足元から崩れていく
昨日も今日も、良い意味でも悪い意味でも特に変わり映えのない一日だった。いつもと同じように呪いを祓って面倒な事をのらりくらりと躱して、家に帰って飯食って寝る。そんな味気ない日々の中でも、ほんの一つだけ色のある存在。そんな小さなものでさえも、神様っつーもんは許してくれないらしい。
「…あー…、もう朝か。」
ピピピッと機械的な音で時間を知らせるアラームに重たい瞼を仕方なく開けると、すぐに体の重さを感じた。この年になると何時に寝ても疲れは抜けないもので、寝起きの段階から気怠さに襲われながらベットから這い出る。
ハンガーに適当にかけているいつものワイシャツやコートの横を通り過ぎて、適当に衣装タンスの一番上にあった白いTシャツに腕を通す。普段と同じ洗剤と柔軟剤を使っているはずなのにどこか違う香りに感じたのは気付かないふりをする。一度だけ深くゆっくりと息を吐き出してから、クローゼットの中から大きめの鞄を引っ張り出した。
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「日下部一級呪術師!ご報告が…!」
毎度面倒な報告書を作成している最中に、立て付けの悪い扉を開ける音と自分の名前を呼ぶ声が事務所に響く。そんな声色で名前を呼ばれりゃ絶対に厄介事確定で、振り返りたくなかったが続いて補助監督から出た名前に椅子を軋ませながら立ち上がった。
「外傷はありますが、命に別状はないとの事です。…しかし、報告にない呪詛師に遭遇したようでして…」
「わかった。お前は仕事に戻ってろ」
歩く足を止めない俺の斜め後ろで補助監督が必死に説明しながら追いかけてくる。一度振り返って彼の肩に手を置くと、彼は中途半端に開いたままの口を閉じて頭を下げて来た道を戻っていった。
確か、今日のアイツは肝試しスポットで有名な廃墟の二級呪霊の討伐だったはず。呪霊はなんて事ないくせに幽霊は謎に嫌いなようで、何度か行きたくないと愚痴を漏らしていた。肝試しをするような馬鹿達のせいで、そこまで強くない呪霊が数体湧いてるだけのよくある簡単な任務だ。しかし、報告のない呪詛師によってその任務も難易度が場合によっては跳ね上がったのだろう。追加の報告がない今深く考えても何も出来ることはないとわかってはいるが、苛立ちは隠せずに奥歯でまだ溶けきっていない飴を噛み砕いた。
医務室に進む足が心無しか早く大股になっていたが、いざ目の前に着くと扉に手をかけて数秒止まってしまった。怪我なんて俺たちは日常茶飯事で、命を落として来たヤツなんてごまんと見てきた。それに比べた今回の怪我くらいなんて事ねぇのになぜか今回は日和ってしまって、そんな自分が馬鹿らしくなりハッと吐き捨てるように鼻で笑ってからガララッと音をたてながら扉を開けた。
「…あぁ、日下部さん。お疲れ様です。」
「家入、迷惑かけたな」
「本当、無茶するから困ったもんですよ」
相変わらず色素の薄い皮膚の下の隈が見える家入が椅子から立ち上がると、呆れたように吐き捨てながらカーテンを開く。そこに足を向けると、ベッドの上にアイツが眠っていた。着ているシャツは元の白さがわからないくらい赤黒く染まっていて、治療の為脱がされたであろう上着も、朝家を出た時よりもだいぶ布地が減ってボロボロになっていた。しかし流石といっていい程に、本当にそんな外傷があったのか疑うくらいに治療されていて、改めて家入の反転術式の治癒力を実感した。
「出血が多かったので、今日は起きないかもしれません。」
「そうか。助かった。」
頭を下げると、家入は肩をすくめカーテンを閉めて自分のデスクに戻って行った。
改めて彼女を見下ろすと、小さく胸元が上下動いている。その動きを見て、きちんと今ココで、彼女が生きているのだと実感出来た。張り詰めていた息をはぁーっと長く吐き出し、頭をガシガシとかく。とりあえずは、家入が治療してくれたので命は大丈夫だろう。出血のせいでいつもより青白い頬に手を伸ばすと、体温は低めだがちゃんと温もりがあって改めて安心した。いつもは自分の柔らかさも何もない手豆だらけの手に、こいつは嬉しそうに目を細めて頬を擦り寄せてくる。何が楽しいのか全く理解できないが、それを伝えると日下部さんはわかってないなぁと気の抜けた顔で笑っていた。彼女からの反応がない事に寂しさを覚えちまったのを誤魔化すように、トレンチコートのポケットの中に両手を突っ込んで、その日は医務室を後にした。
