カク



『風にほどけるコスモス』

溶けちゃいそうな暑い日々が急に終わりを告げて、最近では寝相が悪く布団を蹴ってしまっていると朝寒くて震える事が増えた。窓を開けていれば空調いらずで、店内でぼーっとしているといつの間にか時計の針が3時を越していたのでゆっくりと丸椅子から立ち上がった。夏から秋に切り替わると陽が落ち始めるのも早くて、今までよりも早めに少しずつでいいから店外に飾っているお花達を移動させないとあっという間に真っ暗になってしまう。
よいしょ、と掛け声を漏らしながら鉢植えを抱えていると、通りの向こうから子供達の笑い声が聞こえてくる。この時間はスクールからの帰宅時間みたいで、毎日花屋の前を沢山の子供達が駆け抜け、時々店前の花を見て喜んで声をかけてくれる。今日も元気だなーと此方まで嬉しくなっていると、ドシャッと何か大きな音が聞こえた。
「キャッ!!」
遅れて幼い声が聞こえて、振り返ると店の少し先の石畳で小さな女の子が転んでいた。少女は両手で上手く受け身が取れなかったのか、ベシャリと体を全て投げ出して倒れていて地面に伏していた顔を上げると最初は驚いたように放心していた顔がみるみるとくしゃ…っと真ん中に寄って行く。
「ふ…っぐ…」
「大丈夫?」
「大丈夫か?」
まあるい目に涙が溜まり始めて、泣く!と察知して慌てて植木鉢を地面に置き駆け出そうとしたその瞬間、私の横を同じ言葉を吐きながら誰かが通り過ぎていった。
「うぅぅ〜…!」
「こりゃ盛大に転けたのう」
穏やかな低い声が秋の風に乗って耳に届く。白い帽子の下で苦笑いをしているのは、ガレーラカンパニーのカクさんだった。彼は膝を折って少女と目線を合わせると、そのまま小さな手を取ってどうにか体制を起こしてあげている。確かに少女のスカートから覗く膝小僧は擦りむきじんわりと血が滲んでいて、見ているこっちも痛さを連想して泣きたくなってしまった。
「私、救急箱持ってきます!」
慌てて店内に戻って、奥の戸棚の上に背伸びして木箱と、あとお花達に使う水の入ったボトルを持って二人の元へ戻った。花屋をしていると棘や木の枝で小さな怪我をする事が多いから救急箱の中身は充実している方だと思う。自分も少女の元へ座り込んで、まず小さな砂などの汚れを取るために傷口にボトルの水をかけると小さな膝がびくりと震えた。
「ッ…!!」
「えらいえらい。ほら、もう少しで終わるぞー」
涙で溺れそうな幼い瞳は仕舞いきれずにボタボタと涙を溢していて、良かれと思ってしていても可哀想になってくる。でもカクさんが落ち着いたトーンで彼女に語りかけてくれるお陰で、なんだか空気が和らいでくれている気がする。内心ごめんねと言いながら消毒液もかけると、流石に染みたのかぎゅっと目をキツく瞑ってしまった。
「わ、わたし……お姉ちゃんになったから、泣かないの…!」
「ほう!弟か妹が生まれたのか?」
「ん…弟…」
少女も自分なりに頑張っているのか、震える声でそういうとカクさんはちょっとオーバーリアクションしながら返事を返す。もう泣いているじゃないか、そんな野暮なことを言わないからカクさんって優しい人だんだと思う。綺麗なガーゼで傷口を拭くと、血はもうじんわりと滲んでこなかった。生憎可愛いデザインのものは持っていなかったので、シンプルな絆創膏を貼ると血が滲んでいた膝はすっかりいなくなっていた。
「ほら、おしまいじゃ!よく頑張ったな!よく頑張った子にはー…」
私が治療を完了させたタイミングを確認して、カクさんは顔を上げると同時に両手を合わせて少女の方へ向ける。きょとんとしていた少女の前に、次の瞬間にはポンッと効果音がつきそうなくらいいきなりピンクの花弁が現れた。
「わぁ!!」
「わ!」
