2話 ハレンチとポニーテール




「おいッ!」

別に謝る事でもねェのに、アイツはか細く震えた声でごめんと絞り出す。最後に思い切りおれの肩を叩いてそのまま走り出した彼女を引き止める為に叫んだ声は、届く事はなかった。…いや、届かなかったっつーより、届かないふりをしたって方が近い。水路の向こうに消えていった背中はいつもより小さく見えて、思わず舌打ちを漏らした。

「…なんだよ、急に。こ、告白…なんざ……」

元々そこまで泥酔していた訳ではないが、ほろ酔いで気持ちの良くなっていた体はすっかり酔いが覚めちまった。先程までの出来事を振り返って一人で呟くと、何となく居心地が悪くなり夜道に気まずさと困惑が混ざった溜息を吐き出した。

好きだァ?おれのことを、異性として?

そんな事、今まで全く気付かなかったし、思っても見なかった。
ガレーラカンパニーが出来て4年。アイツとはその時から一緒にこの1番ドックで仕事してきた。アイツは手先が器用で、他の野郎なら投げ出しちまいそうな細かい作業もコツコツやって綺麗な仕事をする。地道に、そして確実に作り上げて技術を伸ばしていく彼女の事は職人としても一目置いていた。同じ現場に立ち、肩を並べて直向きに働く、頼りがいのある船大工。そう思っていたからこそ、おれをそんな風に想っているなんざ微塵も思ってもみなかった。だっておれだぞ?ルッチやカクみたいに甘いマスクってワケでもねェし、自分で言ってアレだが借金あるしガサツだしよォ…。
頭の中はグルグルとこの数年の回想や職場の奴らとのことで一杯で、気付けばいつの間にか家の前で古びた扉を乱暴に開けて部屋に入る。じっとりと汗が滲んでいる服も靴も脱ぎ散らかして適当にその辺に放り投げ、パンツ一枚になってベットに倒れ込む。今更になってアルコールでやられた体が水が欲しているが、もう起き上がる気力はなかった。

“私、パウリーのことが好きなんだ。“

真っ直ぐと、しかし泣きそうな顔をしてそういう声。…おれが、否定の言葉を返すと強がって笑う顔が頭から離れねェ。
思い出せば、彼女はいつもおれのそばにいた気がする。1番ドックでも、酒場でも、
おれがギャンブルに負けたりルッチと喧嘩した後でも。振り返れば振り返るほど当たり前に隣にアイツがいた。
ついこの間も借金取りから逃げる為にロープを操り飛んでる時に、出勤途中のアイツがいたな。頭上を飛ぶおれに気付くと呆れたようにしながらも、眩しそうに目を細めて笑っていた顔は、柄でもねェがヒマワリみたいだなと思ったのは記憶に新しい。
いつもそばにいるのは仲間だから、同僚だからと当たり前に、そう思ってた。

「たく…なんだってんだよ…」

この言葉は彼女に対してか、はたまた自分へか。誰に向けたものなのかすらもうわからない。外はすっかり寝静まっていて、遠くで波の音だけが微かに響いている。バカな頭は考え過ぎてもうキャパをとっくに超えていて、大きな舌打ちを漏らして寝返りを打ち無理矢理目を閉じた。


◇◆◇


朝のドックはいつも通り木くずと潮の匂いが混じった香りがする。暫くすれば男どもの汗と二日酔いの体に残る酒の匂いも加わり、あっという間に男臭い職場の出来上がりだ。
いつもは始業時間のギリギリに借金取りから逃げるように出勤してくるが、今日は無駄に早起きしちまった。早めにドックに入ると来てる奴らはまだまだ疎らだ。始まるまでの時間が手持ち無沙汰になってしまい、胸元のホルダーにつけている葉巻を手に取って慣れた手付きでいつものように火をつけた。……正直、“いつも通り”に見せようとしているだけで、実際は、内心めちゃくちゃ落ち着かない。

「…くそ、やりにくいったらねェ……そりゃフるしかなかったけどよ、まさかあんなタイミングで言われるとは思わなかったっつーか…」

適当な木材にどかりと座って誰にいうワケでもなくぶつくさと呟いて、結局感情と考えがまとまらずにダァー!と叫びながら頭を両手でかく。頭では何度も「気にすんな」と言い聞かせたものの、流石にソワソワと落ち着かねェ。葉巻を吸い終わってもそのソワソワは収まることもなく、自分の作業場所に戻っても始業時間になるまで工具箱を意味もなく開け閉めを繰り返してしまった。
そんなこんなでやっと作業が始まってはみたものの、その悩みの種の彼女の姿はどこにも見当たらない。まさか昨日帰り道になにかあったんじゃねェかと心配したが、タイルストンに聞けば元々今日は休みらしい。ホッと息を吐き出したが、それが彼女の安否ではなく己の気まずさな事には気付かないフリをした。
ただ先送りにしただけだがやっと本調子に戻り、その日は、何だか落ち着かないので適当にルルたちを捕まえて酒を呑んで帰った。


