「ああああああ!!!寝過ごしたぁぁぁ!!!」

 春の風物詩である桜が満開に咲き乱れる三月下旬。
 寒さも少しずつ和らぎ過ごしやすくなった今、世間は春休み真最中である。
 だが、青道高校野球部に春休みというものは存在しない。今日も早朝から練習が始まる。

 そう…、青道高校野球部の部員は早朝から"練習"なのだ。

 今頃、グラウンドでは入部希望の一年生が自己紹介でもさせられているだろう。
 只今叫び声をあげた男、沢村栄純(15)も普通ならその中に混じり大きな声で"ポジションはピッチャーです!"といい笑顔で言っていたに違いない。

 「初日から遅刻なんてありえねぇって!!
 つーかあの人達、何で起こしてくんねぇんだよ!!散々ゲームに付き合わせといてぇ〜!!」

 昨日長野から上京し、寮である青心寮に入った沢村に待ち受けていたのは同室の先輩からの新入生歓迎ゲーム大会というものだった。
 その証拠に、床にはそのまま放置されたゲーム機が散乱している。
 だが、昨日一緒に仲良くゲームをした先輩達は今この部屋にいない。慌てて部屋着を脱ぎ捨てると、ハンガーにかけてあった真新しい練習着に袖を通し慌てて部屋を飛び出した。

 「南中出身、竹本篤!!希望ポジションはレフトです!!よろしくお願いします!!!」

 グラウンドにやってきた沢村だったが、ミーティングは既に始まっていて容易に入っていけるような雰囲気ではない。
 一年生が次々と大きな声で希望ポジションを叫び監督や先輩達に熱意を伝えている。

 「何やってんだよ俺はよぉ〜!初日からこんなんじゃ地元のあいつらに合わす顔ねぇじゃん!」

 倉庫の死角に隠れると、地面に蹲り頭を抱える沢村。
 もしこの場に同室の先輩達がいればまだ心強かったものの生憎、その先輩達は今素知らぬ顔をして集団の中に混じっているのだ。
 どうしたものかと涙ながらに頭を悩ませていたその時…。

 「ねぇ」
 「!!」

 突然後ろから声がして、肩をトントンと叩かれる。慌てて振り向く沢村。

 「こんな所で何してるの」

 そこにいたのは艶やかな黒髪をした美女。
 長い睫毛と口元のほくろが印象的でとても魅惑的に見えた。

 「え、えと自分は…!」

 自分の人生の中で今まで出会ったこともない美女相手につい緊張してしまい、沢村は口ごもごもに答えようとする。そんな沢村に目線を合わせるためか美女はしゃがみ込んだ。

 「私は月代巴、二年、野球部のマネージャー。…キミ一年生でしょう?」
 「分かるんすか?!」
 「東先輩から三振取ったの見てたから、沢村栄純くん」

 沢村がまだ中学生の時に一度高島先生に連れられて青道まで見学に来ていた事。
 そしてその時に成り行きで東先輩と勝負になってあの怪物こと東さんから三振を取ったのがこの投手志望の沢村なのだ。
 もちろんその噂は瞬く間に部員の間に広まっていたし、巴も遠くからではあったがその一部始終を目にしていた。

 「でも何でこんな所で隠れてるの?……遅刻?」
 「は、恥ずかしながら……」

 一方、高島に頼まれごとをされていた巴は一人集団から抜け資料を取りに行っていたのだが、再びグラウンドに戻ると倉庫の所に一人部員がコソコソとしていた。
 その部員があの沢村だとわかり声をかけてみたが、冷や汗をかいている彼を見て事態を把握する。

 「でも、沢村は寮だよね…同室の先輩誰?」

 普通なら起こしてくれるんじゃないのか、そう思った巴は沢村に尋ねる。

 「えっと、倉持先輩と増子先輩です」

 沢村の口から出た部員二人の名前に巴は沢村に同情せずにはいられなかった。
 どうせゲームやら何やらに夜遅くまで付き合わされたのだろう。さっきミーティングが始まる前、倉持何回も欠伸してたし。巴は沢村の肩にポンッと手を置くと一言、ドンマイと口にした。

 「……どうにかならないですかね?」
 「こればっかりはね」

 他者からしたら遅刻は遅刻だ。
 どう言おうと言い訳にしか聞こえないだろう。
 これはマネージャーとしてしっかり言っておくべきか一年生をいじめるな、と。特に倉持。巴は心の中でそう決めながら目の前の沢村を見つめる。

 「巴先輩は何でここに?」
 「高島先生に新入生の資料取ってきてって言われたから」

 手に持っていた資料をパラパラと沢村の目の前にチラつかせる巴。
 さては自分と同じ遅刻者か!と顔を一瞬明るくした沢村だったが、見事に期待を裏切られ落胆する。

 「あちゃ〜、もう始まってんじゃん。昨日DVD観すぎちゃったからな〜」

 巴が落ち込む沢村を慰めていると第三者の声が聞こえてきた。

 「あれ?お前…確かあの時の、巴まで…」

 そこにやってきた人物に沢村は思わず声をあげた。

 「ああぁ〜〜!!御幸一也っ」
 「しー!!でけぇ声出してんじゃねぇよ!バレちまうだろーが!!」

 口に人差し指を当て静かにしろという御幸。
 驚いた沢村は慌てて、すいませんと謝る。

 「ところでお前らなんでここにいるの?」
 「なんでって、青道に入学したからに決まってんだろ!」
 「私は高島先生の用事」
 「ははっ!それじゃ沢村、お前初日から遅刻かよ!相変わらずの大物っぷりだな」
 「アンタには言われたくねぇ!」