「これは頑張ったプレゼントじゃ。これからは怪我しないように走るなよ」
私と少女、同じような言葉を漏らして驚くと、カクさんはニッと笑ってその花、ピンク色のコスモスを少女に手渡した。いつの間にか少女の涙は止まっていて、おずおずと花を受け取った少女の頬はコスモスみたいにピンク色に色付いていく。おや、おやおやおや…!つい一人ニンマリと頬が緩んでいると、カクさんは少女の頭に手を置いて軽く撫でた後に手を取り立ち上がらせてあげるまでしていてもう完璧だった。
「ありがとう、カクさん!お姉ちゃん!」
すっかり笑顔になった少女は、大切そうにコスモスを握りしめて大腕振って立ち去っていった。いやはや、良いものを見せてもらった……そう思いながら小さくなっていく背中を見つめていると、カクさんが振り返ってきたので油断していた分ちょっと驚いてしまった。
「また走っとるわい……すまんかった、さっきの花は何ベリーじゃ?」
カクさんからそう言われて、もしかしたらそうかも…?と思っていた事が確信に変わった。カクさんの手品はどうやったのか近くで見ていてもタネはわからなかったが、あの時現れたコスモスは店先に飾ってあるうちの店の花と同じだった。でもすぐ隣に飾ってある訳でもないし、どうやって?もしかして元々仕込んでいたのかな?と思っていたが、やっぱり前者で正解らしい。
「いやいや、大丈夫です!」
「そういう訳にはいかん。花で生計を切り盛りしとるんじゃろ?それなのに厚意でまけてたらキリがないぞ」
「う……ありがとうございます…」
でもそうだとしてもあの時にあんな風に渡すのは私には出来なかっただろうし、泣いていた少女を笑顔にする事は出来なかったと思う。だからお花にとっても少女にとってもプレゼントしたかったが、いつもニコニコしているカクさんが真面目な顔してそう言ってくださるので小さく頭を下げた。
「…なんか、ガレーラカンパニーの男性ってみんなそんなにスマートでかっこいいんですか?」
「なんじゃいきなり……どちらかといえば男臭くて花なんて食えないから興味ない輩も多いと思うぞ」
レジを打ちながらつい問いかけると、カクさんはうーんと考える素振りを見せてから答える。
「もしかして、ガレーラによく飾ってる花はココの花か?」
「アイスバーグさんがよく買ってくださるので、多分そうだも思います」
「なるほど!いつも世話になっとるのう!」

帽子のつばを軽く上げて笑う。
「またいつかプライベートでも買いに来る時はよろしく頼む!」

軽口を叩きながら店に入ってきたカクは、いつもの真っ直ぐな背筋のまま、花々を眺めた。

「はい。風に揺れる姿がきれいで、優しい花なんですよ。」

彼の視線の先で、コスモスの花びらが夕方の光を透かして揺れている。
茎を一本手に取り、白い紙でくるりと包む。
その間、カクは静かに待っていた。
不思議と沈黙が心地いい。まるで店内に流れる時間そのものが、風に溶けていくようだった。

「はい、どうぞ。」

包みを差し出すと、カクは両手でそれを受け取った。
真面目な声に、思わず胸の奥が少し温かくなる。
彼の指先が花束を包む紙をそっと撫でた。
その言葉が静かに心に残った。
カクさんが店を出ていくと、ドアベルがカラン、とひとつ鳴った。
窓の外では、さっきの女の子がもう笑顔で手を振っている。
風がそっと吹いて、店先のコスモスが小さく揺れた。
呟きながら見上げた空は、夕焼けに染まっていた。
オレンジと藍の境目を、ひとひらの花びらが風に乗って舞っていく。
それはまるで、誰かの優しさが街を包んでいくようだった。




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