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一方その頃、百合は銀時の予想通り一人遊郭に潜り込んでいた。
ここで働かせて貰えませんか、そう一言番頭に申し出ただけだというのに、それはもうあっさりと了承が得ることができた。
「キミならすぐにでも太夫になれるよ!
私は長いことこの業界にいるけど、キミほどの美女は見たことがない!いやあ今日はなんてめでたい日だッ」
「まぁ、それはありがとうございます」
「早速着替えて着替えて。実は今日、上等の客が来ててね。
鳳仙様直々に謁見するぐらいなんだよ、キミほどの上玉なら鳳仙様の前に出しても恥ずかしくはないし」
番頭が言った言葉に百合はかすかに目を細める。
この吉原を牛耳る夜王にこんなにも早く近づけるとは予想外だったが、先ほど遠くで何やら大きな事件があったと遊女たちが騒いでいたのを耳にし、恐らく来ているであろう銀時達が頭を過ったのだ。
彼らの身を案じ、気持ちが早まるばかりであった。
「これはこれは、珍しいご客人がきたものだ」
芸妓が鳴らす三線の音を横に、低く笑う男は正面に座す男を眺めつつ杯を差し出す。
もう片方の芸妓が酒を注いで妖艶な仕草で微笑みつつ同じく正面をチラリと見やる。
事情を知らない芸妓から見ても、客としてもてなされている男はこの吉原とどこか雰囲気が合っていない。
それは彼が指折りの美女が酌をしようとするにも関わらず、飯ばかり集中しているからであろう。
桶ごと抱えて平らげる姿には、相手をする隣の芸妓ですら口をあんぐりと開けて蒼ざめていた。
「春雨が雷槍と怖れられる第七師団 団長、神威。
貴殿は何用でココへ?第七師団の長として強さを追い求める若いお主にこのような下賤な場所に興味は無かろうに」
「人が悪いな、旦那は。元々その第七師団をつくったのは旦那でしょ?めんどくさい事だけ俺に押し付けて自分だけ悠々自適に隠居だなんてズルいですよ」
「フッ、人は老いれば身も心も乾く…それを潤すのは酒、そして女よ。
ココは全てを集めた楽園ゆえ老いぼれのわしには相応しかろう?まぁ、若いぬしには分からんか」
「いえ、分かりますよ」
「ほぅ、しばらく会わん内に飯以外の味も覚えたか?酒か?女か?言え、吉原きっての上玉を用意してやる。
先ほど何やら、吉原始まって以来の」
パチリと扇を広げて笑う鳳仙に対して、ニコニコと笑みを崩さない神威は肩指を立てて「じゃあ」と答えた。
百合は隣に座りながら、神威が切り出すだろう存在を想像して眉を寄せる。
「日輪と一発ヤラせて下さい」
「!」
「手土産も用意してるんです、きっと喜んでサービスしてくれるでしょ?」
ピタリと止まった鳳仙の雰囲気の変化は明らかであり、空気が冷たくなったのが分かる。
神威の声が終わると同時に、後ろの襖が開かれて姿を現したのは阿伏兎と云業を左右に居心地悪そうにする晴太。
不安と恐怖で伏せられがちだった顔は、襖の先に見えた百合たちの姿で勢いよく上を向いた。
対して、ピクリと眉を動かして険しい表情をする鳳仙の空気は益々鋭さを増して神威が更に笑んだ。
「嫌ですか?日輪を誰かに汚されるのは。嫌ですか?日輪をこの子に取られるのは」
「神威、少し黙れ…」
「嫌ですか?日輪と離れるのは。年は取りたくないもんですね、夜王ともあろうものが、たった1人の女すらどうにでも出来ない」
「…神威…」
「酒に酔う男は絵にもなりますが、女に酔う男は見れたもんじゃないですなエロジジイ」
「!!」
「きゃぁああ!?」と芸妓の甲高い悲鳴が座敷内に響き渡り、百合は瞬いて天井を見上げる。
鳳仙へ酒を注ぎに近づいた神威の言葉に耐え切れなくなった鳳仙が手を出したのだ。
