溺れる。


嘘はやみつきになる程甘いらしい。


『今日は定時に終わりますので、そのまま貴方の家に行きます。』

補助監督が運転してくれている車に乗っている時に携帯が震えてメッセージを受信する。用件だけの内容だけど、学生の頃の恋を拗らせてる私はこれだけでも浮き足立ってしまうから、本当に末期だと思う。でもそんな胸の内は悟られたくなくて、『了解。』とだけ可愛げのない返信だけ打って携帯をポケットにしまった。
七海と付き合ってもうすぐ1ヶ月経つ。あんな始まり方だったし、七海はマメに連絡したり時間割いてまで恋人とラブラブしてーとか、全然想像できなかったから今までと変わらないのかと思ってた。しかし、この1か月は今まで高専で顔を合わせるよりも断然多く定期的に会ってるから内心物凄く驚いてる。運転してくれている新田ちゃんに気付かれないように、緩む頬を隠して狭い天井を仰いで目を閉じた。

今日は午前中に一件だけだったので、そのまま新田ちゃんに近所のスーパーに降ろしてもらった。七海は自炊をしているらしいから、何を作っていいか検討もつかない。結局、お肉売り場で15分くらい悩んだ末に定番かもしれないけどハンバーグにする事にした。色々買い込んだビニール袋を両手に抱えて家に着くともう17時過ぎていて、慌てて準備を始める。
玉葱を刻んで野菜も沢山切って、捏ねて焼いてをテレビもつけないで黙々とこなしていって、盛り付けてる時に鍵が開く音が奥から聞こえてどきりとした。いきなり心臓が煩くなってきて、深呼吸を繰り返し頑張って普段通りを意識しながら廊下を覗き込む。

「お、おかえり七海」
「ん、ただいま帰りました。」

いつもの綺麗な革靴を脱いで並べていた七海の背中に声をかけると、少し気怠そうにネクタイを緩めながら返事する。疲れている姿もこの同僚はいちいち色っぽいから困る。疲れてるなら直接家に帰ればいいのに、とも思うけれど、私の家に帰ってきてくれるのを選んでくれたのに正直嬉しいし、おかえりとただいまなんて、まるで新婚みたいでドキドキしてしまう。自分だけ浮かれてるのを悟られるのは恥ずかしくて、バレないようにキッチンに戻って七海に背を向けた。

「ご飯作ったんだけど、食べる?」
「あぁ、すみません。貴方も仕事終わりなのに。空腹だったのでありがたいです」

ジャケットをハンガーにかけて肩を回しながらもうすっかり我が物顔でソファーに座るので、よっぽど疲労の方があるらしい。彼の気苦労が伝わってきて苦笑いして茶碗にご飯を盛る。
お互いの合鍵を交換して、二、三回ずつは家に行った。今までも家に行き来してたけど、恋人となるとやっぱり緊張してしまう。ご飯を並べて手を合わせると、いただきますと呟いて2人で食事を始める。

「意外と美味しいですね」
「意外とは何よ。失礼な、バレンタインちゃんとあげてたでしょ」

何口か食べるとぽつりと七海が呟くので、聞き捨てならなくて机の下で足を蹴ってやった。しかし七海にはそんなにダメージになっていないのか、小馬鹿にしたように鼻で笑われた。

「でも、灰原たちとカレー作った時には玉ねぎに大泣きして指切っていたでしょう?」
「う……あの時は、まだ花嫁修業してなかったのよ」

昔のことを引っ張られるとグゥの音も出なくて黙る。実家にいる時は部活が忙しくてほとんど料理はお母さんだったから、寮に入って時々みんなでままごとのようにご飯を作るときは苦戦したものだ。押し黙った様子を見て七海が冗談です。と笑うから、なんとなく学友だった時みたいに笑いあえて肩の力が少し抜けた。恋人になれたのは嬉しいけど、こういう昔馴染みな感覚も長年培ってきた故にやっぱり息がしやすくて安心する。

「そしたら、今は完璧ですね。」

でも、不意打ちにこういう事言われると堪らない。七海はそんなつもりないかもしれないけど、じわじわと顔に熱が込み上げる。固まってる私に、ハンバーグを頬張っている七海が気付いて目を細めると頬に手を伸ばして来る。ちょっとだけ、キス、するのかと思って目を閉じるけど、少し待っても何もないから恐る恐る目を開けた。

