新学期が始まった。

朝練後、校舎へと向かう道すがら、この間の試合がどうだったとか次の対戦相手がどんなチームかとかを倉持が一方的に喋り、巴はそれを聞きつつ時折相槌を打っていた。
そうして二人はクラス分けの貼り紙を見に行った。
同じクラスの枠に互いの名前があったので、ああ一緒かと取り立てて何かを言うでもなく教室まで連れ立ってそれぞれ指定された席に鞄を置く。
教室に入ってから、男子たちの視線は一直線に巴へと注がれていた。
青道の女神といわれてるだけのことはあるが、倉持はそれすらお構いなしに鞄を置いてすぐ、巴の前の席の椅子を勝手に拝借し背もたれを抱え込むような体勢で座った。

「増子さん、昨日も遅くまでバット振ってたの?」

鞄から筆箱やらメモ帳やらを出して机の上に置いていきながら巴が言った。

「ああ、ここんとこずっとだな」

ぽいと放られたメモ帳をなんとなしに手に取った倉持が勝手にぱらぱらとめくり出したので巴は即座にその手からメモ帳を奪い返した。

「見られちゃまずい事でも書いてあんのか?」

にやりと意地悪く笑う倉持に対し、特に動揺することもなく巴は淡々と答える。

「そうね、好きな人の名前とかね」
「嘘だろ」

嘘だけれど。
特に見られてまずい事が書かれているわけではないが、部活の日誌とは違ってこれは完全なる個人のプライベートな部分だ。
なんとなく恥ずかしい。それにしても、と巴は話題を戻す。
レギュラー復帰の為に夜遅くまでバットを振っている増子や、他にも時間を惜しんで練習に励む先輩達のこと。

「泣いても笑ってもあと4ヶ月……」

自分達にはあと一年ある。
挑戦出来る機会も、その分多く残されている。
けれど今の三年生達はあとほんの数ヶ月。
共に涙し、笑い合った先輩達と一緒に過ごせる時間は、あと僅かしかない。
寂しさを滲ませ視線を落とす巴の額をつんと突いて倉持が溜息交じりに言う。

「今からしんみりしてもしょうがねぇだろ。
夏までにやらなきゃなんねぇ事はたくさん残ってんだからよ」

突かれた額をそっと手でおさえて巴は倉持を見た。
倉持の言う通り、今はまだ寂しがっている時ではない。
巴はひとつ頷いてみせる。

新しい一年生も入ってきて、さぁこれからという時期なのだから気合を入れ直さなければいけないと自分自身に渇を入れた巴は、ふと数日前の新入部員との初顔合わせの時のことを思い出した。

「そういえば、倉持と同室の沢村、入部初日に遅刻したあの子」
「あー、あいつな。こないだ部屋でめそめそ泣いてたから関節決めてやった」
「…でも最近は誰よりも早くグラウンド行って走ってるし…良い傾向ね」
「まぁな」

ふんと鼻を鳴らして笑うその表情を見て、巴は頭を捻る。
これは、何か手助けでもしてあげたのだろか。

今はもう、先輩しかいなかった去年とは違う。
自分達には、先輩もいて、後輩もいる。
倉持の顔に、どこかその先輩らしさを感じて巴はフと口許を緩めた。

ふいに、アッとかワッというクラスの女子達の色めき立つ声が耳を掠めて、巴は教室内をきょろりと見回した。

「あれ?お前ら同じクラスなの?」

その声に倉持も視線を向ける。
視線の先にいる御幸をじろりと睨みつけ、クラス分けの貼り紙をちゃんと見てこなかったのかと、倉持が舌打ち交じりに言った。

「嫌なら他行きやがれ」
「いやいや、そうじゃねぇって」

ぼすんと御幸がエナメルバックを置いた机は巴の席からほど近い。
御幸の席の隣に座っている女子が嬉しそうな顔で友達と視線を交わし合っているのを見て巴は僅かに目を細めた。
さすが強豪野球部の正捕手。
一年の時よりその人気は上がっているようだ。

「クラスまで一緒になったら一日中、ってか一年中ずっと顔合わせてる事になるなぁ、って」

けれどクラスの女子の視線などものともしない御幸。
この男は本当に、野球の事しか頭にないようだ。
たった今、無意識の内に出たであろう言葉にも、その事が伺える。
一年中顔を合わせる、つまり、教室で授業を受ける以外はその全てを野球の時間に充てると言っているようなものだ。

「お前の青春はオレたち抜きじゃ語れねーな。
ヒャハハ、ジジィになってもちゃんと思い出せよ?」

倉持が軽口を叩けば、ははっと笑いながら御幸が眉尻を下げて呟いた。

「俺の青春、黒歴史になったらどうしよう」

そのすぐ後、倉持の蹴りが御幸の尻目掛けて飛んでいったのは言うまでもない。

***

真夏の空に広がるコバルトブルーも良いけれど、春の透けるようなクリアブルーも清々しい。
新入部員を迎えて数日が過ぎた、よく晴れた放課後。
グラウンドから少し外れた用具倉庫にボールを運び入れている中、貴子が言った。

「どう?今年の一年、目立つ子いた?」
「結構、豊作みたいですよ!」

耳に心地よく響く弾む声で唯が答える。
スカウトの高島先生からも中学校やシニアで実績を積んできた選手が多いと聞いている。

「巴はどの子が気になったの?」

ボールカゴを持ったまま肩越しに巴を見て幸子が問うた。

「私は…松方シニアの東条と金丸かな」
「へーなんで?」

後ろを向いたまま歩こうとする幸子に「足下気をつけて」と注意を促してから、巴は話を続ける。

「シニア時代は全国ベスト4の成績を残してるし、同じ学年の子達よりは抜きん出てると思うけど…」

そこまで言って巴は言い淀む。
一年生、と言われて思い浮かぶのはその二人だけではない。

「他にも目をつけてる子がいるみたいね」

巴の心を察してか、貴子が不敵な笑みを浮かべて首を傾げた。

「誰だれ?」

わくわくと幸子が急かす。
巴は少し考えて、思い浮かべていた人物とは別の名前を口にした。

「…小湊先輩の弟、とか」
「ああ!中学の時のデータ、見たよ!びっくりしちゃった」

新入生のデータをまとめている時に見た、小湊春市の実績。
中学通算打率、6割3分5厘。
初めてそれを見た時は、目を疑った。
けれど、彼の兄が誰なのかわかれば納得出来る。
兄弟揃って、なんという野球センス。
弟の方もきっとすぐに頭角を表すだろう。
今はまだあまり目立っていないけれど。
春市もセカンド、兄弟で同じポジションだ。
追われる立場は大変だろうなと思う。

気になると言えばもう一人、沢村も。
先程、真っ先に思い浮かんだ一年生。
グラウンドに立つと、何かやってくれそうな期待感。

中学での実績が無い分、期待値だけで言えば彼が一番かもしれない。

「ふふ、楽しみね。誰が最初に一軍に上がるのか」
「はい。それじゃあ私先にドリンク作りに行ってきます」
「了解ー!」

巴が一足先にその場を離れていったと思えば、ここ最近で聞き慣れた甲高い悲鳴が上がって残っていた全員がそちらへ視線を向ける。

新入りマネージャーの春乃だった。
地面に転がったトンボに躓いて、バケツいっぱいに入っていたボールを見事にひっくり返してへたり込んでいる。

「またアンタなの?春乃!」
「仕事増やさないでよねー!」

初めのうちは後輩が出来たと喜んでいた幸子と唯も、春乃のあまりの不器用っぷりと積み重なる失敗に呆れて肩を落としていた。

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