7話 呼吸ごと飲み込んで
「もう…!パウリー 、ちゃんと歩いてよ…!」
「んー……まだ飲めるぞ…」
「いやもう、浴びるほど飲んだでしょ。飲めるならちゃんと歩きなさいよ…!」
夜風の吹き抜ける帰り道。結局あの後3時間はゆうに超えて飲み続けた。流石に私も昼間から飲んでいるので頭と足元が少しポヤポヤする。それなのに、灯りの落ちた石畳の路地を私はよろけるパウリーの肩を抱いて歩いていた。ブルーノさんに聞けばパウリーも昼間から酒場に入り浸り酒を浴びるように飲んでいたようで、私と飲んだのが致命傷だったのかいつものように片腕は私の首に回し、もう片方はぶらぶらと力無く揺れていた。
「ほら、もうちょっと頑張って。あと少しで家着くから…」
いつも彼が酒を飲みすぎた時の恒例の送迎。いつの日かとデジャブのような光景だが、今日は体重を預けてくるから本当に重たい。それに、私もいつもの底の厚いブーツではなくローヒールだからどうにも一歩を踏み出しずらい。多分だけど、彼を担いでいる方の左足は確実に靴擦れしている気がする。その痛みでどうにか酔いが誤魔化されてるくらいなレベルだ。
本来なら、こういうのって男性が酔ってる女の子をおんぶしたりお姫様抱っこしたりして介抱するんじゃないの?なんで髭面の大男を私が引き摺って帰らなきゃいけないんだ。なんだか非常に癪で、絶対明日昼飯奢らせてやると決意しながら脱力したパウリーの腰元を抱き寄せ直した。
この間告白し玉砕したスポットを超え、暫くすると見慣れた建物が見えてくる。築年数はある程度経っているが、帰って寝るだけだから部屋の綺麗さとか別に気にならないし、何なら上を飛べばドックに行きやすいんだといつの日かパウリーが笑って言っていた。隣の部屋には来客がいるようで、複数人の楽しそうな笑い声が外にも漏れている。
どうにか玄関の前まで辿り着くと、もう一息だと気合いを入れてゆっくりと彼の体を支えたまま膝を折っていく。
「よい、しょっと…。あー…疲れた…。パウリー 、ちょっと失礼するよーっと……あ、あった。」
壁にパウリーの背中をもたれさせるようにして、そのままずるずると2人で廊下に座り込む。やっと体が軽くなって不満と一緒に息を吐いてから、一応断りを入れてから彼のジャケットの内ポケットに手を入れた。お目当てのものを探す為に指を這わせると、一瞬彼の体に触れてしまいパウリーの肩がぴくりと小さく跳ねる。
「…なに、してんだ……?」
「鍵とったの。ほら、空いたよ、ありがとね。」
ゆっくりこちらを見上げてくるパウリーの瞳は、虚ろで潤んでおり少し充血している。鍵を入れてるポケットを教えてもらってからこうやって鍵を拝借するのは時折ある事なのに、今更聞いてくる辺りこりゃ最近の中で一番酔ってるなと苦笑してしまう。慣れた手つきで鍵を鍵穴に差し込み、ドアを開けてからすぐに彼の内ポケットに鍵を戻す。玄関とかに置けば、きっとパウリーは明日の朝に『鍵がねェ!』とか騒ぎ立てそうだし。
「ほら、パウリー立てる?」
「…おぅ。」
鍵を開ければ後は最後の試練で、ドアの隣に座り込んでいるパウリーに手を伸ばす。座らせることは簡単に出来たけど、こうも脱力してある成人男性を座って抱え立ち上がる程は流石にそこまで力に自信がない。此処まできたんだからあとは頑張ってほしいと願いを込めていると、座ってどこかを見ていたパウリーは小さく頷いて私の手を取った。
「よいしょ、ッわ!」
彼の手を引きて起こそうとすると、それよりもパウリーが引く力が強くて踏み込んでいた足元がグラリと揺れる。ローヒールだったし、左足が地味に痛くてつい体幹が乱れてしまった。ヤバい、と思って目をギュッと瞑ると、ぐんっと体を引かれる。そのまま熱いもので体が目一杯包まれて、ゆっくりと瞼を上げるとそこには見慣れたオレンジが広がっていた。
「パ、パウリー…!?」
私は、座っているパウリーに抱き止められていた。彼の膝と膝の間にスッポリとはまり抱き止められているから、ちょうど目の前にはパウリーの見慣れたトップスと彼の立派な喉仏が視界一杯に広がる。ただ倒れた私を支えてくれただけかと思いきや、彼の腕はしっかりと私の体に回って抱き締めて離さない。
え、え…!?どういう事…?!
