背中に広がる熱は



「…とりあえず、治せる範囲はこのくらいかな。ごめんよ」

反転術式の力の流れが途切れると同時に背後から硝子ちゃんの言葉が投げかけられる。振り返れば硝子ちゃんは怒ってるでも悲しんでもなく、いつもと同じような淡々とした様子だったけれど、視線は私と絡む事はなく伏せられていた。

「ううん!さっきまで痛かったのが引いたから本当に助かったよ!ありがとう硝子ちゃん!」

元気な声を心掛けてお礼を言えば、その変な気遣いも感じ取ったのかやっと硝子ちゃんと目が合う。
先程まで彼女に治療してもらった背中は、今日の呪霊に呪いを受けた。今日の任務先は謎の火事が続くスポットだった。住人の寝タバコ、子供たちが集まって手持ち花火の引火、仏壇の蝋燭やお線香がたまたま物に燃え移り…など原因は様々だった。向かえばそこには火を扱う呪霊がいたのまでは調査通りだったが、戦闘中に逃げ遅れの子供がいた。目敏く見つけた呪霊が人質に取ろうとしたので、守るために走り出したら運悪く呪いを受けた、と言うワケだ。私の服が燃えて、視界が赤く染まると同時に皮膚が焼けてツンとした匂いが鼻腔を支配する。刺さる激痛に唇を噛み締めて、服を脱ぎ捨てると背中が火傷と違うズクズクと疼きミミズが背中から手足にかけて這うような感覚が襲う。すぐに呪いだとわかり、急いで呪霊をどうにか祓えばその感触は消えて代わりに痛みだけ残った。
硝子ちゃんの反転術式のお陰で、あの時の激痛は全くない。背中だから見えないけれど、彼女の口ぶり的に何か痕が残っているのかもしれない。恐らく、普通の怪我じゃなくて呪いを受けたからかもしれない。あそこまで広範囲の怪我を治してもらっただけでも有難いから、そこまで高望みする気はない。ベットにはすっかり燃え切って布地の少ない上着だったものと、その横には新しく用意してくれたワイシャツがある。着替える為にそれに手を伸ばそうとすると、医務室のカーテンが軽快な音を立てて開いた。

「わっ!」

上半身は下着姿なので慌てて背を向けてしゃがみ込んで後ろを振り返ると、そこには日下部さんが立っていた。座っている硝子ちゃんの次にしゃがみ込んだ私の姿を捉えると、グッと眉間に皺を寄せる。

「日下部さん、ノックするか声をかけてください。彼女だからいいものの、下手したらセクハラですよ。」
「…どーせ、考えもなしに飛び込んだりしたんだろ。」

硝子ちゃんの言葉を無視して、日下部さんは口を開いた。彼の視線は私だけを見下ろしていて、二人の会話として何も成り立っていなかった。

「前々から言ってるが、お前は突っ走りすぎだ。まず考えろ、考えてから動け。普段から注意力散漫過ぎるから今回みたいに怪我するだろーが!」

いつも飄々として何事も面倒くさそうな彼の様子とはかけ離れて、声を荒げて言葉を捲し立てる。肩で息をして私をまるで睨みつけるように見下ろす日下部さんに、色んな言葉が喉まで上がってきて、結局それは音にならずに肺に戻っていった。
わかってる。いつも彼に注意され続けた言葉だ。でも、子供を守らないでどうしたらよかったの?私だって痛くて辛かった。もう死ぬかもしれないって、怖かった。でもあの時私以外戦える人はいなかったから、仕方ないじゃないか。私は怪我で済んだけど、あの子は命を落としていたかもしれない。天秤にかければ、軽いのはどちらかなんて明白だ。泣き言や言い訳は沢山あったけれど結局私は何も言えずに肩を抱いてしゃがみ込んでいて、硝子ちゃんがお開きの合図で手を叩くまでずっと無言で動けなかった。


あれから、私の背中には怪我した場所が痕になって残った。背中の右肩甲骨から背骨、腰骨にかけて爛れるまではいかないが皮膚の色が変わって薄くもなり突っ張っている。痕を横断するように、小さく細い線も一本入っていた。恐らく呪いのあの動き回っていた何かの痕なんだろう。
あの日から、日下部さんとあんまり口を聞いていない。同じ家で過ごしているけど、返す言葉もかける言葉も何が適切かわからなくてつい余所余所しくなってしまっている。今日は前々から楽しみにしていた二人の休みだけど、特に予定も決めないまま当日になってしまった。もうすぐお昼だけど気力がわかなくて、ベットに横になって何気なしにスマホを触る。そうすると寝室の扉が開く音がしたので、ついさり気ない仕草で枕に顔を埋めてしまった。

