ポツポツと立て付けの悪い窓を叩く雨の音と、紙の上を滑るボールペンの音が部屋の音に響く。テクノロジーが進んだ世の中なのだから全てがパソコンで済ませれれば楽なのに、頭の硬い上の方々に提出する時はこうやって謎に書類でなければならないから本当に面倒だ。
「あっ!クソッ、間違えたー…!」
「ははっ、ドンマーイ」
 終盤に迫っていたところで集中力が切れてミスしてしまったのか、向かい側に座っていた琢真が叫びながら声を上げた。それが引き金で一気に嫌気が差したようで、項垂れて背もたれに体を預け始めた姿にからかうように笑うと彼は降参するように両手を上げる。なんだか自分もペンが止まってしまって、腕を組んで背伸びをしたら背骨が小さくなった。
 共有スペースで作業を始めてから結構な時間が経ったようで、淹れたてで湯気が出ていた珈琲はもう冷め切っていた。それに口をつけながら壁にかかった時計を見上げると、最後に確認した時からあっという間に二時間が経っていて驚きだ。そりゃこんなに目も肩も腰も疲れきっているワケだ。
「…なぁなぁ、ちなみに七海さんとは順調なワケ?」
 不意に出てきた名前に心臓がドキリと鳴る。質問をしてきた琢真はどこかソワソワと落ち着きのない様子で、でも余裕ぶっている態度を保とうとしているのがチグハグでなんだか面白いことになっていた。
 七海さんにずっと恋して何度も何度もアタックし続けていて、やっとお付き合いが始まってもうすぐで三ヶ月。その時もこの共同スペースのソファーにこうやって琢真と座っている時で、七海さんの残像が脳裏に過ぎってチリチリと頸辺りがくすぐったくなり誰にでもなく隠すようにそこを掌で覆って撫でた。
「別に、順調だけど…」
「ふーん…そっかー…」
 実際お付き合い始めると、七海さんの態度は今までと真逆と言ってもいいくらいだった。もちろんいい意味で、だ。自分で言うのもなんだけど物凄く愛されている…と思う。いや、惚気だとか浮かれすぎだとか言われるかもだけど!…本当に頭から足の爪先まで全身全霊に愛を注いで貰っているというか、大切にしてもらってるというか……つまりこの三ヶ月で最初こそ謙遜したり変に疑心暗鬼していた気持ちも、そうやって思考回路がピンク色に染まってしまうくらいにあの七海さんから愛でていただいている訳だ。
 しかし、それを同僚の琢真に一から十まで話すのは無理だ。とんでもなく恥ずかしい。それ故に素っ気ない答えしか返さずにいると、しつこく問い詰めてくると思いきや案外簡単に引き下がった。きっと彼も七海さんの大人な恋愛話が聞きたい反面、同僚の惚気をどんな風に聞いたらいいか悩ましい部分もあるんだろう。お互いがどこか違う場所に目を泳がせてそっぽを向いて、謎の沈黙の時間が出来てしまった。…なんだか、何も言わなすぎるのもずっと長い間相談に乗ってくれていた彼に対して申し訳ないような気持ちがチクチクと徐々に込み上げてきた。
「あ、あのさ…」
 沈黙を破るように私が口を開くと、視界の端に映っていた琢真の膝がピクリと震えるのがわかった。
「例えば、例えばだけどさ?大人な女性な態度とか、振る舞いって男性ってどんな時に感じるのかなー?とか…」
 自分の足元に視線を落としたまま口を開いてみたものの、スムーズに言葉は出てこずモゴモゴと口の中で転がしながら疑問を問いかける。壁時計の秒針の音がカチリカチリとやけに大きく部屋に響く錯覚がして、恐る恐る顔を上げると琢真は案外難しそうな顔をして顎に手を当てていた。
「やっぱなし!忘れて!寧ろ忘れろ!!」
「はぁ!?いや、ここまで聞いて忘れるとか普通無理だろ!」
 やっぱり無性に恥ずかしくなって両手を振って後半は語尾強めで言い放つと、それに負けない大きな声で琢真から返された。確かにそれはごもっともで、私も逆の立場なら絶対同じ事を言うと思う。うぅ、と羞恥心からの呻き声を漏らしながら少し熱がこもっている頬を両手で押さえて、暫くして落ち着いてくると腹を括って顔を上げた。
「いやさ?やっぱ七海さんと一緒に過ごしてたりデートに行ったりするとさ、スマートにエスコートしてくれるし手料理もお洒落だから大人だなーって思うわけよ。だからなんでいうか、自分の未熟さを痛感するっていうか、もう少し大人なレディーになりたいなー…っていうか…」
 付き合う前は七海さんに振り向いて欲しくてスキンケアだったり身なりに色々気を遣ってきた。しかし、付き合い始めてそれだけじゃ足りないことに気付いたのだ。七海さんは全てが完璧で、油断しているはずの寝顔も寝起きの瞬間だってかっこいい。私の寝顔なんてすっぴんだしきっと寝癖もついてるしなんならヨダレの跡もついているだろう。家事だって人並みだから庶民的な料理しか作れないし、掃除のやり直しだってあるだろうし。あ、なんか思い出しだけで落ち込んできたぞ。
 だからこそ、今まで七海さんにわんわん尻尾を振って追いかけていただけの自分は卒業して、彼に似合うような大人の落ち着いた女性になりたい。名付けて大人レディー大変身作戦だ。
「やっぱり七海さんはプライベートでも大人オブ大人なんだな…!」
 決死の思いで相談した私を他所に、猪野琢真という男はそれはもう目をキラキラと輝かせて惚けていた。薄々わかってはいたけれど、案の定彼はかっこいい七海さんのお話を聞きたかったんだろう。
「もー!とにかく!七海さんに見合うような大人女子になりたいわけ!だからアドバイス頂戴!」
 もう羞恥心なんて振り切れて、彼の思考をこっちに引き戻すためにダンっと机を両手で叩いて立ち上がりずっと悩んでいた想いを打ち明けた。昔は私が好き好きとグイグイアタックしにいっていた筈なのに、今では押されてばかりで翻弄されてばかりで悔しいという気持ちもある。私だって、七海さんが余裕無くなるくらいドキドキしてもらいたい!
