溺れる。


全ては夏のせいだ


理由をつければ、夏だったから。
梅雨が明けてやっと雨ばかりの日々が終わったと思えば、その分気温が上がっていきなり夏が来る。そんな中でも任務は変わらず呪霊は暴れまわるので、ギラギラの太陽の下で走り回らなきゃいけない。呪術師の繁忙期は春から夏にかけてだ。年末年始に増加した人の負の感情が、寒さが緩むと同時に活性化されて呪霊へと変化する。そんな、サナギから蝶々になるみたいに呪霊が産まれられてはコッチはたまったもんじゃない。春から昼も夜も週末も、ずーっと働かされて勘弁して欲しい。それに、呪霊を除いても暑くなってくると熱に逆上せた変な奴らが若干多い気がする。まとめると、夏は労働ばかりで嫌気がさすから、不満を発散したいのだ。

「あー、疲れたー…。んじゃ、新田ちゃんお疲れ様―」
「お疲れ様っス!」

今日は奇跡的に定時で上がることが出来て、補助監督に新田ちゃんに別れを告げてから少し浮ついた足取りで廊下を歩く。任務を終える時には呪霊の体液の他にも土煙や埃まみれで気持ちが悪くて、そのまま高専の更衣室へ向かってシャワーを浴びた。今すぐ寝てしまいたい位疲れていたけど、お陰で少しだけスッキリした。こんな日は暑い中毎日頑張ってる自分を労わりたくて、髪を乾かしながらドライヤーの音に乗せて唸った。何だか今日は、このまま帰るのはちょっと勿体無い気がする。どうしようか悩んでいると、ふと頭に彼が浮かんでドライヤーのスイッチを切ってからスマホを取り出してメッセージを一通送ってみる。

『今日 呑みにいかない?』

軽く髪の毛を手櫛で梳かしている最中に、普段は既読をなかなかつけないくせに珍しくすぐにポコンと通知の音を知らしてきた。

『どこにいるんですか?』

場所を聞いてきたという事は、肯定という意味で受け取っていいのだろう。ヨシっと小さくガッツポーズを漏らしてからトークを返して、鏡で髪型を確認する。お風呂上がりだからメイクはあんまりしたくないけど、最低限の身だしなみで軽くパウダーをつけてリップだけのせておく。汚れた服を適当に丸めて鞄に押し込んで、オフ着に腕を通してから更衣室を後にした。

_____


「…何してるんですか?」
「あ、七海!こっちこっち!」

日が沈んでくると、駅前もどこの飲み屋も賑わってきた。行きつけの焼き鳥屋さんに入って、店主に軽く挨拶をしてからカウンター席へ座る。たまたま隣にいたおじさんと世間話をしながらお通しをつまんで先に一杯飲んでいると、いつものようにスーツに身を包んだ七海が暖簾を潜り入り口で立っていた。席を立って彼に手を振れば、賑わう店内の人を避けながら七海が此方へ向かって歩いてくる。手招きをして待っていれば、おじさんが私の知人が来たのに気付いていつまにか横にズレて隣の席を開けてくれた。きっとまだおじさんのお尻の温もりのあるその席に、七海は眉間に皺を寄せて溜息を吐きながら私達の間に割り込むように腰掛ける。
うんうん、わかる。そんな顔したくなるくらいに外暑かったよね。
席に着くなり、七海はジャケットを脱ぐと苛立った様子でネクタイを緩めてサングラスを胸ポケットに押し込んだ。

「七海、何飲む?」
「とりあえずビールで。」

私はもう残りが少ないビールを飲みきって、七海のビールと一緒にハイボールを頼む。七海はメニュー表を見ながら店員さんにしっかりめの食事を頼むので、どうやらご飯は食べてきてないようだった。そんな様子をしみじみと見てると、メニューを閉じてサングラスを外している七海の瞳と目があった。

「なんですか?」
「いや、七海も暑さとか感じるんだなあって。暑い?」
「暑いに決まってるでしょう。今日三十八度ですよ」
「半袖シャツとかにすればいいのに。クールビスってやつ?」
「鉈を鞄に入れるのも面倒なので」

