不器用な大人達のアイラブユー
『明日から一週間地方任務にいきます。』
やっぱりちゃんと本当のことを全部話そうと意気込んでいたその日に送られてきたメッセージがこれだった。
『わかった。帰ってきたらちょっと話したい事があるんだけど』
画面をスライドさせ文章を打ち込みながら、数年前はボタンをぽちぽちと一生懸命押していた折り畳み式の携帯だったのに、進化したなぁと今更ながら思う。送信してすぐに既読がついたけれど、返事はなかなか返ってこなかった。まぁ、今日は任務に行った訳だし仕方がない。
私は今日休みなので気長にだらだらして待っていると、暫くしてからメッセージアプリの通知音が鳴った。
『わかりました。また連絡します。』
簡単に、必要最低限の連絡。感情も何も読めないけど、まぁ今はそれでいい。今朝「聞きたくない。」と言い放って出て行った男のことだからきっと最初の連絡を送るときも、今の返事も悩んでから送ってきたんだろう。
そんな昔から不器用な同期のことを想いながらお風呂に入ると、体にはまだ消えることなく痕と噛み跡が散らばっていて、ボディーソープが傷跡に少し染みた。それがちょうど一ヶ月前。
『今日会える?』
『すみません、今日は猪野くんと食事に行く予定でして』
一週間と聞いていたのに、十日たっても任務から帰ってきた報告を受けてないから意外と長引いてるのかな?なんて思ってると、窓から何気に外を眺めていると車に乗り込む七海がいて帰ってきてんじゃんってなった。アプリを開いても最後の私の連絡で止まっていて、今日の日付がついたメッセージを送ればすぐに返事が帰ってきた。まぁ、後輩との付き合いの先約があるのなら仕方ない。これが二週間前。
『明日の仕事終わりって時間ある?』
『すみません、日付を跨ぎそうなのでまた後日。』
いい加減連絡が来ないから七海らしくないその行動に苛立って絵文字も顔文字もない文章を送れば、半日程してから返事の通知がくる。ほー、あの定時終わり大好きマンが今の時間から残業確定なんて大層大変な任務なんでしょうね。思わずスマホが軋みそうなほど握りしめて画面が割れない内に鞄に放り込んだのが一週間前。
「うわ、酷い顔だね」
机に肘を置き頬杖をついて窓の外を眺めていると聞き慣れた声がしてそちらに顔を向けた。そこには案の定夏油さんがいて、その言葉の意味がわかるから余計に眉間に皺が寄った。
「……伊地知くんに悲鳴上げられました。」
「ハハッ、そうだろうね」
私の顔を見るなりヒィ!と悲鳴をあげてビクビクしながら報告してくれる後輩の顔を思い描いていると、夏油さんは楽しそうに笑ってる。確かに、自分でも自覚がある。最近全く鳴ることのない真っ暗な画面のスマホを見ると舌打ちしてしまうし、腕を組んで肘をトントンとテンポ良く叩いたり、組んだ足を意味もなく揺らしたりしてしまう。原因はわかりきっていて、それが尚にモヤモヤする。そんな私の気持ちに気付きながら、夏油さんはトントンっと自分の首元を指差してみせた。
「もう包帯取れたのかい?」
「…えぇ、おかげさまで」
先月、夏油さんと呑んでいつの間にか起きたら七海の家にいた。そして身体中にはあり得ないぐらい噛み跡と鬱血痕だ。首元がどうしても服で隠しきれなくて、流石に教育上よろしくないだろうと思って数日包帯を巻いて過ごした。勘のいい五条さんや夏油さんはわかりきった様子でニヤニヤするし、伊地知くんや学生達は心の底から心配してくれた。その優しさが心に沁みて泣いちゃうかと思ったくらい。五条さんに至っては、私たちが関係を秘密にしていたのもあって誰なんだよ〜ってしつこく聞かれたけどどうにか煙に巻くことが出来て不幸中の幸いだった。
「それで、どうなったんだい?」
