愛してると叫びたいんだ
「あー、もう!着物走りにくい!」
とにかく、走って走ってがむしゃらに走った。着物だと歩幅が狭くて走りにくくて面倒だったから、着物の重ねを肌蹴させたせいで着崩れが凄い。草履も転けそうになって脱いでしまって足袋の底も真っ黒だ。偶然通りかかったタクシーに飛び乗った時は運転手さんが化け物を見るみたいにギョッとしてたけれど、もうそんなのもお構いなしだった。
高専の校舎が近づくにつれて足場の悪い坂道や砂利道があるので足裏が痛いのか、感覚が麻痺してきているのかもうわからなくなってきた。
「は、ぁ…七海さ、んの任務…は…」
すれ違う呪術師や補助監督の人達は、私を見て道を開ける。いや、引いて距離を取ってるの方が近いのかもしれない。事務室の扉を転がり込むように勢いよく開けて自分のデスクにドカドカと騒がしく行き、充電されたままの仕事用のタブレットを手に取った。本当はこんな私用で使っては行けないが、補助監督が管理してる呪術師のスケジュールを開いて彼の名前を探す。いきなり立ち止まったせいで全身に心臓があるんじゃないかってくらいバクバクと脈が煩くて、操作する指先がちょっと震えていた。
「ギリギリ間に合うかも…!」
七海さんは今日は2件の任務が入っていた。1件目の討伐は階級がそんなに高いものではないので、もしかしたら早く終わって次の任務のために待機しているかもしれない。
そうとわかれば待合室に行こうとタブレットを電源を切ると、真っ暗になった画面に自分の姿が映る。その姿は汗でメイクも崩れてるし、セットした髪の毛も崩れていて物凄く悲惨だ。整えたいところだけど、それをしてる内に七海さんがいなくなっていたら元も子もないのでそのまま事務室を飛び出した。
「おわっ!!え、着物!?えっ、てか何事!?」
「い、猪野くん…なっ七海さんは…ッ!?」
「え?あ、あぁ…七海さんなら次の任務に行きましたけど…」
せめてもと髪を撫でつけなら走って、廊下の角を曲がろうとしたときに誰かにぶつかってしまった。反動で体が後ろに倒れそうになるが、寸前のところで肩を両手で抱き止められて体は地面にぶつかることはなかった。
驚きの声を上げるのは猪野くんで、お礼を言おうと口を開く前にさっきの任務の同行者の名前を思い出して思わず彼の胸元を掴んでしまった。私の状態と勢いに目を白黒させながら答えてくれた猪野くんに、早口でお礼を言い捨てて弾かれたように走り出した。
きっとポカンと私の後ろ姿を見てるんだろうな。ごめんね、猪野くん。また改めてお礼と謝罪をさせてください。心の中で唱えながら頭をフル回転させつつもつれる足をとにかく動かす。此処は二階だから今から玄関に行くのは私の足では多分間に合わない。そうすれば、どうしたらいいのかは一つだ。
「は、はっ…いた…!」
ちょうど玄関と駐輪場の間にある通路の窓から体を乗り出して見渡すと、やはり見慣れた背広姿が歩いているのが見えた。その背中は次の任務に向けて真っ直ぐ歩いていて、息を整えている間に姿が見えなくなってしまいそうだ。
「七海さぁーん!」
最初の一文字目は息が乱れすぎて少し掠れてしまったけれど、自分が出せる限りの大きな声で彼の名前を叫んだ。そうすると、歩いていた七海さんの足がぴたりと止める。どこから聞こえていたのか首を回して声の主を探しているけれど当たり前に彼の身近な場所しか見ていなくて、このまま気付かれずに行ってしまわれる訳にもいかないのでもう一度大声で七海さんの名前を叫ぶ。するとやっと視線が上の方に向けられて、彼が私の方を向いてくれた。
「わたし、七海さんに言いたいことがあるんですー!!」
少し距離があるから彼がどんな表情をしているのかとか本当に目が合ってるかとかわからなかったけれど、私がそう声を張り上げると体ごと此方を向いてくれた。待っていてもらって今から階段を降りてそっちに行ってもいいけれど、もうその時間さえも億劫だった。
「いける、私なら…いける…!」
自分を鼓舞して下を見下ろして地面との距離を測る。大丈夫、二階だからそんなに高いわけでもないし幸いにもコンクートでなく砂利だ。これでも昔は呪術師の卵として体術の練習もしていたから、いざとなれば受身も取れるはずだ。唯一着物だから動きにくいがそこはどうにかなると根拠のない自信で自分を信じて、窓枠に足をかけた。その瞬間、七海さんが何か言った気がするけれどもう飛んでしまった私は何を言ってるか聞き取れなかった。
「っわ!」
