護るべきもの 壱
実弥は任務が終わるとそのまま蝶屋敷へと向かった。もうすぐ日が暮れるが、その前にハルに会いたいと思った。会って謝罪し自分の想いを伝えたいと考えていた。
蝶屋敷に行くと何やら騒がしく、看護師の一人でもあるアオイが俺を見て駆け寄ってきた。
「何かあったのかァ?!」
「ハルさんが…ハルさんが戻らないんです! もうすぐ日が暮れるというのに。いつもならそんな事絶対になかったのに」
「あぁ?! どーいう事だァ! 胡蝶は!」
「先程しのぶ様が探しに……あ、風柱様っ!」
アオイの言葉を最後まで聞かず、実弥はその場から駆け出していた。
焦燥感が実弥に重くのしかかる。何処を探せばいいのか分からなかったが、兎に角ハルの気配を探し、集中した。
夜に必ず鬼が出るとも限らない。だが、狙われない保証もない。徐々に日が傾き、空の色が変わっていく。黄昏時になってもハルの姿どころか気配さえも感じられなかった。
◇
「あれ……なんでっ…」
ハルは町を歩いていた。正確には町でおはぎを買い、蝶屋敷へ帰ろうとしていたのだが、いくら歩いても景色が変わらず、別の道を歩いても最終的にはまた町へと戻ってきてしまっていた。数時間はそれを繰り返しており、体力が消耗して思考は回らない。
最初は迷ったのかと思った。だが何かがおかしいと気づいたのは、最初はいた町民達の姿が誰一人いなくなってると分かった時だった。
ただおかしいと感じてもそれが鬼の仕業だとは気づかない。鬼に遭遇もしたことがないハルが分かるはずもなかった。ただ永遠と彷徨い、疲労から震えだした足が絡まり転倒してしまう。
手に持っていたおはぎを咄嗟に守ろうとした所為で受け身を取れず、石に当たった膝から出血し、着物に血が滲んでいた。
その直後だった。一瞬背景がモヤっと霞がかったように白くなった後、どこからともなく現れた人はない者に、ハルはそれが鬼なのだと察知した。
人の姿をしていても鬼だと分かる。鋭い牙に猫目のようなその瞳には、何やら文字が入っているようにも見えた。舌なめずりをしながら近づいてくる鬼に、体が縛られたように動かなくなる。
「いい匂いがすると思ったが、やはり! ケケケ、稀血とはついてる」
「…ち、近づかないで!」
「その顔もたまんねぇなぁ! 怯えた顔もまた美味! じっくり味わってやるよ、ケケ」
鬼に食べられてしまうのだろうか。死んでしまうのだろうか。初めて死に対する恐怖を感じたハルだったが、足の痛みも相まって、恐怖で動けなかった。それに加えて、鬼が近づくたびにむせ返るような匂いがして、吐き気さえ覚えた。
脳裏に浮かんだ実弥の顔に、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。こんな所で死にたくない、生きて実弥と会うんだ…そんな思いが、ハルの足を動かした。
だが、相手は鬼。逃げようとするハルをすぐさま追いかけ、その腕を鋭い爪で引っ掻いた。ハルは痛みで声を上げることすらできず、殺されてしまうかもしれない恐怖でその場に倒れた。
涙が溢れ、体が震える。返り血を浴び、それをペロリと長い舌で舐める鬼が倒れているハルを見て恍惚とした表情をしていて、背筋が凍りついた。
「今まで稀血はいくつか食べたが、これは初めて味わうなぁ! 一度に喰らうのが勿体ない…さて、どうしようかねぇ」
鬼に命を懇願しても意味がないのは分かっている。どうにかして逃げなければ。血が流れる腕を押さえながら、倒れたときに落としたおはぎを見て、「助けて!」と思わず叫んでいた。
「無駄だよ、ここはオレ様の鬼血術の中なんだから。誰の声も聞こえないし届かない。オレ達二人だけだよ」
「いや、来ないで!」
「大丈夫だよ。ゆっくり味わって食べてあげ、」
饒舌に話していた鬼が、ピクリと顔を顰めて瞬時にハルから離れた。それと同時に、「うおォォォォォオ!」と遠くから雄叫びのような怒声のような、喉の奥から練り出されているような声がハルの耳に届いた。
その声が誰なのか、姿を見なくてもハルには分かった。気づいたら鬼との間に、見慣れた姿が阻むように立っていた。
背中に「殺」の字を背負った、ずっと会いたいと思ってた彼だった。