ルッチ


『月桂樹は静かに笑う』

「はーい!そしたら最後にお店の外観と写真撮りまーす!笑ってくださーい!」
「あは、あはは…」

シャッター音が、冬の空気の中に小気味よく響いた。
通りは一面の雪で覆われ、足跡だけが並ぶ道に、カメラを構える女性と、ぎこちなく笑う花屋の店主。
ウォーターセブンの街は潮風の代わりに、粉雪が運河を渡っていた。
カメラのレンズ越しに覗く女の子は、笑顔の奥にどこか観察するような静かな目をしていた。

「オッケーでーす!ありがとうございます!」
明るい声に我に返って、二人でそそくさと店内へ戻る。
扉を閉めた瞬間、店の中の暖気が全身を包み込んだ。
冷え切っていた頬が一気に解けて、ほっと息を漏らす。

「いやー、噂の“恋が叶う”花屋さんに取材させていただけて光栄です!」

記者の彼女は笑顔で手帳を掲げた。
肩にかかるコートから、雪解けの水滴がポタポタと落ちて床に丸い跡を作る。
彼女の声は明るいけれど、どこか探りを含んでいるようにも聞こえた。

「あはは……でも、本当に偶然だとは思います。
 恋を叶えるお手伝いをお花達と一緒にさせて貰えるのは嬉しい事ですが、
 最終的に大切なものは、想いを伝えたいって願う渡す人自身の心ですから」

「なるほど〜!」と記者が軽く頷く。
彼女の視線が、壁一面に並ぶ花々をなぞる。
バケツに挿された白いチューリップ、棚の上のポインセチア、奥には淡いピンクのシクラメン。
雪国の街の中で、この小さな店だけが春を先取りしたように色づいていた。

「それにしても、色々なお花があるんですね…!びっくりしました!」
「あまりお花は見られませんか?」
「そう、ですね…お恥ずかしながら……花ってすぐ枯らしてしまいそうなので」

記者の言葉に、花屋の彼女は少しだけ笑って首を振る。

「確かに切花だとある程度すると枯れてしまうので、鉢で育てるものもオススメです。
 案外、物によっては水やりもこまめにいらないものもありますし……
 これも、冬はそんなに水をあげなくても大丈夫です!」

彼女が示したのは、窓辺に置かれた小さな鉢。
艶やかな深緑の葉をつけたそれは、冬の店内にしっとりとした香りを漂わせていた。

「これは…葉っぱの木、ですか…?」
「これは月桂樹です。乾燥させればローリエとしてスパイスにも使えます!
 それに、春になると小さな黄色い花も咲いて可愛いんですよ。
 花言葉は“勝利”、“栄光”、“輝ける未来”…などもあります。」

「へぇ…」
記者は指先で葉をそっと撫でた。
厚みのある葉の手触りが、意外にも温かく感じられて、彼女は小さく笑った。

「これ一つください。調味料にも出来るなら喜びそうです。」

花屋の彼女が丁寧に包んでいる間、記者は周囲を眺めた。
手際の良い動き、花に触れる時の優しい指先。
彼女の声には飾り気がなくて、どの言葉にも“誰かの幸せを願う”本心が滲んでいた。
その姿に、思わず心のどこかがざわつく。
自分の仕事では、誰かの恋も、心も、利用することが常だから。

