すれ違い平行線
「ん…っ」
意識が浮上してきて、眩しい光にぴくりと瞼が震える。ゆっくりと目を開けるとカーテンの隙間から朝日が覗いているのが見えて朝の時間を告げていた。
「い、たぁ…!」
携帯を探してシーツの上を手を滑られせいると、腰の鈍い痛みに思わず声が漏れる。それでやっと寝起きの意識が覚醒してきて、まだ見慣れない部屋の景色に勢いよく起き上がった。その時も全身が痛くて呻き声を出してしまう。
「ちょっと待って、私夏油さんと飲んでて…?」
頭の隅がズキズキと痛んで昨日の飲酒の量を教えてくれている。いや、今はそれどころじゃない。私は、七海の家で、ベッドの上で、全裸になっている。なんなら腰も関節も全部痛いし、見下ろすと胸の辺りに沢山の鬱血痕となんなら噛み跡もある。流石にここまでくると意味がわからないほどウブな少女ではない。
いや、まさか、先月の嘘が本当になってしまうだなんて…。どうにも信じられなくて放心していると、ガチャリとドアノブを回す音がして慌ててシーツを抱き寄せた。
「あ、七海…」
そこにはいつものスーツを身に纏った七海がいて、腕時計をつけながら入口に立ったままだった。
「おはようございます、体調はどうですか?」
「んー、まぁ…ボチボチかな…?」
どうにも気恥ずかしくて、視線を四方八方に彷徨わせながら歯切れ悪く答えれば、七海は無言で此方に近付いてくる。思わず広いベッドの上で後退って一番隅まで逃げてしまって、七海が一度動きを止めた。少しすると小さく息を吐き、ベッドの端に片腕をついて此方を覗き込んできたのでマットレスが少しだけ軋む音がした。
「どこまで覚えていますか?」
まだサングラスをつけていない瞳で真っ直ぐと此方を見つめてくるので、息が止まるかと思った。どこまで覚えているか、と、寝起きの頭があまり働かなくて記憶を探るためにゆっくりと目を閉じた。真っ暗な視界になると他の情報が遮断されて少しだけ集中できる。夏油さんと飲んでいたのは覚えてる。お酒が進んで楽しくて、ホワホワしている時に確か七海が何故かいた気がする。一緒に帰って、一緒に同じ家に帰るのがなんだか嬉しくて、何話したか覚えてないけれど楽しかった、と思う。そして部屋について、確か…と記憶を辿っていくとその後の出来事にボッと音がつくんじゃないかと思うくらい顔に熱が集まってきた。
「夏油さんと、飲んでて…帰ってきて、キス、した…」
キス、した。七海と。付き合ってるこの一か月、七海はそういう事をしなかったから最初の夜以外だとこれで二回目のキスだった。お酒も飲んでいるから熱くて、息が苦しくて、それでいて気持ちよくてクラクラした。それだけは思い出せるけど、きっと状況的に昨日はその先のこともあったんだと思う。嘘が本当になってしまったという訳だ。恥ずかしさのあまり語尾が小さくなりながら答えると、高くで七海の喉が鳴る音がする。
「そうですか。」
七海はそれだけ呟くとゆっくりと体を起こして背を向けてまた扉の方へと歩き出す。その背中は、何だか怒ってるような気がしてシーツを抱き寄せながらベッドの淵まで身を乗り出した。
「あのっ!七海、ごめんね。」
私の言葉に七海が動きを止める。今しかチャンスがないかもしれない。私が最初に嘘をついた事、何で嘘をついたのか、私が、七海の事が好きだって事。夏油さんはあぁ言っていたけど、私はやっぱりちゃんと謝って好きだと伝えたかった。
「あのね、七海、私…」
「聞きたくありません。」
言葉を続けようとしたら、それに被せるように遮られた。背を向けていて表情は見えないがその言葉は冷たく感情が何も乗っていなくて、ヒュッと短く息を呑む私の音が静かな部屋には響いた。
「私は任務なので、先に出ます。家を出る際は戸締りをお願いします。」
七海はそのまま振り返る事なく廊下に出て扉を閉めてしまった。暫く固まって動けないでいると、遠くでガチャンと重たい玄関の扉が閉まるのが聞こえる。
「……は」
やっと止めていた息を吐き出して、握りしめていて冷たくなった指先を自分のもので重ね合わせた。明らかに、あれは拒絶だ。何を拒絶されたんだろう。私が嘘をついていたから?私のことは同情で付き合って好きじゃないから?私が昨日の事をちゃんと覚えてないから?色んな感情がごちゃ混ぜになって鼻奥がツンっとしてきてシーツの上で体育座りをして膝上に顔を埋めた。
「やっぱり、ダメだったかぁ…」
何が正解かわからないけれど、私は今回不正解だったんだろう。鼻を鳴らして溢れる熱がシーツに染み込んでいく。少しだけ泣いた後に喉がカラカラなのに気付いた。顔を上げるとサイドテーブルにミネラルウォーターが置かれていて、そんな彼の優しさにまた込み上げてきそうで目尻を少し乱暴に拭う。喉を通る水は久々に感じるくらい美味しくて、半分くらい飲み干してから痛む体でどうにかベッドから這い出た。
「うわ、エグっ…」
