ふわり、ゆれる
今年の生徒はどうだとか、次の授業はこんな事を組みたいかとか、最初は一応そういう真面目な話題から始まった気がする。しかしお酒が進むにつれて、皆がそれぞれワイワイと世間話に花が咲き始めて今ではどんちゃん騒ぎだ。ちなみに現在はマイク先生の一発芸にミッドナイト先生が手を叩いて爆笑してる。
今日は稀にある雄英高校の食事会が催されている。
教員の仕事が終わる放課後といっても、“ヒーロー”としての任務は終わらない。呼び出しがあれば即座に現場へ向かわなければならないから、こうやって職員全員が揃うことは滅多にない。奇跡的に今日は誰にも要請がかかる事がなく、最初はセーブしていた酒もどんどん進んでくる。校長も上機嫌で、どこか嬉しそうだった。
「 ぶ、ははは!ゴフッ!」
あ、オールマイトさんが爆笑しすぎて吐血した。
「大丈夫ですか?オールマイトさん」
「あ、あぁ…。こんな時まですまないね」
もう緩くなってしまったおしぼりを差し出すと、ゴホンと咳払いしながらまだ余韻を引きずっているのか震えながらオールマイトさんが受け取っていれた。
オールマイトさんは目を細めながら、「いやぁ、とても楽しいね」と小さく呟き微笑んでいて、そんな穏やかな視線でみんなを眺める彼に思わずふふっと笑みを溢して頷いた。
「私、少し夜風に当たってきますね」
「気持ち悪いのかい?」
「いえ、少し眠たいので眠気覚ましに」
そんなに飲みすぎるほど若くないですよ、と冗談混じりに笑うと、オールマイトさんが苦笑いした。お互い次の日に残るのが怖い年代だ。昔みたいに記憶を無くしたり泥酔するまで飲む事はもう怖くて出来ない。
貸し切っている個室の部屋の出て扉を閉めると、賑やかな笑い声が遠くに沈む。店の外に出れば夜景に夜の静けさが急に押し寄せてきて、さっきまでの時間が夢だったように感じた。
外に出るとひやりとした夜の空気が頬に触れた。春先で暖かくなってきたが、やはり夜は少しだけ寒い。
店脇の隅にあるベンチに腰を下ろし、羽織っていたジャケットの胸ポケットからタバコとライターを出す。ジジ、と火花が弾け、赤い火が小さく灯った。
タバコの先端が赤く燃えると、一拍遅れて煙が夜の風にゆらりと揺れる。一口吸い込むと、肺の奥まで煙が落ちて、ゆっくりとほどけていく。
「はぁーー……」
一度肺に落ちてきた煙をゆっくりと暗い空気に吐き出した。一瞬だけ目の前が白く染まるけど、役目を果たした煙たちは儚くすぐに消えて行く。
お酒のあとに吸う一本は、格別だ。何が美味しいのか?とか聞かれると難しいけど、元からほろ酔いだったのが、もっとトロリと溶ける。ふわふわと脳から痺れるような、そんな感じ。余計酔っ払う気がする。煙の熱と酔いが混ざって、世界の輪郭が柔らかくぼやけてくる。それに身を任せるのが気持ちよくて、ゆっくりと目を閉じてもう一度タバコに口付けた。
「ヒーローなんだから、もう少し隠れて吸え」
真っ暗な視界の中で、低く乾いた声が聞こえたと脳が認識すると同時に軽く頭をポスンと叩かれた。薄目を開けると、夜の暗い空間に真っ黒な髪と瞳と洋服で、正しく真っ黒い存在が目の前に立っていた。
「相澤、せんせ」
口から漏れた名前は自分が思ったよりも舌足らずだった。彼を呼ぶと、短く溜息が落とされた。
相澤先生が隣に座る気配がして、屋根がなく雨ざらしにされているベンチは小さく軋む。背もたれにもたれかかっていた体を少し起こすと、思った以上に体が重い。やっぱり、想像以上に酔いが回っているのかもしれない。
「だから、こうやって夜とかしか吸ってないですもん。生徒やみんなの前では健全なヒーローです」
「それならいっそ吸わなきゃいいだろ」
相澤先生は隣で缶コーヒーを開け、淡々と返す。
そのぶっきらぼうさに、苦笑いが溢れた。
「肺活量が低下する原因にもなり得るし、病気のリスクも上がる。ヒーローとしても生きてる上でも、」
「合理的じゃない、ですか?」
「まぁ、そうだな。」
相澤先生の口癖を真似してみると、ふん、と鼻で笑う音を返される。そんな合理的なことを唱える彼の隣で、やっぱり勿体無いからまだゆらゆら揺れるタバコを吸い煙を控えめに反対側の道路に向かって吐き出した。…隣からの視線が、とても痛い。チラリとそちらを盗み見ると、ゆらゆら揺れる煙の向こうの相澤先生と目が合う。眉間の皺は相変わらず寄っていて、でもいつもドライアイの彼の目が少し潤んでいるように見えた。
夜風が互いの髪を揺らし、タバコの火がその一瞬だけ赤く灯る。
「相澤先生、酔ってますか?」
「お前ほどではないよ。でも、ぼちぼちだな」