「…おい、いい加減拗ねてんなよ。」
「…別に、拗ねてないもん。」

枕で真っ暗な視界の中で日下部さんの声だけが届いて、埋もれたまま返事をする。拗ねてるわけじゃない。日下部さんから怒られた事を、逆に怒り返してる訳でも悲しんでる訳でもない。ただ、心の中でモヤモヤと何か消化しきれないでいる。その感情に名前をつけられなくて解決出来ずにいるところで、日下部さんと顔を合わせるとそれが余計に膨れ上がっていくんだ。

「…ッチ。たく、めんどくせぇーな…」

ボソリと、漏らされた言葉にカッと顔に熱が籠るのを感じた。体を起こして声の方に顔を向けると、日下部さんは寝室の扉にもたれて面倒くさそうに頭を掻いていた。その様子に色んな感情がぐちゃぐちゃに胸の中に広がって、先程まで顔を埋めていた枕を掴み取る。

「…ッ!」
「い…って、何だよ!」

思い切り投げつけると、我ながらコントロール力がよく日下部さんの顔にぶつかった。油断してたのか鼻の頭を抑えている日下部さんは、私を睨みつけながら足元に転がった枕を蹴る。私がもう一度、今度は普段日下部さんが使っているの方の枕を投げつけるとそれは残念ながら防御されて彼の手に捕まってしまった。

「なんで、怪我したのは私なのに日下部さんの方が怒ってるの!?」

私が大声で怒鳴ると、日下部さんの目が見開かれる。そんな顔するくらいなら、めんどくさーなんて言うなよ、バカ野郎。

「怒りたいのはこっちだよ!痕が残っちゃって消えないし、地味に痛いし!でももうその原因の呪霊は祓っちゃってるから当たる場所もないし!」

ベットのマットレスを殴ってみるけど、全く胸のムカムカは晴れない。あの日から時々、背中が痒かったり夜地味に痛い時がある。もう呪いはないはずなのに、あの日身体中を這い回った呪いの感触を思い出して気持ち悪くなる。これからそれと付き合って生きていかなきゃいけないのかと考える事で、怪我した当時よりも胸の中で色んな感情がぐるぐる回って嫌になった。

「だから自分で納得して諦めるしかないって、そうやって割り切ろうとしてるのに!ずっと日下部さんはイライライライラ!なんなの!?怒りたいのはこっちだよ!」

怒鳴っていると、右目から涙が溢れた。一度流れると栓が外れたようにボロボロと溢れてきて、日下部さんを睨みつけたけどすぐに視線はぼやけてその輪郭は曖昧になってしまう。

「それなのに、私のせいで怒ってますってオーラ出すから…じゃあ私はどうしたらいいのよぉ…」

慰めるでもなく、優しくする訳でも壊れものを扱うような態度でもなく、日下部さんはどこか苛立ってばかりだった。別に、可哀想だねって扱いをされたい訳じゃない。でも彼が怒っているのを見ると、その度に自分が咎められている気がして悲しかった。少しずつ自分の胸の中で渦巻いていた感情たちに名前がついているのを感じながら、マットレスを殴る為に腕を振り下ろしたけど最初よりも力が入らなく弱々しかった。私が嗚咽を漏らしていると、また離れた位置から溜息を吐く気配を感じて、治っていた怒りがカチンとスイッチを押される。

「溜息吐かないで!そういうのもイヤ!ムカつく!」
「わかった、わかったから落ち着けよ…」

ギャンギャンと怒っていると、涙で歪んだ視界に人影が揺れるが見える。声が近付いてきたのを感じると同時にベットが滲んで、振り上げた腕を引かれた。

「不機嫌にもなるだろうよ、惚れた女に傷跡残っちまったんだから…」

私が座るベットの上に日下部さんも乗り上げて、倒れるように彼の腕の中に抱かれた。ボソリと小さく呟かれた言葉は、私の怒鳴り声にかき消される事なくしっかりと耳に届いた。いっそ、聞こえない方がよかった。だって余計に傷跡が消えない現実が悲しみが増してしまう。余計に胸が苦しくなってまた涙が溢れてきた。

「うー……!」
「いや、すまん。八つ当たりだな。…悪かった。」

唸り声を漏らして彼のTシャツにぐりぐりと額を押し当てると、抱き締める力の腕が強まる。ずっと行き場のないで頼りなかった腕を日下部さんの広い背中に回して、縋るようにしがみついた。

