prologue(1)

 拝啓、天国のお母さん。人って、案外簡単に転落するんですね。
 そう気付いたときにはもうすでに、住む場所がなくなっていた。住む場所がなくなってすぐ、体調を崩して仕事をクビになった。そこからとんとん拍子に身を持ち崩し、今では立派なネカフェ難民だ。なけなしの貯金と日雇いで得る日銭を切り崩しながらネカフェ難民として生きるのは中々スリリングだけど、私はそこそこ元気です、お母さん。何となく選んだここのネカフェには、私と同じような状況の人が沢山いた。毎日過ごすうちに、いつのまにか常連同士皆顔見知りである。今日も、なんとなしに求人情報を眺める私に、隣のブースのおっちゃんが干し芋をわけてくれた。よっしゃ今日の栄養ゲット。

「ナマエちゃん、また職探し?」
「そう。やっぱ厳しいねー」
「ま、ナマエちゃんならきっとなんとかなるだろ。確か、やりたい仕事があるんだったろ?」
「うん。どうしても、文章に携わる仕事がしたくて。……子供の頃、将来の夢が小説家だったからかな。そんな高望みしてるせいでなかなか働き口が見つからないんだけどね」

 おっちゃんは衝立の上に顔を出したまま、干し芋をビーフジャーキーみたいに噛みちぎって「まあ頑張れ」と気楽に言った。ここのみんなは暖かい。家をなくしてすぐの頃に転がり込んだネカフェは肌に合わなかった。男性客から女性客への性的な声かけや悪戯は当たり前で、店員も放置しているような店だった。職探ししていても、「若い女の子なんだからさ、働き口なんていくらでもあるだろ?」なんて下卑た顔で言われるのは一度や二度じゃなかった。そこを出てやってきたのが、ここのネカフェだ。あの時は、同じディビジョン内でもこうも治安が違うものかと驚いたものだ。
 おっちゃんにもらった干し芋を、私も倣って噛みちぎる。想像の100倍くらい硬かったが、甘くて優しい味がした。

「おー! お前、久しぶりじゃねーか!」

 そんな騒々しい(とはいえネカフェ内で許されるレベルの音量ではあるが)声が、入り口近くの方から聞こえてきた。立ち上がって衝立の上に顔を出して様子を窺うと、私の他にも同じように顔を覗かしている人が何人かいた。私たちがいる一番安いブースのエリア入り口あたりに、背の高い長髪の男性が立っていて、難民仲間たちが彼を囲んでいる。口々に、「どうしてたんだよ?」とか「生きてたか!」とか聞こえることから察するに、どうやら彼も古参の難民仲間のようだ。

「おお! 帝統、戻ってきたな」

 干し芋のおっちゃんが、隣のブースからそう言った。

「ダイス? サイコロ?」
「そうか、ナマエちゃんは帝統に会ったことなかったか。ま、サイコロでもほとんど合ってるけどなぁ!」

 おっちゃんは口に芋を入れたまま、ゲラゲラと下品に笑いながら言った。

「うん。あんな派手な人、初めて見た」
「おお、そーか。じゃあ紹介してやろう」

 連れていかれるがままに、人だかりに近づく。帝統と言われたその人は、みんなから少しずつ食料をもらっているところだった。もらうそばから嬉しそうに頬張る姿からは、どことなく人懐こい大型犬を連想した。

「ほれ、芋も食え、帝統」
「おおー! 久しぶりだな、おっちゃん。……そっちの子は?」
「お前がいない間に来たナマエちゃんだよ。今じゃお前よりもここに馴染んでるよ」

 「どうも」と浅くお辞儀をすると、帝統という人は何故か目を丸くして私の顔を見た。

「ナマエって言ったか?」
「うん。ミョウジナマエだよ」

 すると帝統は更に目を大きく見開いた。良く見ると、焦ったように冷や汗をかいて、顔色も悪い。何か気に掛かることがあったのだろうか? 昔の彼女と同じ名前とか? 私は私で記憶を色々と辿ってみたが、こんな派手な顔立ちにも、ダイスなんて名前にも覚えがなかった。周りのおっちゃんたちも、異変に気がついて少しざわつきはじめた。その時、帝統が言ったのは予想外の言葉だった。

「……ナマエ、家と仕事紹介してやる」


(210306)