「んなの無理だろ。だって相手は七海さんだぜ?」
 それなのに、もう話を聞き終わったから興味がなくなったのかケロリと言ってのけるから本当に殴ってやりたい。琢真に相談したのが間違いだった。そしてそれが否定できない事実なので余計に悔しくて、八つ当たりで殴ってやろうかと思って手を伸ばしたが2人の間のテーブルが邪魔で簡単に避けられてしまった。
「琢真に聞いたのが間違いだった…」
「悪い悪い、拗ねんなって!…んじゃ、大人に聞きにいくってのはどうだ?」
 諦めて身を乗り出していた体をソファーに戻して背もたれに沈みながら不貞腐れていると、絶対本当に悪いと思ってなさそうな琢真が何やら企んでるように口端を上げた。本当に名案なのかは疑わしいが、藁にも縋りたい私はその提案に乗っかるために重い体をしぶしぶ起こした。

「と、いうわけなんで、日下部一級呪術師ご教授お願いします!」
「いや、何がというわけでなんでなんだよ。」
 目的の人物の元へ二人で意気揚々と乗り込み元気よく敬礼して見せると、日下部さんは心底嫌そうな顔をしながら椅子を引いた。日下部さんが背もたれに体重をかけるだけで、その古びた椅子はギィッと嫌な音を立ててもうすぐ壊れるんじゃないかと心配になってしまう。
「だって、五条さんは絶対参考にならないし、なんなら揶揄われて面倒そうだし、伊地知さんはなんかちょっと違うし、日下部さんしかちょうどいい人いないんです!」
「消去法かよ。それになんか微妙に嫌な選ばれ方だな…」
 五条さんは絶対的に論外。私たちが思いつく大人の男性といえば最後に残ったのは日下部さんだけだった。いつもの棒付きキャンディを口の中でカラリと鳴らしながら相変わらず日下部さんは顔を顰めたままだ。ここまで露骨な顔されてもこの業界で図太く生きている私たちは痛くも痒くもない。返答を聞くまで居座る姿勢を貫くと諦めたのか、重い溜め息を吐き出しながら後ろ手に頭をガシガシとかいた。
「んなの、大人っぽい服着てそれっぽい態度とっとけばいいんじゃねーの?お前顔は整ってる方だし、いつもみたいにぎゃーぎゃー騒がなければそれっぽいだろ」
「ストレートに露出高めで行けってことか…?」
「えっ、急にセクハラ…?」
「オイ、聞いてきた癖に濡れ衣着せんなよ」
 はいこれでおしまい。と言いたげな態度をしながらもきちんと答えてくれるところは、なんだかんだ日下部さんは面倒見がいいのだ。しかし褒めているようでちょっと貶されたので琢真とコソコソと聞こえるような内緒話をしてみせると、日下部さんは口をへの字に曲げてしまった。
「私はですね、そういうんじゃなくて…なんていうか…七海さんの隣に立っても恥ずかしくないような感じの女性になって、ちゃんと釣り合うような存在になりたいんです!」
 もちろん大人女性な容姿も大切だけど、今はそういうじゃなくて内面的にも高めていきたい。大人の女性の条件といえば、いつでも余裕があって追いかけられて捕まったかと思ったらスルリと交わすような、そんなイメージとか?だから、少しでもそれに近付きたい。自分の考えは曖昧だけどそのくせ人から聞く意見は明確なものが欲しくて、何だか自分でもよくわからなくなって地団駄を踏んでいるような状況になっている気がする。そんな私の葛藤を見抜いているのか、肩をすくめて深く溜め息を吐き出した日下部さんはデスクの上に置いてある棒付きキャンディを私と琢真に一個ずつ放ってきた。
「…別に、無理にそんな背伸びしなくてもいいだろ。アイツは今のお前が気に入って付き合ってんだろ?」
 どうにか飛んできたそれをキャッチして手のひらを開くと、ブドウのイラストがポップに書いてあるグレープ味の飴が転がっていた。日下部さんの質問に気恥ずかしいがコクリと小さく頷くと、日下部さんはそんな私の様子をハッと鼻で笑う。
「それなら別にいいじゃねぇーの?俺ならそんなキッチリして常に肩に力入ってるやつより、ヘラヘラして少し抜けてるやつが家で美味い飯作ってくれる方がいいね。」
「日下部さん…」
 まるで私の勝手に抱いてる焦りなんてお見通しのように、気怠げにそう答える日下部さんの言葉は核心をついていて胸に響く。これが本物の大人の余裕ってやつと、私よりも人生を何年も長く歩んで身についたものなんだろう。なんだな今の短い時間で正解をわからされてしまっだ気がして、悔しい気持ちを飴の包み紙と一緒に包んでポケットに押し込んでやった。口に入れたグレープ味の飴は甘くて、そして美味しかった。
「それにしても、日下部一級呪術師は意外と家庭的な人が好きなんだね…」
