久しぶりに帰ってきた自室は、出る前とほとんど変わらない様子だった。ただ埃っぽさだけ異様なほど増していて、とりあえず一つしかない窓を大きく開ける。大通りに面しているため、窓を開けると車の排気は入ってくるし、騒音はひどい。でも、咽せるほどの埃に、換気せざるを得なかったのだ。
 それから、洗面台の棚にある霧吹きに水を入れて部屋中にばらまいた。水が出るかヒヤヒヤしたが、幸い水道は止められていないようだった。そういえば、入居時に一気に何年分かの代金を大家に預けたような気もする。いくらか部屋の埃も落ち着いたため霧吹きをやめ、カーテンを閉めた。ヤカンに水を入れて火にかけたあと、霧吹きを仕舞おうと洗面台に戻ると、そこには先ほどまではいなかった、招かれざる客人がいた。

「おかえり♥」
「…………ヒソカ」

 ヒソカは笑顔を崩さず優雅とも言える手つきで、つい、と私から霧吹きを取り上げた。安っぽく生活感のある陶器の洗面台に寄りかかる、ヒソカの奇術師姿は最高に場違いだったが、すぐそこにある壊れた浴槽と破けたカーテンはなぜかよくにあう。

「相変わらず迷惑な人」
「本当はボクが来て嬉しい癖に♦」

 この殺人鬼の存在については半ば諦めて、部屋へと戻ることにした。従順についてくるヒソカは、考えようによってはペットのようで可愛いかもしれない。ヤカンからはいつの間にかすごい勢いで湯気が出ており、慌てて火を止めた。数少ない荷物の中からインスタントコーヒーを取り出して二人分のコーヒーを作り、勝手にベッドに腰掛けているヒソカの元へと向かう。

「少し足を引きずっているね……。怪我でもしたの? 珍しい♥」
「踵から先の骨を砕いたの。でもほとんど治ってるはずなんだけど。よくわかったね」
「だからか。骨の形が変わったんだろうね。足音が左右で違うからね♠」

 毒蛇のような舌をペロリと出して、唇を舐めるヒソカは紛れもなく私の目だけを見ていた。それ以外は微塵も見ない。たとえわたしがヒソカの方を向いていなくても、だ。不味いコーヒーを口いっぱいに飲み込んでから、わたしは怪我をしている方の足を撫でた。たまにこうしないと、浮腫んでしまうのだ。

「ねえ。どうしてわたしたち人を殺すのか、考えたことある?」
「……君ってつくづく不思議なヒトだよね♥ ボクが好きでやってるの知ってるよね?♦」
「知ってるよ。わたしもそうだよ」
「そんな話より、ナマエの骨を砕くような奴の話を聞きたいな♥」

 ヒソカはわたしの首筋に顔を寄せ、髪をなぜた。猫っ毛は長い指に絡みつき、長い指は猫っ毛に絡みついた。

「髪の色、変えたの? 闇みたいな黒が似合ってたのに♠」
「ねえ。わたしたち、どうして人を殺すのかな」
「興奮するから♥」
「ヒソカ、どうして? どうして物や動物や魔獣じゃダメなのかな」
「ねえ、それ。新しいナゾナゾかなにか? ボク、飽きたんだけど♣」

 唇を塞がれるが、埃っぽい部屋の所為で咽せ込んでしまった。立ち上がり、カップをサイドボードに置いて窓を再び開ける。だが、大して効果はなく、部屋の空気はやっぱり埃っぽいままだった。元いたところへ座るとヒソカは明らかにふてくされていた。仕方なく、ヒソカの質問に丁寧に答える。

「踵の怪我は、自分のミス。ちょっと気を抜いて、硬の強度を超えたところから飛び降りたんだ」
「ふうん♦」
「あと、髪はね。前の仕事が潜入だったから脱色したんだ。またそのうち黒に戻すよ」

 ヒソカは機嫌を取り戻した様子もなく、だがふてくされた様子も消え、ただ興味なさそうにわたしの髪をいじっていた。人に髪を触られるのはくすぐったくて好きだ。それがヒソカならなおさら。

「ねえ、今だけ。黒にしてもいい? “薄っぺらな嘘”♥」
「いいよ、好きにして。ヒソカの、好きにして」

 わたしは怖かった。すごく、怖かったのだ。たくさんの違和感を埃と一緒に外に出してしまいたかった。どうしてこんな、埃だらけの部屋にヒソカがいるのだろう。

「たくさん好きなことをして、たくさん、殺して。ねえ、もしも、世界にわたしとヒソカ二人になったらどうする?」
「ナマエ、キミ、やっぱりヘンだよ♣」
「そしたら、ヒソカはわたしを殺すのかな」

 わたしは、たくさんの人を殺してきて、もちろんそれは仕事のためだったり自分の快楽のためであったりしたわけだけど、わたしの心の穴を一番埋めてくれるのは闘いであると、思っていた。ねえ、わたし、気付いてしまったの。

「わたし、死ぬより、殺すより、ヒソカと一緒にいたいの。どうしたらいい?」
「さあね♥」

 ヒソカはごろんと横になり、わたしの腕を引っ張った。抵抗せずにわたしもヒソカの隣に仰向けになる。ヒソカの奇術師姿を見る度、わたしたちは人殺しなのだと思い出す。ヒソカは咽せ込むわたしの頭をやさしくなぜる。まさかこの手が、たくさんの人を殺めたとは想像できないくらいに。優しかった。たくさんの人を殺めてきた人間の頭をなぜるには、ちょうどいいかもしれない。

「ねえ。そんなこと、二人だけになったらそのとき考えようよ♥」

Dusty World
(110905)afterwriting