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今日は、決勝前日。

去年卒業した東先輩が大量に差し入れに来てくれて、試合前練習は和やかに行われた。
一見いつも通りと言えなくもない。
だけど全員が胸の奥に火を灯しているような感覚が、マネージャー達にも確かに伝わってきた。
巴はみんなの手から使用済みタオルを受け取りつつ、整備の始まったグラウンドを見渡す。

「巴先輩」

降谷に呼ばれた。振り返ると、そっと目を伏せた彼が口を開く。ジャグを洗う手を止めて次の言葉を待った。

「……巴先輩、入部した頃、先輩たちとあんまり仲良くなかったって本当ですか」

東先輩だろう、そんなことを言ったのは。
そう当たりをつけつつ訊ねると、降谷は静かにうなずく。

今の三年生が『不作の年』と呼ばれていたことも聞いて高嶋先生に詳細を教えてもらったので、巴の方にも聞きに来たらしい。

話題が話題だけにさすがに訊きづらいのか、降谷は窺うように巴を見つめた。
ちょっと笑いながら洗い物を再開する。

「そうだよ。先輩とも同期とも全然仲良くなれなくて、自分で言うのもなんだけど、けっこう嫌われてたと思うな」
「どうして……」
「どうしてだろうね」

どうして、なんて、簡単にわかれば苦労はしていない。
御幸の幼馴染だった巴、二人の仲を見た先輩方のなかには快く思わない人もいた。
御幸の応援をしたいだけなら野球部にわざわざ入るなとか、元々あまり
ぶっきら棒で打ち解けようとしないのは見下しているからだとか。耳を塞いでいても流れ込んできた呪詛のような言葉は、今でも思い出すことができる。

「……でも、亮さんが名前で呼んでくれて。純さんが話しかけてくれて……三年生の先輩たちが少しずつわたしを受け入れてくれて、そしたらわたしも笑うようになったみたいで。そのおかげで、同期とも打ち解けられたよ」
「先輩たちが」
「うん。とても、温かいひとたちだから」

 目を閉じると、あのひとたちからいただいた優しい言葉が脳裡に浮かぶ。
 たくさん、たくさん、可愛がって、叱ってくれた。


「月代が、御幸だけじゃなく選手全員を心から支えようとしてくれていること、きちんとわかっている部員もいるからな」
「月代。突き指した」
「俺には、月代が見てくれていると頑張れる、と言っているように聞こえたが」
「月代ちゃん。昨日買ってきたプリンが三つある」
「痛くないわけあるか!!」
「手が痛いと辛いよな」


 ……うん。

「勝ちたいな……」

 自然と零れたその声に、降谷くんが目を丸くする。

「……まだ、先輩たちと一緒に、野球やりたいなぁ」

 知っている展開がどうとか、前の記憶がなんとかじゃなくて。
 御幸一也の隣に生まれて、青道高校へ行くことを選択した、たった一人の月代巴として、あの優しくて温かい人たちとまだ一緒にいたい。野球をしたい。甲子園に乗り込んで、グラウンドで活躍する彼らを、声を枯らして応援したい。
 ――勝ちたい。

「明日、頑張って応援するからね」
「は、い」
「でもあんまり深く考えないで。一也のミットを見て、丁寧に投げて、何かあったら後ろを見て、一人じゃないって思い出して」
「……はい」
「ベンチ見て、スタンド見て、みんないるなって思ってね」
「はい」

 躊躇いがちだった返事が迷いを捨てた。
 冷たい炎を揺らめかせた双眸に笑みを返すと、ざかざか音を立てて寮に戻ってきた沢村くんが「あ! マドンナ先輩!」と駆け寄ってくる。すっかりコンビになってしまった小湊くんも一緒だった。

「お疲れさま、二人とも」
「お疲れさまです! 手伝いますよ!」
「あはは、いいから着替えておいで、明日試合なんだから。降谷くんと小湊くんも。ゆっくりお風呂に浸かって、疲れは残さないようにね」

 賑やかな一年生トリオを見送り、洗い物を再開する。
 途中で憶えのある気配が隣に寄り添ってきたけれど、特に何も喋らないままでいた。

 ようやく全部を洗い終わって水を切ると、隣にずっといたその人がゆっくりとこちらに視線を向けてくる。

「……明日ね、お父さんとお母さん、試合観に来るって」
「そっか」
「緊張する?」
「……んー、まあ、ちょっと?」
「ふふ、ちょっとかぁ」

 まあ、緊張なんてするようなたちでもないものね。

 少し微笑むと、彼も目元を緩めた。頬に触れてきた掌が後頭部をとらえて、ゆるい力で抱き寄せられる。

 土埃と、柔軟剤と、汗のにおい。
 練習終わり、熱をもつその人のからだ。
 衣擦れの音。わたしと彼の心音。寮の建物から聞こえるみんなの笑い声。
 遠くから響いてくる蝉の鳴き声。
 呼吸。……血がめぐる音がする。

「……なぁに?」

 小さな声で訊ねると、「んー」と唸ったあと、喉の奥でくつりと笑った。

「おまじない」
「こんなおまじないあったっけ」
「今つくった」
「へえ。効果は?」
「かずくんがちょっと落ち着く」
「それは大事だわ」


 このまま時間が止まってしまえばいいのにな。
 そしたら明日なんて来ない。わたしの恐れる結末だって来ない。この人の腕の中で、ずっとずっと、夢みたいな夏が続けばいいのに。

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