1話 片想いは水面に溶ける




一言目に言い訳をすると、お酒の勢い。
二言目も言い訳を並べるとすれば、いい加減この想いに蓋をし続けるのに疲れてしまったのだ。



「くそォ……お陰でまたマイナスになっちまった…」

昼夜問わず賑わっている表通りから一本小道に入ると、酒場の喧騒は一気に遠ざかり辺りは潮の香りと街を流れる水のせせらぎに包まれる。そんな静寂を破るように、隣に立つパウリーが不機嫌そうに溢した。…立つ、というより、この男はかなり千鳥足でほとんど私にもたれてきて、私は律儀に肩を貸してやり約二人分の体重で帰路につく為歩いている。そんな彼が言うまた、というのは先程ブルーノの酒場で行われた賭け事の話だ。

「パウリーが二度目も負け戦を挑むからでしょ。一回目で辞めておけば、半分くらいで済んだのに…」

いつも借金まみれの癖に今日は珍しくヤガラレースでプラスが出たらしく、仕事終わり
に酒場に行くと既にパウリーは気を大きくしてガパガパと酒を呑み出来上がっていた。
この男はそのプラス分を何故借金の返済に回せないのか。そうルルさん達と呆れて眺めていると、カクくんが今日の呑み代を賭けてゲームをしようと彼に持ちかけた。そこがパウリーの運の尽きで、予想通り見事負け。更にもう一試合申し込んだもんだから、結局カクくん以外の私達の支払いも負担となった。そうなればプラスといえど持ち金では足りず、ブルーノさんに今回もツケでお願いしていたので彼も店主も不憫でしかない。つくづく、パウリーはそんな星の元に生まれているんだなと痛感した夜だった。
こうやってパウリーがベロベロに酔った時は、家の方角が近いのでいつも私が途中まで送り届けている。隣でふらつく大きな体を必死に支えつつ、呆れながら言葉を返す。ほんの少し潮っぽい夜風が頬を撫でるが、そんな私の頬が熱いせいか、それとも体の半身に触れるパウリーの身体が酒のせいで火照っているせいか、生温さもなにもない。そんな私の気も知れずに、肩に彼の重たい身体がまたのしかかってくる。

「途中までいい調子だったんだ!でも途中からいきなりだなァ…」
「はいはい、もうそれ何回も聞いたってば。もー、ちゃんと歩いてよ…」

相変わらずパウリーは遠慮なしに体を預けてくるので、私の肩に回った彼の手を支え直しながらもう片方の手は彼の腰に添えて、厚底のブーツで一歩一歩確実に石畳を歩く。自分の職長で上司のタイルストンさんのように怪力ならいいのだが、あんまりパウリーに気を取られると私も流石に飲酒している体だしうっかり共倒れしてしまいそうだ。
こんな酔っ払いの世話せずに適当にその辺に放り投げてしまいたい気持ちに毎回なるが、困ったことに私はその酔っ払いにずっと片想いをしているからそれが出来ずにいる。酒癖悪いし、ギャンブラーだし、借金沢山あるし…。色々な悪い男の要素がギュッと濃縮されてるのに、仕事の時の真剣な眼差しやガサツそうなのに船に対しては繊細な仕事をする所にコロッとやられてしまった。長年片思いをしていると困った事に色恋に疎そうな職場の面々も徐々に気付き始め、いつからかパウリーを送り届けるのは私の仕事…となってしまった。揶揄う、とかそういう面倒な事はないから有難いけど、時々子供とか動物を生暖かく見守るような目線を向けるのだけは少々小恥ずかしい。
喋る度に耳元にかかる息、酒臭い吐息と一緒に香るパウリーが吸う葉巻と一日作業した男臭い汗の匂いと、服越しにじんわりと伝わる体温。もうこの酔っ払いを送り届けるのは何度目かわからないが、いつまで経っても慣れる事はなくて、今日も今日とて胸が早く鼓動を打っている。

「大体、お前いつの間に酒強くなったんだ?昔すぐ酔っ払って寝てただろォ?」
「…沢山の悪い酒の見本がいるから、いい加減酒の限度も覚えたのよ。」
「あっはっはっ!そりゃ違いねェ!」
「アンタの事もよ…」

彼の言葉に視線を向けると、至近距離でパチリと視線が絡んだ。お酒のせいで少し潤んだ瞳は充血してるし虚なくせに、しっかりとその瞳の中に私を映して真っ直ぐ見てくるからズルい。その瞳にジクジクと熱くなってくる頬がバレてしまう前に目を逸らして吃りながらも平然を貼り付け答えると、耳元で盛大に笑われて少し耳がキンとした。散々私がときめいても、こんなに近くにいる彼には1ミリも伝わらない。それが年単位になると私も職場の彼らももう悲しみとか超えてパウリーの鈍感さに感心し始めたくらいだ。

