スプロール-エンドロール


「キミにはもっと価値があると思ってたんだけどなあ」

 ヒソカは、くつくつと笑っていた。多分、そうだ。あれは笑っているのだ。ヒソカは口角をこれでもかと言うほど上げ、私を見下ろした。私はと言えば、情けなくフローリングの床に座り込み、阿呆みたいな顔してヒソカを見上げている。かろうじて避けたトランプは私のすぐ後ろのキャビネットに鋭く刺さり、それは死を連想させるのに十分な力があった。時が一瞬、止まる。南向きの大きな窓からは、街の喧噪の間を鳥が優雅に飛び回るのが見えた。

「……え、?」
「思ったより、つまらなかったよ」

 しゅん、と風を切ったような音が聞こえる前に、咄嗟に身を横に転ばし、いくつものトランプを避ける。しゅん、しゅん、どこか遠くで聞こえるような風の音は、 目の前にいるヒソカの殺気から現実味を奪っていた。淡々と行われるヒソカの攻撃を必死に避けながら、なんとか頭を働かせる。なぜ今ヒソカに攻撃されている? 私とヒソカは、つい昨日まで少なくとも良好な関係であったはずだ。友人じゃ足りない、でも恋人でもない。私たちは密着した同居人であり、乖離したパートナーだった。しゅ、と先ほどよりも短く風の音がし、左肩から血が噴き出す。しまったなぁ。暢気に考える。バンジーガムに囚われては、元から少なかった勝算もほぼ0になってしまったと言っていい。

「ぼけっと考え事なんかしてるからだよ」

 ヒソカはすかさずガムで私を引き寄せ、腹に拳を何度か入れた。瞬間的に息苦しさと吐き気を催すが、それを黙殺する方法は経験上知っている。

「相変わらず脆いオーラだな。ちゃんとトレーニングしてるの?」
「……知ってるでしょ、私は、特質系だから、強化は、苦手なんだよ」
「うん。知ってるよ」

 そもそも戦闘は得意ではないのだ。せり上がってきた血が口元から漏れるのを拭いながら、必死で頭を動かした。一撃。一撃でいい。 かすり傷だっていい。ヒソカに少しでも傷を負わすことができれば。

「キミの能力は戦闘向けじゃないんだからさ。その分しっかり鍛えないと、いざってときこういうことになる」

 ヒソカの左手は容赦なく肩を引き寄せ、引き寄せては顔や腹に拳を入れた。戦いですらない、完全に一方的な暴力だ。私は意識を手放すことだけはしないように歯を食いしばり、必死に硬のオーラを練った。どれだけ集中して堅くしても、オーラの密度がまるでちがう。なんども引っ張られ衝撃を与えられた左肩はもう砕けてしまっている。だが、そんなことはどうでもいい。ヒソカだって、それが私にとってどうでもいいことであると気付いているはずだ。

「キミはとても壊れやすい。なのに、とても壊しづらい。まるで、色鮮やかな鳳蝶のようだよ。ひらひらとボクを誘っては逃げるくせに、手のなかに収まれば握りつぶすのは簡単だ」
「……あなたは猫のよう。こちらを見ているようで、見ていない。こちらを見ていないようで、じっと見てる。しばられるのは嫌なくせに、つねに愛を欲してる」
「くっく、やっぱりキミは面白いよ。でもすごく邪魔だ。邪魔くさいよ。ナマエのその、鮮やかさは」

 ヒソカはまるで心から可笑しいみたいな顔をして、私の顎を優しくなぞった。それに舐めるみたいな短いキス。私もそれに応えるみたいに、ヒソカの顔に右手を添える。

「私を殺すんだね」
「そうだよ。ボクの手でね。そうじゃなきゃ意味がない」
「醜い独占欲と、美しい破壊欲」

 カリ、と爪でヒソカの頬を引っ掻いた。顔に赤い筋が1本引かれる。私はゆっくりと手を離し、一歩後ろに下がった。

「まだ逃げるのかい? 諦めが悪いな」
「そう。私、諦めが悪いんだよ。あなたに似て」

 ヒソカは鷹揚な態度でこちらを見ている。体の向きはヒソカの方に向けたまま、そろり、そろり、と窓に近づく私の、左肩にはまだ伸縮自在の愛が張り付いたままだ。

「逃げられるとでも?」
「さあ、」

 口の中で小さく呟いた。さよなら、ヒソカ。私はこれから、あなたがいなくても生きていく術を見つけるわ。

「やってみなくちゃ」


(130505)

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