「うぅー……わたしも、ごめんなさいぃ…!」
「おー、泣け泣け。全部吐き出しちまえ。」
「地味に皮膚が突っ張って痛いー…!雨の日とかジクジクするし、地味にストレスなのがイヤ!」

怒りと、悲しみと、悔しさとが頭と胸で大渋滞していて、抱き付いていた日下部さんの背中をポカポカと両手で叩く。…いや、結構日頃の恨みを込めて叩いてるからそんなポカポカだなんて可愛い効果音じゃないかも。対照的に私の背中をまるで子供をあやすように撫でる日下部さんの手のひらの温もりを感じながら、ずっと言わずに秘めていた事を沢山吐き出した。私が背中を丸めているから少し突っ張る皮膚も、彼が撫でてくれるからちょっとだけ痛くない気がしてきた。

「ひっく……普段の服ではそこまで支障ないけどさぁー……もう花嫁姿出来ないと思うと悲しい…」

暫く泣いて怒り狂って、言いたい事は言い切ったから気持ちが少し落ち着いてきた。スンスンと鼻を鳴らしながら、最近背中の傷を洗面所の鏡で見て思った事を漏らした。

「んでだよ。」
「だって、ウェディングドレスだと背中空いてるデザイン多いじゃん…」

涙と鼻水でぐちょぐちょのTシャツから顔を上げると、日下部さんが私を見下ろして片眉を上げていた。普段からそこまで肌を露出する服はないからそこまでだけど、この間CMでみた花嫁さんの姿を見て私にはもう無理なんだなと思った。別に、ずっと花嫁姿に憧れてたとかではない。寧ろ結婚式する気もそんなになかったけど、着れないと気付いた途端謎に惜しくなっただけだ。まぁいいけどね、と誤魔化すように笑おうとしたけれど、日下部さんは何か考えるように天井を見上げて自分の顎を摩っていた。

「…おっ、それなら白無垢着りゃいーだろ。似合うんじゃねーの?」

思いついたと言いたげな表情で天井から私に視線を移してそう言う日下部さんに、呆気に取られてしまった。

「…そっかぁ、白無垢か…」

確かに、白無垢は逆に露出が少ないから傷の問題はクリアだ。オウム返しのように呟いてその意見を噛み砕いて自分の中に落とし込みながら、しみじみと日下部さんを見上げると私の反応が呆けているからか日下部さんの眉間の皺が寄る。

「…なんだよ、その目は。そんなにドレス着たいなら別にデザイン探せばあるだろ。」
「いや、なんか…日下部さんてちゃんと結婚式の事わかってるんだなー…って…」

まさか日下部さんから、その、結婚式について具体的な解決策が返ってくるとは思ってもいなかった。というか、私も何にも考えなしにウェディングドレスのこと言ったけど、それって今お付き合いしてる日下部さんとの話になってしまうから変に結婚する事を遠回しにアピールする感じになっちゃったな。
私の反応の意味がわかると、日下部さんはあー…と言葉を濁しながらそっぽを向いてしまった。

「なんだそりゃ。…歳食ってるんだから、知ってるだろ普通。」

そう言いながら頬をかく日下部さんの横顔を見て、なんだかちょっと笑えてきた。緩む口元をバレないように頑張っていたけど、つい肩が震えてしまって日下部さんからジトっと視線が痛かった。誤魔化すように彼の胸元に飛び込むと、そんな強い力じゃないし逞しい体は屁でもない癖に、私の衝撃を受け流すように日下部さんの体は後ろに倒れて二人でベットに沈み込んだ。

「なんか、ちょっと元気になった。」
「そりゃよかったな。…これからは、今まで以上に怪我しないように心掛けろよ。こっちは気が気じゃねーんだわ。」

彼の胸元に擦り寄って顔を上げると、頭上にいる日下部さんは小さく溜息を吐きながら私の頭をぐしゃりと撫で回す。乱れた前髪の隙間から見える日下部さんの表情は口調は雑だけど怒ってはいなくて、胸がキュッと苦しくなった。

「ん、…ごめんなさい。ありがと。」

心配をかけて申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ちを乗せて言葉を漏らす。彼の体に覆い被さっているような体制なので、這って上へと進んで首を伸ばしたけどあと一歩が届かない。私の意図に気付いた日下部さんが少しだけ上半身を上げてくれたので、精一杯伸びて私も唇を突き出す。その表情が多分間抜けだったから彼のツボに入ったのか、押し殺すように笑うのでまた別の意味で口が尖った。すまんすまんと笑う日下部さんは私の背中に手を回して、そのまま引き寄せられて二人の間の距離が縮まりやっと念願のキスが出来た。

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