悲涙の空 弐
実弥に振り払われた時に当たった手の痛みよりも、胸が痛いと思った。拒絶される事がこんなにも苦しいのかと、ハルは思わず胸を押さえた。
見上げたハルの目に映った実弥の表情は、怒りだけでなく、苦しみ悲しみ、そんな感情が垣間見えた。静かな拒絶に、これなら怒鳴られて殴られた方がマシだと思った。自分の願望を通した事でハルを傷つけたのだと、ハルは自分を責めた。後悔してももう遅い。
「ごめんなさい……」
「……否定しねェのかよ」
「違っ! わたしは実弥さんを傷つけたから、」
「ハッ、自惚れんじゃァねぇぞ! テメェの事なんか何とも思ってねェ! テメェにした事も全部忘れた! さっさと俺の前から消えろォォ」
実弥の言葉が、ハルの心を傷つけていく。だがそれを発する実弥もまた、苦しんでいた。忘れたと言われ、ハルはもう実弥を見れなかった。そんな目で見ないでほしいと思った。常に優しかったあの瞳にもう自分を映してはくれないのだと思ったら、苦しくて痛かった。
忘れてなんて、ほしくない。
ハルは震える手を握り締め、実弥は聞いてくれないかもしれないと思いながらも言葉を紡いだ。これで、実弥に会うのは最後だと思ったら、少しでも自分の想いを伝えたかった。例えそれがエゴだとしても、優しい記憶を忘れてほしくなかった。
「わたしは……わたしは、実弥さんと出会えて自分を大事にしようと思えた。実弥さんがキスしてくれた時、凄くドキドキした。初めてそんな気持ちになったの。ずっと実弥さんの笑顔が離れなかった」
「……」
「自惚れだとしても、実弥さんに大事にされてるって思えたから今のわたしがあるの! だから……っ、ありがとう実弥さん」
実弥がどんな顔をするのか怖くて見れなくなったハルは、彼に背を向けた。ハルは震える声を振り絞り、実弥と縁側で過ごした日のことを思い出しながら、最後の言葉を続けた。
「もうわたしの言葉なんて信じてもらえないかもしれないけど……わたしはこの時代の人間じゃない。突然この時代に来てしまったわたしを義勇さんが助けてくれた。だから彼の家にお世話になってたの。義勇さんの女でも何でもないッ…。わたしは実弥さんとは普通に、この時代の人間として関わりたかったの。だから言えなかった。義勇さんと同じ鬼滅隊の服を着ていると知っても、言えば全てを話さなきゃいけなかったから…受け入れてもらえないと思って言えなかった。だから……、ごめんなさいっ……さようなら…」
最後は逃げるように、一度も振り向くことなくハルはその場から走って屋敷を出た。今更事実を伝えたところで仕方ないとは思った。だけど、"義勇の女"という認識をされたままというのは嫌だった。そんな風に思って欲しくなかったのだ。例え、彼の記憶から抹消されたとしても。
ハルは実弥に拒絶された事で、膨らんだ気持ちを抑えることが出来なかった。だからこそ、自分の言葉に実弥がどう答えるのかが怖くて、更に突き放される事が怖くて逃げた。
無常にも降り出した雨が、それぞれの場所にいる二人に降りかかる。
実弥はその場から動けずに地面を見つめ、ハルは溢れる涙を拭うことなく雨に打たれながら田舎道を歩いていた。
二人の気持ちを現すかのように、空はどこまでも暗く重い雲で覆われていた。