勇気を出して 01


 「冨岡くんも、珈琲どうぞ」


 パソコン画面に集中していた義勇が、その綺麗な歌声のようなその声に返事をする前に、机の上にコトンと珈琲カップが置かれた。
 顔というより視線だけを上にあげると、「お疲れさまです」と柔らかな笑顔が印象的な彼女と視線が重なる。

 彼女の名前は、藍沢ハル。
 キメツカンパニーの要であるこのシステム部に、日に数回やって来ては雑務をする総務部に彼女は所属している。
 珈琲を入れるのが仕事ではない。
 だが、このシステム部の部長がそのような雑務を彼女に押し付けるので、このフロアに来たら珈琲を欲しい人に入れるのが日課になりつつあった。
 義勇が欲しいと頼んだわけではない。
 だけど、ちょうど休憩を入れたいと思っていた矢先だったので有難いと思っていたのだが、普段から表情が変わらない義勇は、眉すら動かず彼女を見つめるだけだった。


「……いらなかった、かな?」
「いや、ちょうど休憩しようと思ってたところなので。有り難くいただきます」
「そっか、良かった!」


 ニコリと笑う彼女の笑顔に、義勇の心臓がドキッと鳴るのは、今に始まったことじゃない。
 彼女がこのシステム部に来るようになって数ヶ月。最初は何とも思っていなかったのだが、この些細な気遣い、自分の名前を呼ぶ声、ふわりと香る匂い、そのすべてに鼓動が速くなっていることに気がついたのだ。
 ただ、気づいたからと言って何かが変わる訳でもなく、日々の仕事をするだけだった。
 表情が乏しいことが功を奏しているのか、彼女が来るとソワソワと胸の奥がザワついていることが周りの誰にも、彼女自身にもバレてはいない。
 だが実のところは、彼女の声に聞き耳すら立てているのだ。


「あ、れ?」
「……何か」
「いやあの、カレンダーに赤丸が付いてるから……もしかして、デート?」


 なんの事だろうと、視線を卓上カレンダーへと向けた義勇は、珍しく少し表情が揺れた。
 その日はクリスマスイブ。
 予定なんてものはなく、むしろこれは、彼女との関係を進展出来たらという願望から無意識に義勇が丸を付けていただけのものだった。
 それを当の本人から指摘され、義勇の表情に焦りが生まれた。


「冨岡くん……」
「……」
「カッコイイものね! そりゃ素敵な彼女がいて当然、かぁ」
「いや、違う!」


 義勇の声がフロアに響く。
 驚いたのは彼女だけでなく、義勇自身もその声に目をパチパチと瞬かせた。
 そんな義勇に、彼女はフフっと笑い、「大きな声、出せるのね」と目を細めた。
 彼女が自分の事でこんな風に笑っていることがこそばゆくなりパソコン画面に視線を戻すも、義勇の顔は若干赤い。
 まだクスクス笑う彼女に、「もういいでしょう?」と言うと、彼女は笑いながら謝った。


「デートする相手などいないし、これは何かの案件の納期をチェックしただけだ。それ以外何もない。クリスマスイブなんて……俺には関係ない」
「関係ないの? 私はクリスマス好きよ。駅前までのイルミネーション、素敵じゃない?」
「……」
「まぁ私も、デートする相手いないけど」


 努めて明るい声を出していた彼女だったが、パソコンの画面に反射して写った彼女の表情は少し寂しそうだった。
 本当に寂しいかどうかなんて、義勇には分からない。
 女心とは無縁の男だ。
 だけど義勇はその瞬間、まるで別人にでもなったのかと疑うほどに、その言葉を口にしていた。


「なら、俺とデートしてください」


 視線をあげた先にいた彼女の顔は、季節外れの桜が咲いたのかと思うほどに綺麗なピンク色の頬をしていた。
 その瞬間、義勇の世界が変わったような気がした。

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