「わかってるくせに聞いてくるんですね。」
コテンと首を傾げてくる姿は可愛らしいそぶりだけど、こんな長身の大男の先輩だとそれも半減する。キッと睨みつけても全く怖くない様で、やれやれと肩をすくめて溜め息を吐き出している。
「…昔さ、君と七海が殴り合いの喧嘩して灰原が急いで俺たちを呼びに来たことあったよね」
「はぁ……」
いきなり昔話を語られて、ポカンと口を開けてしまった。そんなことあっただろうか?…いや、あったな。七海が私が弱いからって守るような戦い方をして、それが気に入らなくて帰ってきた後に文句を言ったら「真実でしょう。」って言われてカチンときて喧嘩をふっかけたんだ。だって、あの時女だからって舐められないように人一倍努力してたつもりだった。でも二人の力量を見て、焦っていた時期だったのもある。あわあわとしてる灰原を思い出すとちょっと胸が苦しいけど懐かしい気持ちで暖かくなった。
「あの時は難しいこと考えないで正直に生きてたからよかったよね。大人になると、勝手に自分で色々な壁を作るから面倒だと思わないかい?」
「そう、ですね…」
何となく夏油さんが言いたいことがわかって、ぐっと息を呑み込む。頷いた私に夏油さんが微笑むと、ポンポンと優しく頭を撫でてくれた。
「ほら、ちょうどそこに七海がいるよ。」
「えっ?」
頭の温もりが擽ったくて、何だか学生の時に戻ったような気持ちになる。社会人になると、何だか学生の時の先輩後輩とまた違った感覚の様な気がする。懐かしさに浸ってしまっていると、焦がれてる名前を聞いてパッと顔を上げた。指差す方向は窓の外で、窓打ちに手をつき身を乗り出す様に見ると七海が確かにいた。確かにいた、けれども、隣に女性の姿もあった。高専に設置された数少ない自動販売機の前で、二人で缶を持ちながら何やら話している。その様子がどこか親しげで、プチンと頭の中で何かが切れる音がした。
「………ちょっと、失礼しますね。」
自分のものとは思えないくらい低い声で、少し自分でも驚いた。そんな様子を夏油さんは微笑みながら手を振ってきて、本当にこの人はいい人だけど人が悪いなとつくづく思う。しかし、それは今はどうでもいい。兎に角目的地に向かうべく大股で部屋を出てズンズンと進んでいっていると、たまたますれ違った伊地知くんが泣きながら断末魔のような悲鳴をあげていたから、完全にとばっちりだけど伊地知くんには後で一回肩パンする事にした。
いつもはのんびり歩いているから思ったより早く目指していた場所に到着して、改めてそこを見るとまだ二人は雑談している。おー、そうかいそうかい、私には連絡する暇はないのに女の子とお話しする暇はあるのね。そんな事をふつふつと考えながら近づいていっていると、ふっと七海が小さく笑った。
「っ…」
なによ、あんなに最後別れるときに硬い表情してたくせに、この子には笑うね。胸が押し潰されそうなくらい苦しくなって、その気持ちをぶつけるように二人の間に割って入る様に足を軽くあげると自動販売機目掛けて蹴りを入れた。ガシャァンと金属が潰れる音がして、遅れてパンプス越しに痺れと痛みも足に響いてくる。しんと静まり返った空間にゆっくりと足を下ろして横目に女の子を見れば、抱きしめる様に胸の前で両手を握っていてまさに顔面蒼白で震えていて可哀想だ。
「オイコラ、ちょっと面貸せやください」
「………………はい。」
反対側の七海を見れば、驚きで目を見開いている。私が静かに、出来るだけ穏やかに笑顔を張り付けて声をかけたけどどうしても溢れ出す不機嫌が口調の悪さに出てしまった。ものすごい間を開けて返事をする七海から視線を逸らせば、少し凹んだ自動販売機がある。自分も何だかんだゴリラみたいな一級呪術師なんだなぁ、なんて。修理の件で伊地知くんに謝って、やっぱ肩パンしないであげようと決意しているとその間にも女の子は逃げる様に去ってしまった。再び静寂に包まれて、ゴウンゴウンと自動販売機の電子音だけがやけに響く。