「…なんだか、この花屋の人気の秘密がわかった気がします。」

「え?」

「こんなに一生懸命、自分のためにお花を選んでもらえれば、みんな嬉しいでしょうね」

花屋の彼女が少し照れたように笑った。
その笑顔が、雪解けみたいに柔らかくて、
記者の胸の奥に、ほんの少しだけ痛みが走った。

――“普通の子”だと思っていたのに。
どうしてだろう、こんなにも温かい人の言葉が、
冷え切った心に触れると、少しだけ息苦しい。

包まれた月桂樹の鉢を抱えながら、
彼女は店を出た。
外は相変わらず白く、静かに雪が降り続いていた。

「はーい!そしたら最後にお店の外観と写真撮りまーす!笑ってくださーい!」
「あは、あはは…」
店先でぎこちない笑顔を浮かべてる私と、盛り上げようと声かけてくれてシャッター音を響かせる彼女とのセットの光景は中々周りから見ればシュールだろう。
ウォーターセブンの島も、すっかり雪化粧に染まってきた。白い息を吐き出していると、記者さんがオッケーでーす!と元気な声で笑ってくれたので2人でそそくさと店内に戻る。扉を開けた途端暖房の暖かい風が全身を包んでくれて、無意識に寒さで力が入っていた方の力がホッと抜けた。

「いやー、噂の"恋が叶う"花屋さんに取材させていただけて光栄です!」
「あはは……でも、本当に偶然だとは思います。恋を叶えるお手伝いをお花達と一緒にさせて貰えるのは嬉しい事ですが、最終的に大切なものは想いを伝えたいって願う渡す人自身の心ですから」

「それにしても、色々なお花があるんですね…!びっくりしました!」
「あまりお花は見られませんか?」
「そう、ですね…お恥ずかしながら……花ってすぐ枯らしてしまいそうなので」

「確かに切花だとある程度すると枯れてしまうので、鉢で育てるものもオススメです。案外物によっては水やりもこまめにいらないものもありますし……これも、冬はそんなに水をあげなくても大丈夫です!」
「これは…葉っぱの木、ですか…?」
「これは月桂樹です。乾燥させればローリエとしてスパイスにも使えます!それに、春になると小さな黄色い花も咲いて可愛いんですよ。花言葉は勝利、栄光、輝ける未来…などもあります。」
「へぇ…」
「これ一つください。調味料にも出来るなら喜びそうです。」

「…なんだか、この花屋の人気の秘密がわかった気がします。」
「え?」
「こんなに一生懸命自分の為にお花を選んでもらえれば、みんな嬉しいでしょうね」

マフラーに顔を埋めながら声をかけたのは、街の情報誌の記者、若い女性だった。
花屋の女の子は手袋を外しながら笑顔で振り返る。
記者が照れたように笑うと、花屋の女の子もくすっと微笑んだ。

そう言われて、女の子は少し頬を赤らめる。
棚の奥から取り出したのは、淡い白とグリーンのブーケ。
記者はその花を見つめながら、そっとカメラを構える。
ファインダー越しに映る花屋の店内は、まるで冬の中に咲いた春のようだった。
「記事のタイトルは、“恋を咲かせる花屋”です!今日はありがとうございました!」
花屋の女の子は、少し照れたように笑った。

帰り際、記者は棚の隅に置かれた小さな植木鉢を見つけた。
光沢のある深い緑の葉が、凛とした姿で伸びている。

会計を済ませた記者は、包みを大事に抱えて店を出る。
外はもう夕暮れ、街灯に照らされた雪がゆっくりと舞い始めていた。

その後、彼女の記事はたちまち話題になり、
花屋にはまた新しいお客さんが増えたという。

けれど花屋の女の子は、噂について聞かれるたびにこう答えるのだった。
――

感じで。



夜のウォーターセブンは、昼間よりもずっと静かだ。
波の音が低く響き、運河沿いの街灯が石畳に柔らかな光を落としている。

記者の少女――いや、諜報員としての仮の名を捨てた彼女は、
ゲッケイジュの鉢を片手に、古い建物の裏口から中へ入った。重い鉄扉の奥。
部屋の中央では、黒いスーツ姿の男がソファに座って書類を整理していた。
火の灯った暖炉の光が、その鋭い横顔を淡く照らしている。
低く、冷たい声。ルッチだ。
彼女は小さく息をつき、抱えていた鉢を机の上に置いた。
深い緑の葉が揺れ、部屋にほのかにスパイスのような香りが広がる。
ルッチの声が静かに落ちる。
紙の束を閉じ、彼女を一瞥するその目には、感情らしい色はない。

