ベッドサイドの邂逅
瞼が重い。目を開けた瞬間にすぐ感じる体の異変におもわず眉間に皺が寄った。案の定起こした体は酷く重くて、脳の奥側がガンガンと鈍い痛みが走る。
「くそ…やらかした」
確か昨日は家入さんと五条さんに煽られて結構呑んだ気がする。お酒はそんなに弱くはない、寧ろ強い方だとは思う。しかし、あの厄介な先輩たちの前だとどうにも自分のペースではいかない。家入さんはザルだし、五条さんは下戸で飲めないくせに強要がしつこい。どこから記憶があるかないかも曖昧で、吐き出した溜息もまた酒臭さが残っている。今日が珍しく休日なのがまだ救いだと眉間を押さえていると、体にかけてあった布団が動いた。
「は……?」
不思議に思い横に目線を移すと、規則的な呼吸と共に上下する布団の膨らみがあって思考が停止する。布団から覗いている寝顔も柔らかそうな栗色の髪の毛も全てが見覚えがある。
「…クソっ」
昨日飲んでいたメンバーは問題児2人と、隣で寝ている同期だ。高専で共に学んでいた同級生で、私は一度この道を離れたが呪術師に戻ってきてからも昔と変わらずに彼女は接してくれる。…学生の時から、何だかんだ今までずっと想い続けている人物だったりするわけなので、そんな彼女が朝起きたら同じベットに寝ていたら流石に私でも驚く。
別に、泊めたりすることがないわけではなかった。今回みたいに五条さん達と飲んだときや、2人で飲みに行った時大概彼女が酔っ払うので数回泊まりにきたことはある。しかし、絶対私はソファで寝ている。いつも彼女は悪いからと酔いの回った赤い頬でベッドを譲ろうとするが、女性をソファで寝かせるわけにもいかない。その時と状況が違うのは、同じベットで寝ているだけではなく、どう見ても私や彼女の服がベット脇に散らばっている。クソッ、確実にやってしまった。私は下着だけ履いている様なので、起こさないようにゆっくり布団をめくって見ると彼女は私のワイシャツを着ているだけで、その先には白くしなやかな足が曝け出されている。バカでも今の状態は理解できる。
「…案外、守っていたのは簡単に壊れてしまうものですね」
これは確実に黒だ。この十年間蓋をし続けていた想いは、呆気なく酒の力で爆発してしまったらしい。まだ寝ている彼女の髪を撫でると、少し身動ぎしてその手に擦り寄ってきて愛おしさが溢れる。昨晩の私も、このように彼女に触れたのだろうか。しかし、覚えてないのが問題だ。どうにか記憶を思い出そうと痛む眉間を抑え目を閉じてみた。
『やっ…七海ッ!』
『やだぁ…!ひ、ぁ…!』
妄想なのか、現実なのか、全くわからないが微かに思い出される声と彼女の表情。私の胸元を弱々しく押し返しながら涙を溜めて見上げている。その言葉を遮るように手首をベットに押し付けて、噛み付くように唇に口付けた。
どう考えても、甘い雰囲気ではない脳裏の光景に息を飲む。先程まで愛おしさで溢れて暖かかった胸がヒヤリと冷えていく。あぁ、自分は嫌がる彼女を無理矢理手に入れてしまったのかと悔やむ。わかってたはずだ。私たちは学友で、同僚で、腐れ縁で、ずっと十年間関係が変わらなかったのは、それを崩すのが怖かったから。想いを伝えてしまえば、拒絶されるんじゃないかと恐れていたから。わかってたのに、踏み込んでしまったのか。
「私は…」
髪の毛から指を滑らせて頬を撫でると、柔らかくて暖かい。どことともなく呟いてると、ピクリと影を作っていた瞼が震え、目がゆっくりと開いていくので覚悟を決め息を吸った。
−−−−−
下心がない、といえば嘘になる。私だって女だ。
「もう、五条さん自分の足で歩いてください、よっと!」
最近残業も当たり前で目まぐるしく忙しかったので、今日五条さん達に誘われて久々に飲みに行った。といっても、家入さんやついでに道中遭遇した故にしつこく誘われて嫌々来てた七海は余裕で飲むが、五条さんは下戸で全く飲まない。それなのに、その場では1番酔っ払ってるんじゃん?ってくらいテンションはぶち上がっていて不思議で仕方ない。しかし最後に事件は起こるもので、締めのデザートに私が食べていたバニラアイスを五条さんが横からつまみ食いしてきたらものの一分で彼は真っ赤になって机に俯いてしまった。ちょっとだけアクセントに掛かっていたチョコレートのリキュールで簡単に酔っ払ってしまったらしい。