そのまま足から着地しようとしたがやはり着物で飛び降りる際に少し体制を崩してしまって、受け身を取ろうかと空中で身構えていた割には砂利の冷たさはなく暖かかった。思わず瞑っていた目を恐る恐る開けると至近距離に七海さんがいて、一瞬よく状況が把握出来なかった。
「あの、」
「貴女は何やってるんですか!」
七海さんの大きな声なんて聞いたことなかったから、びくりと肩が跳ねる。私を見下ろす七海さんは眉間に深く皺が刻まれて怒りに染まっていて、一拍遅れて七海さんに抱き止めてもらったことに気付いた。
「す、すみません…」
受け身を取ろうと思ってましたなんて言い訳を言える雰囲気でなく、素直に謝ると七海さんは何か言いたげに口を開いた。だけどぐっと飲み込む仕草をして、暫くしてから深く深く溜息を吐き出した。
「怪我はありませんか?」
「は、はい!七海さんが受け止めてくれたので!」
出来るだけ元気に返事をしてみせたが、またそれは別の問題らしくて彼の口はへの字のままだった。七海さんのそんな顔を見て、私はやっぱり七海さんが好きだなぁと脳天気に思ってしまった。
その私とは裏腹に、抱き止められたままの状態の私を改めて見下ろした七海さんの眉間の皺がまた深くなる。着物だって着崩れまくってるし、草履も履いて無ければ足袋も泥だらけだとそりゃそんな顔にもなるだろう。他人事のような私に対して何か言いたげに七海さんがしていたが、私はそれよりもっと伝えたいことがあって被せるように先に口を開いた。
「あの!私七海さんの事が好きなんです!」
色気もなければロマンもない。でも今伝えないといけない気がして、胸元でギュッと両手を祈るように強く握りしめ上半身を少し起こして、こんな近くの距離にいるのにもかかわらず腹の底から大きな声で想いを叫んだ。七海さんの瞳が至近距離で驚いたように見開かれていくのがまるでスローモーションのように感じる。一瞬の無言の時間も、風が吹いて揺れる木々の音のお陰で苦しさが紛れてくれている気がする。
そのままこのバクバクと煩い心臓の音も誤魔化されてくれているのを祈っていると、七海さんがサングラスを外して胸元にしまった。ゆっくりと瞬きをして瞼を開くと、大好きなエメラルドグリーンの瞳が現れる。
「…お見合いはどうしたんですか?」
「…丁重に、お断りして参りました。」
そうですか、と淡々と相槌を打ちながら、七海さんが細く溜息を吐き出す。呆れて引いているだろうか、怒っているだろうかとすっかり忘れていた不安が顔を覗かせる。でも、私はもう逃げないと決めたんだ。いつもなら俯いてしまうけれど、握りすぎて指先が白く冷たくなってきた手を開きながら耐えた。が、その分反射的についギュッと目を瞑ってしまって、脳内で自分を叱咤し何秒か置いてからどうにか恐る恐る目を開けて七海さんを見上げる事ができた。
「貴女は、まったく…」
そこには呆れながらも、優しさが滲み出るような眼差しの七海さんがいて喉が小さくなる。
「すみません。でもやっぱり七海さんに気持ちを伝えないと、私…ずっと悔んで後悔して、自分を偽って生きて前に進めない気がして…!」
悪い癖でつい手元に視線を落として、色付いた爪先に意味もなく触れる。そうモゴモゴと言い訳がましく呟いていると、視線の先の自分の手に大きな手が重ねられて、すっぽりと覆い包まれてしまった。
「何を勝手に終わらそうとしてるんですか?」
「え?」
その手は当たり前に七海さんなワケなのだが。とにかく告白しよう!という気持ちで此処まで駆け抜けてきたから、その後のことを想像していなくて返事にキョトンとしてしまった。私の間抜けな様子も気にせずに、七海さんの手は私の指の先まで一本一本確認するように這っていく。
「貴女を落とそうとアプローチし続けて貴女に告白しようとしたら断れ、挙げ句の果てに他のどこの馬の骨ともわからない奴に奪われそうになった時はどうしようかと思いましたが…」
さっきまで冷たくなっていたのに爪先まで熱い。七海さんの一言一言が耳から脳に溶けて、そのまま心臓に届いてるんじゃないかってくらい胸の音が煩い。彼の名前を呼んでみたけど掠れてしまって、でもこんなに至近距離にいるから届いたのか七海さんは小さく笑った。
「私も好きですよ。もう誰にも奪われたくないので、大人しく捕まって下さい。」
そういうと、私の手を掬ってそのまま指先に口付けた。チラリとコチラを見上げる瞳はもう決定事項と言わんばかりに語っていて、もう逃げられそうにないとゴクリと唾を呑み込んだ。
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