エンドロールのその先は



「最近、顔色がいいですよね。」

 お弁当のシャケの切り身を食べている時に、不意に隣に座る伊知地くんから切り出されて咀嚼した口の中身を飲み込む。誰が、と言わずとも、伊知地くんが見ているのは此方だから私の事だろう。

「そうかな?」 

 別に仕事の忙しさが半減して残業時間が減った訳でもないから、疲労具合の問題ではなさそうだ。寧ろ今は繁忙期だし、春に新人が入ってきて業務を教える仕事も増えて忙しい方だった。お茶を一口飲んで心当たりを探して首を傾げていると、伊知地くんは眉を下げて笑っていた。

「えぇ、なんというか、健康的です。」
「あ、でも確かに、寝起きとかいいかも!」

 そう言われると、確かにいつもはデスクに山積みになっている栄養ドリンクやコーヒーを飲んだ後のマグカップが圧倒的に少ない。食事に関しても、いつもは忙しくてご飯を食べなかったり、コンビニで買ったおにぎりや菓子パンを食べても軽く咀嚼するくらいで、寧ろ飲んでいたレベルで摂取していた。最近目覚めも良かったり夜も短い時間でも熟睡出来ている気がする。お陰で最近は軽めのお弁当も時々作って持ってきたりもする。まぁ、大体は昨日の晩御飯の残りにご飯とちょっと詰めるだけだけど。

「恋の力、ですかね?」

 ご飯に乗った梅干しを食べていると、おにぎりを食べていた伊知地くんが目を細める。その言葉に、梅干しの酸味がグッと喉に来て咳き込む前にお茶を流し込んだ。

「も、もうー!伊知地くんからかわないでよー!」
「ははは…」

 私の様子を見て、何故か伊知地くんの方が少し照れくさそうに笑っている。私も顔の熱を誤魔化すように、梅干しで染まった白米の赤い部分を口の中に詰め込んだ。
 七海さんとお付き合いして、随分経った。最初こそあの日は着物の私が高専の中を大爆走して、それでお互いに告白してという盛大な出来事があったので、きっとその一部始終を見かけた人から噂がみるみる広がった。補助監督の先輩方に揶揄われたり、後輩たちから大興奮に経緯を聞かれたり。勿論、七海さんを好きな方々からの敵意の目線も少なからずあった。色々あって気苦労している私に、いつだって七海さんは優しくしてくれた。最初こそ綺麗な人からマウントとられると落ち込んでいたけれど、七海さんはそれ以上にいつも好意を言葉で示してくれるから、少しずつ落ち込む気持ちを切り替える事が出来るようになったんだっけ。

「…うん、でも確かにそれもあるかも。」

 七海さんに見合う女性になりたい。七海さんが支えてくれるように、私も彼を支えて心休まる場所を作ってあげたい。そう思えるようになった。だから今までと同じような暮らしをしていても、シャワーじゃなくてお風呂に入って体を休めることを覚えたり、食事などの生活も何となく気にかける事が増えた気がする。伊知地くんが言うように、確かにこれは恋の力だ。それが照れくさい反面ちょっとだけそれが報われたのが嬉しくて、頬を緩ませながら付け合わせの冷凍ブロッコリーを頬張った。

「良かったですね。」
「…うん。ありがとう。」

 お互いに顔を見合わせ、照れ照れとくすぐったい気持ちで笑いながら小さくお辞儀する。七海さんもだけど、私には伊知地くんだったり優しい先輩後輩もいて周りにも恵まれている。五条さんも我が儘モードの時は大変だけど、基本的にはいい先輩だし。ほっこりと胸が暖かくなって午後の業務も頑張れそうだ。お弁当箱の蓋を閉めて背伸びすると、ヨシっと短く言葉を漏らして気合を入れた。


