8話 ハレンチメーターはキャパオーバーです




相変わらずシーツに散らばる黒髪。潤んだ瞳と真っ赤に染まった頬。いつもの夢よりもリップの色は控えめだが、元からの血色の色味だけでも十分に美味そうだった。

「は…ふ…っ」

唇が離れる瞬間に漏れる彼女の吐息は、それだけでゾワゾワと腰にくる。彼女の体が自分によって熱で昂っていくのを唇や吐息から感じ取れて堪らない。柔らかい唇に歯止めが効かなくて、何度も何度も貪り口付けを繰り返す。このまま体の隅々までキスして、舐めて、食べちまいたい。震える手で俺の服を掴む小さな体を、他の野郎に取られる前に閉じ込めてしまいたい。今まで夢の中でもブレーキをかけていた感情は、恋心を認めて終えば止めどなく溢れてくる。

「ほんと、ぱうりー……やだ、ぁ……!」

そんな俺の薄汚ェ気持ちを悟られたかのような、初めて聞いた拒絶の言葉。現実では喧嘩ばかりしちまうけど、夢の中ではなんでも受け止めて手を差し伸べてくれたアイツの泣きそうな声に、ハンマーで頭を殴られたくらい衝撃が走った。


「……あー……くそ…」

最近夢を見る事にも多少慣れてきてベットから落ちなくはなってきたが、今回はあまりのショックで起きてからの衝撃がデカい。相変わらずリアルすぎる夢のせいで、触れた唇の感触がまだ口元に残ってる。あー……いつもみたいにちょっとエロく誘ってくるのもいいが、今日みたいに真っ赤になってウブな反応もいいな…。拒絶されたのは少しショックだったが、確かに普段の彼女は褒められたりして素直に照れくさそうに笑う時もあれば、気恥ずかしさを誤魔化すために素っ気ないふりをする事が多いから解析度的には高いのかもしれない。それに最近喧嘩ばっかしてっしな……照れて怒っている彼女を組み敷き進めるのも中々クるかもしれねェ…。新しい扉を見つけてしまいそうで、慌てて鈍く痛む頭を左右に振る。夢を思い返すと先程まで反省した気持ちがすぐに薄まるのは男の性なので多めに見て欲しいものだ。

「それにしても飲み過ぎたな……頭痛ェ…」

夢の頭痛は現実から影響していたのか、頭の奥が地味に痛くて重い。まだ息を吐き出とじんわりと酒の匂いが残っている気がする。のそりと身体を起こすと、サイドテーブルの下に律儀にブーツが脱いで揃えられていた。帰ってきたのも良く覚えてねェけど、どうやから靴だけ脱いでシャワーも浴びずに寝たらしい。酔いを覚ますためにも軽くシャワー浴びてから仕事に行きたいが、今何時だ…?時間を確認するために時計の方へ顔を向けると、布団がもぞりと動いた。

「………………は?」

ベッドの上には、何故か黒にロープが散らばっている。なんだ?俺黒のロープなんか持ってなかったよな?酔っ払って買ったか拾ってきちまったのか?

……?………いや、これロープじゃねェ!髪だ!!

「どぅわァアア!?!」

急いで後退るとそのままベットから頭から滑り落ちた。床に打ちつけた事にまた別の意味で余計に頭が痛くなるが、今はそれどころじゃない。

「なっな…ッ!なんでお前が俺の布団の中にいるんだ?!」
「んー……ぁ、パウリー…おはよう…」

ベットシーツに乱れる黒髪は散々夢で見慣れたものだが、現実では別問題だ。髪の先にはそれが生える頭があって、その頭は彼女の顔で目を閉じて規則正しいリズムで呼吸をして寝ている。もう一度言うが、俺のベットに、だ!
朝っぱらから近所迷惑レベルの俺の大声に、長い睫毛がブルリと震えてゆっくりと瞼が上がる。睫毛長ェな…って今はそれどころじゃねェ!彼女はのそのそと起き上がると、まだ微睡んでいる瞳を擦りながら小さく欠伸を漏らして俺の名前を呼んだ。…寝起き姿、無防備で何だか可愛らし……イヤイヤだからそれどころじゃねェ!!