「なっ。多分家庭持ったら奥さんに尻にひかれるタイプだぜ…」
「おいコラ聞こえてんぞ。そこに並べ、順番に切ってやるから。」
 まだまだ未熟な私たちは良いところで締めくくらずについつい悪ノリしてしまい、またコソコソと内緒話をしてしまう。距離が近づいた琢真からはコーラ味の飴の香りがほんのりしてきて、日下部さんは本気で怒ってる様子ではないけど机をトントンと指先で叩きながら相変わらず眉間に皺が寄っていた。
「随分楽しそうですね。」
「ひゃあ?!」
 三人でそんなやり取りをしている最中に、耳元で低音の声が不意打ちで響いて思わず大きな変な声が出てしまった。耳を掌で覆って後ろを振り返ると視界が青でいっぱいで、すぐにそれが彼のワイシャツだと気付く。
「なっ、七海さん!?」
「はい、こんにちは。」
 目線を少し上げるとそこには正に噂の七海さんがいて、声が少し上擦ってしまった。しかし七海さんはいつも通りの一定の低音で挨拶してくれるので、慌てて私も挨拶を返す。まずい、非常にまずい。一体どこから聞かれていたんだろうか?胸がバクバク煩くなっている理由が耳元に残る彼の声の余韻のせいなのか、焦りと緊張からなのか自分でもよくわからない。
「えっと、任務帰りですか?」
「えぇ、事務室に報告書を提出しに行こうかと思いまして。」
 きっと聞かれてない。そう信じてぎこちない笑顔でわざとらしく世間話をすれば案外普通に返答が返ってきて、どうやらこの勝負は私の勝ちのようだと核心を得た。心の中でガッツポーズをしながら安心から満面の笑みでそうですかと相槌を打つと、一瞬七海さんの視線がどこかへ移る。それが琢真と日下部さんだと理解した時には、もう3人が軽く挨拶を交わして同じく軽く世間話を始めたのでバレないようにホッと息を吐き出した。
「貴女は、今日はこの後は仕事は残ってるんですか?」
「今日は追加任務はなさそうなので、珍しく定時で帰れそうです!」
「それでは、今夜デートに誘っても?」
 まるで仕事の話の途中のようにサラリとそう言われて、一瞬動きを止めてしまった。二秒くらいして、ずっと長い時間止まっていたかのようにドッと心臓が動き出す感覚を新鮮に感じて変な声が出そうになった。
「は、はい!もちろん!」
「それでは、夜に。猪野くん、日下部さんも失礼します。」
 最初声が裏返りながら返事をすれば、七海さんは相変わらず動じた素振りを見せずに去っていった。いや、でも、私にはわかる。返事を聞いてちょっとだけ空気や目線がどことなく柔らかくなったのを。七海さんが閉めた扉を廊下を歩く足音が聞こえなくなるまで眺めて、気配が完全に消えてからゆっくりと視線を外すと同じような動きをしていた琢真とパチリと目が合った。
「か、かっけー…!」
「かっ、こいいよねー…!不意打ちは本当に好きで爆発する…!」
 二人で悶えながら変な呻き声をあげて、語彙力が低下したようにかっこいいと凄いを琢真としばらぬ連呼する。それを見て日下部さんは死ぬほどドン引きしていて、まるで私たちを変なモノを見るかのような視線をしていた。
「へーへー、ご馳走様。それ本人に言ってやれよ。」
「あ、それがあんまり七海さんには好きって言えなくて…」
「はぁ?」
 小さくなった飴をバリバリと噛んでいるくせに、その顔は苦虫を噛み潰したような顔をしていてアンバランス極まりなかった。一通り悶えて気持ちを落ち着かせたので、呼吸も整えるために深呼吸しながら熱くなった顔をパタパタと手で仰いでそう答えると日下部さんはあんぐりと口を開けてもう何もついてない只の棒が口端から床におちた。琢真は一人でブツブツと七海さんへの気持ちを呟いていて、まだコチラに返ってきていないようだ。
「だって、好きが溢れて死んじゃいそうで!それに好き好き言い過ぎるのもウザいかな!?って!」
 片想いの時もこの気持ちは溢れそうだったのに、いざ叶うとなると余計に止まることを知らなかった。しかしいざとなれば言うのが無性に恥ずかしくて、でも大好きでの繰り返しで、わたしの情緒は毎日爆発しそうなのだ。それに、きっと七海さんは大人だからそんな激重クソデカ感情は困ってしまうだろうから。色々考え抜いた末に、我慢するに落ち着いたのである。
 しかし私が言ってる事は日下部さんは全く理解できないようで、もはや疲れ切った顔をするばかりだった。
「いや、さっきの七海見てりゃそんなもん……あーもー、疲れた。俺はそんな恋バナ担当じゃねぇーだよ。ほら、散った散った。」