「って、伊知地くんに言われたんです。」

 七海さんと晩御飯を食べながら、ふと昼間の事を思い出して口を開いた。今日は三十度を超える暑さだったので、夕飯は素麺にした。それと、夏バテ対策にと最近ネットの注目トピックで上がっていたレシピで夏野菜を素揚げしてポン酢につけておくというものがあったので、昨日の夜仕込んでおいたものを付け合わせにした。レシピをあまりちゃんと読み込まないでなんとなく作り始めて、ミニトマトを素揚げしたときはトマトの水分が爆発して油で死んじゃいそうだったのは秘密だ。揚げなすを口に運ぶと、程よい甘味と酸味が広がって我ながら美味しい。すると目の前で素麺を啜っていた七海さんが顔を上げた。

「漸く気がついたんですね。」
「え?」

 予想してなかった言葉に、きょとんとして三度程瞬きで返す。そんな様子を見て七海さんはふっと口元を緩めて箸を置いた。

「貴女、マイナスな発言しなくなったの気付いてますか?」

 そう言われて、最近の自分の言動を振り返る。以前、大人になって七海さんとお付き合いするまで、確かに私はネガティブな事が多かった。自分で自覚している原因は、やはり呪術師育成のために呪術高専に入学したのに自分の戦闘能力では五条さんや七海さんのように呪術師になれなかった事。補助監督としいて皆さんを支援したいと志していたが、あまりにも呪術師の方との上下関係の溝が深く、無碍に扱われ年月をかけてどんどん自分で自分の価値を下げるような思考回路になってきた故だ。

「確かに…?」

 自分で分析出来てもそれを修正する術はなくそのままで生きてきたが、確かにそう指摘されると最近気に病む事が減ってきた気がする。お偉いさんたちが相変わらずギャンギャンと煩く責め立ててきても、まぁーた言ってるなー暇なのかなこの人達。って頭の隅で悪態つきながら笑顔で聞き流している。昔なら自分が悪くなくて理不尽に難癖つけられていたとしても、少し落ち込んでいた。言われて初めて実感して、思わず驚きで箸を置けば七海さんの手が伸びてきた。

「食事も前よりか規則的になってきてますし、睡眠も最初は浅い時間ばかりでしたが最近は深い眠りもつけてますよ。」

 七海さんの手が私の手に重ねられる。マメが出来て再生してを繰り返し少し硬い手のひらは私よりも大きくて、簡単にすっぽりと包み込まれる。昼間、伊知地くんに目覚めがいいと言っていたのを思い出す。自分の眠りの深さなんて知らなかったからただ単に睡眠時間が増えたから、と思っていたけどそうでもないらしい。睡眠の質を知られる程、七海さんに寝顔を見られているかと思うとちょっぴり恥ずかしかった。

「自分に少しずつ自信を持ててきて、作業効率も上がってきているのかもしれませんね。何より、顔つきが変わってきます。」

七海さんの指先が、私の手の甲や指先を撫でる。ただそれだけなのに、その光景から目が離せずにいて七海さんの言葉を頭で理解するのに一拍遅れてしまう。自信も、ついてきた。自分がしてきた事は、確実に自分の為になっているし、ずば抜けた才能はないとしても努力は裏切らないから。それを教えてくれたのは、間違いなく七海さんだった。

「前の貴女も素敵でしたが、今ももっと素敵ですよ。」

 そう言いながら、七海さんは指を絡めて手を握りしめる。暖かくて、力強くて、大好きな七海さんの手の感触だった。ダイニングテーブルの上で繋がれた手から顔を上げると、七海さんが私を真っ直ぐと見つめていた。その視線は優しくて、改めてやっぱり好きだなぁと実感する。

「わ…わたし、七海さんに知らないうちに育てられてたんですね…」
「貴女本来の魅力ですよ。…しかし、私が育てた、というのも悪くはないですね。」

 繋いだ手を握り返しながら呟くと、七海さんの指先にも力が篭り返事をするように返してくれる。私の例えに七海さんは少し嬉しそうだった。

「そっかー…」

 恥ずかしさと嬉しさがせめぎ合ってなんとも言えなくて、言葉を漏らしながら背もたれに体を預ける。その間も繋がれた手をにぎにぎとしながら、言葉を探すように唇を尖らせてチラリと七海さんに視線を移した。

