ただファンのひとりです。
書類整理や電話対応の事務業務に目まぐるしく追われて、やっと迎える金曜日。土日の休暇はとても早く感じるのに、働いているこの日々は何故こんなにも長く感じてしまうのだろう。
「お疲れ様!やっとこの案件も終わったし、今日はぱーっと飲みいきましょ!」
「あー…っと、すみません今日はちょっと…」
パソコンの電源を落とすと真っ黒になったディスプレイには正に連勤に疲れた社会人の顔をしている私がいて、思わず自分で引いてしまった。隣のデスクに座る先輩も同じように電源を落とすと、ぐーっと腕を組んで背を伸ばす。その顔は疲労を上回るくらい達成感に溢れていて、体重をかけた背伸びに椅子の背もたれが少しだけ音を鳴らした。思いっきり伸び終えたのか、勢いよく体を起こすと私に陽気に声をかけてくれる。仕事終わりのビールほど、この世で美味しいものはない。魅力的な誘いに意志が揺れ動くけれど、どうしても今日は譲れないのでにへらと曖昧に苦笑いを返した。
「えー!もう、アンタ毎週金曜日は直帰じゃない!折角の華金なのに!…やっぱり、本当は彼氏がお家で待ってるんじゃないの〜?」
「あはは、違いますよ〜。また誘ってください!」
怪しむ先輩の視線に、首を振り否定と共にまた苦笑いを返す。私がこの曜日に断るのはお決まりなので、先輩は特にセリフほど気にすることはなく次は隣の同期に声をかけていた。帰り支度を私がしてる間に、どうやら今日の飲みのお供はそのまま彼女に決まったらしい。俗に言う、華金というものに職場の人も街中を歩く人たちも浮き足立っている。でも私は、違う意味で少し浮つく足で帰路へ急いだ。
『 Yeahー!!リスナーたち、夜はこれからだぜ!今日もPresentMICのぷちゃへんざレディオの時間だ!』
深夜一時で多くの人はもう夢の中の時間なのにも関わらず、このテンション。軽快なBGMと共に響きわたる声は全てを吹き飛ばしてしまいそうな位に元気だった。そう、金曜日はプレゼントマイクのラジオがあるのだ。
「ひぃー!始まっちゃった!」
熱々のミルクティーの入ったマグカップを火傷しないように机に置いて、慌ててイヤホンをつけた。音量を調節しながら、ソファーに体育座りをしていつもの体制に整える。
彼にハマったのは、いつだっただろうか。確か就活活動で落ち込んだ時に、たまたま何となく無心になりたくて流していたラジオチャンネルから偶然やっていたのが最初だから…うわ、もう3年前になる。月日の流れって早くて恐ろしい。
何に進みたいか、何をしたいかなんて、のらりくらりと大学生活を過ごしてきた私にはよくわからなくて、悩みながらもなんとなく就職活動して。履歴書をただただ作業的に書いてを繰り返している時に、そんな悩みなんて吹き飛ばしてしまわんばかりの彼の《声》にハマってしまったのだ。
『今日は授業とヒーロー活動とすっげぇー頑張ったから、終わったらビールでもガツンッ!とかましてやる予定だぜ!まぁ、終わる頃には朝なんだけどな!みんなは華金楽しんだか?」
「…いいな、ビール。来週のラジオのお供はビールにしようかな。」
さっきまでは飲みに行くよりラジオ、って感じだったけど、そう聞いたら少しキンキンに冷えたビールが恋しくなる。マイク、ビール派なのかな?舌を火傷しないようにミルクティーに口をつけるとほんのりと甘さが広がってきて、疲れた体にまた別の意味で沁みた。
彼の声は落ち着くというよりも騒がしいけれど、リスナーからのお便りなどを読み上げ返答する声はどこか優しさを帯びている。ふざける時も多いが、流石ヒーローで言葉に説得力があり、勉強になることもあった。時々、焦った時に素が出る時も可愛らしい。…自分より年上の、しかも男性に可愛いは失礼かもだけど。
とにかく、そんなこんなで3年間。彼、プレゼントマイクに首ったけなわけだ。
毎週金曜日には出来るだけ直帰してご飯やお風呂など全て済ませ、1分でも聞き逃さないようにラジオが始まる時間には飲み物なども用意して準備万端。ソファーに腰掛けイヤホンをつける。これが毎週金曜日のルーティーンだ。本当は、彼の息遣いや声が耳の中で震えてなんだか気恥ずかしいから、あんまりイヤホンはつけたくない。25歳にもなって何を言ってるんだと皆は思うかもしれないけど、本当に照れてしまうのだ。自分でも重傷だとは思う。でも流石に深夜な時間帯だし、近所迷惑になってはいけないので仕方なしに我慢してる。幸せな我慢だけども。
