助けてよおかしくなりそう
正直、この土日は死ぬほど浮かれていて夢見心地で過ごしていた。良いことがあるとその後に事件があるのは付き物で、浮き足立った月曜日に案の定やらかした。
「はぁー…やっぱりないかぁ」
何度探しても、探し物は見つかる事はなくて何度目かわからない溜息が腹の底から出てくる。朝出勤してきて会社のロビーで初めて社員証が無くなっているのに気付いた。普段、鞄の中身をあまり入れ替えたりしないので毎回入っているはずなのに、鞄の中をひっくり返しても底にも脇のポケットにもどこにもない。会社のビルに入るキーにもなっているから朝の皆がどんどん出勤していくのを端で立ち尽くしていると、今日のところはと警備員さんから中に入れてもらった。
改めてデスクで鞄をひっくり返したが、やっぱりない。金曜日に退勤する時に出したはずだから、会社に忘れたのはまずありえない。でも、家で出した記憶もない。一応自分のデスクや書類ファイルの中を確認してみたけど、ない。金曜日は早く帰りたすぎて記憶が曖昧だから、もしかしたら帰路の途中で落としてしまったのかもしれない。
「あーぁ、先輩罰金ですね」
「それもあるし…あぁもう、面倒な事になったわ」
うちの会社のビルのフロアは何だかんだ広いので、無くしてしまうと再発行にある程度の金額がかかる。それだけで済めばいいのだが、再発行の為の手続きだったり、紛失理由や謝罪などの始末書を上に提出しなければいけない。それが本当に面倒だ。月曜日がこんなに憂鬱に始まるなんて思っても見なくて、年甲斐なく浮かれていた土曜の自分を無意味に呪った。
項垂れていると、隣の後輩は苦笑いをしてドンマイですと労ってくれた。クヨクヨ落ち込んでいても空気が悪くなるし、気持ちを入れ替えるしかなくて無意識に猫背気味になっていた背筋を伸ばし今日のタスクをこなすためにスリープモードになったパソコンに向き合う。仕方がない、今日はこのまま早めに仕事を切り上げて警察署に一応紛失届けを出しに行こう。もしかしたら、とっても良い人が警察に届けてくれたかもしれない。
「あ、あんたの社員証下の受付に届けられてたわよ」
「え!?本当ですか!?」
本日何度目かわからない重たい溜息を出る前に飲み込んでいると、外回りから帰ってきた先輩が声をかけてくれた。落ちていた気分が一気に上昇して、勢いよく顔を上げるとその私の表情と空気の変化に後輩が笑った。よし、心配してくれていたのは有難いが、とりあえず後で擽りの刑をたった今心に決めた。
「今ちょうど届けに来てる人がいてさ、」
「よかった!取ってきます!!」
「実はその人がさぁー…って、行っちゃった」
先輩の言葉を遮るように立ち上がって、まさに光の速さですぐさま駆け出した。なんて良い人なんだろう、警察に適当に届けちゃえば楽なのにわざわざ会社に届けてくれるとは!これで警察署で紛失届などのまた面倒な書類を書かなくて済む。届けてくれる人がまだいるなら、ついでにお礼も言えるし全てがラッキーだ。エレベーターのボタンを連打したが、上の階に行ってしまって虚しく階数を示す数字がどんどん増えていく。エレベーターがまた折り返してくるまでの時間が我慢できずに、普段使わない階段で急いで駆け下りた。
五階を全力で降りると、流石に息が切れて胸が少しだけ苦しい。昔は平気だったのに、やはり年齢には勝てないのか体が重くて何とも憎たらしい。乱れた息を整えるのを後にして玄関ロビーまで小走りで向かうと、朝会社に入れてくれた警備員さんの姿が見えた。その向こう側に背の高い人影も見えて、きっと届けてくれた人だと思い最後の力を振り絞って走っていく。
「だから、渡すからお嬢ちゃんを呼んでくれって!」
「いえ、わたくしが渡しておきますので……あ、」
警備員さんが私のバタバタと忙しない足音に気付いたのか振り返ると、ふとその先にいた人影がハッキリと見えた。突き上げるようにスタイリングされているブロンドヘアーと見慣れたコスチューム姿に、ヒュッと息を呑む。それと同時にやっと動かしていた足がもつれて、やばいと思った時にはもう派手に転けていた。広い玄関ロビーに自分の重たい体がぶつかる音が響き渡って、その衝撃で右足のパンプスがどこかに飛んでいってしまった。
「い…っつたぁ…!」
「おいおい、大丈夫かリスナー!?」
それはもう、凄い音だし大の大人が転ける事なんて滅多にないから当の本人の私も驚きしかない。恥ずかしい。穴があったら奥深くまで入ってもう出てきたくない。情けなさと、久々に転けたので痛みに慣れていなくてジワリと目尻に涙が溜まってきた。痛くて動きたくないけれど、流石にフロアにうつ伏せている訳にもいかないし、何より周りの『え、どうしたらいいの…?』という困惑の視線の方が痛くて、ゆっくりとどうにか体を起こすと手が差し伸べられた。その声に、喋り方に、出された手の先にある姿はあまりにも覚えがありすぎて、恐る恐る顔を上げる。