 もう考える事を辞めたのか、しっしっと手で払うと日下部さんは空になった珈琲カップを持って立ち上がってそそくさと出て行ってしまった。くそぅ、逃げたな。結局何だか騒がしく終わったけれど、なんだかんだ私の中で一つ気持ちが固まってよしっと小さく呟いて天井に向かって大きく背伸びした。



 彼女と付き合い始めて、もう少しで三ヶ月が経とうとしている。至って順調…と思いたいところだが、最近彼女の様子が少しおかしい気がする。そう思う原因を言葉にするとしたら、挙動不審な言動が目立つ。
「一体、なんなんだ…」
 最初に付き合ってるのは夢じゃないのかと何度も不安そうに聞いてきた時は、現実だと私が好意を伝えれば真っ赤になって黙り込んでしまうのが今までの元気ハツラツとしていた彼女とのギャップを感じて大変可愛らしかった。その後も私の言動に一喜一憂している姿や、仕事以外のオフの姿を見れる特権を手に入れた事が大変喜ばしく思っていた矢先だ。
 今まで笑っていたような瞬間に、キュッと口端を噤んで何かを変に耐える時がある。それが嫌悪感からのいう訳でもなさそうな雰囲気で、試しに彼女の好きなケーキを買ってきた時もパッと一瞬顔が緩んだものの、いつもみたいに大きな声ではしゃがないように気をつけているような不自然な素振りを見せていた。
「…どうしたものですかね。」
 まさか、自分を嫌いになったのだろうか?極端に態度が変わりすぎてそんな悪い思考が掠めるが、なにせ心当たりがない。嫌われるような事はしてないはずだし、そうなる前まで特に変わった事はなかったはずだ。検討もつかずに溜め息を吐き出しながら腕時計を確認すると、もうすぐで時間になる事を知らせていた。公私混同しては大人として恥ずべき事なので気を取り直してネクタイの結び目を整えている時に、軽い足取りが近付いてくるのがちょうど聞こえてきた。
「あ、七海さん、今日はよろしくお願いします!」
「おはようございます、こちらこそ今日はよろしくお願いします。」
 オレンジベージュの髪色を揺らしながら釘崎さんがやってきて、立ち止まると小さく頭を下げるので自分も向き合って挨拶を交わす。今日は釘崎さんと合同の任務だ。階級は窓の報告書では四級複数体の中に三級相当が一体。今の報告の段階だと難しい任務ではないと思うので、祓いながら彼女の経験値上げと彼女の術式の相性なども今後のために見ていければと思っている。
 彼女と合流して駐車場に向かえば、既に新田さんが運転席の外で資料を見ながら待機しており挨拶をして後部座席へと乗り込んだ。
「それじゃ、出発するッスよー!」
 私たちがシートベルトを締めたことをバックミラーで確認すると、新田さんは元気よく掛け声をかけて車を発進させる。彼女の運転は意外と丁寧で安定した走りだ。しかし、時々釘崎さんとのお喋りに夢中になりすぎている時だけ、赤信号の手前に少しだけブレーキを踏み込むのでその時だけ小さく車が揺れる。
「七海さんはポテトはカリカリ派ですか?それともしんなり派?」
「…強いて言えばカリカリ派ですかね。」
「私もカリカリ派ッス!」
 出発してから二人は楽しそうに今はフライドポテトの話で盛り上がっている。普段は伊地知くんの送迎が多いので、必要最低限の任務の報告事項以外は書類に目を通したり本を読む事だ大半で車内でこうやってガールズトークというものを聞くのは新鮮だ。…どのチェーン店のポテトが美味しいという雑談は、ガールズトークと呼べるのか悩ましいものだが、まぁそういう類ものなのだろう。
「新田さん、昨日の最新話見ました?」
「見たッス!前回恋焦がれてる先輩とやっと手繋いだからどう発展するかと思ってソワソワしてたら、まさかの幼馴染からチューされてギャーッ!って感じだったッス!」
 窓の外を眺めながら彼女たちの話に耳だけ傾けていると、どうやらポテトの話は終わってしまったらしい。コロコロと変わる話は文脈が読めないが、恐らく恋愛ドラマなどの類なのかもしれない。
「わかります…!私も思わず叫んじゃいました!…ちなみに新田さんはどっち派ですか?」
「うーん…私は昔から一緒にいたしツヨシ派ッスかねぇ」
「マジすか。私はススム先輩かなぁー。高身長で成績優秀のエリートだしぃ、なんたってツラがいいしー」
「わかる。ススムは本当にイケメンッス」