「あら、パウリーさんじゃない。」

この角を曲がればパウリーの家まであと一息な地点で、気を取り直してよいしょっと小さく声を漏らしながら彼の腰を抱き直す。そうしている時に艶っぽい声が聞こえてきて、2人で顔を上げた。

「今夜どう?ガレーラカンパニー割引しちゃうわよ〜!」
「どわァ!なっ、ハレンチな!!服着ろ!あっちいけ!シッシッ!!」

顔を上げた先には私達の歩く道と向かいの道を繋ぐ小さな橋の上が架かっており、そこにはブロンドの巻き髪を左肩から垂らしたお姉さんが立っていた。谷間、というかもう臍の上までスリットが開いたドレスは黒のレース生地をメインで作られていて、まるで彼女の白い肌を活かして作られてるかのようだった。ぷるりとハリのあるお胸はギリギリそのドレスに収まっており、ミニスカートから伸びる足も胸元も全て柔らかそうだ。まさに男の夢が詰まったようなお姉さんの姿に思わず惚けていると、隣のパウリーの叫び声で意識が戻ってきた。彼の反応は予想通りだったのか、橋の上の女性が肩をすくめる。するとほらね〜と橋の先から聞こえて、これまた素敵なドレスを着た綺麗なお姉さんが2人出てきて、みんなでキャッキャッと笑い始める。いきなりの煌びやかな視界の暴力にただ1人取り残されてポカンとしていると、女性たちは橋を渡った先…灯の灯った建物にいつでも来てねとパウリーに笑いながら手を振り中へと入って行った。どうやら、私が知らないうちに新しい呑み屋が出来たらしい。しかし、きっと女の私は入ることのないジャンルのお店だと言うのは何となくわかった。大盛況しているようで、男性と女性の笑い声が建物の外に溢れ出ている。

「たく…なんだあのハレンチな女たち…」

ブツクサと文句を漏らしながら、パウリーは私の肩を抱き直して歩き出した。本当ただそれだけ、それだけなんだけど私の胸はグッと苦しくなる。

アンタが肩を抱いてるのも、一応女なんですけど。

そりゃ日に焼けた肌は彼女達のように白く吸い付くようなものではないし、髪だっていつもショートカットでお手入れといえばせめて紫外線でバシバシにならないように帽子を被るくらいだ。汗と木屑と油に塗れるから服装も怪我防止が第一。道具の入れやすいポケットがついたズボンに釘を踏んでも大丈夫な厚底ブーツ、露出や体のラインを出すのには縁が遠い汚れても構わないなんとでもないシャツを着ているけど、生物学上は自信を持って女性ではある。そう反論したい気持ちだったが、あまりにも先程見たお姉さんと天と地の差過ぎてそのイライラもすぐにしおしおと枯れて行った。
パウリーが、こうやって肩を抱くのを許してくれるのも、隣で気軽に笑い合って呑むのも、彼女達みたいに私を異性として意識してないからだ。パウリーは、私のことをただの同僚としてしか見ていない。こんなにも距離が近いのに、それを苦しいくらい痛感する。
どうしても月明かりに照らされた先程のお姉さんが脳裏から離れない。あの店の喧騒が遠ざかっていくのに足取りはどんどん重たくなって、ついに足を止めてしまった。パウリーはいきなり足を止めれなかったのか、つんのめってしまい私の肩から腕が離れていく。あんなにピッタリとくっついていた体も、こんなに簡単に離れるんだなと当たり前のことに笑っちゃいそうだった。

「んぉ…?どうした?酒回ってきたか?」

酔っ払いと言えど体幹がしっかりしているからパウリーは転けることなく体制を整えて私を振り返った。それなら最初から自分で歩きなさいよ、バカ。なんだが彼の顔が見れなくて、俯くと私たちの影が二つと街灯の灯りが水面で揺れていた。
深呼吸する。息を吸って、吐いて、もう一度吸って。そうしても胸の奥で突っかえてい
るものは取れなくて、苦しいままだった。

「私、パウリーのことが好き。」

ポロリと出た本音。たったそれだけを言うだけで、ずっと苦しかった胸が一気に軽くなった。だけどそれと同時に、酔いと血の気がふっと引いたような感覚がした。

「…はァ?」
「パウリーの事が好き。同僚とか船大工とかそういうんじゃなくて、異性として。」

パウリーの顔を見なくなって、容易に想像出来る。何言ってたんだ?悪いモンでも食ったのか?って言いたそうな顔をしているんだと思う。そんな彼の勘違い先を潰すように、早口で私の抱え続けた感情を捲し立てて吐き出した。あんなにずっと言えなかった事をいきなり脈略なく言うなんて、私も大概酔っているのかも知れない。もう頭がぐちゃぐちゃでそれすらもわからない。下を向いていると、パウリーのブーツが地面を踏む音が小さく聞こえた。