脱衣所に行って鏡を見るとギョッとした。胸元辺りからしか見てなかったからどんなもんなのかと思っていたが、全身隈なくキスマークと歯形がついている。なんとなく、七海は丁寧に蝶よ花よと言う感じで優しくそういう事をするイメージだったから、こんなまるで野獣のような抱き方するなんて予想外だった。喉元についた歯形は絶対に服で隠せないのが明確で、薄ら血が固まって傷を塞いでいるそこは指先で触れるとチリッと鋭い痛みが走って眉を寄せてしまう。記憶にない昨晩の記憶を想像すると、きゅんっと奥が疼いてきて太腿に何かが伝ってくる感覚にぞわりとした。
「は、え…?」
驚いて太腿から秘部におずおずと指を這わすと、白濁とした物が指に絡む。それの正体と意味がわかると、頬以外に体全身も熱くなった。
「もう、よくわからないなぁ…」
こんなに痕をつけられていると、期待してしまう。まるでこれは自分の所有物ですと言わんばかりだ。こんな事されたら、期待してしまうのに。鏡の中にいる自分はこんな状態なのにどこか欲を燻っていて、痛む歯形にもう一度指を這わせた。
やってしまった。先に目が覚めるとまだ彼女があどけない顔で寝ていたので、ちゃんと話そうと決心して緊張を紛らわす為に先に身支度を整える事にした。寝室から物音が聞こえた時ゆっくりの深呼吸して平常心を保ちながら扉を開ければ、自身がつけた痕を白い肌に散らし困惑の瞳で此方を見ている彼女がいて、そんな余裕など一瞬で消えてしまった。
「あのっ!七海、ごめんね。」
彼女は覚えていなかった。あんなに互いに愛を囁き合い、やっと心も体も通じたと思ったのにこの仕打ちだ。
「聞きたくありません。」
何かを伝えてこようとした彼女の言葉を遮り、私は逃げるように家を出てしまったのだ。そんな事なら彼女の髪を撫で寝顔を眺めながら起きるのを待って、ピロートークでもした方が何倍もマシだった。私の欲望と独占欲を見て感じて、拒絶されるのが怖かった。昨日の甘い時間を忘れ、無かったことにされて終わりを告げられたくなかった。昨日から私は自分勝手だ。
「やぁ」
今日の任務の報告書を提出して廊下を歩きながら悶々と反省会を繰り返し、少し落ち着こうと自動販売機の前で立ち止まっていると一番会いたくない人物が廊下の先からゆるりと手を上げていた。
「…………夏油さん。」
正直今の状態で一番会いたくなかった。会いたくない人物が五条さんを抜かすのは久々な事だ。
「七海は本当にわかりやすいね」
私が余程今の心境を顔に出していたのか、夏油さんは楽しそうに笑いながら目の前にやってきた。本当に彼は性格が悪いと思う。押し黙っている私の様子に、労るように肩を数回叩いてくる。
「ちゃんと優しくしてあげたかい?」
「…、夏油さんには関係ないと思いますが」
「すまないね、これでも二人とも可愛い後輩なもんでね」
それは確実に昨日の出来事の後の話で、揶揄うでもなく馬鹿にするわけでもなくただ夏油さんは首を傾げて問いかけてくる。
彼が一体私たちの関係性についてどこまで知っているのかはわからない。…あの夜から、関係は変わったが特に周りに言いふらしていないのもあり今のところ第三者に勘付かれてはいないが、あの夜夏油さんに彼女が打ち明けていれば話は別だが。ベロベロに酔っ払っていたから可能性はゼロじゃないと思い出すと、その姿を見て昨日の夜の苛立ちがまた少し顔を覗かせた。ずっと黙っている私に、ふむ。と短く言葉を漏らし夏油さんは顎に手を当て考える素振りを見せる。
「そろそろ素直になれば?七海も、あの子も。」
話したか否かは別として、とにかく彼はわかっているらしい。確信を突かれた言葉に、ぐっと息を呑み拳を強く握ると手の甲に青筋が浮かんだ。
「…そんな簡単なら、こんなに苦労しません。」
「今更嫌いになられたら、なんて考えるほど何もしてない訳じゃないだろ?」
正しく素直になってこの長年拗らせたせいで重く黒い感情になってしまったモノたちを知られて嫌われたら、などと考えている時にそんな事お見通しだと言わんばかりに間髪入れず言葉を投げてくる。返す言葉もなくまた黙ってしまえば、もう何を言っても無駄だと悟ったのか大きな溜め息を吐き出してまた肩を労るように叩かれた。
「七海、君は守りすぎなんだよ、色々。いい加減真面目に考えないで、賭けにでるくらい大きく出てみたらどうだい?」
少し体を私に近づけ二人にしか聞こえない声で耳打ちされる。思わず大きな舌打ちを漏らせば、彼は嫌な顔せず笑ったまま手を上げて去っていった。彼は五条さんよりもまともに見えるが、やはり昔から食えなくてどうにも苦手だ。
「…クソッ」
見えなくなった背中にまた悪態つく。それは夏油さんへなのか、自分へなのか。考えはまとまらないが、やはり彼女を手放したくないということだけは変わらない。これからの事を事態がこれ以上悪化する前に早急に話し合うべきだと頭はわかってはいるが、どうしても最悪のケースが恐ろしい。
買う気が失せたが、気分はどうしても変えたくて普段飲まない微糖のカフェラテのボタンを押してみた。案の定甘くて喉に纏わりついてくる感じがしたが、少し気疲れした体にはこれくらいの糖分が逆にいいかもしれない。結局決心のつかないままでいると、一週間の遠征任務が伊地知くんから申し訳なさそうに伝えられて、少しでも先延ばししたい私は今回ばかりは有り難いと思えた。
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