 二人はキャーキャーと楽しそうに話した後に、いきなり神妙な面持ちで真剣に考え始めるから思わず此方も少し気になってきた。恐らく、文脈的に幼馴染がツヨシなんだろう。見たことのない主人公たちを勝手に想像しながら外を眺めていると、ビルが立ち並ぶアスファルトの道から周囲に緑が増えて工事途中の道路に入りカタカタと小さく車内が揺れる。ふと、窓ガラスに反射して薄らと写った自分の顔を見ると、脳裏に猪野くんと彼女の姿が過ぎってもやりとした。
「あー、本当なら私も新しい学校でドキッ!な展開期待してたけど、うちの男子マジで芋だからなぁ…」
「でも、こんな仕事してると外部に出会いはないッスからねぇ…」
 すぐにその姿をかき消すと、釘崎さんの言葉に次に虎杖くんと伏黒くんの顔が浮かぶ。彼らも世間的には整った顔立ちをしていると思うが、どうやら彼女のお眼鏡には敵わないらしい。あーぁ、と大きな溜め息を吐き出しながら背もたれに体を預ける釘崎さんを横目で捉えてる時、また彼女の姿が顔を覗かせる。あぁ、これもガールズトークを盗み聞きしてしまった罰だろうか。釘崎さんたちが言うツヨシが主人公にキスしたように、猪野くんと彼女のそういう姿をもしかしたらと想像してしまう。二人はそんな関係じゃないと百も承知だか、いかんせん彼女の言動が最近おかしいので一度考えてしまったが故にグルグルと悪い思考が頭の中を埋め尽くしてしまう。
「…あの、」
 公私混同しない、と思っていたが、理解できない事はいつまで経っても正解は導き出せなかった。ずっと黙っていた私が口を開いたので驚いたのか釘崎さんは姿勢を改めて、喋りすぎたと新田さんは焦って謝ってきたので大丈夫だと短く伝えると車内の空気がホッと緩んだ気がした。
「ただの例え話なんですが…」
 彼女の年齢に近い彼女たちには何かわかるかもしれないと思い、決して自分の話だと悟られないのを前提に最初にその言葉で釘を刺す。話し始めるとその内容に彼女たちが身を乗り出し始めるまでそう時間は掛からなかった。
「…うーん、冷めちゃったんじゃないですか?」
「あるッスよねぇ、頑張って手に入れた途端冷めちゃって素っ気なくなるって展開!」
「恋愛ドラマの鉄則ですね!」
 全て話し終えて一拍置くと、ズバリと釘崎さんから発せられた言葉が思いの外胸に刺さる。意気揚々と話す二人がどこか遠い存在に思えて、何だか眩暈がしてきそうだった。
「そ、そういうものなんですね…」
「だって、ソワソワしてよそよそしいなんて怪しさしかないですよ!」
「多分他からもうアプローチされてるとかッス!どっちを取っていいか悩んでる展開っスね!」
「新田さん、なんかそれツヨシの事まだ引っ張ってません?」
 相槌を打つがそれを待つ暇もないくらい矢継ぎに言葉が続けられてすぐに言葉が返せない。バレたっすと元気よく新田さんが笑うと、設定していたカーナビが次の信号を左へ曲がる事をアナウンスしてくれた。ナビが言うにはあと十分へ目的地へ到着するらしい。
「…ちなみに、そういう時はドラマだとどうすれば略奪は回避出来るんですか?」
 どうにか到着までに立て直して解決策を聞き出さなければと思いサングラスの位置を無意味に直しながら問いかけると、彼女たちが唸りながら一瞬黙り車内に沈黙の時間が流れる。
「そうッスね…押しても駄目なら引いてみろ、とか?…でも、引いてるうちにツヨシが彼女の心の隙間に入ってくる可能性も…!」
「やっぱりススム先輩みたいに、大人の余裕でエスコートして時にギャップ萌えじゃないですか?いつもは優しいのに時には強引に!壁ドンとか!」
「いいッスね!顎クイも欲しいッス!」
「それも採用!」
 本当に真剣に考えているのか、それとも冗談なのかはわからないが一瞬の静けさが嘘のように二人は元気よくはしゃいでキャーキャーと笑う。何だか頭が痛くなって、一度サングラスを外して眉間を親指と人差し指で押さえて圧を与えた。
「ちなみに、なんてドラマの話ッスか?」
 その問いかけに思わずその手を止めた。ゆっくりと顔を上げると、バックミラーで私の方を何も疑う事なく見つめている新田さんと目が合う。
「まさか七海さんの本当の話だったりして!」
 答えない私に釘崎さんが冗談っぽく笑ってタレ目がちの瞳を細める。二人の視線と問いかけに上手に返す事が出来ずに黙っていると、パチリと釘崎さんが一度瞬きした。
「……。」
「……え、」
「……任務が無事終わったら、なにか甘いものでもお二人に差し上げます。」
 長い沈黙の後に、その提案をすると二人の瞳がみるみる見開かせる。その言葉が何を意味するのかは伝わったようで、数秒後車内は黄色い声で目的地への到着を知らせるカーナビの音声をかき消していた。