「だって……お前……」

パウリーから言葉が発せられるまで、数秒。酷く長く感じるその間は、本当に静かだった。ゆっくりと顔を上げると、先程まで酒に溺れていた彼の目が、瞬きをする度に少しずつ酔いが覚めていっているようだった。

「…おれ達は、そういうんじゃ…ねェだろ……」

はっきりとした声。そして想像していた通りの返事だった。酔っているはずなのにその口調には彼の真面目さが滲んでいた。
わかっていた。私達はガレーラカンパニーの仲間で、そういう風に私の事を見てないと言うこと。それでも、言葉にされると心臓がぎゅっと小さく縮むのがわかる。

「うん!知ってる!でも、なんか言いたかったんだよね〜!ごめんね!ほら、ビックリし過ぎて酔い覚めたでしょ?あとは1人で帰りなよ!」
「いッ、痛ッて!お、おいッ!」

この重々しい空気を破る為に笑って、大股でパウリーに近付きバシバシと全力で彼の肩を叩く。ガタイのいい彼の肩を叩くのは手の平が痛くなるけど、関係なかった。これくらいしないと、笑ってごまかす私の声が、自分でもわかるくらい軽過ぎて、苦しかった。
私が全力過ぎて流石のパウリーも一応痛かったようで、逃げるように肩を庇うパウリー
が続けて口を開こうとしているのに気付いて、次は彼の背中を後ろから強く押してやる。もうそろそろ彼の家も近い。これだけ酔いが覚めたならもう1人で帰れるだろう。

「…本当、ごめん。じゃあね!ちゃんとベットで寝なよ!」

最後に一度、小さく謝罪をすると押していた彼の背中が小さく揺れる。誤魔化すようにバシンッ!と大きく広い背中を平手打ちすれば、いってェ!とパウリーは悲鳴をあげた。彼の顔も言葉も見ず聞かずに済むように、そのまま体を反転させて歩いてきた道を走り出す。呼び止める声が聞こえたけど、振り返らずに手を振った。



「はぁ…走ったぁー…酔い回りそう…」

別れた道から随分走ってきたので、やっと足を止めた時には流石に息が上がっていた。酒のせいか、沢山走ったせいか、それとも思わぬ告白で体力を使ったせいか、喉がカラカラで張り付きそうだ。もう自宅も見えてきて、暫くして息を整ったらゆっくりとした足取りで歩き出した。

「…ははっ、そういうんじゃないだろ、だってー…」

もうすぐ着くから家の鍵出さなきゃ。頭の端でそんな事を考えながら、震える笑い声が勝手に溢れ出た。

「あー……うん、知ってた。知ってたよ。」

空を見上げると、まん丸な月が浮かんでいる。なんで今日に限って、こんなに綺麗なんだろう。いつも綺麗と思える景色もこんなにも憎く思えちゃう自分が一番嫌になる。そう思っている内に、丸い月の輪郭がじわじわと滲んでぼやけてみた。

「あー…失恋ってしんどー!」

声に出して言えば、ちょっとは楽になるかと思ったけど、ダメだった。涙がボロボロと止まらなくて、鍵を探すのも諦めて家の玄関の前でうずくまって嗚咽を漏らす。
隣で見てたから、無理だって事は一番私がわかったいたつもりだ。でも、もうこうやって恋焦がれて一人で悲しくなるのに疲れてしまった。やっと言えた。やっと、この恋から解放されるのだ。パウリーにちゃんと伝えられて、彼の前で泣かなかった。それだけは、自分を少しだけ誇っていいと思いながら一人静かに鼻を啜った。


◇◆◇


カーテン越しに射し込む朝の光が、いつもよりやけに眩しく感じる。うううと唸りながら寝返りを打って、ゆっくりと目を開けた。頭が少し重い。…いや、一番重いのは瞼か。

「……うわ、顔やば……」

重い体を起こしのそりとベットから這い出て、最初に洗面所に行き鏡を覗き込む。そこに映った自分は昨日の涙をそのまま引きずったような情けない顔だった。目はパンパンに腫れていて、ちょっと笑えるくらい。いかにも『失恋しましたよー』って顔してる。
今日がたまたま休みで心底良かったと思いながらキッチンに向かって水を一杯飲む。元々アルコールを呑み過ぎたせいに加えて、散々水分を流しきった体は不足しているようで水道水でも最高に美味しい。一人暮らしを始めてからずっと使っている木製の椅子に座ると、勢いが良かったのでぎしりと小さく軋んだ。