次の日に任務の合間に様子を見に行ったが目覚めず、今日で彼女が倒れてから3日目になった。
この職業だと、死とは当たり前に隣り合わせだ。結局は自分の力量と技術と運次第。一丁前な正義感で自分を犠牲にする奴はその分死に急いでるし、容量良ければのらりくらりとそれを回避出来るちゅー事だ。だから神だの仏だの何だのは信じた事はさらさらない。しかし、アイツの血だらけの姿を見た晩は、柄にもなく神様ってやつに祈ってみるのもアリかもと頭の隅に過った。
報告書を切り上げて医務室に足を運ぶと、そこには家入の姿はなかった。彼女の反転術式は貴重だ。恐らく忙しく何処か治療に駆り出されてるんだろう。構わず中に入ると、ふと何か動く気配がする。それを感じるのは数日通い詰めている白いカーテンの向こう側で、無意識で早足にそこ向かい勢いよくカーテンを開けた。そこには血だらけの服から医務室のものであろう無地のパジャマに身を包んだアイツがいて、突然開けた視界と俺の存在に目をまんまるく開いてベッドの上で固まっていた。
「…はぁ…。たく、心配かけんなよ…」
「え、あ、すみません…?」
お互いに顔を見合わせて暫く固まっていたが、先に俺が溜息と言葉を深く吐き出して動き出した。それでやっと彼女も意識が戻ってきたようで、ハッとした後に視線を四方八方彷徨わせながらおどおどとし謝罪してくる。そんな様子に、何だか拍子抜けして体の力が抜けてしまい、ベッド脇のパイプ椅子にどかりと座り込んだ。
「で、体の調子は?どこか違和感はあるか?」
「あ、いや…多分傷は平気かも…?痛くはないです。」
「そうか。まぁアレだな、今度ちゃんと家入にお礼言っとけよ」
「あー…はい。了解しました。」
ベットの上に座っている彼女はまだ万全ではなさそうだが3日前よりも顔色は良くて、なんつーか、ちゃんと生きてるって改めて実感出来た。自分が思っていたよりも肩の力が入っていたのかその顔を見ると脱力しちまって、背もたれに体を預けながらまじまじと目の前の彼女を眺める。本人はその視線に居心地悪そうに相変わらず視線を色んな場所に移して落ち着きない様子だ。どうせヘマしたから俺に叱られる、とでも思ってんだろう。
「…まぁ、お前が無事で何よりだよ。」
「あ、あの!」
不注意故なら怒りたくもなるが、今回は報告にない呪詛師が現れたから難易度が上がっただけで百パーこいつの責任ではない。寧ろ命を落とさなかっただけ偉いもんだ。
起きて早々余計な心配している彼女を安心させてやるために、いつものように頭を撫でようと手を伸ばす。しかしそのタイミングで遮られるような発せられた大きな声に、その手は行き場をなくして宙で止まった。
「すみません、私まだあんまり自分の事ちゃんとわかってなくて…。えっと、お兄さんは私の職場?の人ですか…?」
「……は?」
振り絞るような声は、少しだけ震えている。困惑と、それを誤魔化すように小さな笑みは酷く不恰好で彼女には似合わないと思った。それよりも、その内容自体が大問題だ。コイツは喧嘩した時に俺をオジサンとか悪態ついてくる事はあっても、お兄さんだなんて絶対に言わねぇはずだ。からかってる様子もないのが尚更意味がわからずにいると、よほど俺が険しい顔をしてんのか小さく怯えた声を漏らしながら彼女はベットシーツの上で後ずさった。その様子に、この3日間俺の彼女のことを心配していた気持ちを全て拒絶されたような、そんな感覚だった。それは悲しみより苛立ちに変換され、思わず口を開くとまたもや遮るようにシャーッと軽快にカーテンが開く音が背後から響く。
「あぁ、日下部さん来てたんですね。ちょっといいですか?」
そこには家入が立っていて、俺の姿を確認するとちょいちょいと手招きをする。今それどころじゃねーだろ、と言いたかったが家入がそれも見透かしていると言いたげな顔で俺を見下ろしているので従うしかないらしい。今アイツがどんな顔をしているのか見るのは億劫で見ないまま立ち上がったが、古いパイプ椅子が苛立ちも相まって少し大きな音が出てしまい、視界の端でまた彼女の肩が小さく揺れるのが見えた。
「家入おい、あれは…」
カーテンを閉めて家入に大人しく着いていくと、彼女はそのまま医務室を出て廊下に出て建て付けの悪い扉を閉めた。そこでやっと言いたいことを言うために口を開いたが、次の言葉が出てこなかった。だってありゃ、あの様子だと、アイツは記憶がすっぽ抜けちまってるっつーことだろうよ。信じたくなかったが、そんな俺を見て家入が頷いたのでこの仮説は確実にクロで間違いねぇらしい。