 私の築47年のアパートと違う綺麗なカウンターキッチンで試行錯誤しながら一時間経つ頃には、ある程度の品数の料理が食卓に並んだ。煮込んだビーフシチューの火を止めて、手を腰に置いて料理を改めて眺めやっと一息吐き出す。
「よし、あとは盛り付けるだけだぞ…!」
 時計を何度も確認して、特に意味もなくキッチンとテーブルを行き来しているうちにガチャリと重たい玄関の扉が開く音が広い廊下に響く。いろんな感情でドキドキ高鳴る胸をエプロンの上から強く握りしめて、急いで部屋を出ようとすると履き慣れないスリッパのせいでフローリングを滑りかけてしまった。
「お、おかえりなさい!」
 緊張と気合で勢いよく出たその声は自分でも思った以上に大きくて、廊下に反響して恥ずかしかった。それよりも、帰宅して革靴の踵に手をかけていた七海さんの顔の方はいつも見せないような驚きの色をしていて少し新鮮だ。今日は、特に約束をしてた訳じゃないけれど来てしまった。お付き合いが始まって暫くして、何かあったとき用にいただいた合鍵を一人で今日初めて回す瞬間はドキドキして思わず指先が震えた。反応が怖くて相変わらず胸元を握りしめていると、七海さんは二回瞬きをしてゆっくりサングラスを外すと胸元のポケットにしまった。
「…ただいま。今日は来てたんですね。」
 そういう七海さんはいつもと同じ様子に戻っていて、コクリと小さく頷いて返事を返す。靴を脱いで揃えている広い背中を眺めながら、いきなり迷惑だっただろうかと不安がひょっこりと顔を出してくる。任務終わりで疲れているかもしれないから、ゆっくり一人で休みたかったかもしれない。サプライズを気取ってみたかったから連絡しなかったけど、もしかしたら晩ご飯も食べてきちゃったかも。一度現れるとそれらは悶々とどんどん溢れ出してきて、エプロンを強く握りしめすぎて指先が若干冷たくなってきた。すると、いつの間にか目の前にいた七海さんの瞳が少し緩められてポンっと軽く頭の上に手を置いた。
「迷惑じゃありませんよ、待っていてくれて嬉しいです」
 いつだって私の考えていることなんて七海さんにはお見通しなようで、髪型を崩さない程度の力加減で何度か撫でてくれる。大人になると頭を撫でられる事なんて滅多になかったけれど、七海さんはこうやって時々撫でる事がある。指先はいつだって優しくて暖かくて、それこそ犬だったら尻尾を大きく振っていると思うくらい心地よくて好きだ。目を閉じてその感触に浸りたくなるところだが、今日は伝えたい事があるのを思い出して後ろ髪を引かれる思いで顔を上げた。
「あのですね、今日は…」
 頬を緩めないように気を引き締めて話を切り出そうと口を開くと、私の髪を耳にかけてくれていた指が止まる。色素の薄い睫毛がゆっくりと瞬きする瞬間を捉えたと思った瞬間、突然風を感じてその次にドンっと何かを叩くような音が響く。視界も揺れて、ピントがすぐに合わなくて何が何だか理解できない状況の中でただ一つわかったのは、七海さんの香りが強まった事だった。
「ひょぇ…っ」
 至近距離に七海さんの顔、後少しでピッタリとくっつく体。私の横に伸びる青いシャツに包まれた腕と順々に情報が整理されて、やっと今自分は彼に俗に言う壁ドンってやつをされてるんだと理解した。近い、とてつもなく近い。七海さんのさりげない香水の匂いとほんのり汗の匂いもして、なんというか色々おかしな気分になりそうだ。
「…今日は、泊まっていきますか?」
「エッ、あ…っと、」
 情報が整理できないうちに質問を投げかけられるとこうも人間はすぐに対応できないものなのか。心臓がバクバク鳴りすぎて頭が沸騰しそうで、自分が何て言葉を発してるのかもすぐにわからない。しかしそんな私を他所に七海さんは返答がご希望のものでなかった為か、ピクリと眉を小さく寄せると空いている片手を伸ばしてきた。彼に限ってそんな事は絶対に無いだろうけれど、叩かれるのかと思って反射的に体が身構えた瞬間、長い指先が私の顎を掬って少しだけ上に上げる。伸びた喉の薄い皮の下の気道が、過剰にヒュッと鳴るのがわかる。こ、れは顎クイ…ってやつなのか…!?えっ、何このフルコンボ!え、え?なになになに!?よくわかんないけどこう見ると七海さんの顔ってまっじでかっこいいな、睫毛長すぎじゃない?目の色も綺麗だし毛穴も目立たないし鼻高いし唇の血色もいいし、えっ私こんな素敵な唇にいつもキスしていただいてるの?なんか申し訳ないな、いやそれにしてもかっこいい本当に大好き。というか、今の状況本当になに?えっ、ちょっと待って七海さんの距離近くなってない?わ、わっ!