「……ははっ、私って凄くパウリーの事好きだったんだなー…」

ぽつりと言葉が溢すとなんだか涙がまた出てきそうで、慌てて顔をぺちぺち叩いた。

“…おれ達は、そういうんじゃ…ねェだろ……”

脳裏に浮かぶのは、昨夜のパウリーの顔。困ったように眉を顰めて、真っ直ぐ、ちゃんと拒む声。いつも馬鹿みたいに煩いくせに、静かにそう言うパウリーの言葉がハッキリと思い出される。知ってた、わかってた。でもあの時の私は、玉砕するとわかってながらも言いたかったのだ。
パウリーが好きだった。大工としても、1人の男としても。
船大工という仕事は男性が圧倒的に多い。だけど子供の頃からこの仕事に憧れていた。女の子なんだから、家庭的で嫁に選んでもらえるような仕事の方が……そんな言葉も散々聞いて身内の反対も押し切ってどうにか船大工になった。が、やはり親の言うように前の職場では舐められてばかりだった。雑用ばかりは当たり前、皆口を開けば『女の癖に』。仕事ぶりが評価されて少しずつ任せて貰える事が増えてきても、それを妬んだ同僚に体で仕事を取ったんだと良いように噂されたりもした。でもそんなの関係ないくらい、この仕事が好きだった。自分が作ったモノが少しずつ形となり、どんどん大きな船へとなっていく。夢とロマンしかない、胸を張れる仕事だ。
といっても、どうしても男性社会なのは変わらないの少しでも舐められないように髪は
ショートカットにしてボーイッシュにしたり、体のラインを隠すダボダボの服を着たりと色々工夫したものだ。
4年前、アイスバーグさんが私の元職場含めて7つの造船会社を1つに束ねてガレーラカンパニーを発足した。その勤め始めの初日も、また前の職場のように舐められるんじゃないかと警戒心と威圧感マックスだったんだろうなぁと、今振り返ると苦笑いものだ。

『お前、いい仕事してんな。頼れる船大工仲間がいて楽しみだぜ!』

私は釘を極力使わず、でもそれ以上に丈夫なパーツを作るのが得意だったのでタイルストンさんの班に配属された。同じ1番ドックにいるがパウリーと関わるのがその日初めてで、パウリーは私が船員が使う為にと依頼され制作途中の椅子を見ながらそう言った。彼は私が女だとか男だとかそう言うことは言わずに、ただただ私の技術だけを見てくれた。それが堪らなく嬉しくて、今までの私が報われた気がしたのをよく覚えている。言葉が出て来ずに黙っている私を見て、パウリーはニッと笑った。今と同じで髭は生えていたけどまだあの頃は少年みが残っていて、笑った顔は太陽みたいだなと思った。

「そこから好きになっちゃったんだよねー…」

私1人しかいない部屋で誰に言うわけでもなく呟くと、その言葉は朝を知らせる鳥の囀りですぐ消えていく。あの不器用でお人好しで、借金まみれで、仲間思いのパウリーが好きだった。ガレーラの人たちは私を性別で偏見しないからもう無理に髪を切らなくてよかったけど、あんな見た目でハレンチ野郎の彼の為に健気にボーイッシュスタイルを続けるくらい、大好きだったのだ。

「……よし、あんな借金まみれの男忘れてやろ!」

声に出してみたら、昨日よりもほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。椅子から立ち上がりもう一度洗面所に戻る。相変わらず、酷い顔。でもさっきよりまだマシかも。そう思いながら、冷たい水を出し勢いよく顔を洗った。
涙も、想いも、排水溝に流れる水と一緒に流してしまえるなら…なんて都合のいい話、ないってわかってる。でも、瞼は重たいけど心は昨日よりもずっと軽い。今ならちょっどだけ前を向ける気がした。

「…とりあえず、まず服を買いに行って、あと美味しいケーキでも買おうかな…今日は水水肉使って贅沢ご飯しよ!」

張り切って自分のクローゼットを開けると、仕事用の似たようなズボンや服ばかりで碌なものがなくて苦笑いが溢れた。自分らしくいれるように、一先ず買い物から始めなければいけなさそうだ。先程まで悲しくて暗かった気持ちも、これからの事を考えると少し心躍って楽しみになる。新しくこの洒落っ気のないクローゼットを彩ってくれる服たちを迎える為に、さっさと寝巻きから着替えて外へ飛び出した。



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