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しばらくして、ついにわたしの貯金はあと一歩で目標額へと達するところまでやってきていた。宿駅の主には、金が貯まり次第宿を出ることは先に知らせていた。あと少しでこの町を出られる。生まれてから、ずっと育ってきたこの呪われた町。いい思い出なんて一つもないこの町。多分、浮かれていたのだと思う。その日、やってきた例のお得意様と床を共にしようという時、わたしは誤って足を踏んでしまう。

「あ、す、すみません!」

謝るが早いか、わたしは不意に当てられた平手に吹っ飛んでしまった。こんなことは、初めてだった。いつも優しいこの男は、多少の粗相では怒ることなど滅多になかった。ましてや殴られるなんてことは、予想もしていなかった。取り繕うように、小太りの男は言う。

「あ、ああ、すまん。つい。なに、謝ることはない。お前は私のむすめなのだから」

わたしは、浮かれていた自分の心を叱咤した。あと少し。あと少し。そう思うだけで、全て我慢できた。





「……はい?」
「だから、家賃だよ。お前の家賃」

愕然とするような事実だった。主に、あと少しでこの店を出る旨を伝えたところ、貯まった額の半分近い金を、今までの家賃として出す用に命じてきたのだ。それは、場当たり的に私の貯めた金を得たいという理由でもあっただろうし、あの金持ちの商人を繋ぎ止めておくための餌を逃がすわけにはいかないということでもあっただろう。どちらにせよ、わたしはこの町から出ることはできないのだ。夜逃げなど、できるものならもっと前にやっている。この町の周りには凶暴な水蛇が巣くっている沼があり、隣村に行くにはどうしても昼間に出歩かなければならなかった。また、絶望にくれながら給金をこつこつと貯める生活が始まったのだと思うと目の前が暗くなったが、ただ働かなければならない期間が延びただけだと思えば気は楽になった。それに、あの男に従事していさえすればあと1年余りで再び目標金額に届くだろう。私は、またすぐにあの男が来ることを待ち望んだ。





その次に宿へ来たその男は、今までとは少し様子が違うようだった。なにやら機嫌の良い様子で、よく聞き取れないが、ためす、やら耐えられる、やら呟いているように聞こえた。いざ床につかんというとき、男は言った。

「少し、後ろを向いてごらん」

それが、地獄の日々の始まりだった。

 


(110927)


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