目にも止まらぬ速さで殴り上げられて、天井からは赤い液体と瓦礫が落ちてくる。
上がる煙からダラリと垂れさがる足と伝う鮮血を横にして、立ち上がった鳳仙は完全に怒っていた。
「貴様ら、わしを査定にきたのであろう。気づかぬとでも思っていたか?ククッ、元老といい幕府といい…今まで散々わしのお蔭で利を貪れておきながら、わしがこの地を支配する事に今更怖気づいたか?吉原に巣食う、この夜王が邪魔だと。思っているのか?ぬしらにこの鳳仙が倒せると」
「…そりゃアンタの出方次第だ。俺たち春雨を敵に回しちゃ色々厄介になる事は、属してたアンタ一番よく知ってるだろ」
「……」
鳳仙の発する気配に冷や汗をかきつつ、口を開いた阿伏兎に対して百合も場から立ち上がって振り向く。
眉を釣り上げて黙る鳳仙を前に、後ろへと振り向いて阿伏兎へ聞いた。
「阿伏兎さん、もしかして春雨へ話を振ったのは天導衆ですか?」
「さぁな、俺ら末端は元老(うえ)から命じられただけだ…『利益を独占し出した夜王を説得しろ』ってな。だが、少なくとも俺らとアンタの目的は同じそうだな嬢ちゃん」
「…かもしれません」
「って事だ、旦那。ここで争ったって何の益にもならないぜ。もう1度俺らの話を聞いちゃくれないかね」
「それは困るな」
「!」
神威くん、と百合が振り返った先、阿伏兎の提言を否定した神威が床の間に腕組みで座っていた。
晴太が身を強張らせて反応すると、天井に刺さっていた足の主が落ちてくる。
ドサリと血塗れて座に横たわったのは鳳仙の相手をしていた芸妓の1人だった。
「それじゃ俺の乾きはどうすればいい?」
「…フッ」
「女や酒じゃ駄目なんだよ、俺はそんなものいらない。俺が欲しいものはただ1つ」
立ち上がって歩いてくる神威に視線だけを向けた鳳仙の口端が上がって空気が唸る。
ザッと手足が互いの身体へと交差する様、鳳仙の頬が斬れて殺気が激突した。
ポタリと、血が滴り落ちる様子を見つめながら百合も心中で呟いていた。
血、どんなものにも負けない屈強な修羅が持つ純粋な強さ。
そのためなら、どんな事も厭わずどんなものも切り捨てていくのだろう。
実の父とすら死闘を演じ、家族まで捨てて生き歩んできたのだから。
(どこまでも純粋過ぎる生き方なんだ、神威くんは)
同時に浮かぶのは、真剣な表情で夕日を見つめていた星海坊主と寂しげに家族を語った神楽の表情で。
無意識に握った拳にどんな感情を込めて良いか分からないままでいた。
「反目し殺し合いを演じたと聞いたが、血は争えんな…その目、ヤツそのものよ」
高揚のままに上がる口角と薄らと開かれた綺麗な薄青の瞳に浮かぶのは。
かつて夜王として多くの夜兎たちの上に君臨していた鳳仙に対して唯一従わず真っ向から挑んできた人物。
三日三晩にわたる戦いでも決着のつかなかった、星海坊主と同じ瞳だと。
身体を離して対峙する最中でも神威の笑顔が崩れなかった。
「神威、貴様に父が越えられるか」
「もうとうに越してるよ、あんな軟弱者。家族がどうだのつまらないしがらみに囚われて子供に腕を吹き飛ばされるような奴に真の強さは得られない」
そうして告げる、鳳仙も所詮は星海坊主と同じであると。
風貌はどんなに屈強で逞しくとも、中身は酒と女に溺れるただの弱者にしか見えないと。
「真の強者とは、強き肉体と強き魂を兼ね備えた者。何者にも囚われず強さだけを追い求める俺にアンタたちは勝てやしないよ」
「ッ…ぬかせェェ小童がァァ!!」
「!、止めろッ団長!」
阿伏兎の制止も叶わず、走り出して拳を振り上げた神威と鳳仙の力が激突する。
巨大な風圧さえ巻き起して座敷を吹き飛ばした戦いの始まりに、百合は溜息をつく。