「恥ずかしながら、ちょっと……あ、本当にちょっとなんですけどね⁉︎…伊知地くんに恋の力かもねーって言われたから、そうなのかなーと思っちゃったり…してて…」

 伊知地くんにそう言われて、午後仕事の途中とか夜ご飯作りながらふと思い出していた。そう言われると、そういえばお風呂にちゃんと浸かっているお陰か足とか顔の浮腫みが減ったなーメイクノリもいいかも!とか、やっぱり自炊って大切なんだなーもっと旬のお野菜とか体に良い物食べようとか。単純なのでそんな事を思いながらスーパーのお買い物でウキウキしてしまった。

「伊知地くんが冗談で言ってたのはわかってるんです!でも、私が七海さんを好きな気持ちで一杯だから、こう、好きとか幸せなホルモン的なものが沢山出て溢れてるのかなぁーとか、思ってたもので…」

 自分で健康を意識する面と、幸せハッピーオーラ的なものが出ていて、それのお陰て体調もいいしパワーも溢れてきてるのかも、なんて思っていた。言葉にするとあまりにも非現実的だし、伊知地くんから言われて浮かれすぎていたなと実感する。恥ずかしくなってきてどんどん俯いてしまうと、テーブルの上の私たちの手が視界に入ってくる。七海さんの手、大きくて男性らしくて、やっぱり好きだなぁ。

「すみません、非科学的な事言っちゃって!」

 沈黙が数秒流れて、あははと誤魔化すように笑って顔を上げると、七海さんは空いている方のて手で口元を押さえていた。

「…七海さん?」
「…貴女は、突然爆弾のような威力の可愛らしい事を言ってきますね…」

 もしかして夏バテで気持ち悪くなったのかと心配して彼の名前を呼べば、七海さんはふぅー…と息を吐き出しながらそう呟いて口元の手を外した。いつもと顔色は変わってないけど、なんとなく、あ、照れたのかな。と直感的にわかった。

「それも間違ってないと思います。しかし、あまり巻き散らかし過ぎて変な輩が近寄ってこないように気をつけてください。」

 そう言って繋いでいた七海さんの力が強まる。触れ合う肌は暖かくて、お互いに体温を分け合っているみたいだった。もし此処にダイニングテーブルがなければ、きっと今引き寄せられてキスしていると思う。キスして抱き合って彼を感じたいと思ってしまう程、私はもう七海さんなしでは生きていけないんだろうな。

「…ふふ、わかりました。」

恋しくなるけれど、それよりまずご飯を食べてしまわなきゃいけない。笑いながら力を緩めると、七海さんの手は名残惜しそうに離れていった。お互いに箸を持ち直して食事を再開する。チラリと七海さんを見れば、彼とすぐに目が合って嬉しかった

「七海さん、色々な私を好きでいてくれてありがとうございます。」

 子供のような私も、自信のない部分の私も、全部全部まとめて七海さんが好きになってくれたから、私自身もダメな部分もまとめて肯定して好きになることが出来た。もし昔に戻れるならば、自分に大丈夫だよって言ってあげたいくらい。改めて感謝を述べて小さく頭を下げると、七海さんは目を細めた。

「貴女の全てを愛していますよ。」

 いつだって七海さんは、思っている以上に私を喜ばす言葉を言ってくれる。きっと甘やかしレベルは誰よりも一番だろう。嬉しくて愛おしくて、彼に触れ合いたくて堪らない。耐えらえなくて足先を伸ばすと、すぐに七海さんの足が絡まってきた。とりあえずそれで我慢しながら、早く食事を終わらせるために箸を持ち直していい感じに味が染みている茄子を頬張った。

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