鼓動は確かに此処にあるのに


パチパチと真っ暗な空間の中に何かが弾ける。
その正体が一体なんなのか、深く考えようとしてもそれに反して意識はウトウトが微睡んでしまい、結局最後までその答えを見つける事が出来なかった。
体はぼんやりとまるでぬるま湯の中に浮いているような感覚で、それが何とも言えず気持ちがいい。昔、誰かが人は熟睡してしまうよりも眠るか起きているかを微睡んでいる狭間の時間の方が1番気持ち良い、と言っていた気がする。当たり前に眠っている方が気持ちいいだろうにとその時は思っていたが、なるほど、こういう事かと頭の片隅で納得した。
 
眠るといえば、私は彼と休日に特に予定もなくベッドでダラダラと過ごすのが好きだ。飲み物やお菓子もベットサイドに常備して、必要最低限ベットから出ずに特に何をする訳でもなくのんびりする。各々本を読んだり携帯を触ったりとそれぞれ別の事をしているが、それがいい。朝ご飯と昼ご飯が一緒になった時間にやっとベットから出て、ご飯を食べてからもう空き容量の少ない録画リストの中から適当に選んだ映画を一本見る。それを見終わったらまたベットに戻って、二人で二度寝をするのがお決まりのルーティーンだ。そうするとあっという間に夕方になってしまっている。
折角の休日が勿体ない。と言う人もいるかもしれないが、その何気ない平和な1日が好きなのだ。勿論お出かけをするのも好きだけど、彼と一緒にいるベッドは子供の頃の秘密基地のようなワクワク感がある気がする。

「……、あ、れ…?」



そんな事を考えていると、ふと疑問が浮かんだ。
私は、何で今こんな事を考えているんだろう。
自分の今の状況がわからなくなってきて息と共に言葉を出そうとすると、その声は掠れて上手く紡げなかった。それに気付いた途端、先程まで気持ち良いと思っていた感覚が一気に気持ち悪さに変わった。まるで船酔いしている時のような感覚が込み上げてきて、もう一度ゆっくりと息を吐き出すとズシンと肋骨に重たく響く。口内は血の味が広がっていて、知らないうちに閉ざしていた瞼を開けると周りは薄暗かった。

「…これが、走馬灯…ってやつ、なのかな…」       

何故今まで気づかなかったのか、と不思議になるくらい焦げ臭さと生ゴミの様な異臭も遅れて鼻腔に届く。どうやら、様々な感覚が鈍って全ての情報がシャットアウトされていたようだ。鈍い思考回路の中重たい頭を少し動かして自分の体を確認するが、どうにか五体満足ではあるようだった。
周りに広がる血液の沼はきっと自分ものだろう。止血作業をしなければとは思うものの、鈍器で殴られたような頭痛がガンガンと響いてもうそんな気力はなかった。腕に力を込めたけれど、思ったよりも上がらずにすぐに地面に戻っていく。私の腕がピシャリと血の水面を弾く音が遠くで小さく聞こえた。

「もう、死ぬのかなぁ…」

目視で確認した限りだと深そうな傷口は、ジンジンと熱く感じるはずなのにもう何も感じられない。体から血が足りなくなってきたのか、手先から感覚も薄れて冷たくなってきた気がする。それに加えて頭痛のせいで視界もグラついてきた。
いつも楽観的な私も、流石にもうダメなんだと悟ってしまい何だか周りに回って逆に小さく笑いが漏れた。最後のある足掻きで重たくなった瞼をどうにか閉じてしまわないようにゆっくりと瞬きを繰り返していると、空が夜が明けるように明るくなってくる。きっと、帳が上がったんだろう。明るくなった空は夕日に染まっていて、オレンジ色の中に小さく控えめに光っている一番星が微かにビルの隙間から見えた。

「…最後に、会いたかったな」

こんな事なら、もっと好きだと沢山言えばよかった。
ぶっきらぼうだけどなんだかんだ面倒見がいい彼が、照れてもういいってそっぽを向いて逃げ出すくらいまだまだ言い足りないのに。いつも飴ばかり舐めてる彼のために、出来るなら夕飯だけじゃなくて昼ご飯もお弁当を持たせてあげたかった。もう一度、あの気怠そな目の彼に会いたい。その瞳に私を映して、馬鹿だなって呆れたように笑って欲しい。抱き合って、体温を感じたい。そう思うとどんどん後悔とそれに負けないくらい沢山の思い出と一緒に彼の好きな所が溢れ出してくる。走馬灯を見るのも、案外悪くないのかも、なんて。彼の記憶でいっぱい満たされて最後を迎えるなんて、とても幸せなのかもしれない。それに身を委ねて、ゆっくり目を閉じて冷たくなった唇で愛しい名前を一度だけ呼んだけど、それはもう音に鳴らなく消えていった。
 