いきなりの事に無意識に息を止めしまっていると、またより一層抱き締められて私の頬がピッタリと彼の胸板に押し付けられる。そしてパウリーは私の頭に顎を乗せるので、もう2人の体の間にはほぼ距離がない。自分の心臓がバクバクと煩い。頬から伝わってくる熱が自分のものなのか彼のものなのか、触れ合っている場所から熱が溶け合っているようでよくわからない。頭の中が正しく大パニックになっていると、見えないが頭上でパウリーが小さく身動ぎした気配がする。そして、スゥーっと長く息を吸う音とつむじ辺りが涼しくてギョッとした。
「あー……たまんねェ…」
「は、はぁ!?ちょ、やめてよ!!」
「ア?なんでだよ。…香水の匂いか?それともシャンプー?」
「汗の臭いだよ!!こんなクソ暑いし散々酒飲んでアンタ運ばされたんだから!ほら!さっさと起きて!!」
あ、頭の臭いを嗅がれた…!風呂上がりならまだしも、一日中外出をして酒場で酒を飲んで、パウリー運送という重労働をしたんだから、絶対汗とアルコールと、あとコイツの葉巻きの匂いが染み込んでて最悪でしかないのに…!
恋愛ドラマのような展開にドキドキしていた気持ちが一気に引っ込んで、全力で胸板を押して怒鳴れば当の本人はきょとんと私を見下ろしている。うぅ……なんかつぶらな瞳が捨てられたわんちゃんみたいで、何だか私が悪者みたいな気持ちになってくる…。色んな気持ちがせめぎ合いになるが、こんな時間に、しかも家の前でパウリーと抱き合っているのを誰かに見られたりしたら流石にまずい。《ガレーラカンパニー ハレンチ隊長こと、1番ドック職長パウリーついに熱愛か!?》だなんて、一面を大きく飾ってしまうに違いない。ガレーラの為にも彼の為にも、気を取り直して立ち上がりもう一度手を差し出す。今度はパウリーは自ら体を起こして、でも何故か私の手も取ってゆっくりと立ち上がる。とりあえずスキャンダルは免そうで安心しながら鍵の空いたドアノブを回した。
「ほら、着いたよ。」
「おう。」
もう一度パウリーの肩を抱いて、部屋に一緒に入ると葉巻と潮風が混じったような匂いがふわりと香った。私の汗かいた頭皮の匂いなんかより、こっちの方が良い匂いだし、なんだか落ち着く。床には相変わらずシャツや靴下などが脱ぎ散らかされているくせに、ロープや工具などはきちんと同じ場所に置いて片付けているのがパウリーらしくて面白い。
衣服を踏まないように避けながら部屋の奥のベッドを目指す。ようやくゴールに辿り着き、パウリーの体を半分放り投げるようにベットに下ろした。
「ぐぇ…っ」
「ほら、足上げて。ブーツ脱ぐよー」
無抵抗なパウリーはベットに投げられカエルが潰れたみたいな声を漏らす。ベットの上でピクリと動かなくなるのでもう少し優しく下ろしてやるべきだったかと心配になるけど、まぁただの酔っ払いだしなとすぐにそんな思考は消えていった。多分、いや絶対このまま寝てしまうだろう•。……最後のお節介で、やれやれと肩をすくめてからパウリーのブーツに手をかける。引っ張るように手前の足を脱がして、ベッドサイドに一応並べて置いてやる。もう片足は壁際に力無く放られているから、仕方なくベッドに片足膝をついて手を伸ばす。体制的に絶妙にキツくて、よっほっと短く掛け声を1人漏らしながら奮闘して漸く脱がすことに成功した。
「パウリー、ゴーグルも外そう?」
「ん……」
うつ伏せになって動かなかったパウリーに声をかけると、どうやらまだ起きてはいるらしくて短く返事をしてもぞもぞと寝返りを打って仰向けになった。ぼんやりと天井を見上げていた視線は、ゆっくりと私に移動してくる。……優しさのつもりで色々やってあげていたけど、私が何気なくベットに乗り上げているせいで気付けば距離が近い。さっきの出来事を思い出して、じんわりと体の芯が熱くなる。緊張と手の震えがバレないように、息を止めながらゴーグルに手を伸ばす。ゴーグルの縁を掴んでゆっくりと持ち上げると、後頭部のベルトの部分が髪を滑り思ったよりも簡単に外れてくれて息をゆっくり吐き出した。はらりと額に落ちる金髪に気付かないふりをして、とりあえず、ミッション完了だ。