翌日は1日空けた事によって、昨日よりか幾分落ち着いて出社出来たので助かった。
金槌の音、ロープを巻く音、仲間たちの声――騒がしくも、どこか心落ち着く現場。その中で、まだ胸の奥に残る緊張と、ちょっとした逃げ腰。顔を合わせたら、なんて声をかけるべきなんだ?あの日から何度も何度も考えてみたが、結局答えは見つからねェ。

「パウリーさん、おはようございます!」
「おー、おはよう。」

他の奴らの挨拶に上の空で返事しながら、気まずいながらもアイツの姿を探す。この間作りかけのパーツもあったし、恐らくこの辺にいると思うんだが……そう思いながら辺りを見渡していると、遠目にその辺の輩と頭一個小さい背中が見えた。名前を呼び手を振ろうとした、が、開いた口からは別の音が出た。

「ハ、ハァア?!」

おれのクソデカい叫び声に、細い肩はビクリと跳ねた後にこちらを振り返る。驚いたように見開かれてる丸い目も、それがくっついてる顔も間違いなく彼女だ。

「び、っくりした……おはよう、パウリー」

当たり前だが声も彼女で、驚きで固まっている俺にいつもの調子で軽く手を上げて挨拶をしてきた。いつもと同じ。だけど、明らかにいつもと違う。

「お、おまッ!お前それ…ッ!!」

髪が、髪が――長ェ‼︎
一昨日まで毛先を軽くしてワックスでスタイリングしやすそうなショートカットヘアだったのに、今目の前にいる彼女は長い黒髪を頭の高い位置でポニーテールに結んでいる。髪をほどけば、恐らく胸下くらいまではありそうだ。彼女が体を動かすたびに柔らかそうな髪はふわふわ揺れて、短い時だと知らなかった髪の毛の艶が太陽の光を受けてキラキラしている。

「おぉ、パウリー。どうじゃ、似合っとると思わんか?」
「ありがと、カク。ガレーラに入った時からずっとショートカットだっだもんねぇ」

震える指先でその揺れる毛束を指して呆然としていると、カクがいつの間にか後ろからひょいっと現れる。いや、いやいやいや!なんでカクの野郎はそんなに冷静なんだ?人間そんな2日間で、こんな爆速で髪って伸びねェ…よな?!

「いやいや、なんで髪伸びてんだ!?」
「あぁ、前にね、船依頼してきた海賊がくれたの。『麗しい君はぁ〜髪が伸びたら幻の人魚のようにもっと素敵になるんだろうねぇ〜…』って。」
「よう似とるのう」
「でしょ?あの人話し方のクセ強かったよね」

おれを他所にカクとコイツはケタケタと笑いながら楽しげに会話している。どうやら彼女の不思議なモノマネは似ているらしいが、そのキザ野郎俺は知らねェし、そんなのはどうでもいい。というか、そんな変な野郎からもらった代物なんざ怪しすぎるだろ!どうすんだよ、変な薬だったり最悪毒とかだったら!色々な思考が騒がしい中、彼らはもう髪の毛の話題を終えて今日の作業の話を始め置いてけぼりを食らっている。

「お、おい!」
「ん?なに?」

それに、彼女の変化は髪の毛だけじゃない。パンツはいつもの物と変わらない太めのデザインの物だが、トップスは普段の煤汚れている緩いものではなくて、ピッタリと彼女の体のシルエットに合わせた服だった。いつも彼女は比較的オーバーサイズの服ばかり着ているから知らなかったが、細身のウエストや胸元のふ…膨らみが、その、露わになっていて目のやり場に困る。確かに、船の完成を喜ぶ時や酒を飲んだ時にコイツの肩を抱いたり、足場から落ちた際に受け止めた際に軽いし細ェからちゃんと食ってんのかなーとは思っていたが、こんなにもおれらと違って細いだなんて知らない。
呼び止めておいて黙り込んんだ俺を横目に、またカクと二人で何やら喋り始める。彼女が笑う度に、ゆらゆらと毛先が揺れている。おれと同い年だが幼い顔立ちの彼女は、今までショートカットなのもあり時折少年のように感じる時があった。そんな彼女が、今は、見違えるほど女性らしく……いや、なんか、妙に色っぽい。

「ハ…ハレンチだろうが!!」

何考えてんだおれは…!自分にも変わったコイツにもつい我慢できなくなり、ワナワナと肩を震わせようやく絞り出す。その言葉に、彼女とカクがぴたりと動きを止めた。

「ここは男の職場だぞ!何て格好してきやがる!!」

別に、本気で怒って注意している訳ではない。いつものように、反射的にハレンチな娘たちに向けてしまう言葉だ。しかしその一言で、彼女の眉毛がピクリと揺れて空気がガラリと変わったのがわかった。

