過去の共有 壱
義勇が任務から帰ったのは、まだ世が明ける前だった。
家に近づくに連れて鼻をかすめる藤の花の香りに、彼女が約束通り、夜には必ずお香を炊いているのだと安心し、静かに戸を開けた。
その時、部屋の奥から声がした。悲鳴のような、泣き叫ぶような、そんな声。まさかと思い、刀に手を置き素早く移動する。鬼の気配はしない。
「ハルっ!」
義勇が襖を開ける直前、「ごめんなさい!ごめんなさい!」と泣き叫ぶ声が聞こえた。鬼でも物取りでもなく、ハルは布団で魘(うな)されていたのだ。
義勇は彼女の肩を掴み、その名を呼んだ。何度目かで、ハッと彼女が目を開ける。その瞳は怯えていて、また涙が溢れていた。
「これを飲め」
ハルの体を起こし、腰に提げていた水を彼女の口元に運んで飲ませる。喉を鳴らしてそれを飲んだ彼女は、まだ夢から醒めきってないのか呆然としていて、布団を握り締める手が震えていた。
義勇がハルの側に寄り、その手を重ねる。
彼にはずっと心の奥に引っかかっていた事があった。最近は彼女に笑顔増え、此処の生活にも慣れてきたみたいだったので、敢えて自分からは触れずにいた事だった。時折見せる翳った顔も、魘されている事も、何かが彼女を縛っているのではないかと。
「ありがとう、義勇さん……おかえりなさい」
こんな状況にも関わらず、彼を迎える言葉を吐き出し微かに笑うハルを、義勇はそっと抱き締めた。何故そんな事をしたのかは分からない。
儚く微笑む彼女を、まだ少し怯えてる彼女を宥めたかったのかもしれない。抱き締め、背中を優しく撫でると、ハルの呼吸が落ち着いてきた。
「少し、話をしよう」
ハルの体を離すと、義勇はその手を引いて戸を引いて縁側へと座った。外はまだ暗く、月明かりが射し込んでいる。
彼女は、荷物に入れていたTシャツに七分丈のパンツで寝ていた。蝶屋敷では西洋の服装も多い。だがこの服装はこの時代では珍しく、義勇は改めて彼女がこの時代の人間でないのだと思い知った。
自分の腕を抱くようにして座ったハルを見て、寒いのかもしれないと、自分の羽織を脱いで彼女の肩にそっと掛ける。その羽織をギュッと握りしめたハルは、「昔ね、父に殴られてたの」と少しずつ言葉を紡いだ。
「母に捨てられて、残された父に殴られて育ったの。兄もいたと思うけど、そのあと施設に入って生き別れて…もう名前も顔も思い出せない。その時の記憶なんてないのに、夢でまだアイツが出てきてわたしを殴るの」
「……」
「わたしね、もう死んでもいいって思ってた。施設から引き取られた親戚に最初はよくしてもらってると思ってたけど、実際には高校を卒業したら借金返済のために売られる予定だったの。だからわたしを引き取って育ててたの。笑っちゃうでしょ。それを知ってもう、何もかもどうでもよくなった。学校でも色々あって……だから、家を出たの。全部捨てて出てきたの」
そしたら本当に死んじゃったんだけどね、と義勇を向いて笑った。