蝶屋敷 壱
「あらあら、珍しいですねぇ。冨岡さんが女性を連れているなんて。これから雨でも降るのでしょうか」
菫(すみれ)色の瞳に蝶の飾り、蝶柄の羽織を着た胡蝶しのぶの元を訪れたのは、義勇がハルの過去を知った次の日だった。
鴉であらかじめしのぶには蝶屋敷へ出向く事を伝えていたのだが、詳しいことは控えていたため、義勇一人で来ると思っていたしのぶの第一声がこれだった。皮肉を言われた事など気にもしていない義勇は、「胡蝶しのぶだ」とハルに彼女を紹介して、「話がある」とスタスタと中に入っていった。
この場所がどんな所なのかも分からず、目の前に立つ自分よりも少し小さな女性を見つめるハル。女性も鬼殺隊として鬼狩りをしている事を知って、彼女もまた義勇と同じように理由があるのだろうと思った。
「さあさあ、こちらへどうぞ」
物腰柔らかな声だけど、ピンと張った緊張感がある気がしてハルはドギマギしていた。
廊下をすれ違う白い服を着た女の子や、しのぶと同じような格好した子とすれ違い、皆が丁寧に挨拶をしてくれたのでハルも返した。キョロキョロと視線を動かしているハルを、しのぶは観察するように視線を送っていた。
◇
義勇がこの蝶屋敷にハルを連れてきた理由は、彼女が少しでもこの時代で生きやすくするようにと思っての事だった。ハルがどういう時代に生きてきたのかは想像できない。だけど、此処で生きていく以上、身なりや最低限の生活は出来ないと彼女が困ると思ったからだ。
それに、いつ自分が任務で帰れなくなるかも分からない。生きて帰れないかもしれない。彼女を一人、あの家に置いておくのが不安だったのだ。
「……そうですか」
しのぶは少し困惑した声を出した。突然義勇が訪ね、一緒に来た女が未来から来た人間だと聞かされれば誰だってそうなるだろう。むしろ取り乱しも表情にも出さなかったしのぶはまだいい方だ。
暫くハルを見つめるしのぶ。それから、いつもの笑顔で「分かりました」と答えた。
今度はハルが驚いた。義勇を見ても無表情でしのぶを見つめるだけで何も言わない。なんでこの人達は会話なくして成立しているのか、ハルは理解に苦しんだ。
「あ、あの! 分かったって…信じてもらえるの?」
「正直信じ難いお話ですけど、冨岡さんがペラペラとこんなに長く言葉を発する事が珍しいので、それが見れただけでも面白かったです」
「はぁ…」
「それに、ハルさんが何処から来たというのは差程重要ではありません。今こうして此処で生きていらっしゃるのですから、そのカラクリを解明するのは先決ではないでしょう。あ、そうだ! この蝶屋敷で働くのはどうでしょう。困ったことは私にすぐに相談できますし、冨岡さんが任務の時も安心でしょう?」
次々と繰り出されるしのぶの言葉に、ハルはついていけなかったが、見ず知らずの人間をほんの数秒で受け入れてくれたことに感謝しかなかった。それに、女性の相談相手がいるというのはハルにとって有り難かった。義勇には聞けない悩みもあったからだ。
「いいですね? 冨岡さん」
「……あぁ」
「あらあら、そんな寂しそうな顔しなくても大丈夫ですよー。ハルさんの荷物は冨岡さんの家の方がいいですし、そうなれば行き来する事になりますから」
「……寂しくなどない」
「そうですか。ところでハルさん。あなたがこの時代の人間ではないことは伏せておいた方がいいと思います。どう周りに影響が出るのか分かりませんので、暫く静観させてください」
「分かりました……胡蝶、さん」
「しのぶでいいですよ。あなたと歳は変わらないですし、ハルさんは部下でも何でもないのですから」
「じゃあ、しのぶさん!」
ハルが元気よくそう呼ぶと、しのぶは優しく微笑んだ。最初に見た取ってつけたような笑顔とは少しだけ違って見えた。その後、義勇と二人で話があるとしのぶはハルを部屋の外で待つように言い、静かにドアを閉めた。部屋の空気が少し張り詰める。
「…これは、お館様に報告はしたのですか?」
「必要ないだろう」
「まだどう影響が出るか分かりませんからね、同感です。ただ、未来という遠い先を生きていた人間の存在を鬼舞辻が知ったら…と。考えすぎでしょうか」
「……」
「一先ずこちらで引き取って様子を見ます。また明日いらして下さい。それまでに準備をしておきます」
しのぶと同じような考えを義勇は思っていた。だからこそ、鬼殺とは関係ないであろうハルを、この蝶屋敷へと連れてきたのだ。
考えすぎであればいい。だが、最悪の事態になった時に取り返しが付かないような気がした。ハルが未来から来た時点で、もう何が起きてもおかしくないと言える状況になっているのだから。