「先生、さようならー」
「またね、先生!」
その言葉に、ほぼ無意識に足を止めてしまった。
胸にじわじわと懐かしさが広がり、ふと気付くと冷めている。懐かしい、という言葉だけでは片付けられないものが心を重くした。
「はい、さようなら。気をつけて帰るんですよ」
心地よく思える柔らかな女の声に俺は振り向く。
一瞬、心臓が跳ねた。
女もこちらを見ている。少し驚いたように。
肩口まで届かないくらいの、色素の薄い髪が風にさらわれ、サラリと揺れる。見覚えがあった。
「碧」
「銀時」
名前を呼んだのは、ほぼ同時だった。
「よかった、元気そうで」
独り言のように碧は小さく口を動かして、ゆっくりと近付いてくる。
俺は呆然と、多分間抜けな顔をしてそれを見ながら、昔の面影があるとか綺麗になっただとかそんなことを考えていた。
碧は躊躇いなんて微塵も見せず、俺の首に腕を回した。暖かい。子どもをあやすように頭を撫でられる。彼女の肩口に顔を埋めると、飾り気の無い良い匂いがした。
碧に手を引かれるまま、少々年季の入った一軒の平屋に入った。
町はずれのこのちいさな小さな家に、一人で住んでいるらしかった。
「いつ江戸に戻った」
「戦争が終わった後、くらいでしょうか」
俺は縁側に座って、台所で茶を淹れている碧の後ろ姿を眺める。最後に会った時から約十年も経っているため、懐かしいと言うよりは新鮮に感じた。
親の無い俺たちは幼少の頃から松陽の元で一緒に育った。拾われた時、碧は俺よりもずっと小さかったのを覚えている。年の頃は三つ四つ下だろう。
戦争に出る前、まだあどけなさの残る彼女を一緒に連れて行く訳にもいかず、武器を運搬する辰馬の舟に乗せてもらい、無理やり江戸から遠ざけた。
それ以来だ。
碧は茶を盆に乗せ戻って来ると、俺の隣に腰を下ろした。
「風の噂で戦争の後のことを聞きました・・。江戸に戻るつもりでは居たので、辰馬さんが送ってくれて・・・」
じゃぁ、松陽のこともこいつは知っているんだろう。辰馬は間が抜けているが、律儀な男ではある。世話を焼いてくれたのだろうと心の内で礼を言う。
「それで、今は先生か」
「週に数日ですよ。バイトしながら、寺子屋に通えない子たちを見ています」
「そうか」
朗らかに微笑む碧の横顔に、自然と口元が緩む。
立派に育って。松陽の教育の賜物だろう。そんな爺臭いことを思う自分がちょっと悲しい。
「銀時は?」
「え?」
「今は、何をしてるんですか?」
「あぁ・・・かぶき町の方で万事屋やってる」
「ふふ、銀時らしい」
「そうか?」
特にやりたい事も無いから、というのを知ってか知らずか碧は可笑しそうに口元を押さえる。今日だって、こんな民家の少ない場所に足を延ばしたのは依頼があったからだ。
普段来ることなど無い場所。
江戸に住んでいるとはいえ、万事屋なんてやっていなければ、こうして碧とまた会うことも無く、すれ違い続けていたかもしれない。そう考えると、万事屋をやっていてよかったなんて思う。理由なんて後付けで十分だ。
「まぁ、困ったことがあったら言えや」
「そうさせてもらいます」
「・・・依頼じゃなくてもいいから。何かあったら言え」
何を今さら、と笑うだろうか。
戦争が終わってからも、迎えに行くこともせずそのままにして。
だが予想に反して碧は真剣な面持ちで俺を見ていた。
「銀時こそ・・・私だって、少しは頼れるようになったと思うんです。だから銀時も、何かあったら言ってください」
「碧・・・」
少しの沈黙の後、彼女は少し眉ねを下げて笑う。
「素直に言ってくれるような人じゃないのは、わかってますけどね。また顔を見られただけで十分、ということにしておきます」
そう言われてしまうと何とも答えようがなく、頭を掻いた。
「それにしても、銀時もあまり変わってなくて安心しました」
「お前、そこは男前が上がったとか言えよ・・・ん?」
今、銀時も、と言ったか。
「もってどういうことだ?」
「それはほら、小太郎も江戸にいるでしょう?」
「会ったのか!?」
「えぇ、たまにお茶を飲みに来ますよ」
「いやいや駄目だよ?碧ちゃん、あいつ指名手配犯だから!そんなやつ家に上げるんじゃありません!!」
「昔馴染みの友人が顔を見せてくれるのは嬉しいじゃないですか」
「いやいやいや」
きょとんとした顔の碧。俺の顔はだいぶ引きつっていたに違い無い。
というか、俺もつい先日ヅラに会ったばかりだ。ヅラは俺に会った時、既に碧が江戸に居ることを知っていた、ということか。ふつふつと静かな怒りがこみ上げてくる。何故言わなかったのか、次会ったら絶対に絞める。それだけは固く決意した。
「銀時?」
「とにかく!厄介なことに巻き込まれかねねぇだろ!ちょっとは警戒しとけ?」
訴えるような視線に、碧は少し困ったように笑う。
「ねぇ銀時。今は皆、別々の道を行ってるのかもしれないけど、近くに居るのが、嬉しいんです。こうして隣に居ると落ち着くんです。皆と居るのが好きなんですよ」
そう話す横顔は、笑みを浮かべているのに、どこか泣き出しそうでそれ以上何も言えなかった。あの時の、泣き顔が頭にちらつく。碧はずっとそんな想いを馳せて過ごして来たんだろうか。江戸から離したことを後悔はしない。こうして生きているのだから。けれど、こいつが隣に居るという安心感と充足感を感じているのも確かで。
「・・・わかったから、そんな顔すんな」
「私も、銀時にそんな顔をさせたかった訳では、ないんですけど」
どんな顔してたかなんて、自分ではわからない。
ただ眉根を下げて笑う碧を、もう手放したくないと、自分勝手なことを思った。
それからというもの、時折俺は碧の家を訪れるようになった。
生徒が帰った頃を見計らって。そして碧は俺に気付くと、いつも決まって嬉しそうな顔をする。
「いらっしゃい」
「おう」
それを見るのが楽しみになっているのを、碧は気付いているんだろうか。