「お前、なんで俺ん家にいんだよ!!し、しかも同じベッドで寝て……ッ嫁入り前の女がハレンチだろうが!」

一先ず床から立ち上がりそう怒鳴った途端、ハッとする。ま…まさか俺は何かやらかしちまったのか…?!酔っ払い過ぎて感情が暴走して一夜の過ちを犯したのかと一瞬冷や汗が背中に流れるが、俺もコイツも昨日と同じ格好で服も乱れた様子もなく、勝手に1人で焦って1人で安堵してしまった。

「……なによ、大体ねぇ…!」

寝起き早々で怒鳴られたのが癪なのか、彼女は眉間に皺を寄せムッと尖らせた唇を開いて何かを言いかけるが、すぐにハッとして辺りを見渡し始めた。

「……ちょっと待って!今何時!?」
「あ?今は……ゲ!昨日酔っ払って寝たから目覚まし鳴ってねェ!遅刻するぞ!!」

またいつものように夢のせいでアラームよりも早く起きたんだろうと余裕ぶっこいて時計に目を向ければ、とっくに普段起きる時間を過ぎている。しかし今からロープで飛んで向かえばギリ始業時間に間に合うレベルだ。汗で気持ち悪いが残念ながらシャワーを浴びる時間もなさそうだな…。まだイケると時間を逆算して安心していたが、それを知らない彼女は時間を確認したあとに顔が一気に引きつらせる。転がり落ちるようにベットから降りると、いきなり来ていたタンクトップの裾に手をかけた。

「……どぅわ!?ハァ?!お前何やってんだよ!?」
「本当は家に帰って一回着替えてから仕事行くつもりだったけど、諦める!パウリー、服貸して!!」
「はあああ!?無理に決まってんだろ!!ちょ、待て、此処で脱ぐな!」
「しょうがないでしょ!遅刻しちゃうんだから!サイズはベルトでキツく閉めればズボンはどうにかなるし、シャツも捲ればどうにかなるって!ほら、早く!ガレーラ創立記念のヤツなら初期メンバーはみんな持ってるし、別にパウリーの服ってバレないよ!!」
「ちょ、マジでヤメロ!!ハレンチ女め!!」

イヤな予感がしてバッと顔を両手で覆うと、パサリと布が床に落ちる音がする。
まさかしなくてもコイツ、着てたタンクトップ目の前で脱ぎやがった…ッ!!
おれが悲痛の叫びをあげ止めるも無視して、無慈悲にもチャックを下げる音も聞こえ始めて慌てて背を向ける。そのままスカートも脱いだのか、また布の擦れる音が聞こえてきて顔はもう湯立ったタコみたいに熱ィ。信じられねェ、遅刻するからって、男の家で服脱いで、し…下着姿に普通なるか…!?
先程までの寝起き特有のしっとりとした雰囲気や焦燥感が何処かへいってしまい、朝からなんなんだこれは!?と頭が追いつかない。
兎に角、今背後で起きているハレンチな状況だけはどうにかしなければ。一切視線を向けないように必死にカニの如く横歩きで移動して、ぐちゃぐちゃに服を詰め込んでいるタンスから適当に極力小さい服、そして出来るだけ洗濯したてで臭くなさそうな服たちを何着か引っ張り出して次々と背後へ投げて寄越した。



「相変わらずすごいね〜。これあるとヤガラブルいらずじゃん」

そんな呑気な事を言いながら、彼女はおれの胸元に収まっている。
兎に角闇雲に投げた服たちでまぁどうにかこの位のサイズ感なら仕事に支障はないだろうというコーディネートが見つければ、漸く服を着てもらえた。これでやっとおれも両手を顔から離すことが出来て着替えが出来る。っていっても、俺は中のシャツだけ適当にその辺にあるやつに着替えて、ゴーグルとロープを持てば完了だ。
足場に丁度いい窓枠までジャンプして飛び乗ると、またロープを次の場所に投げて飛び降りる。朝余計なドタバタがあったが、このペースならどうにかギリギリ遅刻は免れそうだ。最短かつ一応安全な高さの道を選んで、ドックへと急いだ。

