時間になってはしまったが時間に余裕のあるうちに登校することができた。
「あれ?ユリじゃん、おはよー」
「ジミン先輩、おはようございます」
「テヒョンと一緒じゃないなんて珍しいね」
「兄さんは今日日直だったみたいで」
「あーそっか」
通学路の途中で会ったのは、テヒョンの親友でもあり先輩でもあるジミンだった。家が比較的近所なので、ユリたちにとっては子供の頃からの仲だ。
「ユリが一人ってのもあんまり――――あ、なーんだ、ちゃんと“いる”じゃん」
「え?」
ジミンが後ろの方を指差して笑う。それを不思議に思ったユリが振り返ってみると、ジミンとユリから少し離れた距離に立っていたのは、先ほどまで家にいた筈のジョングクだったのだ。着崩された制服に、両手をズボンのポケットに入れて、こちらの視線から逸らすように顔を横に向けたまま立っていた。
「よっ、久しぶりじゃん」
明るく声をかけるジミンに対してもジョングクは声を出さない。それでもジミンの声は届いていたようで、頭だけをゆっくり縦に動かすあたり、礼儀がないというわけではなさそうだ。ジミンもそれに対し言及するわけではなく、寧ろちゃんと頭を下げてくれたジョングクに嬉しそうに笑顔を見せていた。
「じゃ、僕先に行くね」
「あ、はい」
ジミンが先に学校へ向かっていけば、残されたのはユリとジョングクだけ。ジョングクは相変わらずこちらに視線を向けようとしないが、まるでユリが歩くのを待っているかのように、そこから動こうとはしなかった。
やがてユリが歩きだせば、少し後ろからジョングクも歩き出した。テヒョンのように隣を歩くわけでもなく、顔を下に向けながら後ろを歩いてくるジョングクに、ユリも時折目線だけやりながら足を進める。
そして―――曲がり角を曲がったところで、ユリは足を止めた。
そこへジョングクもやってきて、まさか立ち止まっているユリがいるとは思っていなかったのか少しだけ驚いたように固まった。
「と、隣…歩いてほしい」
ユリは顔に熱が集中していくのを感じながら、小さな声でそう呟いた。自分の気持ちを悟られないようになのか、その視線はコンクリートへと注がれていた。
それから再び歩き出したユリ。
少し間を置いて、その隣にやってきたのはジョングクだった。
二人は会話を交わすわけでもなく、そのまま一緒に登校していったのである。