「ゆでダコみたいですね。」
「…うるさいバカ。」

彼の指に米粒がついてるから、どうやら私の口端についてたようでニヤリと口元を上げながらそれを舐めとるのでかわいくない言葉しか返せない。変に期待してしまった自分が恥ずかしくて、もう一回次は確実に脛を狙って攻撃しようとしたけど次は避けられてしまった。
嬉しい、楽しい、恥ずかしい、愛おしい。色々な感情が溢れてくるけれど、その分顔を出してくる黒い感情。




「それで、ラブラブな惚気聞かせてきた末に、結局嘘吐いてるのがツライと、」
「うぅ…そうです…」

どうしても黒い感情がドロドロと胸に広がってこのまま侵略されちゃうんじゃないかなんて思い悩んで、そんなつい先日の話を行きつけの居酒屋で夏油さんと飲みながら全て話した。この間の飲み会には夏油さんは北海道出張で不在だったので第三者の意見として聞いてくれそうだから選抜した。何より、五条さんは論外。絶対爆笑するのが目に見えてる。家入さんも女性としてアドバイスはくれそうだけど、まぁ頑張れとしか言わなそうだし。一番安全地帯を攻めたという訳だ。
思い出すだけでも恥ずかしいし、それを上回るくらい幸せだけどそうじゃない。私はずっと好きだけど、私の出来心の嘘せいで七海は付き合ってくれているだけなんだ。ときめく度にそれはどろりと少しずつ漏れて増えて行って、苦しくて机に頬を擦り付け唸り声を漏らす。

「別にいいんじゃない?だって、終わりよければ全て良しだろ?」
「でも、七海は罪滅ぼしで付き合ってるわけじゃないですかー…!」
「そんなに悩むなら嘘つかなければよかったのに」

苦笑いを零す夏油さんが食べ終えた焼き鳥の櫛をぷらぷらと揺らしてる。夏油さんの言うことはど正論過ぎて、2杯目のビールを一気に飲み干すと乾いた喉に刺激が来た。そうなんですけど、と溜息を漏らす私に夏油さんが肩をすくめて熱燗を飲んだ

「そしたら、君が彼女の特権フル活用して、意識させて惚れさせてしまえばいいんじゃないか。あの七海だって、ギャップに意外とコロリといくかもしれないよ?」
「そんな簡単にいくかな…」

10年待ったんだ。それなのに今更私が何かして関係性が変わるとは思えない。まぁ、物理的には変わったんだけど。でも、もしものもしもで彼が私を好きになってくれたとしても、きっとこの胸を蝕む想いはきっと消えないと思う。大切な友達に嘘をついた私への罰だ。
どのアドバイスをもらってもグチグチとネガティブな事を返す後輩に流石の仏の様な夏油さんも嫌気がさしてるかもしれない。不安になって顔色を伺うように隣を見れば、肘をついて頬杖をして此方を優しそうな顔で見ていた。

「君らが考えてるほど、世界は複雑じゃないから平気だよ。意外と単純なもんさ」

いつまでも顔色が暗い私の頭を軽く撫でて、まるで叱られた子供を慰めるように夏油さんは笑ってくれる。その笑顔が暖かくて、そして彼もやはりイケメンの分類に入るから様になっている。イケメンで凄いなーって呑気に考える傍ら、思わず目尻が熱くなってきた。

「…夏油さん、なんかカッコいい。胸に響いちゃった」
「ははっ、それはどうも。なんなら七海なんか辞めて私に転んでもいいんだよ?」

ポツリと本音を漏らしたけど、夏油さんはすぐに冗談っぽく笑うので少し力が抜けた。やっと少し笑った私の様子を見て夏油さんも安心したようで、ポンポンっとまた頭を撫でてくれてから崩れた髪型を大きな手で直してくれて、そのまま店員さんにおかわりのビールを2人分頼んでくれる。

「ま、君は昔から七海にゾッコンだから寝返るとかなさそうだけどね。とりあえず今日は頼りになる先輩と飲んでくれるかい?」
「…ふふっ、はい!今日は飲みましょう!!」

なんだかんだで、先輩といい同期といい本当いい人たちに恵まれたと思う。まぁ、時々クソって思う事もあるけれど。
やっぱり、このままじゃダメだ。七海のことは友達としても男性としても好きだから、こんな形で友達を終わらせることなんて出来ない。今度会った時は、どんな結果であれ本当の事を話そう。決意してビールジョッキをぶつけるカツンと音が響いて、でも今日くらい忘れて楽しもうと三杯目を煽った。


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