心の葛藤 弐

 ハルの隣にドカっと座り、首に巻いていた手拭いで、彼女の顔をゴシゴシと拭く。
 痛いよぉ、と実弥の腕を掴むハルを、実弥は笑いながら見ていた。


「いつまでも寝惚け面してっからだァ」
「髪の毛ボサボサになっちゃったじゃん!」
「あぁ? 変わんねぇよ」
「むう……これでも一応整えてきてるのに」
「なら俺が結ってやる」


 驚きの声を出したハルを無視して、近くにあった紐を取ると、柔らかな彼女の髪に手を入れ優しく結わっていく。懐かしい光景が脳裏に浮かぶも、それを打ち消し、目の前に座るハルを見つめた。簡単に結っただけなのに、ハルは嬉しそうに笑ってくれた。
 鏡なんてものはなく、どんな仕上がりかもハルは見ていないが、それでも「かわいい!ありがとう」と飛び跳ねるように喜んでいた。


「どうしてこんな事できるの!? 凄い」
「……昔、よく妹たちにやってたからなぁ」
「そうなの?! 実弥さん家族いるんだね」
「いや……もう、死んじまっていねぇ。鬼に殺されたからな」
「……鬼」
「あー、今のは忘れろォ! 俺の身の上話なんざどーでもいいだろォが」


 暗くなったハルの表情に、実弥はどうしてこんな話をしてしまったのだろうと後悔した。そもそも、自分の過去なんて他人に話をしようとも思ってなかった。同情もなにもいらない。自分だけが分かってて、そんなものはいらないと思って生きてきたのだから。
 どうしてハルに話してしまったのだろう。動揺を隠すようにハルに背を向けた実弥の視界が、ふわりと暗くなった。
 胡座をかいて座っている実弥を、ハルが背後から頭を抱えるようにして抱きしめているのだ。


「何してんだァ」
「……」
「ハル……離せェ」
「やだ」
「……」
「わたしはずっと大切に思う家族なんて居なかったから、それを失った辛さは分からない。想像することしか出来ない。だけど…怒るかもしれないけど、実弥さんが生きててくれて良かった。こうして出会えて良かった。実弥さん……」


 実弥は、怒ることもなく何かを言うことも無く、ただそのままの姿勢でハルの温もりを感じていた。
 生きていてくれて良かった、なんて言われるとは思わなかった。
 切なく名前を呼ぶ彼女の腕を掴み、強く握った。家族がいないと語ったハルだからこそ、実弥が受け入れられた体温なのかもしれない。ハルの腕を掴んだまま体の向きを変えると、案の定ハルは目から涙を流していた。
 同情なんていらない。そう思っていたのだが、例えその涙が同情からくるものだったとしても、嫌な気持ちにはならなかった。
 泣くんじゃねぇ、と眉を下げた顔で指でその涙を実弥が拭ってやると、ハルは返事をしつつまた涙を流した。


「……自分が生きてて良かったとは思わねぇ。けどこうしてハルに出会えたのは、俺も良かったと思ってる」
「……うん」
「ハル…」


 ハルの顎に手を伸ばしそれを少し上げると、実弥はゆっくりと顔を近づけた。
 彼女の涙を伝う頬に口付けをし、それから涙で濡れている唇を優しく塞いだ。とても柔らかく微かに甘い香りのする唇だった。

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