「お前の“未来”は、そんなものに縋るほど柔じゃないだろう」

彼女は少しだけ笑った。
けれど、その笑みの奥には、ほんの少しの温もりが残っていた。
暖炉の火が、パチリと小さな音を立てた。
ルッチは立ち上がり、窓の外に目をやる。
運河の水面に映る光が、波紋を描いて揺れていた。
彼はそう言い残し、部屋を出ていった。

残された彼女は、机の上のゲッケイジュをそっと撫でた。
あの花屋の店主が言っていた言葉を思い出しながら。

――「恋を叶えるのは、花じゃなくて、渡す人の心ですよ」

静かな部屋に、冬の香りだけが残っていた。


「カクがあんな風に言ってたからどんなもんかと思ったけど、普通の子だったわねぇ…」

呟きながら、彼女は木製のテーブルに小さな植木鉢を置いた。
部屋の灯りは暖炉の火だけで、オレンジ色の光が壁を揺らしている。
街の喧騒はここまでは届かず、外から聞こえるのは時折、運河を渡る風の音だけ。

扉が静かに軋んだ。

「あ、ルッチ。おかえりなさい」

入ってきた彼の黒いコートの肩には、夜気の名残が冷たく光っていた。
まっすぐな視線が、机の上の鉢へと落ちる。

「…勝手におれの部屋に入るなと言ったはずだが?」

「家に行くって事前に言っても拒否するじゃない。それなら先に入るしかないの」

彼女は悪びれもせず笑う。
その無邪気さをルッチは見慣れているはずなのに、溜息が一つこぼれた。

「変なモンを持ち込むな」

「今日の戦利品よ。…アイスバーグさんが通ってるらしいから何か情報がないかと思ったけど、大ハズレだったわ。
 ただの市民の普通の女の子って感じ。」

火の粉が弾け、薄い灰が宙に舞う。
ルッチは手袋を外し、コートを椅子の背に掛けた。

「それでそれをわざわざ買ってきたのか?」

「これ乾燥させればローリエになるらしいわよ?
 …あと、この植物に花言葉があるんですって。確か勝利、栄光…あとなんだっけ?…あぁ、輝ける未来だったわ」

彼女は指先で葉を撫でる。
瑞々しい緑が、暖炉の光を反射して艶やかに揺れた。
ルッチの目が一瞬、そこに留まる。

「春になったら花が咲くらしいの。
 それで調べてみたんだけど、葉っぱと花で花言葉が変わるそうよ。
 葉っぱが、“私は死ぬまで変わりません。”」

彼女の声が少し落ちる。
ルッチは静かに聞きながら、火に目を向けたまま問う。

「花には?」

「“裏切り”だそうよ。」

「皮肉なもんだな」

「本当、調べた時にビックリしちゃった」

部屋に短い沈黙が落ちる。
火の揺らぎが彼女の頬を照らし、その瞳の奥にわずかな影が映る。

「調味料にするならせめてブルーノのとこに持って行け。
 お前、どうせ水やらないで放っておくだろう」

「んー、でもこれを機に植物を育ててみようかなと思って。」

彼女は笑いながら、鉢を抱え直した。
葉の擦れる音が、やけに小さく響く。

ふと、昼間の花屋の店主の声が耳に蘇る。
――『最終的に大切なものは、想いを伝えたいって願う渡す人自身の心ですから』

暖炉の火がまた小さく弾ける。
彼女はその言葉を胸の奥で転がすように呟いた。

「…私には、どんな心があるのかしらね」

その呟きは、炎の音に溶けていった。
けれどルッチの耳には、確かに届いていた。
ただ彼は何も言わず、暖炉の前で黙って背を向けたままだった。

ゲッケイジュの香りが、冬の夜に静かに広がっていった。




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