 自分も同じ状況のくせに何を言うか。

 「ま、そんな事よりもだ。今の状況かなりやばいぜ」
 「え?」

 自己紹介をしている集団を見ながら話す御幸。

 「うちの監督、遅刻には死ぬほど厳しいからなー」
 「な!?」
 「ウチには部員100人ほどいるからな。
へたすりゃお前、三年間名前すら覚えてもらえないかもな」

 サーッと沢村の顔から血の気が引いていく。

 先程から集団の真ん中に立っているジャージを着た強面のサングラスの男。
 青道高校野球部の鬼監督、片岡鉄心。
 片岡はこちらから見ているだけでもなかなかの威圧感を放っていた。
 土下座でもした方がいいんじゃないかと青い顔をしながら焦る沢村に、御幸が落ち着けと声を掛ける。

 「正直に謝ったところで遅刻は遅刻。どう転んでも罰は受けるだろう。
 だが…………、誰にも気付かれずにあの列に忍び込めばどうなる?」
 「!」

 呆れて言葉も出ない巴。駄目な先輩はここにもいた。
 いや、この先輩が一番問題である。

 沢村と御幸は倉庫から少し身を乗り出しうまく列に入り込む作戦を練っている。
 作戦の内容とは、前列に並んでいる一年生の自己紹介が終わり後列に差し掛かった時、皆の視線がむこうに向いた瞬間素早く忍び込むというものらしい。

 「て、大丈夫かよ!バレたらもっとヤベェんじゃ……!」
 「大丈夫だ!俺は去年成功した!」
 「経験者かよ!?」

 とんでもない過去を笑顔でカミングアウトした御幸。それにしてもそんな簡単に上手くいくだろうか。あの片岡がそうやすやすと見逃すとは思えない。
 巴は御幸を見つめた。長年一緒にいる勘か何か企んでいるとそう察知した巴だったが、極力面倒ごとには関わりたくないので彼らに声をかける。

 「私、高島先生のところに行くから」
 「え、行っちゃうんですか!?巴先輩!」
 「沢村、頑張って」
 「あ、は、はいッ!」
 「あれ?オレは?」

 巴に応援の言葉を言われたことで胸が高揚する沢村、その隣にいる御幸は苦笑していたが。

 その後手に持っている資料を渡すために、片岡の隣に立っている高島のもとへやってきた巴。すると途端聞こえてきた大声。

 「ああ〜〜!!こいつ遅刻したのに!列に紛れ込もうとしてるぞぉ〜〜!!」
 「!?」

 シーンと静まり返るグラウンド。
 全ての視線が、驚きで固まっている沢村の元へと注がれた。
 巴はまさかとは思い集団を見てみると、そこには上級生側の集団にちゃっかり混ざっている御幸が。

 「初日から遅刻とはいい度胸だな、小僧……」

 御幸に囮にされた哀れな新入部員は、鬼の形相をした片岡監督から罰としてランニングを言い渡される。
 しかしながら、監督の制裁はそれだけでは終わらない。

 「それから、この男と同室の上級生…」

 ビクリ、倉持と増子の肩が跳ねる。

 「どさくさに紛れ、そこに並んでいる大バカ者」

 御幸の笑顔が引き攣る。いかに平然とした顏で列に紛れ込んでいたとしても、片岡監督の目を誤魔化せるわけがなかった。


 「高島先生、頼まれていた資料です」
 「わざわざごめんなさいね、ありがとう。………あっ」

 資料を受け取った高島が中身を確認し顔をあげた時、ある一点を見つめ声をあげる。
 巴もつられるようにそちらに視線を向けると…。

 「テメェの言うことは二度と信用しねぇからなぁ!!」
 「はっはっはっ、ありがとう」
 「誉めてねぇよ!!」

 大半の部員が練習をしている中、グラウンド周りを走らされている部員。沢村、御幸、倉持、増子の四名である。

 「後でビンタだわ……、おじいさん直伝のね」

 高島の手から気のようなものが見える。いつの間にやら沢村の祖父、栄徳からビンタを伝授されていた高島。
 入部早々、彼は災難続きである。可哀想に。
 こうして沢村の新しい生活は最悪の形で幕を開けたのである。

 「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 グラウンドに彼の無念な叫び声が響いた早朝。

 ***

 朝練も終了し、寮で生活している者は食堂で食事をとっていた。
 "必ず三杯以上食べる事"それがこの食堂での掟だ。その為先程からは、おかわりの声が絶えない。

 「…どうした?しっかり食っとかねぇとこの後の練習体持たねぇぞ?」

 御幸は掻きこんでいたご飯を飲み込むと青い顔をして中々箸を動かそうとしない沢村に声を掛ける。
 するとタイミングよく後ろからお盆にお茶の入ったコップを沢山のせた巴がやってきた。
 朝食をとっている部員へ配るお茶である。

「大丈夫?」

沢村の顔を心配そうに覗き込むと、自分の持ってきたお盆のお茶を一つ、彼の手元に置く。
声を掛けても応答が無い。かなり苦しいのだろう。

「慣れない一年生が朝からずっとランニングさせられて無理に食べろって方が無理かもしれないけど…一応決まりだから、慣れてってね」
「あんま沢村ばっか構うなよ?巴。
あとで先輩たちに睨まれんのはこいつなんだからなー」

文句を言いながら無言で手を伸ばす御幸に沢村同様、コップを渡す巴。
しかし再び沢村の様子を見ると何やら、様子がおかしい。

……うぷっ
黙って見つめていると次の瞬間、沢村の頬がパンパンに膨れ上がった。


(うわァァ!!大丈夫かお前ぇぇ!!)
(袋!!誰か袋ぉ!!!!)
(ここではやめろぉぉぉぉぉ!!!)

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