「じゃ、私は帰るね。風邪ひかないようにちゃんと布団きて……」
あとは、夜中にきっと喉が渇いて起きるだろうから、サイドテーブルの上に水をコップ一杯置いてやろう。そう思って体を起こしベットから足を下ろそうとした、まさにそのときだった。
「……っわ!?」
手首を掴まれて、じんわりとその熱を感じ取る前に視界が反転する。背中に広がる衝撃、ぐっと強くなる葉巻の匂い。反射的に瞑っていた目を恐る恐る開くと、天井の板とライトの灯りに照らされて光るパウリーの金髪。彼の瞳が、ぼんやりと、けれど真っ直ぐに私を見下ろしていた。
「パ、パウリー……?」
「…わかったから、焦んな…」
わかったって、なんのこと。そう言う前に、パウリーの顔が近付いた。普段ゴーグルでまとめられた髪の毛先が私の目元を撫でて擽ったい。いきなりの事で思考が追いつかないでいると、鼻先にパウリーの息がかかった。
「んむっ……!?」
やっと脳が追いついてきて、驚いて目を見開く。キスだ。私、今パウリーに、キスされている。重なる唇は思ったよりも柔らかくて、私の唇とピッタリとくっついている。普段リップクリームと無縁そうな彼の唇は、もう少し硬いそうだと思っていたのに。
冷静に頭の片隅でそう思う反面、やっぱりどういう事なのかわからなくて動けずにいると、私の耳元に手をつくパウリーの腕が少し動いてシーツの布が擦れるが微かに届く。
「ぱう……、ッ」
唇が離れるとほんの少しだけパウリーと距離が生まれる。そうはいっても、鼻先がギリギリ触れないくらいの距離で、私の飛びでそうな心臓の音が簡単に聞かれてしまいそうだった。至近距離でパチリと目が合って、パウリーの名前を呼ぼうとしたがそれは最後まで音にならずに彼の口の中に消えていく。さっきまで千鳥足でへろへろな酔っ払いだったくせに、パウリーは何度も触れる程度のキスを落としていく。まるで小鳥が啄むように、可愛らしくリップ音を漏らしながら何度も、何度も触れて、徐々に強張っていた体の力が抜けていった。それを知ってか知らずか、少しカサついた唇が薄く開いて私の下唇を甘噛みする。
「ん……っ」
これは合図だ。そう理解して小さく口を開ければ、唇全部食べられちゃうんじゃないかってくらいパウリーに飲み込まれる。舌を絡めたディープキスとはまた違う、吐き出す呼吸も唇も、全部飲み込まれちゃうようなキス。少し離れて、またくっついてを繰り返し、湿っぽいリップ音が漏れるたびにジクジクと体の芯が熱くなってくる。少し苦しくなってきて行き場のない手でパウリーのシャツをギュッと掴むと、チュッとリップ音をたてながら漸く唇が解放された。
「は…ふ…っ」
息切れしながら酸欠に近い脳みそに必死に酸素を送っていると、上半身を起こしたパウリーがゆっくりとした手付きで私の頭を撫でる。頭頂部から耳周りまで頭の丸みを確認するように撫で、ベットに散っている髪の毛を掬って指に絡める。あぁ、一応伸びてからケアに気を使い始めたけど、ダメージ大丈夫かな?パウリーには、ちょっとでもよく思ってほしいな。ぼんやりとそんな事考えながら見上げると、あんなにキスしたのにパウリーの唇はあんま私のリップの色は移ったりしていなかった。それもそうか、あんなに飲み食いしていたら流石に私の唇はもうあまり色を残してないだろう。色んな事をぼけーっと考えていると、髪で遊ぶのに飽きたのか大きな手は代わりに私の頬を撫でる。
「……お前って、本当に……キス好きだよなァ……」
「――え……?」
とろりと蕩けそうな目をしたパウリーは、頬から顎先、そして口端を撫でながら、熱い吐息と一緒にそうやって呟く。ずっと自分の熱でドロドロに溶けてしまったのかと思うくらい上手く機能しなかった頭が、一気に機能しなくなり真っ白になった気がした。
キスが好きって誰のこと?…もしかして、私を誰かと勘違いしてるの?