でろでろに酔っ払った五条さんを七海と抱えながら止まっているタクシーに押し入れた。そのまま横になってしまったので、吐かないかだけ心配で少し運転手さんに同情する。
「たく、世話がやけるよ。それじゃあな」
乗せてしまえばタバコの火を消した家入さんが面倒くさそうに相乗りして、運転手さんに住所を伝えヒラリと手を振る。夜の街に消えていったタクシーを眺めながら道路の柵に腰掛けて少しだけ乱れた息を吐き出した。飲酒後に体を動かしたせいか、ジトリと背中に汗が伝うのがわかる。何だかんだ自分も久々に飲みすぎたみたいだな、気分がホワホワする。
「貴方も早くタクシー乗ってください」
「んー…」
道行くタクシーを手を上げて続けて止めてくれた七海に曖昧に返事する。七海は私と違って全く疲れた様子はなくて、やっぱりそこに男女の差を感じる。多分あまり酔ってないんだろうけど、お酒を飲んでいる彼の目はいつもより潤んでいる気がして色っぽくて、女の私より色気を感じる。あぁ、カッコいいなぁなんて、いつもは胸に押し込んでいる感情が、酔いを理由に溢れ出してしまいそう。
「…帰りたくない。」
ポツリと呟いてみたけど、夜の風に溶けていった。どうしよう、聞こえていただろうかとか、どんな反応してるかとかが怖くて言っておきながら俯いていると、数秒無言の内に手首を掴まれて強い力で引かれそのままタクシーに押し込められた。
「いっ…!もう、ちょっと吐いたらどうするのよ!?」
「それは流石に困るので、勘弁してください。」
あまりにも勢いが良かったものだから、膝を打って痛い。恨めしそうに睨んでも気にしてない様子で、続いて乗り込んで自宅の住所を言う彼にドキリとする。動き出したタクシーの中ではその意図は聞けなくて、目的地に着くまで十分少しお互いに無言だった。ゆっくりとブレーキを踏み停車したタクシーの車内はハザードの中はカチカチという音だけ響いて、どうしようか様子を伺うように七海を見上げれば降りるだろと目線で催促されるように感じて頷いてタクシーから出た。
「…七海の家って本当綺麗だよね」
「今更なんですか、何度も来たことあるでしょう」
七海の部屋に向かうまでのエレベーターなどの時間は、今まで何回も来たことあるのに一番緊張した。フロアだけでなくマンションの部屋も私よりも確実にいいお値段がしそうで、毎回彼の事を尊敬する。私は生きていけばいいくらいにしか考えてないから適当に住んでるけど、多分七海は家とかご飯とか、そういうのを大切にするタイプなんだと思う。
玄関の鍵を開けて七海はスタスタと先に歩いていってしまうので、玄関先で靴を揃えて息をもう一度取り込んで後を追いかけた。気温のせいで少し生暖かい廊下を歩いていくと、その先にある寝室にあるベットにジャケットを脱いで座っているものだから思わず立ち止まって動きを止めてしまった。
「…ほら、来ないんですか?」
「あ、え、う…ん。そうだね」
いつまでも動かない私に眉寄せて横のスペースを叩いて催促される。最初に誘ったのも、下心があったのも私だけど、こうも簡単に先ほどまで‘’友達‘’だったのに、それを超えてしまいそうなのに今更困惑と羞恥心が込み上げる。酔いもすっかり冷めてしまって、別の意味でじわじわと頬が熱くなるが、流石に七海の我慢の限界になりそうなのでいそいそと横に腰掛けた。
「えっと、七海…っわ!」
空いている方へ体をずらして距離を取ろうとしたけど、それより早くベッドに押し倒された。ボスンと沈むと微かに七海の匂いが広がり、真っ直ぐに見下ろしてくる瞳には欲を孕んでいて腹の底がキュンと疼いた。猫のように首筋に擦り寄ってくるように抱き締められて、七海の香水の匂いと男性の汗の匂いがする。あぁ、私いま七海と抱き合っている。ずっと秘めていた恋心が単純に満たされていくのを感じて、さっきまで下心ばかりだったけど愛おしさの方が胸を圧迫してきた。おずおずと広い背中に手を回すと、その大きい体がピクリと震えた。
「あのね、七海、私ね…っひゃ!?」