眉間の皺を伸ばそうと手を伸ばした瞬間、その手は相澤先生に呆気なく掴まれた。腕に触れる少しカサついた手のひらや指は思ったよりも温かい。勝手だけど、相澤先生って平熱低そうなイメージだったから、アルコールの力って凄いなとどこか頭の隅で思う。じわじわと触れている部分が熱を帯びていって、その熱がどちらのものかわからないくらい溶け合っていく。先程で煙を含んでいた胸がざわつくのを、酒で浮かされた脳みそで必死に気付かないふりをした。
「なぁ、止めろよ。それ」
相澤先生が、顎で右手で持つタバコを指す。すっかり吸うのを忘れていたタバコは先端が灰が一杯一杯になっていて、指先でトンっと弾いて地面に落とす。
別に、タバコに絶対的に依存性があるわけではない。1日の中でもさっき自分で言ったように夜だけとか、教師やヒーローなどで仕事が忙しい時は一週間以上吸わないこともある。だから別に、ヒーローは絶対タバコ禁止!となっても大丈夫な自信はある。
「口寂しいんですよ」
特に理由があるとしたら、それくらい。ヒーローと教師を仕事をして、救った皆から感謝されたり教師として生徒と触れ合うのは好きだ。でも、ときどきふと恋しくなるのだ。1人でタバコを吸って、煙が肺に入り外に出ていく様を見ていると、今ここに私という人間が生きているのを感じる。だから、そればかりは仕方ない。だから諦めて欲しいという願いを込めながらそう答えると、先生の眉がわずかに動いた。
そういえば、こんなに近くで先生の顔を見るのは初めてかもしれない。いつもの気怠そうな目はいつも以上に眠そうなのに、その目の奥に酔いと何か別の光が滲んでいる気がした。掴まれている手首がじくじくと熱が増していく。このままだと心拍が彼の指先に伝わってしまいそうで、酔いのせいか呼吸が浅くなってくる。
「…ね、相澤先生、」
声を振り絞ると、思ったより掠れて声が乾いて出なかった。返事がない代わりに、少し、相澤先生の顔が近付く。バクバクと心臓が煩い。あぁ、タバコを吸ってないのに胸いっぱいな感覚で苦しい。
目を閉じれば吐息が少しかかり、唇に柔らかい感触が触れる。ちゅっと控えめな音を鳴らした後に下唇を啄むようにもう一度唇が触れた。微かに相澤先生が飲んでたコーヒーの味とお酒の香りが鼻を擽る。
「…タバコくさいな」
「…相澤先生も、コーヒーとお酒くさい」
少し目を開けると、至近距離で相澤先生と目が合ってしまった。
よほどタバコの風味が苦かったのか、一度緩んだと思った眉間の皺がまた出来ている。それと対照的に潤っている目の奥に、欲がちらりと垣間見えてぞくぞくと背中がくすぐったい感覚が走る。あんないつも気怠そうで人に対して執着しなさそうな彼も、人間らしい欲求ってあるんだ……どこか他人事に感じながらそう考えていると、もうタバコも全て灰になってしまいそうになっていた。一度身体を離して胸ポケットから携帯灰皿を取り出して、か細く燃えていた火と灰を揉み消した。
「コーヒーはいいんだよ。酒に関してはお前もだろ?」
相澤先生もコーヒーを全部飲み終えて、少し離れたゴミ箱に投げ入れた。見事缶はシュートが決まり、投げ入れる音が夜に小さく響く。確かに、私も酔っ払いなのでお酒臭さは変わらないだろう。苦笑いしながら頷くと、暗くてよく見えなかったけど相澤先生も少し笑った気がした。
「まだ口寂しいか?」
ぽつりと夜に消えそうな問いに、少し間を置いてから、つい小さく頷いてしまった。…いや、いやいや、いやいやいや。私は何をやっているんだろう。何より相澤先生とそういう関係性じゃないし、タバコもそんな依存性がある訳じゃないから別に吸わなくたっても良いはずなのに。それなのに、何故か無性に口寂しい。お酒というものは普段理性で押さえ込んでいるリミッターすら簡単に崩してしまうらしい。
遠くで同じように飲んでいる人達の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。頭の中で悶々と葛藤していたけれど、今度は手首でなく頬に手が添えられた瞬間全部が弾け飛んで消えてしまった。
「…顔、真っ赤だぞ。」
「うぐ…、それは酔いが回ってるからで、んむ…っ」
薄暗いながらに僅かに目を細めて笑う相澤先生が月明かりに照らされる。くそぅ、どうしようもなく色っぽい。負けじと少しでも大人の余裕を保っていたくて反論しようとしたけれど、結果それも敵わず終わった。何度も啄む唇の熱と、お酒とコーヒーの香りでクラクラする。ほろ酔いの頭を完全に溶かされてしまいそうだ。なんだかさっきの煙が体に溶け込む感じと似ている気がする。
あぁ。残りのタバコ今日捨てて帰らなきゃ。
頭の片隅でそんな事を考えながら、自分の形をこの世界に保つために必死に相澤先生の服にしがみついた。
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