さっきまでバクバクと煩かったのに、今では心臓が冷たくなるような錯覚に襲われる。
もしかして、元カノの事だろうか?パウリーとガレーラカンパニーで働いてるこの4年間は、言い寄ってくる女性だけでなくその辺歩いてるレディにもハレンチハレンチと騒いでる姿しか見てないから、彼女はいないと思ってた。だけどまさかコッソリ彼女いたの?それか、私と出会う前?…ははっ、なんだ。あんなに純情ぶってたくせに、ちゃんと相手いたんじゃん。
どんどん体が冷えてきて、もしかしたらなんて一瞬でも浮かれた自分が馬鹿らしくて笑い飛ばしたくなる。困惑している私を余所に、パウリーはまた距離を縮めると今度は耳元にキスを落とした。
「ちょ……やめ、パウリー!」
夢から覚めて冷静になれば、このままだとマズイと遅れて脳内に危険信号が鳴り響く。流石に身体を起こそうとするが、この酔っぱらいは私が苦しくない程度に脱力して覆い被さられているから全くびくともしない。肩を掴んで静止の声を上げるものの、パウリーは耳朶から首筋、鎖骨までキスを落としていく。チュッ、チュッと音がして、吸い付かれ、甘噛みされ、そこを柔らかく舌で撫でられる。その度にゾクゾクと腰元が震え力が抜けて、そんな情けない自分に泣きたくなる。
「ほんと、ぱうりー……やだ、ぁ……!」
ギュッと目を瞑りどうにか絞り出した言葉に、甘えるように私の頬に髪を擦り寄せてい
たパウリーの動きが止まる。やっと言葉を聞き入れてもらえた事に安堵していると、覆い被さっていた力がぐっと増して重くなった。
「……ん、……」
「……パウリー?」
「…ぐー……んがっ」
「……え?まさか、……寝たの…?」
重たい体の下でどうにか身じろぎして、ギリギリ視界に入るパウリーの顔は口が無防備に空いていて寝息と思われる音を漏らしている。
嘘でしょ?まさか、この状態で、寝た……?
「う、うそでしょ……」
まさかの展開過ぎて、絶望した声が自分の口から漏れる。どうにか退かそうとまた肩を目一杯押すが、本当にピクリとも動かない。腕の中、というより、もう彼の下敷き状態で完全に身動きがとれない。酔って誰かと勘違いしてキスされて、挙句の果てには寝落ちされて――マジで最悪だ。この最悪な状態にもう溜息しか出ない。
「……ほんと、こんなバカな男好きになったせいで苦労するなー…」
噂のバカな男はもう完全に起きる気配もないし、もういろんな意味で疲れた。せめてもと思い、まだ上半身よりも自由な足先を駆使してどうにかヒールを脱ぎ捨てることは出来た。私の上にある体はお行儀良く気持ちよさそうに呼吸で上下動いて、お酒のせいかとても暖かい。折角だしもぞもぞと肩から腕を移動させて、パウリーの背中に腕を回して抱きついてみる。彼の胸板が厚いせいで私の両手が背後で合流することは出来なかった。
「…ばか。バカパウリー。」
疲れと彼の温もりで、ちょっとずつ私の意識も微睡んでくる。明日も仕事だけど、まぁパウリーが起きる前にこっそり朝抜け出して家に帰れば大丈夫だろう。
…朝起きたら私がベットにいて、パウリーが驚いて叫ぶとかでも面白いけど。噂をしたからか、パウリーがぶしゅっとくしゃみをしたから笑ってしまった。
暫く彼のぬくもりを堪能していると私もそろそろ本格的に睡魔がやってきて、欠伸を漏らしてからそっと目を閉じる。
パウリーが私と誰かを勘違いでキスしてきたなら、せめて今日だけはこの胸の中で私にも勘違いさせて欲しい。そう思ってもう一度縋るように抱きつくと、何かを探すようにシーツを泳いでいた手が抱きしめ返してくれる。体は隙間を余す事なくピッタリとくっついているのに、何だか鼻の奥がツンッとしてしまった。
- 7 -
←→
TOP