「…私のことが嫌いなら、言ってよ。」
ポツリと、言葉を漏らすと思ったよりも落ち着いていた。もしかしたらもう私の心はこの一ヶ月で疲れて冷めきってるのかもしれないと何となく思って、決意が揺らぐ前に顔を上げた。
「もう無理ですーって。やっぱ同期は同期にしか見えませんよーって言えばいいじゃん。」
「いや……」
高い位置にある顔を見据えると、七海は狼狽えた様に視線を逸らした。私と目を合わせるのも嫌なのかな、なんて悪い方向にばかり思考がいってギュッと拳を握りしめる。
「さっきみたいな可愛い子が好きなの?確か新人さんで若い子だよね、猪野くんと同い年くらい?守ってあげたいって感じでいいよね。」
「あの……」
これじゃあ私が噛ませ犬だ。恋を阻む障害になる、今流行りの悪役令嬢ってやつ。いや、令嬢は自動販売機なんて蹴らないかもしれないけど。冗談を考えられるほど頭は冷静なのに、口からはボロボロと言葉が止めどなく漏れ出す。さっきいたのは新人の補助監督の子だった。私も任務で一緒になった事あるけど、仕事熱心で休憩の時はコロコロと可愛らしい笑顔で笑っていい子だった印象だった気がする。そんな子を怖がらせてしまって本当申し訳ない。
七海は珍しく歯切れの悪い言葉しか言わないで、彷徨わせていた手をこちらに伸ばしてきた。大好きだった大きな手も、私以外に触れるのかと思うと酷く嫌悪感が走ってその手をパシンと振り落とした。
「ごめんね!あの日酔ってシたの嘘なんだ!」
「は…?」
振り落とされた手を茫然と見ていた七海が、呆けた顔で此方を見てくる。そんな顔珍しくて笑いたくなってしまうけど、胸がつっかえて苦しい。でもこの気持ちを悟られたくなくて、また一生懸命笑顔を貼り付けてわざとらしく笑った。
「七海がどんな反応するかな〜なんて思ってさ!あの日は七海が珍しく吐いて介抱してただけで何にもしてないよ。いやー、あんなに酔う事ないからビックリしちゃった!」
そんな私のオーバーリアクションを見て、やっと七海は意識が戻ってきたのかギュッと眉間に皺が寄る。それを見て、苦しいのはこっちだよと叫び出したくなった。
「だから、ごめんね。無駄な二ヶ月過ごさせちゃって」
ハハッと最後笑った声は、もう震えて形にならなかった。七海にとって無駄な二ヶ月だとしても、私にとって最初の一ヶ月は幸せだった。もう二度と二人で笑えないのかな、なんて思うと目尻が熱くなってきた。
「い、ってくれれば、前みたいに、戻る…から、」
きっと、元通りには戻れない。だから、出来るだけ迷惑をかけない同僚を一生懸命これから演じるしかない。どうにか言葉を紡ぐけれど、喉がつっかえて言葉が上手に出てこなかった。俯いて視界に映る私のパンプスがじわじわと揺らいでぼやけてくる。
「だから、言ってよぉ……っ」
本当は言ってほしくない。聞きたくない。でも、聞かないで逃げたらこの一ヶ月の七海と同じだから、必死に逃げ出したいのを我慢して声を振り絞った。もう嗚咽が漏れてしまって、瞬きのたびに地面にボタボタと涙が落ちてその度に視界がクリアになっていく。その跡を眺めていると、不意に手首を掴まれてぐらりと体が揺らいだ。
「ッ、」
腕を引かれたかと思えば、一瞬で七海に抱きしめられた。泣いているせいで詰まり始めた鼻腔にもいつもの七海の香水の香りが届いて、それだけで決意したつもりの心は揺らいだ。
「前の関係に戻りたくありません。」
背中に回された腕で苦しいくらい抱きしめながら、七海がやっとポツリと呟いた。力の強さ以外の意味で息を呑むと、七海が私の肩口に縋る様に顔を埋める。
