とある路地裏にある小さなバー。そこは自他共に認めるほどのイケメンがオーナー兼マスターを務めており、裏社会の人間が顔を出すこともあって、彼らのコミュニケーションの場にもなっているらしい。
  気性の荒い裏社会の奴らが酒を飲むと、乱闘騒ぎなど日常茶飯事。このままでは店の修理費が嵩むと頭を抱えたマスター。そこで衣食住を提供する代わりに用心棒を雇うことにしたのである

 「そういえばヒョン、今日はアイツいないんですね」
 「あぁ、あの子なら今おつかいに行かせてるよ」
 「へー。アイツもそういうのできるんだ。珍しいっスね。いっつもあそこ(ソファ)に仏頂面で座ってるだけかと思ってた」
 「まぁ、これもトレーニングの一環だよ」

 マスターが常連客の男とカウンターで話していると、店の扉の上部に付けられているベルが優しく鳴った。誰かが入店してきたと分かる仕組みだ。

 「お、噂をすればだ。おかえりー。…おや?珍しい。連れが一緒なんて」

 入り口から入ってきたのは黒いパーカーを着た少女と、こちらはまた全身黒い恰好をした青年。どちらも似たような服装をしている。

 「なんでもいいけど、卵ちゃんと買ってこれた?」

 すると少女は無言のまま、その手に持つビニール袋をマスターにゆっくりと差し出した。

 「どれどれー……あ!ちょっとこれ、中身割れてるけど!?え、途中で落としてきちゃったの!?」

 中に入っていたのは思いっきり中身が出てしまっている卵のパック。そしてマスターの言葉に反応したのは少女の方ではなく、何故かその後ろにいた青年だった。

 「あ、あの…すいません、それ俺のせいなんです」
 「へ?」

 青年は店に入ってきたときからずっと、どこか遠慮がちに目線を泳がせていた。まるで親に叱られる直前の小さな子どものように。

 「さっき俺が不良に絡まれてるところを、その、この人が助けてくれて…、でもその時の拍子で袋が地面に落ちちゃったから…」

 マスターは最初、話の内容に理解が追い付かなかった。それは、青年の言うことが本当なら、自分の目の前に立つ少女が人助けをしたことになるからだ。
 少女は未だに何も喋らない。そのせいで、彼らがここにくるまで一体何があったのかは聞こうにも聞けないが、少なくとも青年の言葉に嘘はなさそうだった。
それに青年の顔をよく見れば、殴られて青みがかっている頬や、切れた跡のある口元からおおよその想像はつく。

 すると話を近くで聞いていたカウンターにいる男――この店の常連客が青年の方に声をかけた。

 「不良に絡まれたって、どこで?」
 「え?…あ、えっと、たしかこの先の歩道橋下でした…」
 「……ふぅん」

 男は手に持っていたタバコを吸うと、重そうに空気を吐き出した。

 「ユンギ、何か知ってるの?」
 「最近、ここら辺の地下で派閥を広げてるグループがあるんですよ。つっても、メンバーは殆ど大学に通うガキどもで、やってることもチンケなもんばっかですけどね。
 まぁ、“アイツら”の鉄槌が落とされるのも時間の問題だと思いますよ」

 まるで全てを知っているかのように淡々と話す男。普通に生きている者なら知らないような“裏側”のことを彼は知っている、それが何を意味しているのか。
 そしてそれは、客の話を慣れた様子で聞いていたマスターと少女も。

 ただ一人、青年だけは彼らの空気を異質に感じていたが。

 ***

 「まぁとりあえず……ハル、おつり貰ったでしょ?オッパに出しなさい」
 「………」
 「こらっ、ハル!ソファじゃなくて、おつり!もう!」

 マスターに叱られようと聞こえていないのか、ハルと呼ばれた少女は表情一つ変えず、店の隅っこにあるソファの端に腰を下ろした。片立膝をしながら楽座をし、立てた膝に片腕を乗せて口元に手を持っていく。そして目線はずっと窓の外。
 これが彼女お決まりのスタイルだった。この格好のまま動かないことや、彼女の顔立ちから、一部の客からはまるで人形のようだと言われていたりする。

 「ハハッ、相変わらずなんだな。ヒョン、まだおつかいは早かったんじゃないですか?」
 「子供じゃないんだから、買い物ぐらいできなくてどうするのさ。ハァ…卵は明日買い直しだし…」
 「すいませんっ、俺のせいなんで弁償します!」
 「あーいいよいいよ。それよりキミはもうお家に帰りな。夜遅くまでフラフラしてたら、それこそまた変な奴に絡まれるよ」
 「いや、でも…」

 やけに歯切れが悪そうに口ごもる青年に、今度はマスターではなくカウンターに座っていた先ほどの常連客の方が口を出した。

 「もしかして家出?」
 「っ…、」
 「図星か」
 「え、そうなの?」

 青年は言葉を返せず目線を下に向けていた。沈黙は肯定を意味するだろう。

 「まぁ、そもそも“この店”のことも知らなさそうだから、この街も初めてなんじゃないか?」
 「あー言われてみれば」
 「……その、」

 マスターと客が勝手に話を続けていれば、ようやく青年は重たそうな口を開いた。

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