「何が原因かわかりませんが、傷は治療しましたが頭も強く打っていたようなので脳にもダメージがある故のかもしれません。あとは…」
「…呪詛師が絡んでるかもしれねぇ、ってワケか?」
彼女の肯定に思わず舌打ちが漏れてしまい、苛立ちの矛先が見つからず乱暴に後ろ頭をガシガシとかいた。こんな時に限ってちょうど先程飴を切らしてしまい気を紛らわすもんがねぇ。よく見ると家入自体もまさかの展開に少なからずピリついているようだった。お互いの気苦労を感じながら廊下の壁に寄りかかる。窓の外は重たい雨雲のせいで普段のこの時間より薄暗くなってきていて、数滴窓ガラスに雨が降ってきていた。
「運ばれてきた彼女には当時呪詛師の残穢も残されていました。しかしまだ報告のない呪詛師だったので、術式などは不明なので断言は出来ません。」
「そうか…」
彼女と呪詛師が対峙していた事は考えていなかったわけではない。寧ろあれほど負傷しているならば戦闘はあっただろうとは考えていた。その中で情報のない術式についてはアイツが起きてから聞くことができれば運がいい、くらいにしか思っていなかったが、それ以上に最悪なレアケースだった。彼女が一体どこまで、何を忘れて覚えているのか今すぐ聞きたいところだが、それは家入に任せた方がいいだろう。
「とりあえず、一度脳の検査が出来る病院に検査入院させます。日下部さん、あの子の着替えなどお願いしてもいいですか?」
「…わかった。よろしく頼む。」
家入の反転術式は脳の細かな血管まで傷は治せても、それこそ脳波の反応までは検査できない。念の為にそこの可能性を潰してから次のステップに進みたいんだろう。今の俺は小さく頭を下げる事しか出来なかった。話をしている内に雨が窓を叩く音は徐々に増していき水滴だったものが一面の水の筋になっていく。扉の向こうにいる彼女に一声かけてもよかったが、優しい言葉をかけれそうになくてそのままその場を後にした。
「こんなもんか…」
検査入院も4日程度らしいので、持っていくものは下着やスマホの充電器などで事足りた。パジャマやタオルもレンタルがあるし、シャンプーなどの消耗品も備え付けのものがあるらしい。入院している病院も俺たちの仕事と提携している病院だから色々融通がきくようだ。大きな鞄に入れたが意外と空きがあるが、まぁ小さいよりかはいいだろう。鞄をソファーに置きそのまま自分も座りたいところだが、そうすると行くのが余計に億劫になりそうでどうにか絶える。
タンスの上にある誰かのお土産でもらったよく分からんデザインの受け皿に家の鍵を置いているので手を伸ばしたが、その隣に置いてある写真立ての前に足が止めた。
「……たく、今はクソめんどくせーことになってんのに、能天気に笑ってんな…。」
普段二人で写真を撮ることなんてほとんどない。撮るとしたらお互いに相手を不意に撮るか、それか隠し撮りするかだ。だからどうしても一枚だけでもいいから一緒に撮りたい!とアイツが我儘言うので渋々撮った写真。俺も別に笑ってないし、なんならピントも後ろの風景に向いていてお世辞でも良い写真とは言えないが、アイツは余程嬉しかったのか、こうしてご丁寧に写真立てに入れてまで飾っていた。そんな下手な写真でも、その中の彼女は本当に嬉しそうに笑っているから俺もなんだかんだ気に入っていたが、今では酷なものでしかない。タンスの一番上の引き出しを開けると、見つからないように一番奥に隠しておいた黒い小さな箱が顔を覗かせてくる。中身のモノは開けてもらうのをきっと楽しみにしてるだろうが、このままだと出番なく終わりになりそうだ。
「…あー…、下着は買った方がいいか…?」
引き出しを締めてから、ふとそう思う。彼女にとって、いきなり知らないおっさんから下着を届けられると困惑でしかないだろう。ま、それは新品買っても同じか。もう此処までくれば、別に変態なおっさんのレッテルを貼られてもいいかと謎の自暴自棄になってきた。
写真立てを倒してしまえば、この小さな思い出も蓋をすることが出来てなんだか自分の心も軽くなった気がする。少しでも現実から目を逸らしたくて、そのまま鍵を握りしめて軽い鞄を持って自宅を後にした。
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