エドガワディビジョンの潮騒(5)

 タクシーに10分程乗り、カサイ臨海公園に到着した。真昼の太陽と、海辺特有の水分を多く含んだ空気が私たちを出迎える。少し前まで雨続きだったが、今日は雨が降らなくてよかった。快晴とはいかないが、どんよりした雲の切れ目から時折太陽が覗くだけでも、この時期にしては上出来だろう。

「とりあえず、浜辺の方まで行ってみますか」
「そうだね。何か手がかりがあるといいけど……」
「安心してください、小生はナンパ目的でないのであなたを置いて帰ったりはしません」
「古傷抉りに来るスピードが早いな」

 駐車場から出て公園を海側に向かっていく。平日だけあって、ひと気は少なかった。学校をサボっている学生と思われる数名がたむろしていたり、犬を散歩する人がちらほらいたり、小さな子ども連れの家族がいたりと、その程度だ。
 周りの景色を見ても、特に記憶も、頭痛も、蘇らなかった。多分あの頃の私は、彼の顔色ばかりを窺って、周囲の景色なんて見る余裕はなかったのだろう。
 口の中のあめが2つともなくなった頃、大きな橋が現れた。渡り終える前に、眼前に海が広がる。

「おお……! 海だ」
「海ですね」

 浜辺まで出て、周りを見渡した。……予想はしていたが、特に手がかりらしきものは見当たらない。しかし、ちょっとした看板や、段差、ポールなどは、遠藤さんの写真の中に見覚えがある。

「やっぱり、あの写真に写ってたのはここみたいだね」
「ですね。ということはつまり、彼女はここに来て、あるいは来る途中、あるいは帰り道、何らかの理由で消息を絶った、と」

 ……つまり何もわかっていないというわけだ。海までわざわざ来て何か前進した気がしていたが、結局の所何も解明されていないということが突きつけられただけだった。
 もしかして、と私は少し思ってしまう。もしかして、幻太郎さんは何かと理由をつけて、海を見に来たかっただけなんじゃないかと。遠藤さんのことも、あれもこれも、全部幻太郎さんの適当なでたらめなんじゃないかと。……まあ、遠藤さんが消息不明なのは本当だし、私達が遠藤さんのプライバシーを侵害してまでここに辿り着いたことも紛れもない事実なのだが。

「……さて。海もじゅうぶん眺めたことですし。そろそろ戻りますか」
「あんまり進展はなかったけど、海、来て良かった。前に来たときよりも、ちょっと楽しかったかも」
「それは何よりですね。小生も、たまにはこうして自然に触れられて良かったです」
「あはは。それは何よりですよ」

 特に、どうってことない。水着にもなってないし、海にも入ってないし、砂で遊んでないし、ビーチボールもしていない。そもそも今は夏でもない。それでも、あの時果たせなかったことを、今やり直せたような気がしていた。少なくともきっと、今日のことは多分忘れない。頭痛もしていない。
 きびすを返し、出口に向かって歩きながら、幻太郎さんが「さて、次はどうしましょう」と言った。私はといえば、未練たらしく海を振り返って見たりしていた。

「え? 次って……」
「おや、もうギブアップですか。自分の感傷さえ撫でられれば遠藤さん探しはもうどうでも良いと?」
「い、いやそうじゃないけど……もう手詰まりじゃない?」
「いえいえ。まだこれからですよ。ナマエ、小説家志望だというのに、推理小説を読んだことがないんですか?」
「あるよ、あるけど……」
「推理小説の中の探偵は、まず何をするでしょう。そう、聞き込みですよ」
「私たち探偵じゃないし……」

 心なしか、幻太郎さんは楽しそうだ。私は少し安心する。古傷を抉られた甲斐もあったというものだ。

「誰か、遠藤さんを見かけた人がいないですかねぇ」
「あ、それなら……」
「心当たりが?」
「わかんないけど。駐車場に溜まってる若い子が何人かいたよね。もしかしたら、日常的にあそこにいるかもしれない」
「ああ、確かに。時間的にも、雰囲気的にも、学校をサボタージュしているいるようでした。あそこなら大人にバレないとわかっているのならば、むやみに場所を変えずにたまり場を固定しているかもしれません」
「遠藤さんを、見かけてるかも……」

 ある種賭けではあったけど。それを言うと幻太郎さんは、「こんなもの、有栖川某に言わせれば随分ローリスクハイリターンで、ヒリつかない賭けだと思いますよ」と言う。慰めで言ったようだった。

「では、その若者達に聞いてみますか。うーん、いよいよ推理小説じみてきましたね。ホームズ気分も悪くない」
「楽しそうだね……」
「そうかな? 気のせいだよ」

 気のせいではないだろう。幻太郎さんは歩調すら早くなっている。一歩前に出た幻太郎さんが、笑顔で私を振り返った。

「さあ。行くよ、ワトソン」

 きゅん、と心臓の奥が鳴ったのを、私は気がつかない振りをした。

(20240612)