「…プ、レゼント、マイク…」
「ok!名前がわかるなら頭は大丈夫だな!立てるか?」
「う、あ、はい…。」
あぁ、やっぱりプレゼントマイクだ。土曜日といい今日といい、私は一生分の運を使い果たしてしまっているのだろうか。転けてしまったのもこのせいかもしれない。あぁ、そうして明日には私は死んでしまうかもしれない。もしかしてドッキリなのかな?テレビが茂みに待機していたりするのかな?もしそうなら、こんなに思い切り転けられたらテレビ的には撮れ高が良いだろう。
頭が真っ白になっているようで、グルグルと色々な事が脳内に駆け回る。そんな感じでいつまでも手を取らない私に痺れを切らしたのか、彼は私の脇に手を差し入れてそのまま抱き起こされた。高い高いされているような体勢に、宙ぶらりんになり一瞬思考が停止して現状が分からずポカンとする。プレゼントマイクは私を頭から足先までを上から下まで見て、足元で視線を止めると眉を寄せ警備員さんにタオルと救急セットを持ってくるように指示出しする。
「膝、少し擦りむいちまったな。」
「えっ、あ…本当だ。」
言われて視線を自分も下に向けると、膝のストッキングが伝線して悲惨に破けていた。意識するといきなりジクジクと痛みが広がってきて、小さく痛いと呟くとサングラス越しの瞳が苦しそうに歪められる。彼はそのまま私を待合のソファに下ろしてくれると、向かい側に座り深く呆れたようにを溜息を吐き出した。
「hey、なんで走ってたんだ?」
「社員証、届けてくれた人がいたって…聞いたので…」
「あぁ、これだろ?」
目の前で転けてしまった事と、今こうして対峙して恋い焦がれた彼と会話している実感が痛みと一緒に脳に届いて痛いのか恥ずかしいのかよくわからなくなってきて頭がぼーっとしてきた。きっと走ったせいではないカラカラになった喉でどうにか言葉を紡いで答えれば、思い出したようにマイクのヒーロースーツのポケットから私の社員証が出てくる。そして、あろうことかそこに書いてある文字をなぞる様に大好きな声で私の名前を呼ばれた。やはり、私は今日が命日みたいだ。コクコクと一生懸命頷いて見せると、手に持っていた社員書を私の首に下げてくれる。無事見つかって帰ってきた事と、目の前の存在に緊張して無意識に止めていた息をゆっくりと安堵の息とともに吐き出した。
「…うさぎ、好きなのか?」
「え?…あ、はい!この歳にもなって、幼稚だとはわかってるんですけど」
不意に問いかけられ、もう爆発寸前の頭では何の事かわからなかったが、彼の目線が私の社員証に向けられているのがわかってやっと合点がいく。名前の横についているウサギのシール。最初は無くさない為に目印のために付けたが、今は愛着が湧いてしまっている。それを撫でながら苦笑いを返すと、マイクは驚いたように大きな目を開いた後にそれはもう眩しい笑顔で笑った。間近で見る生の笑顔に、落ち着いたはずの心臓は走ってきた時よりもドクドクと煩く高鳴る。
「好きなもんは好きでいいじゃねぇか!それに、リスナーはウサギに似てるからピッタリじゃねぇの?」
伸びてきた手が、私の目尻を指先で撫でる。触れられた彼の指先の冷たさで、自分が驚くくらい真っ赤で熱いのがわかった。正直いってもうキャパオーバーすぎて死んでしまいたい。体が固まって思わず背中に定規が入っているのかと思うくらいに背筋が良くなってしまうと、プレゼントマイクがその様子を見てまた喉を鳴らして笑う。彼は本当罪深い人だ。
「あ、あの、お礼でいくらお支払いすれば…?」
「ワッツ!?別に、お金なんていらねぇって!」
ここまでくれば本格的にドッキリか何かの陰謀かと思って、浮かれた心を鎮める為にポケットから手持ちの財布を取り出しながら震える声で言えば、彼の驚くワントーン大きい声が広いフロアに響き渡った。
「でも…ヒーローにこんな事してもらっちゃって…」
「あー……そしたら、今度行きたいところがあるから、付き合ってくれねぇ?」
私や周りの社員たちが驚いている様子に、彼は声の大きさを少し下げながら少し悩んだように頭をかく。それでも独特の髪型は崩れないから凄いなと呑気に思っていると、思いついたように手を叩いてまたその音が綺麗にフロアに響く。彼のイタズラを思いついた少年のような笑顔に、もうクラクラと目眩がしてくる。
どうしたんだ、私。ただの沢山いるリスナーの中の1人で、ただ金曜日を楽しみに生きているだけの社会人なのに。いきなりの急展開でついていけない頭でどうにか頷くと、下げた頭を彼が撫でてくれたので今日何度目かわからないがドッキリカメラを探した。
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