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「ナマエちゃん。みっけ」
それは、3限を直後に控えたお昼休みだった。カップラーメンを虚しくすするわたしの他にはほとんど学生はいない。それもそのはず、出席しなくても単位をくれると評判の授業のためわざわざお昼休みを潰す学生など数える程しかおらず、多くの学生は今この時をもっと有意義に謳歌しているのである。かく言うわたしも4限に専門の授業がなければ喜んでばっくれているところだ。こうして驚くほど学生が減ってしまったこの授業は、人数に比例して、どんどんつまらないものになっていった。まぁ当然だよね。教授だってそりゃモチベーションさがるわ。というわけで、わたしはこの授業を仕方なしとはいえ受講している数少ない学生の一人なのだが、今わたしに声をかけてきた人物、つまり半兵衛は、この授業は履修していない学生だったはずだ。
「あれ、半兵衛」
「来ちゃった♡」
「来ちゃったじゃねーだろ。あんたこの授業取ってないよね? なんで来たの」
「あんたとは、ご挨拶だなあ。別にいーじゃん。俺がここに居たってさー。寧ろハッピーじゃん。空気が華やぐじゃん」
「へえ、空気が華やぐですって。」
「わかってないなァナマエはー」
サークルも同じ学科も同じおまけに語学クラスも同じゼミも同じという腐れ縁も腐れ縁。それがわたしと半兵衛の関係である。そうでなけりゃこんな童顔チャラ男DQNヤローと仲良くすることなんてなかっただろうと思うし(こう言うと半兵衛はいつも口を尖らせる、「俺、童顔だしモテるかもしれないけどDQNじゃなーいでーす」)、こんな人種とこれまで3年間よろしくしてきた自分を褒めるばかりだ。
「本来楽しい時間であるはずのお昼休みを独りで過ごし、その後もクソつまんねーことで有名な古典文学特講Cを受けなきゃなんない可哀想なナマエちゃんをこの大親友が励ましに来てあげたんじゃないかぁ。しかもカップヌードルはしょうゆ味!」
「別に励ましてもらいたいと思ってないもんね。ていうか、しょうゆ味の何が悪い」
「カップヌードルはカレー味こそ至高」
「邪道め、王道しょうゆ味なめんな」
「王道ですって。もらい」
半兵衛はそう言うとひょいとわたしの手からカップを奪い、スープを少しすすった。
「おーおー、安っぽい味」
「うっせ。ていうか返せ」
「まあまあ、焦んなさんなって。ちょっとついでにさ。安っぽい話でも聞きませんか。」
やっぱりそうだ。半兵衛が、本当にわたしのことをただ励ましにきたわけがない。大方相談か何かかと予想はしていたのだ。前を見ると、幸い教授はまだ来ていない。わたしたちは連れ立って、午後の湿度が閉じ込められた教室を後にした。
「それで。」
あのあと、話は簡単だった。
「とどのつまり、モテてモテてつらい、俺って罪な男! ってこと?」
「違うよ! もー、ちゃんと話聞いてたの?」
「はいはい、聞いてました。だからあれでしょ? とどのつまり、エリコが束縛女だった、ってことでしょ?」
わたしは素直に溜息を吐いて見せ、甘ったるいコーヒーをすすった。
エリコというのは同じサークルの同期で、半兵衛と半月前に付き合い始めたばかりの女の子だ。彼女は特に目立つタイプではなく、自己主張のあまりない消極的な方だと思う。そんなエリコが束縛さんだったとは意外だが、それを半兵衛が今さらわたしに愚痴るのは些か意味不明である。
「そーだよぉ。エリちゃん、怒ると泣くわ喚くわで大変なんだから。すぐ怒るし。ちょっと女の子と二人で飲みにいったからってヒス起こすんだから」
「ちょっと待って。それはあんたが悪いでしょ。まだ付き合って半月だっていうのに、他の女の子と二人で飲みに行ったりしてるわけ?」
「それはさァ、俺のアイデンティティじゃん。逆にさ、俺が女友達多いことなんて付き合う前からわかってた筈だし。もー、それ了承した上で付き合ってよー」
「知ってたけどあんた最低だよね」
半兵衛はまるで気にしない、というように、あくびを一つ噛み殺した。くるくると指先でペンを回し、気怠げに窓の外を見る。わたしもつられてそちらを見るが、特になんてことのない、見慣れたキャンパスが見えるだけだ。
「ていうか束縛なんて、かわいいじゃないの。愛されてるってことじゃないの」
「違うんだってば。束縛なんて可愛いモンじゃないの。あれはね、ヤンデレなの。病んでるの、あの子」
「あんたを殺して私も死ぬ! って?」
「言いかねぬ」
半兵衛は塩っぽい顔で天井を仰ぎながら呟く。「何て言ったら別れてくれるかなぁ。」
「ほんと、さいてーだよね」
「すごい。ナマエに何を言われても何故か傷つかない」
「死ね」
わざわざ授業をサボり話を聞いてやっている友人に対して酷い言い様である。
昼休みを過ぎた食堂は閑散としている。半兵衛は冷めたチキンソテーをつつき、わたしはどろどろのコーヒーをせっせとかき混ぜた。
「ていうかさ。その、付き合っては別れ付き合っては別れみたいなやつやめなよ。みっともないし、そんなだから世間から私大文系はバカでゆとりで人生の夏休みって言われるんだよ」
「後半、俺に関係なくない?だいたい、俺が悪いんじゃないよ。俺なんかに好意を持つ女の子が悪いんだよ。」
「ウザすぎて貧血起こすレベル」
「看病は俺がやったげるよ」
半兵衛は悪びれない。相変わらずチキンを箸でつつき続けている。ここの食堂のチキンは不味いことで有名で、何故わざわざそれを注文したのかわからないが、半分ほど食べたところで完全に箸は食べる物ではなくつつくものになってしまったようだ。
「わたしはさあ、半兵衛がエリコのこと好きだと思ったから応援したのに。覚えてる?三人で遊びに行ったとき、わたしお腹痛くなって帰ったじゃん。あれ演技だからね。二人にしてあげたんだからね。」
「最初は好きだったんだけどなー。エリちゃん、ただね、重すぎて。そして演技は下手すぎて誰も騙されないレベル」
「その前の彼女! カヨちゃんだってさ、わたしがプレゼント選びとか手伝ってあげたんだよ。カヨちゃんにもらったポールスミスのキーケース、気に入ってたでしょ。あれわたしが選んだんだよ。カヨちゃんと半兵衛がうまくいったらいいなって。」
「ああ、あれ! カヨちゃんにしてはセンスいいなと思ったんだよね。なるほど、あれナマエが選んだのかあ」
「だからあ!」
もうすぐ3限が終わる。わたしは4限に専門の授業があるし、半兵衛はサークルのミーティングがあるはずだった。すっかりしなしなになってしまった付け合わせのほうれん草を口に放り込み、半兵衛はこちらを見る。わたしも、半兵衛を見る。
「わたしは、半兵衛がそれで幸せならって思ってんだよ。だから、だから、わたし、」
「だから……?」
半兵衛はわたしの目を覗き込むようにして、不思議そうな顔をする。わたしは何も言わなかった。(だから、わたし、)その続きを、言葉にできたら。色んな言葉を飲み込むように、甘いばかりのコーヒーを喉の奥に流し込んだ。
頼まれたって愛してやらない。
(131010)