 
 _____
 

「……ゆめ、か」

なにか、色々な感情がぐるぐる回っていた気がする。でも、瞼を開けて真っ白い天井が目の前に広がって目が覚めたのだと認識した途端、それが何だったのか全て忘れてしまった。ぼんやりとだが、それは楽しい夢だった気がする。そう思いながらもう一度瞬きをすると、左目から一粒だけ涙が伝って横に流れた。
改めて天井を見つめて、鼻から息を吸えば少しだけ冷たい空気が肺一杯に入ってきて頭がクリアになる。体を起こそうと身動ぎをすると、寝ていただけなのに骨が軋み特に腰が痛かった。少しずつ状況を把握しようと左右に寝返りすると、私が寝ていたのはパイプベットだった。なるほど、体の痛みは長時間寝るのには不向きな少し硬めのマットレスのせいだったらしく、自分の歳が原因じゃない事に少し安堵する。ゆっくりと上半身を起こしたところで、小さな空間を作り出してくれていた薄いカーテンの向こう側にゆらりと誰かが動く気配がする。同時にシャッとカーテンレールが流れる音がして蛍光灯の光が差し込んできた。

「あぁ、起きたか。おはよう。調子はどうだ?」

眩しさに慣れる為にパチパチと何度も瞬きをして、やっと目の前の人物がぼんやりとしたシルエットから形を成してくる。疲労をわかりやすく形にしたような目の下の隈は深くて気怠げな雰囲気を醸し出しているのに、どこかそれが様になっていて綺麗な顔が徐々にクリアになった視界に現れる。儚い、とはまた違って、芯の強さを感じられるのにそう感じるのは彼女が纏う空気感のせいなのかもしれない。まさに見惚れてしまって問いかけれられた言葉に答えられないでいると、それに嫌な顔はせずに彼女は私の足元のベットの空いた空間に腰かけた。

「傷は大体治したよ。痛みはある?3日寝ていたけど、まぁあれだけ出血したら体力も消費したんだろう」
「え⁉︎3日も寝てたの⁉︎」
「なんだ、口聞けるんじゃないか」

私が驚いて思わず声を上げると、そんな様子に彼女はクスリと小さく口端を上げて笑った。まさに大人の余裕に、こんな自分との差に恥ずかしくなって手元に視線を落とした。そんなに寝ていたなんて信じられないけど、自分の指先がいつもより白い気がするからきっと体調は万全ではないんだろう。

「あ、あの…」
「ん?」
「ここって、どこですか…?」

どうやら私を治療してその上3日間も看病してくれていた彼女に先にお礼を、とも思ったが、何よりも一番今気になる疑問が先に口から出てしまった。明らかに自分の部屋ではない真っ白い空間は、全く見覚えがなかった。最初は病院かと思ったけれど、カーテンの隙間から書類が山積みのデスクが見えるからきっと違うんだと思う。様子を伺っている私に、彼女は一瞬瞳を丸くした。しかしすぐに元に戻り、控えめに色付いている艶っぽい唇をゆっくりと開く。

「…君はさ、何で自分が怪我したか覚えてる?」
「怪我?…何でしてる、んですかね…?」

一言一言を噛み締めて、それを私に理解させるような口調で言葉を紡ぐ彼女の唇からブラウンの瞳に視線を移す。最初に出会った時から、彼女は私が怪我をしていると言っていた。でも、3日も寝込んでいた怪我にも関わらず体はどこも痛くない。確かに起きた時の体の痛みはあったが、そう言う類ではないと思う。どこを怪我したのか、いつ怪我したのかわからない。何で、なんでなんだろう。

 「“わたし “って…、だれ…?」

何も、思い出せない。どうしたんだろう、何があったんだろう。いきなり全てがわからなくて、心臓が冷えてギュッと締め付けられる。人は縋るものが世界にないと思う
と、酷く不安で苦しいものなのかと初めて知った。いきなり押し寄せてきた言いようもない恐怖に襲われて、無性に泣きたくなって伏せていた目を上げるとそこでまた息が詰まった。

「これは、此処じゃなくて一度大きい病院に行ってもらわないとね。」

淡々と私を見てそういう彼女は表情は先程と全く変わっていないのに、何だか彼女も泣きたいと言っているように見えた。そのまま背を向けてデスクで電話を手に取る彼女を見つめながら、自分の指先に触れるとひんやりと冷たい。心なしか気持ち悪くなってきて吐きそうだ。今は何も考えたくなくて、大人しく瞼を閉じてベットに沈むとドクトクと血が運ばれる感触がして自分の鼓動が聞こえる。それなのに、まるで此処に私がいないみたいだった。




- 1 -


TOP