「貴女と離れたくないんです。」
「い、ぎゃー!」
 頭の中がパンク寸前で色んな煩悩が炸裂している中で、まるで爆弾のような言葉を投げられてついに我慢出来ずに叫んでしまってその勢いのまま七海さんの胸板を押してしゃがみ込んだ。足元は隙があって四足歩行のように廊下を這って距離をとるけれど、まだまだ心臓は煩くて息が苦しい。必死に整えようと肩で息をしていると、私の大声で驚いた後に様々な仕打ちを受けた七海さんがそこに立ち尽くしていて、やっと自分がした事の重大さに気付いてハッとした。
「あっ、す、すみません!思わず…!」
「…やはり、もう私に冷めてしまいましたか?」
「えっ!?そ、そんなわけないじゃないですか!」
 謝る私をただただ見つめてそう言う七海さんの台詞は私の心境の全く真逆の内容で、先程までの言動と今の会話が何も繋がらすぎて余計に頭が混乱する。ただとにかく否定しなければならない事だけはわかったので全力で首を振るが、七海さんは困ったように眉を下げたままだった。
「…最近、貴女どこかよそよそしいでしょう」
 そういわれて、やっと心当たりが顔を覗かせる。一周回ってクリアになった思考がパチリとピースがハマったように色んな事が当てはまって、座り込んでいた廊下から壁に手を添えながら腰を上げた。
「あれは…余裕がある大人女性になりたかったんです!」
 意を決して言った言葉に、七海さんは固まっている。きっと先程の私みたいに言っている事と思っている事が上手く繋がっていないんだと思う。今回の話はちょうど七海さんに今日話そうとしていた内容で、私にとっては好都合だ。一度息を呑んで、ゆっくりと彼の手を取った。
「だって七海さん、いつも完璧な大人オブ大人だから…私なんていつもドキドキしていっぱいいっぱいになってるし、もっと七海さんの彼女として相応しい女性になりたかったんです。」
「…私は、貴女の事になると情けなく余裕のない男ですよ」
 七海さんの手は沢山のマメの跡があって硬くて大きな手で、呪具を振るい祓うために拳を握るときも、さっきみたいに私に優しく触れるとかも好きだ。私が指先に触れるとピクリと小さく震えた後に、絡まるように握りしめられてあっという間にすっぽり包まれてしまった。見上げると七海さんが真っ直ぐに私を見ていて、何度だって気持ちが溢れ出す。
「私、七海さんが大好きなんです。」
 付き合う前はしつこいくらい言っていたのに、付き合ってからは両手に収まるくらいしか言えなかった言葉。真っ直ぐ彼を見上げて想いを乗せて呟くと、ゆらりと瞳が揺れるのがわかった。あぁ、その顔も好きだなぁ。
「…七海さんが忙しいのわかってるけど連絡だってこまめに取りたいし、1日の間でちょっとだけでも会えたら嬉しいからお洒落なレストランに行かなくて、仕事帰りにただ家で寝るだけでもいいから会いに行きたいんです!これ美味しいねとかその日の楽しかった事とかそんなしょうもない話でも共有したくなっちゃうし…とにかく!大好きなんです!」
 息を細く吸ってから、ずっとずっと胸に溜めて言えなかった気持ちも一緒に吐き出すと我慢していた分スラスラと口を飛び出していく。その言葉たちに七海さんの瞳が少し丸くなっていくのを見て、後悔ともう辞めようって気持ちが込み上げてくる。だけど、もう私は隠すのをやめるって決めたんだ。臆病な気持ちをゴクリと胃の奥へと飲み込んで、ゆっくりとまた口を開いた。
「でも、そんな事言ったら七海さん優しいから、迷惑かけちゃうかなって…でも、好きだから、色々いっぱい考えたけどやっぱり伝えたくて…ッ」
 全て言い切る前にまた視線が揺れたと思えば、一瞬で私は七海さんに力強く抱き締められていた。視界は真っ青で七海さんの顔は全く見えないけれど、ただただ七海さんの鼓動の音と温もりだけがふくごしに伝わってきた。
「…嬉しいです。」
 頭上で聞こえてくるその声は今まで聞いた事のないような声色で、思わず短く息を吸う。肺の中が七海さんの香りで埋め尽くされて余韻を感じている瞬間、ぐらりと体が浮いて反射的にワイシャツにしがみついた。
「わ、わ…っ!」
 浮遊感はあるけれど、相変わらず視界は青いし七海さんから抱きしめられる力が強くなって潰れそうで尚且つ現状が理解できない。暴れようとした瞬間、お尻を掴まれて反射的にキュッと力を込めて体が固まってしまった。その手はイタズラというより私の体を支えてくれていて、目を白黒させているうちに扉の開く音がする。そのままベットのマットに傾れ込むように二人で倒れ込んで、スプリングが小さく鳴った。七海さんが全体重乗せてきた訳じゃないけれど、油断してた私はその一連の流れで反射的に蛙が潰れたような声が出てしまった。こういうところ、可愛くなくて嫌なんだよなぁ。