「…パウリー、何がハレンチなの?言っておくけど、私の今着てる服はただの作業服しやすい服。カリファさんみたいに谷間が出てる訳でも無いし、短いスカートを履いてない。作業で怪我しないようにいつもと同じズボンで、このトップスも私の体に適正サイズのものを着ているだけ。髪も暑いから髪結んでるだけじゃない。」
「い、いや……だってよ。なんつーか…男どもが、見るだろ!いろいろ、ほら…!!」
「何を見るの?いちいちこれくらいでハレンチハレンチって騒ぐの、パウリーくらいだと思うけど?それに、見るから何?パウリーに何か迷惑かけてる?」

淡々と喋る彼女の圧に、反射的に思わず半歩後ろに下がってしまう。やべェ……めちゃくちゃ怒ってる。普段野郎どもの喧嘩を仲裁することが多い彼女がキレているのを見るのは、一緒に働いていてそうそうない。自分で蒔いた種だがどうしようかと視線を彷徨わせていると、カクは今必要ないくせに脇で静かに工具を磨き始めた。クソ、裏切り者め…!彼女の怒りの冷まし方がわからずに降参するように両手を上げると、フッと彼女は細い肩の力を抜いて目を伏せた。

「…パウリーにとって、いつもみたいに男みたいにショートカットをしてダボダボの服を着てないと、船大工としての適正の格好じゃ無いってこと?」
「いや、別にンな事は……」
「…確かにドック職長になれるほど技術はないかもだけど、私は船大工として誇りを持って仕事をしてる。男も女も、関係ないよ。」

そう言っておれを見る目は、決して怒りだけじゃなかった。芯があって、真っ直ぐで、
でもほんの少し、寂しげだった。

「……悪ィ。」

それ以上、何も言えなかった。
無防備に挙げた手をギュッと握り締めて小さく頭を下げて謝ると、彼女は困ったように眉を下げて笑う。そうしているうちに始業を知らせる音がドック内に鳴り響いた。意味もなく工具を磨いてたカクもそれを道具箱に詰めて、さぁて今日も仕事を始めようかのーとのんびり言い、有難いことにこの場に解散の空気が流れる。今回ばかりはカクのそういう所に感謝しながらホッと息を吐き、上げていた両手を下げた。

「あ、そうそう。この間パウリーの事好きって言ったけど、吹っ切れたから安心してね!…もう男女の色恋とか見ないし、私も自分のしたい格好して、外部で恋愛するからさ!」

皆がこの場を後にしようとしている中で、最後についでにと言わんばかりにさらりとそう言う彼女にギョッとする。カクもいきなりの事実に驚いたようで、相変わらず丸い目でおれと彼女を交互に見始める。おれを映す彼女の瞳はもうあの夜のように揺れてはいなく
て、まるで夏の陽射しみたいに明るくて眩しかった。

「じゃ、そういう事で!もうハレンチとか言わないでよー!」

全てを言い切った彼女はどこか清々しそうで、晴れ晴れとした顔で踵を返して向こうにいるタイルストンの方に小走りで走っていった。括られたポニーテールは相変わらず彼女が一歩踏み出す度に風を切って揺れている。

「…成程のう。失恋して髪を切るっていうのは良くある話じゃが、その反対って事か。」
「…ウルセェ。」

そんな揺れる毛先を見る度に、なにか自分の中でザラついた感情が残っていく。
誤魔化すようにそこから目を逸らすと、納得したように何度も頷くカクが頷いておりグッと自分の眉間の皺が深まるのがわかる。

「…まぁ、見事に地雷踏んづけたようじゃのう」
「ウルセェって言ってるだろ!…………くっそォ!マジで、ハレンチだ……!」
「それ、もはや褒め言葉じゃないか?」

呆れたように、憐れむようにおれを見ているカクにただただイライラして、唸りながら両手で髪をわしゃわしゃと掻きむしる。くそ、胸がざわざわして気持ち悪ィ…!
何度か深呼吸して、ズレたゴーグルの位置を整えながら顔を上げると視線の先に彼女の背中が見える。大らかに笑うタイルストンに釣られて小さく笑っている姿は、なんだか今までの“同僚の彼女”とは違って見えた。
頭と胸に渦巻く気持ちは、名前をつけるにはまだ小さく形が歪でよくわからない。とりあえず葉巻をもう一本口に咥えて火をつけるが、なんとなくいつもより美味くない。葉巻を奥歯を噛み締めると口内に苦味が広がって、笑っているカクの肩にぶつかりながら自分の持ち場に戻った。




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