お嬢様、あなたそろそろぬいぐるみは卒業です(1)
 赤い鍋で作るクリームシチューは、格別美味しそうに見える。スプーンにひとすくい、味見をすると、予想通りの出来に私は微笑んだ。料理はてんでダメな私だけど、簡単なシチューであれば美味しく作れるのだ。

「お皿を三人分、と……」

 普段なら自分のためだけにわざわざシチューを作ったりなどしないのだけれど、今日は客が来るのだから仕方がない。決して喜ばしい来客ではないのだが、現状、私にとって、こうして普通に生活が出来る程度には賃金をくれる雇い主なのである。しかも今日は新規顧客を紹介してくれると言って連れてくるというのだから、もてなさないわけにはいかないのだ。
 サラダ用に、ポテトとマヨネーズを混ぜ合わせ、準備は完了だ。時計を見ると、まだ来客までに時間があった。気はすすまないが、しょうがない。私はエプロンをはずし、ソファの上に放ってあった新聞を手に取った。

『歴史的快挙! ミョウジ博士、新物質を発見』

 見出しを見てひとつため息をついた。わざわざ見るまでもなく、内容も検討がついている。飛び出んばかりの見出しの文字と、笑顔を浮かべ政府役人と握手をする男性。それは間違えようもなく『ミョウジ博士』であり、これからここへ来る予定の来客、そして私の父親、である。

 父は、理不尽で横暴で自己中心的で、というか世界に自分以外存在していなくて、他人のことなどちっとも考えたことのない、人格崩壊者として、主に私の中では知られている。私の中でだけだけど。幼い頃病気で死んでいった母はこう言った。「ナマエちゃん、あなたなら大丈夫。あの人に殺されずに共に生きていけるのはナマエちゃんだけよ。私は無理だったわ。さようなら」。ともかく、死に際の妻にこうまで言わしめた男、それが私の父だ。そんな父だが、外づらが良い。外づらだけ、アホみたいに良い。多くの人に信頼され、人望とかいうやつもあるらしい。たまに、娘として、もしくは父の元で働く構成員として、挨拶まわりをすることがあるが、そのとき必ず言われる『ミョウジさんの娘だなんて、ナマエちゃんは幸せ者だよ!』という言葉。実際に娘として現役バリバリの私としては、ただただ首を傾げることしかできないが、世間的に見ればどうやらそういうことらしいのだ。
 てんとーん、間抜けな電子音が鳴ったのは時間ぴったり19:30だった。気乗りしない足腰を叱咤し、立ち上がる。ドアフォンで確認するまでもない。玄関に手をかけたそのとき、どこか遠くで風船のはじけるような音が聞こえた。

(141005)
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