「…私は、てっきり猪野くんと何かあったのかと…」
「……は?え、琢真?ですか?」
 ベットに大の字になって遠くに飛んだ意識で反省会をしていると、首筋に何か触れて勢いよく意識が戻ってくる。視線を下ろすとそれは鎖骨に顔を埋める七海さんの髪の毛で、すりっと頬を擦り寄せるたびに色素の薄い髪が皮膚を撫でる。部屋の電気をつけていないから廊下からの灯りだけが差し込む室内でも彼の髪の毛は光を集めてキラリと光っていて、やっぱり綺麗だ。惚けている中で全く頭になかった同僚の名前が出てきて状況が理解出来ないでいると、七海さんは私の問いに答える事はなくそのままちゅっとリップ音をわざとたてるように鎖骨に口付けた。
「いっそのこと、一緒に暮らしましょうか。」
「…えっ!?」
 さらりと告げられた誘いに思わず大きな声が出てしまって、慌てて両手で自分の口元を覆った。それを見て七海さんは心底楽しそうに目を細めて、重ねた体を少し離すと次は私の喉元に啄みながら口付ける。そこから順に顎に上がり、口元を覆った手の甲へキスが落ちてきてソワソワと何かが背筋を走って、ピクリと右足が震えると七海さんの足にぶつかってしまった。
「今日みたいに、貴女が待っていてくれる家に毎日帰りたいと思ったんです」
 とんでもない殺し文句を投げられて、胸がぎゅっと苦しくなる。もう一度手の甲へ落とされるキスが言いたい事は何となくわかって、恐る恐る手を離すとまるで褒めてくれるように隠れていた唇へキスしてくれた。
「こんなに、重たい女でいいんですか?迷惑、かけちゃいませんか?」
「そんなの、最初に好きと言われた時から慣れてますよ」
 確かに、いつ付き合ってくれるんですか?って押しかけて告白していた時の方がなんなら今よりも迷惑行為だったかもしれない。好意の攻防戦は七海さんの完全勝利のようで、降参の意を兼ねて両手を広げると七海さんは小さく笑って力一杯抱き締めてくれて思わず私も笑ってしまった。
「それより、これからも今日みたいにちゃんと好きと言ってもらえますか?今まで言われてたのがなくなると、思いの外不安になるんです」
「任せてください!七海さんが嫌になるくらい、毎日たくさん言います!!」
「期待してます。」
 暫く戯れ合うように抱き合いながら頬を擦り寄せたり髪を撫でたりしてポツポツと思っていた事を話す。どうやら七海さんは今回私が別れ話をすると思ったらしい。私と琢真と日下部さんが話してた内容を伝えると、七海さんはちょっと呆れていた。ただ、さっきの壁ドンと顎クイはなんだったのか聞いても教えてはくれなかった。
「あ、え、ちゃっと!待ってください!」
 そんな事をしていて幸せを噛み締めて心がほかほかしていると、不意にシャツの隙間に七海さんの逞しい腕が滑り込んできてビクリと体が跳ねた。
「お風呂なら結局後で入るんですから変わりませんよ」
 七海さんは相変わらず飄々としていて、手がお腹から背中へ周り背骨をなぞるように滑る指先にぞわぞわと感覚が体を走り指先をキツく丸める。
「っ…今日は!ご馳走作ってので出来立てを食べて欲しいです!」
 このままだと流されると思い必死に頭をフル回転させた末に、導き出した答えをどうにか振り絞って七海さんの肩を押すと下着のホックの下でピタリと指が止まる。瞑っていた目を恐る恐る開けると、七海さんがそれはもう険しい顔をされていた。
「…そしたら、食事にしましょうか。」
 顔はまだ少し不服そうだけど私が料理を作った事を尊重してくれるのか体を起こしてベットから降りると、手を差し伸べてくれる。お言葉に甘えてその手を取ると、ゆっくり腕を引かれて体を起こしてくれた。ひとまずほっと息を吐きながら立ち上がろうとベットから足を下ろした瞬間、繋いだままの手を引かれて七海さんの腕の中へ抱き寄せられた。
「今日こそ、覚悟してください。」
 いつもよりもワントーン低い声が、耳から足の先までジクジクと響いてくる。痺れて立ってられない私の体を七海さんはしっかりと抱き止めくれた。どうやら料理を食べ終えたら、最後に骨の髄まで私が食べられてしまうみたいだ。そんな事をぼんやりと考えている私を他所に、七海さんは無防備なつむじにキスを一つ落とした。

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