外へ飛び出した強者2人のぶつかり合いが、楼閣すら揺らして煙を巻き起こしている先へ阿伏兎と云業が向かっていた。
破壊された壁の穴からは遠目でも、激しい肉弾戦の攻防が見えて気迫を伝える。
百合に庇われて風圧の衝撃を免れた晴太は震えながら、その背から顔を覗かせた。
「アイツらッ、何て強さだよ!?」
「うん…でも寂しい」
「え…?」
「きっと何も寄せつけない、何も厭わない果ての強さなんだ。晴太くん、君ならそれってどんなものだと思う?」
「!…全部、切り捨ててきたんじゃないの?逆らうもの、邪魔なものを全部消し去ってさ…」
「それを壊すための強さって言うのかな」
宙を飛び、蹴りや拳が躊躇なく互いへ向けられて吹き飛ばし合う。
止めろと繰り返す阿伏兎と云業の声も、それこそ先ほど話に出していた晴太や百合の事さえ忘れているだろう。
ただ目の前の目的だけを打ち倒すという狂暴なまでに剥き出しな純粋な闘争心。
それを生きる本能として闘い続けるがゆえに、夜兎は戦闘種族なのだろう。
でも、と百合は神楽を思い出して、晴太を撫でて笑った。
「私は護るための強さでありたいと思うよ」
「…百合姐」
あの人と同じように、と紡ぎかけた言葉は心中に仕舞って。
思い浮かべるのはいつだって同じ人物だ。
繰り広げられる戦いを見続けるからこそ、余計にそう思ってしまった。
蹴り降ろされる神威の足に鳳仙の手が刺さって血が飛び散る。
構わず首を両足で掴み上げた神威が鳳仙をねじ倒して拳が振り下ろされた。
止めに入ろうと動き出した云業は、距離を空けた神威に蹴りで屋根に埋められる。
「団長ォ…!」
「引っ込んでてよ、今楽しい所なんだ…邪魔すると、殺しちゃうぞ?」
「また団長の悪い癖が始まっちまったよ…」とぼやく阿伏兎は笑い声を上げた鳳仙を見やった。
「さすが夜王、おいそれと下剋上とはいかないか」
「下剋上?笑わせるな、神威!貴様には上も下も関係無かろう!弱い者には意も介さんが強い者はたとえ誰であろうと、師のわしにでさえ牙を剥く!」
「それが夜兎の血でしょう?こんな地下に埋もれ過ぎて自身の性さえ忘れてしまったんですか?」
古くからより強くなり、より強い者を探し求めてきた種族。
本能のままに戦って生き続ける事が宿命なのだと繰り返す神威の言に「黙れ!」と鳳仙が怒鳴る。
「今の貴方じゃ何も面白くない。思い出して下さい、俺たちの居場所を…俺たちは」
「ッ!黙れェェ!!」
ガッと神威の頭を掴み上げた鳳仙は、一瞬視界の先に入った百合の瞳を見て神威を壁へと投げ飛ばした。
凄まじい音を立てて崩壊する壁の先を見つつも、鳳仙の視線はチラリと百合へ向けられていた。
正確には、その瞳に宿る光に気がついてしまって目が離せなくなってしまったからだ。
(何故ッ…何故、あの瞳をッ…あの光を宿している!?)
逸らされる事なく鳳仙と神威を映し続ける深い蒼の輝きを鳳仙は知っている。
だからこそ神威に先を語らせたくなかったのだ、あの輝きが照り映えているからこそ。
ギリリと噛みしめて、己の内に湧く乾きが酷く不快を増させていた。
それでも、崩れた先から現れた神威は瞳を開いた表情で告げ渡してくる。
「俺たちの居場所は戦場なんですよ、旦那」
「黙れと言っておるだろうが!神威ィィ!」
雄叫びを混ぜて振り上げられる拳には血管が滲むほど力が籠められ。
同じく挑んでくる神威を目の前にしても、動揺する鳳仙の脳裏に過るのは目に止めてしまった輝きなのだ。
(その光でッ、わしを見るなッ!日輪!!)
百合を通した先でも、鳳仙にとってはいつだって照り輝く日輪がいるのだ。
否定に乗せられた破壊が楼閣を揺らし、轟音と共に動いた影が重なった。