私の鼓動と、トクトクと少し早い七海の鼓動を感じる。暖かくて心地よくて瞼が重たくなってきて、このまま想いを伝えようと意を決して口を開いた瞬間に首筋に顔を埋めていた七海がちゅっと音を鳴らして口付けてきた。そのまま舌先で首から耳まで舐め上げられぞわぞわと背筋が震える。そんな私に気付いてるかはわからないけれど、七海はワイシャツのボタンを器用に外していって慣れた手つきでブラのホックへと手を伸ばされるもんだから慌てて胸元を押し返した。
「やっ…七海ッ!」
「…なんですか?貴方から誘ったんでしょう?」
「そ、そうだけど…」
「私がどんな気持ちか、わかってますか?」
ギロリと睨まれて言葉に詰まる。そうか、七海は友達に誘われたから仕方なしに相手してくれてるだけで、別に愛なんてないのに。今更拒まれれば、何だそれってなるのなんて当たり前だと思うと浮ついた心は急落下するように冷えていって思った以上に胸が痛んだ。力が緩んだ瞬間に胸元を押していた手はそのままベットに縫い付けられ噛み付くようにキスされる。少しカサついているけど唇は柔らかくて、痛い心と裏腹に貪るような口付けに脳はトロトロと溶けていきそうだった。
スカートも捲し上げられて膝で下着越しに擦られて体が震える。七海はネクタイを指先で緩めてシャツのボタンを乱暴に外して皺も気にしないように脱ぎ捨てると、鍛えられた体が微かな明るさの中に曝け出されてまた下腹が疼いた。何も知らない乙女みたいな思考回路を持ってるつもりでも、体は正直らしい。ブラの上からも関係なしに胸元も形が変わりそうなくらい揉まれ、吸って絡めてくっついていた舌と唇が離れた際に肺に空気を入れる為に息を吸うと一緒に涙が溢れた。
「やだぁ…!ひ、ぁ…!」
急速に与えられる刺激に声が上がってしまうと、ピタリと七海の動きが止まる。視線をやれば暗くてあんまり見えないけど、少し俯いてる。どうしたのだろうかと不安な気持ちになって首を傾げて言葉を待ってみたが、中々次は出ない。
「……気持ち悪い」
「……へ?」
少し間をおいて聞こえた言葉に思わず気の抜けた声を出してしまうが、それより早く七海が体を起こして慌ただしく部屋を出て行く。よく現状が理解出来ずに呆然とベッドに横たわっていると、奥の恐らくトイレの辺りから嗚咽が聞こえてきて一気に体の力が抜けた。
「…なによぅ」
タイミングが悪いだけだとわかっていても、キスの後だから流石の私も少し傷つく。思い返せば、私もだが七海もいつも以上に飲んでいたかもしれない。一人いないだけでベットは冷たくなっていくが、じくじくと疼きだしていた熱は未だ冷めそうもなくて、もどかしい。
少しして、嘔吐で苦しむ声が聞こえなくなったので、はだけた服をとりあえず脱ぎきってしまってベット脇に落ちていた七海のシャツを着た。大きくてそれだけで短めのワンピースとしていけそうで、改めて学生の時からの体格差を実感する。キッチンでコップに水を入れてトイレに向かうと便器を抱くように崩れてる七海がいた。
「ちょっと、七海大丈夫?」
「ん……無理…」
くずれた口調も、こんなになってるのも久々に見たので少し驚いた。背中を撫でてやりながらとりあえず水を飲ませると、顎に滴らせながら苦しそうに七海は飲むので、相変わらず一つ一つが色っぽい。本当に悔しい。もう一度吐かせてから、もう歩く力もあんまり残っていない七海をどうにか抱えながらベットに連れ帰る。私の欲も酔いも、どっかに行ってしまった。
「もう。七海のバカ」
いつの間にかいつも綺麗にセットされている髪型は崩れていて、苦しそうな七海の顔にかかった髪を撫でてどけてやるとまたまた整った顔がのぞく。背中と頭をゆっくりとしばらく撫でてやれば、眉間に寄った皺がどんどん緩くなっていき、寝息をたてて静かに寝始めた。
「好きよ、バカ」
聞こえるはずのない呟きは今度こそ部屋に消えていった。彼の横になり、明日この状態を見てどんな反応をするのだろうかと考える。どんな結果にしろ、もう私はお友達には戻れない。七海が寝た途端睡魔が襲ってきて、もう明日の自分に任せることにして目を閉じた。
「私は…」
浮き沈みする意識の中で、名前を呼ばれた気がして目を開ける。お酒のせいか瞼が少し重くて、擦って体を起こすと気まずそうにしている七海がいた。驚いて固まるが、昨日のことを思い出して恥ずかしさと同時にどうしようと血の気が引いていく。
「あ…、おはよ」
「あぁ、おはようございます。」