「ぅ、ぉお……っ」

ちらりと腕の中を見ると、俺の服に身を包み流れる景色を見て楽しそうに笑う彼女の姿がある。コイツが最初に言った通り、変にドックの奴らにバレない様に社員全員に配られた創立記念日のシャツを貸してやった。が、ただでさえ彼女にとってはおれの服はサイズオーバーだし、この服はおれもお気に入りなヤツなので結構着潰していて洗濯のし過ぎて襟元が少々伸びて頼りない。風を切るたびに揺れ中のものが見えてしまうんではないかと、気が気ではなかった。
…そういえば、さっきコイツがタンクトップを脱いでいる時にチラリと黒地の下着が見えた。べ、別にワザと見たワケじゃなくて、ギリギリ顔を手で覆う前にチラッと下乳辺りの布地が見えてだなァ…!誰に言い訳するわけでもなく内心グダグダ考えていると、ロープを伸ばすのが一瞬遅れて体がぐらついたので慌てて小さな体を抱え直した。
微かな揺れが少しだけ怖かったのか、彼女はおれの首筋に手を回しぎゅっと小さく抱きついてきた。そのせいで先程よりもピッタリとくっついて、む、胸がちょっとだけ当たっている。そのせいで黒の下着に覆われている隙間からほんの少し漏れた下乳がフラッシュバックする。大体コイツ、白いタンクトップに黒の下着着けてたのか?そんなん雨降って濡れたり汗かいたらしたら簡単に透けそうだし、ギャップがハレンチ過ぎねェか…?!

悶々としながら落とさない様にと抱える腕に力を入れ直すと、柔らかい太腿と…ケツの感触と体温もじんわりと伝わってくる。服越しにこれなら、直接だったらもっと……なんて煩悩が過ぎると、背を向けていたから見ていないのに白い肌に上下黒の下着を身につけた彼女がおれの部屋に立つ姿をつい想像しちまう。いや、おれの想像力再現度高過ぎる。クソ、拷問だ。これはハレンチな夢ばかり見る俺への拷問なのかもしれない。今まで同僚として、別にこれくらいの距離何ともなかったのに。恋ってのはつくづく厄介だ。

「ねぇ、これって体重何キロまでいける?タイルストンさんは流石に無理かな?」
「う、うるせェ!喋ってねェで口閉じてろ、風で乾くぞ!!」
「ちぇっ。はぁーい。」

いきなり此方を見上げてきた彼女は純粋無垢な笑顔で、朝日が差し込んでガラス玉みたいな瞳がキラキラと眩しい。それに対してドロドロ汚い下心を見透かされないように、顔を引きつらせながらもつい怒鳴っちまった。やっちまったと思ったが、彼女はそれに対して特に悲しむでも怒るでもなく、つまらなそうに唇尖らせながらぎゅっとおれに捕まる手の力を強めた。体全部から伝わるぬくもり、微かに風で香ってくる甘い香り。くそ、マジで、夢だけじゃ飽き足らず、現実でも心臓が死ぬ。なんか変な汗出てきた。
どうにか理性を保ちながら、もう安全さより早く到着して解放されるのを優先して一気に高い建物から飛び降りると、流石にコイツも小さく悲鳴を上げていた。


◇◆◇


俺の遅刻回避自己ベスト更新したんじゃねェかってくらい、始業ギリギリでどうにかドックに滑り込んだ。

「お、2人一緒だったんだな」
「あ、あぁ!たまたまそこで会ってな!」

丁度入ったすぐにルルがいて声かけられ、絶対に不自然なくらいしどろもどろに答えちまった。まぁルルは察しが悪い方だからどうにか誤魔化せただろう。

始業の鐘が鳴り、それぞれ持ち場に移動して作業に取りかかる。そこでやっと安堵と共にようやく一息ついた。今日は、朝っぱらからマジで疲れた。二日酔いなんて吹っ飛ぶほどの衝撃でげっそりしながら、ふと朝の出来事が頭をよぎりそうになり全力で首を振る。

