3
「お母さん?」
私の呼び掛けにそこで初めて顔を上げた。私を見ると母は一瞬泣きそうになったのかのように顔を歪める。眩しそうに何度か瞬きをすると、ぎゅっと目を瞑った。再び開いたときにはさっきまでのグラグラとした不安定さは消え失せていた。強い瞳で叔父さんと父を交互に見据える。
「ちょっと遠い学校で、とかじゃない。魔法、魔法の学校よ? 何があるか分からない、気軽に助けになんて行けない。そんなところに私達の大事なエレナを放り込むって言うの?」
そんなの絶対に嫌よと母は頭を振った。華奢で小柄なはずの母がむくむくと膨らんで普段より大きくみえる。迫られた叔父さんは困ったように頬をかいた。
「ヘレン、ホグワーツは世界一安全なんだ。なにせあのダンブルドアが校長なんだから」
「だから私はダンブルドアなんて知らないわよ!」
「ダンブルドアは魔法界で最も偉大な魔法使いで──」
「どんなに偉大だろうと親から子供を引き離そうとしているという点においては───」
「お母さん」
三対の瞳が一斉に私へと集中する。ついさっき癇癪を爆発させたばかりの母はふーっふーっと手負いの獣のような荒い呼吸を繰り返していた。
「私、ホグワーツに行きたい」
「……エレナ、でもね、」
「お願い」
諭すような母の言葉を遮って真っ直ぐ見上げた。理解の及ばない世界に不安を覚えるのはわかる。でも、私とってあそこは夢の場所なんだ。
「魔法使いに……魔女になりたい。魔法を学んでみたいの、ホグワーツで」
私はどうしてもホグワーツに行きたい。何度も何度も読み返して想像した、憧れのあの場所へ。最後のダメ押しに、固く握りしめられたお母さんの拳に手を添え、もう一度言葉を紡ぐ。
「許して」
「……はあ」
母は諦めたような深いため息を吐く。燃え盛っていた瞳の炎はすっかりなりを潜めていた。
母の説得も済んだ。父はとうに納得している。そうしたら次にするべきことはもう決まっている。教科書やらなにやらを揃えに行かなくては。叔父さんは悩むようにウームと唸った。
「姿あらわしが一番早いんだがエレナはまだ子供だしバラけてしまうかもな……まあ多分大丈夫、」
「バラける?」
「いやわかってる! 心配するな、ちゃんと汽車で行くよ!」
小さな火種を聞き逃さずしっかりキャッチした母に叔父さんは慌てて付け加える。父に乗り換え方法を聞いてメモをとると、私にげっそりと疲れた笑顔を向けた。
「今回はゆったり行くとしよう。そんな焦ることでもないからな」
そう言った叔父さんの顔には残念そうな色が隠し切れていなかった。そんながっかりしないでも……。
先の不満げな言い分とは裏腹に、叔父さんは汽車の旅を随分と楽しんでいた。座席についた途端いそいそと駅のホームで買ったベーグルを取り出して「景色を見てると食が進む」と言いながらあっという間に五個もたいらげてしまった。ちなみに汽車はまだ出発していなかった。……魔法使いジョーク? ちょっとよく分からない。
数時間汽車に揺られた後、ロンドンに着く。今世はずっと田舎暮らしだったから店が立ち並んでガチャガチャとしたこの街並みは新鮮でもあり、それと同時にどこか懐かしくも感じる。叔父さんはそんな街をすいすいと迷いない足取りで進んでいくと、ちっぽけで薄汚れたパブの前で足を止めた。
「やあトム。今夜二人空いてるかい?」
「ああエドガー、大丈夫だとも。三階の奥から二番目の部屋が空いてるよ」
「ありがとう、朝食はいらないよ」
そしてカウンターを拭いていた男性、トムさんに声をかけると宿泊の予定を手早く入れる。なんだか親しげに話しているし、友達なのかな。
パブを奥へと通り抜けていき草木の少ないさもしい中庭にでた。叔父さんはローブから杖を取り出すと、赤レンガの壁を三度杖先で叩いていく。するとブルブルと震えてボコボコと揺れて移動をしはじめた。まるで生きているかのようなその動きに目を離せずにいれば、壁はあっという間に大きなアーチを形成した。その奥に広がる街並みに息を吞む。
「ダイアゴン横丁にようこそ」
そんな私へ、叔父さんはにんまり笑ってそう言った。