どうにか言葉を振り絞るが、酒のせいか緊張のせいか喉がカラカラだ。あぁ、なんで昨日の私はそのまま寝ようと思ったのか。この気まずい空間に人生最大の後悔をしていると、七海は大きな溜め息を吐き出して寝癖なんて知らないサラサラの髪のまま額をベッドに押し付ける勢いで頭を下げた。
「申し訳ありません。」
「え、いや、七海が謝ることじゃないよ!」
慌てて両手を振るが、七海は顔を上げてくれない。大人オブ大人な七海健斗に、しかも俗にいうパンイチで土下座させるなんて、人生でそうない事だと思う。…だって、私が誘ったわけだし、それに七海は仕方なく付き合ってくれたわけだから仕方ないことだ。弁解しようと口を開いたタイミングでやっと顔を上げてくれた七海が、あまりにも真っ直ぐ見つめてくるので息を飲んだ。
「…私たちは、昨晩シたんでしょうか?」
一言で、思わず固まる。ということは、彼は覚えてないのか。ここで首を横に振れば、なんだと笑い話にできるかもしれない。暑くて服脱いだだけだよーとか。でも、せっかくのこの機会を逃したらずっと友達になってしまいそうで、悪い思考が顔を出してしまった。どちらともいえない雰囲気で無言で頷くと、七海が息を呑むのが伝わってくる。その瞬間、やってしまったと自分の選択の間違いに気付いてしまった。無言の時間が痛くて、居た堪れない。
「…すみません、順番が違いますが付き合いましょう」
「え!?な、なんで?」
どう弁解して笑い話にしようかとグルグル考えている中で予想の斜め上をいく言葉に驚いて顔をあげてしまった。七海はその声に驚いたように少し目を開くけれど、すぐにいつもの真剣な表情に戻った。
「責任をとります。結婚を前提にお付き合いしましょう。確認したところ避妊具を使用した跡もないですし、万が一の事があります。あと、一応病院を受診して傷がないかなど確認をお願いしたい。」
淡々と少しだけ早口にいつもと同じような口調で七海は言葉を続ける。真剣に考えてくれる七海に嘘をついた罪悪感が込み上げるが、私はとことん悪い女なのでそれと同じくらい嬉しさが湧き出た。例え合理的手段だとしても、この先七海と一緒にいれるのは大変嬉しい。嘘のことがなければ、手放しで喜べたから酔った勢いであっても本当に最後までしてしまえばよかったと不謹慎だけど思ってしまう程だ。でも、流石に病院のことまで出されると嘘でした〜で済ます訳にも行かなくて、自分で選んだ道なのだが八方塞がり過ぎてどうしていいかわからなかった。
「あ、あの、七海さん、」
「もし貴方が仕事を辞めて家庭に入っても養っていけるだけの蓄えと稼ぎはあります。お互いも忙しいですし、私も家事も出来ますので物件的に悪くないかと」
言い訳するべきか、本当の事を話すべきか、嘘を突き通すべきか。答えが出ないまま混乱している私に追い討ちをかけるように七海はどんどん畳み掛けてくる。もう頭がパンクしてしまいそうで、二日酔いの頭がガンガンと痛くなってきた。言葉が出なくて唸っていると七海がキュッと眉を寄せる。
「…勿論、一夜の過ちとして忘れていただいても構いません。」
「そっそんな訳ないじゃん!」
まるで捨てられた子犬のような顔をするので、さっきまで言葉が出なかった口はすぐに弁解の言葉が飛び出てきた。その返事を聞けば、肩の荷が降りたように眉間の皺が緩んだ。そんな顔を見てしまうと、貪欲な自分が期待してしまう。
「それでは、そのような形でよろしいですね?」
「う、うん。わかった。」
まるでこの作戦でいいですね?と仕事中に聞くみたいに、七海は事務的に問いかけながら黙っている私の顔を覗き込んでくる。今更ながら七海は下着だけだし私も俗にいう彼シャツ状態で下は履いてないから、シラフの状態で至近距離は心臓的に結構キツいので少し身を引きながら何度も頷く。息を細く吐き出したのが伝わってきて、彼なりにケジメで緊張していたのだと感じた。嬉しさと申し訳なさが交互に顔を出していると、彼の大きな手が目の前に差し出された。
「よろしくお願いします」
手の意図がわかり手のひらを重ねると、握り返される。大きくてマメがたくさんあるから硬くて寝起き故に暖かい手は、眠気を誘われるような心地よさだ。
あぁ、悪魔との契約みたい。なんて、思ってしまった。
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