「…くそ、今日も暑ィな…」

ウォーターセブンも本格的に夏場に入り、気温もだいぶ上がってきて蒸発するためか潮の匂いを特に強く感じる。昨日の酒のせいか、それとも朝からの出来事のせいか喉が乾いて仕方ないので一気にボトル一本飲み干した。
…そういえば、昨日の記憶が曖昧だが、マジでなんでアイツは俺のベットにいたんだ?帰宅した記憶も、寝落ちした記憶も一切ない。恐らくアイツが家まで連れて帰ってきてくれたんだろう。昔酔っ払って家まで運んでもらった時におれの胸ポケットに家の鍵が入ってるのを教えたから、本当にどうしようもないくらい泥酔してる時は家の中まで送り届けてくれたことが2、3回ある。もしかして、アイツも相当飲んでたし疲れて寝たのか…?どうしても思い出せないので記憶のピースがはまらず、全て予想で首を捻って結果わからず諦めて工具箱を開ける。まぁ、落ち着いたらまた今度飲みながら聞けばいいか。

「ほほーう。昨日はお楽しみだったようじゃのうー?」

考える事を放棄して仕事に戻ろうとすると、カクの声が聞こえてついそちらへ目を向ける。木材を抱えたカクは予想通り彼女の隣にはいて、新しいおもちゃを見つけた子供の様にニヤニヤと笑っていた。

「良い男はおったか?」
「あ、え?うーん……なんか微妙だったよ。私、暫く出会いはいいかなー」

カクの問いかけに頬をかいて苦笑いを浮かべる彼女に、聞き耳を立てながら心底ホッとする。アイツは頑固なところもあるから、一晩明けて微妙だから次行ってみよう!と変に乗り気になりそうなだなと飲みながら心配していたが、それはなさそうで安心した。
…そうか、暫く出会いはいいか。その一言だけで安堵して心が躍る。一人で口元が緩みそうになったのに気付いて、慌ててわざとらしく咳き込んで誤魔化した。

「そしたら、それはどうしたんじゃ?」
「ん?何が?」

おれがそうしている間にもあちらでは話が進んでいるようで、カクはそんな彼女の反応が予想外だったのか、いつも丸い目を尚更きょとんとさせて首を傾げている。そんなカクの真似をする様に、彼女も同じ方向に首を曲げた。それってなんだ?と俺も謎に思っていると、カクの手が彼女の首元に伸びて行った。トンッと長い指が彼女の鎖骨に触れる。

「その首のそれ。キスマークじゃろ?昨日は出会った男とワンナイトでもしたのかと思ったわい」

――ゴトンッ!
思わず持っていたハンマーをその場に落としちまって、鈍い音がドックに響く。

ちょっと待て、キスマークだァ…!?
なんだそりゃ、昨日も今日もツラ合わせて見てるが、そんなもん知らねェぞ!?昨日飲んでる時だって、タンクトップから見える首筋はおれ達みたいに陽に焼け焦げてなくて、白くて綺麗で…
そんな事を悶々と考えながら呆然としていると、彼女がワナワナと肩を振るわせ始める。すると何故かゆっくりとこちらを振り返ってきた顔は、真っ赤に染りきっていた。
おれの襟元ダルダルシャツから出ている首元を隠す様に抑えて、きゅっと眉間に皺を寄せて、羞恥からかほんのり涙が浮かぶ瞳は確実におれの方を睨んで――
その顔を見ていると、走馬灯みたいに凄まじい速さで今朝の夢の情景が脳裏にフラッシュバックのように流れ込んでくる。
潤んだ瞳、真っ赤な顔、熱を持った唇と酒の匂い。彼女から漏れる普段より高い声と熱っぽい吐息、そして首筋を舐めた時の少し汗のしょっぱさ。

……まさか、あれ、夢じゃ……なかったのか……?!

「……ッ……!!!」

脳内で爆音のサイレンが鳴り響いた。
あれは夢じゃない。全て現実だ。好き勝手に貪ったあのキスも、独占欲丸出しのあのキスマークも、おれが全部彼女にした事だ。
もうハレンチメーターはキャパオーバーでぶっ壊れて、頭から爪先まで全部が熱い。耐えきれずに言葉になっていない大声を上げてこの場からおれが走り去るまで、そう時間はかからなかった。



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