「すみません、貴女に別れを告げられるのが怖かったんです。なので避けていました。例え嘘から始まった関係だとしても、別れたくありません。」
早口で、でもハッキリとした口調で七海が言葉を紡ぐ。どうして、と問いかける前に七海が擦り寄ってくるので口を閉じた。
「あんなに手荒な真似をして、本当にすみませんでした。でも、信じてください。本当は貴女の事を大切にしたいとずっと思っていました。」
まるで子供が親に怒られた時に言う言い訳みたいに、必死に伝えてくる。こんな余裕がなさそうな彼は初めてだった。七海、と名前を呼ぶと大きな肩がビクリと震えて抱き締めてくる力が尚更強くなった。
「ちゃんと休みの日にデートをして、手を繋いで、抱き締めてキスしたいとずっと考えてました。最初の始まりのキッカケのせいで、軽い男だと勘違いされたくなかった。きちんと誠意を見せようと、していたんです。」
「わかった、わかったよ七海…」
流石に骨が悲鳴を上げるほどの馬鹿力に苦しくなってきて、肩をどうにか叩いてみるけどまだ離れない。次に背中を少し強めに叩くと、名残惜しそうにやっと離れてくれた。もういつの間にか涙は止まっていて、七海を見上げれば代わりに彼の方が泣くんじゃないかと思うくらい情けない顔をしていた。
「離れたくありません。別れる前に、もう一度だけチャンスをください。」
まさしく縋り付くっていうのはこの事なんだと思う。震える手を私の頬に伸ばして、触れる寸前でその動きが止まった。多分、私がさっき振り落としたから触れていいものか悩んでいるんだろう。どうしていいかわからないと言いたそうに目を伏せている七海を覗き込むと、暫くしてから目線が絡み合った。
「七海は、私のこと好き?」
「好きです。別れない為になら、何だって出来るくらい必死です。」
不安そうな目をしていたのに、その答えにはしっかりと答えてきた。その言葉の重みに、この二ヶ月ずっと溜まっていた黒い感情が少しづつ溶けていくようだった。
「…五条さんの目隠し、奪い取ってこれる?」
「はい。なんならそのまま川に投げ捨ててきます」
「それは可哀想だよ」
「あの人なら何枚でも替えがあるでしょう」
「ここで、キスもしてくれる?」
七海があまりにも真剣に答えるから、少し笑ってしまうとやっと彼の眉も力なく下げられた。ずっと宙を彷徨っている手のひらに擦り寄って、おずおずお問いかけて見せれば七海の目は驚いた様に見開かれていてこれでこの顔を見るのは二度目だな、と思った。
「ごめんね、嫌だよね。」
「いえ、そんな事微塵もありません。…いいんですか?」
流石にこんな誰がくるかわからない、どこから見られてるかわからない場所でキスだなんて青臭い学生じゃないんだから嫌だろうと撤回しようとすると即答された。私の頬を覆っている手に力がこもって、指先で耳たぶを撫でられる。まだ迷っているような様子の七海のサングラスを少しだけ背伸びして奪い取れば、やっと直接目を見ることが出来た。
「私、もう七海のこと十年好きだから、待ちくたびれちゃいそうなの。」
そういえば、七海に好きだと伝えるのはこれが初めてかもしれない。何だか恥ずかしくなってしまって俯こうとしたけど、頬の手で上を向かされてしまって真っ赤な顔は曝け出されてしまった。
「私も、あの時から好きでした。」
あの時っていつ、って問いかける前に七海の顔が近付いてくる。あぁ、お酒抜きでキスするのも初めてだな、と思いながら瞼を閉じる。素面のファーストキスは、酷く柔らかくて暖かかくて、そして少しだけ涙のせいでしょっぱかった。
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