『ここでリスナーのお便り紹介だぜ!ラジオネーム うさぎりんごさん !』
「え、あ、うそ! 選ばれた!」
ふと今までを振り返って昔に浸ってた頭が現実に引き戻される。毎回、近状報告だったり悩みだったり、色々お便りを送ったりしている。最近何でもSNSで済まされる世の中だから、こうやってコツコツとハガキを書いて送るなんて3年前の自分は思いもしなかっただろう。お便りは、勿論私だけでなく沢山リスナーもいるので、読んでもらえる事の方が少ない。今日はとてもレアな日だ。お手軽かもしれないけど、これで来週も頑張れちゃいそう。
『おっと、毎回ありがとな!なになに?〔昨日仕事でミスしてしまい落ち込んでしまいました。マイクさんは落ち込んだ時はどうやって元気になりますか?〕んー…俺は、クヨクヨ落ち込む時間が勿体無ぇから、とりあえずスッキリする為に思いっきり大声出すな!!』
「ふふっ。なにそれ」
いつも通り、『HAHAー!』と声を上げるプレゼントマイクに思わず笑ってしまう。確かに、この人なら全て吹き飛ばしそうだ。…彼が大声を出したら、物理的にも色々吹っ飛んじゃいそうだけど。でもまぁ、先週送ったお便りだし、自分も社会人になって暫く経つので寝て食べればある程度は立ち直るようになった。なので今読まれてそんな事あったと思い出したくらい。社会人とは、そんなものだ。
『…だが、やっぱり気分が上がらない時もあるだろうよ。悲しいし、後悔して、出来なかった事がもどかしてどうしようもない時もあると思う。でもいんじゃねぇの?だってまだまだ楽しいことたーくさんこれから待ってるぜ!』
少し緩くなったミルクティーを飲み干して体育座りした膝下に頬を乗せてぼんやりと彼の声を聞いていたら、意外にも続いた回答にぐっと喉が鳴る。
『きっとうさぎりんごさんは、頑張り屋さんで我慢しちゃうんだよな。そんな時は、さっき言ったように声出さなきゃダメだぜ?内にドロドロしたもん貯めてると心に毒だ。意外と声に出すとスッキリするぜ!たまには吐き出して泣いてみろよ』
ポロリと。涙が溢れた。あぁ、この人は本当に欲しい声をいつも聴かせてくれるのだ。大人になって、仕方ない。で片付けていた色々なモノが溶けていくような感じがして、一度蓋が外れた涙腺は決壊したようで次々と涙が勝手に溢れてくる。そんな間にプレゼントマイクはもう次のコーナーにいってしまった。私は、相変わらず陽気な彼の声が全てを掻き消してくれる気がして、暫く膝に顔を埋めて嗚咽を漏らしながら泣いた。
『それじゃ、今日のPresentMICのぷちゃへんざレディオはここまで!みんないい夢見ろよな!』
流れる涙を拭くことなく流し続けてぼんやりしていたら、あっという間にラジオは聴き慣れたエンディングの音楽が鳴って終わりを告げる。泣いたのもあるし、カーテンの隙間からほんのり明るくなってきた空が時間を知らせていて自然と眠くなってきた。明日、というか今日はきっと目が赤くなってしまっているだろうな、と思いながら目尻に触れるとじんわりとその部分が熱かった。
「寝よ…。」
いいや、どうせ休みだし。それに、久々に泣いて気持ちはスッキリしている。寝る為にのろりと立ち上がってソファからベッドに移動し、ぼぶんと布団に倒れ込むと、パジャマが薄着だったらか暖かい布団の感触が全身に広がる。もぞもぞと頭まで布団を被ってその温もりに包まれて、ホッと静かに息を吐き出す。うつらうつらと微睡む頭で、浮かんでくる姿はやっぱり彼の姿だった。
「……す、き。」
1人の部屋に、もぞもぞと布団が擦れる中に、私の小さな声が消えていく。本当だ、言葉に出すと、思った以上にストンと言葉が胸に落ちてスッキリする。
「あぁーーー……好きだなー…」
ずっとどこかで誤魔化していた。ただのファンで、みんながアイドルやヒーローに憧れるのと同じだって。だって、会ったこともない、寧ろ会うことが叶わない人に本気で恋をしてしまっているだなんて。でも、これはもう夢見る少女の気持ちではない。
気付いてしまった今、もうこの気持ちに蓋をして閉じ込めることは難しい。まるで、さっき流してしまった涙みたいに、溢れてしまったものはもう止められない。明日から、もう少し自分に素直に生きてみようか。そう思いながら、眠気に誘われるまま瞼を閉じた。
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