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白い天井、白い壁、揺れる白いレースのカーテン。
陽が差し込んで目に映る全ての白が眩しく感じられた。
まだぼんやりとした意識の中、自分を、なまえを守らなければということだけが強く頭の中を占拠していた。

なまえ自身がはっきりと意識を取り戻したのは、冷たい床の上だった。
ベッドの上のシーツは乱れていて、部屋の入り口で固まっている数人の大人、そして目の前で自分を庇うように唸っている真っ黒な犬。
今のこの状況は何なのか、眠る前自分が何処にいて、何をしていたのか、何かを思い出そうとしても記憶が無い。ノイズがかかって、何も再生されない。
ただ真っ黒な犬をクロと呼び、今までずっと一緒に居たことだけがはっきりと残っていた。

「くろ……おいで」

呼びかけると耳をピクとひと跳ねさせて駆け寄り、心配そうに鼻先を顔に寄せてくる。なまえはクロをきゅっと抱きしめ確かめるように頬擦りをした。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

今までに何度もそうしてきたような、口に馴染む言葉だった。
なまえはクロの背を撫でながら扉の方へ目をやる。

「だぁれ......?」

問いかけると、扉の前で佇んでいる男は少しばかり目尻を下げ言った。

「俺はイレイザーヘッド。ヒーローだ」







6、7年程も前に行方不明になっていた少女が山の中で発見されたというニュースが連日報道されていた。
テレビで公開されたのは行方不明になった当時の2歳の写真。
発見時、その写真とは異なり耳と尻尾が生えていたのだが、その姿はカメラに映されてはいない。

というのも、保護というより捕獲といった状況だった。
唸り、威嚇し、人を警戒する少女の様子は野良犬そのもので、その小さな体の何処にそんな力があるのかと思うような抵抗を見せた。ヒーローも出向き、麻酔で眠らせ、漸く警察病院に搬送することが出来たという。
少女には怪我は無く、少し栄養失調のきらいが見られたものの命に別状は無かった。しかし腕に無数の注射針を刺したような痕が確認された。血液を採取し、身元確認はとれたものの、今までどうして居たのかということは、少女が目を覚ました後も人が近付くと酷く警戒を示すため聞き出せていない。

彼女の保護にあたったヒーローや警察にとって、相澤は一縷の望みだった。
相澤の個性は異形型には適応されないが、もし個性のために獣化し話ができないのであれば、あるいは相澤の個性でもってそれを解くことは出来ないかと呼ばれたのだ。

相澤は粗方の話を聞いた後、病室のドアを開けた。
そっと開けたつもりだったが些細な物音で少女は飛び起き、足を踏み入れれば、病室の奥へ飛び退いた。そのまま近づけば窓から逃げ出してしまいそうな勢いであったため、相澤は足を止める。

「落ち着いてくれ、何もしない」

両手をひらりと上げて降参のポーズを取り、静かに個性を発動させた。
すると、少女の腹から黒い影がばりっと剥がれるように飛び出し、姿を現す。真っ黒な犬が先ほどまでの少女と同じように唸り、毛を逆立て威嚇してくる。犬というより狼のようだ。かわりに、くたりと壁に凭れかかるかかる少女からは耳と尻尾が消えていた。
これが中に居たのか、と相澤は思った。憑依か何かの個性だろうか。
少女の目は長い前髪に隠されているせいで開いているのかわからない。どのみちこの犬をどうにかしなければ彼女には近づけさせてくれそうにない。

「君の主人を助けたい。近付いてもいいか」

言葉が通じているのかもわからないまま、相澤は言いながら足を一歩踏み出す。
犬はぐるると低く唸り牙を見せた。その時だった。

「くろ…」

少女が緩慢な動作で手を伸ばす。

「おいで」

そう言うとクロと呼ばれた犬は素早く少女に駆け寄り体を摺り寄せた。
だいじょうぶと繰り返し少女はクロを宥める。やがて少女が顔を上げ、不安げに揺れるまん丸な瞳が相澤をとらえた。

「だぁれ……?」
「俺はイレイザーヘッド。ヒーローだ」

相澤は個性を解除し、少し屈んで、少女と目を合わせながらゆっくりと丁寧に声を発する。

「なまえちゃんだね?」
「……わたしの、なまえ?」
「そうだ」
「あ…」

なまえはその音がどこか懐かしく感じた。聞き覚えがある。それにふわりと胸に暖かいものが広がる。

「たぶん、そう…」

その返答で記憶が曖昧らしいということは相澤にもわかった。それに少女は現在8歳のはずだが、年齢にしては舌ったらずな話方だし、その間のほとんどをどこで過ごしたかわからない。どこまで理解できるかはわからないが、とにかく安全だということを伝えなければと思う。

「ここは病院だ、わかるか?」
「びょういん…」
「そう、病院。ここは安全だ」
「…うん」
「君は、山の中で保護されて、ここに居る」
「ほご」
「ここにはなまえちゃんを傷つけたり、怖がらせたりする人はいない」
「うん」
「そっちに行ってもいいか?」
「うん」

相澤はゆっくりと近付いた。
なまえの目の前まで行き、しゃがみこむ。犬にはまだ警戒されているものの、威嚇はされないことにほっとした。

「立てるか?痛いところは無いか?」

なまえは相澤の問いかけに、床につけていたお尻をのそりと持ち上げる。

「いたくない、だいじょうぶ」

その答えにまたほっとして相澤は微笑を見せた。
なまえは相澤をじぃっと見ながら腕を伸ばす。優しい笑顔。それに触れたかった。
相澤が応えるように腕を広げるとなまえはぺたぺたと2,3歩の距離を詰め、相澤の首にきゅっと腕を回した。クロにしたように頬を寄せる。頬が触れ合う。暖かい。
なまえの背に手を回し、柔らかい髪の毛をゆっくりと撫でてやる。

「大丈夫だ、もう大丈夫」

相澤がそう言ってやると、なまえは「うん」と小さく返事をし、首に回した腕に力を込めた。