確かに、と納得していつも鉈を固定するハーネスベルトをつけている広い背中を見つめる。高専の時は大きいバックに鉈を入れていたけれど、ジャケットの下に忍ばせる今の方がすぐ取り出しやすそうで効率が良さそうだ。昔一回だけお巡りさんに何を持っているか確認していい?と声をかけられた時、まだそういう時の受け答えに慣れていない七海が物凄く眉間の皺を寄せていたのを思い出して一人で笑ってしまった。
そんな私を怪訝そうな顔で大人の七海が見ているのも面白くって、人差し指で眉間の皺を押してみた。嫌がられて手を払われるかと思ったけど、意外と抵抗されなかった。彼の眉間の皺を伸ばして緩めてをマッサージするように黙々と繰り返していると、流石数回目にはやめろと止められてしまう。そのタイミングで店員さんが二人分のジョッキをカウンターから差し出してくれて、それを受け取る為に腕を伸ばす。その時に視界の端の七海が動くのを感じた瞬間、不意に横から伸びてきた手に髪の毛を撫でられる。いきなりの事に驚いて、思わずビールの泡が揺れジョッキを伝い少し溢れた。

「な、んでしょうか…?」
「いや、シャンプーの匂いがするなと思いまして。風呂に入ってきたんですか?」
「あー、うん。汚れたし汗かいちゃったから、高専でシャワーだけ浴びた。」

目を丸くして見上げると、七海は平然として私の毛先を遊ぶように指にクルクルと絡ませている。び、っくりしたぁ…。高専の頃からの同級生で、まぁ一回は七海は呪術師離れた期間はあったけど…。それくらい付き合いは長いけどこんな風に彼から触れられる事は少ないから、ちょっとびっくりした。自分の使いかけのおしぼりで濡れたグラスを拭いてあげてからビールを七海に手渡すと、やっとその手は離れて行った。不意打ちのせいなのか、それとも珍しい行動に緊張してしまったのか、何だか心臓がちょっぴりドキドキしてる。

「そうですか。…というか、緊張しすぎですよ」
「…うるさい」

隠していたつもりだけど、七海にはバレてしまっていたらしく面白そうに喉奥で笑われるから、悪態つきながら肘でど突いておいた。くそぅ、七海なんかに私ばかり翻弄されていてちょっと悔しい。すると店主が注文した焼き立ての串盛りなど持ってきたので、七海が受け取っている隙にバレないように椅子を少しズラして距離を取る。改めて、暑さのせいで水滴が溜まり始めたジョッキでやっと乾杯をした。

「…今日、二人ですか?」
「ん?うん。どうして?」

互いに手を合わせまずは王道にねぎまから手に取る。熱い竹串に火傷しないようにしながら一口齧り付くと、鶏肉のジューシーさとネギの旨みがいい塩梅で口の中に広がる。口内もお腹も心も満たされて、そういえば私も忙しくて昼食を食べてなかったのを今更思い出した。その旨みをツマミに、ハイボールを煽るとまたビールと違うウィスキーと炭酸がグッと喉奥を通る。あぁ、前言撤回。夏って最高。幸せだ。さっきの憂鬱さを忘れるくらい、美味しいご飯とお酒の組み合わせが一番際立つ季節だと思う。美味しさに恍惚としていると不意に七海から問いかけられて、追いハイボールに飲みながら返事をして小首を傾げた。

「貴女のことなので、五条さん達も誘っているのかと思いました。」
「あ、思いつかなかったや。呼ぶ?」
「いや、二人でいいです。五条さんがくると帰れなくなる。」

七海の言葉でいつもウザ絡みしてくる先輩がひょっこりと脳裏に顔を覗かせた。すぐに出てきたのが七海一択だったから、その候補は全く思いつかなかった。てっきり呼んで欲しいのかと思ってスマホを取り出して画面に指を滑らしてると、大きな手で包まれそのまま携帯を奪われて画面の電源を切られる。すると折角さり気なく開けた距離が、七海が椅子ごと詰めてきたから結局元通りになってしまった。いや、寧ろさっきよりも近いかも。そのせいで私の肩と七海の腕が触れ合って、思わずどきりとする。本当に、
今日はどうしたんだろう。

「…貴女、なんでそんな格好してるんですか?」
「へ?」

ポツリと吐き出された言葉にキョトンとする。自分を見下ろしてみても、別に普段通りだ。着替えのラフなショートパンツとこの間買ったシンプルなロゴシャツなだけだし、髪は巻いてないけどちゃんと乾かした。…もしかして、メイクが薄過ぎとか、適当な格好過ぎるってこと?七海って意外とお出かけの時の女の子のおめかしとか身だしなみ事情気にするような男なのかな…?彼の異性への理想像を勝手に推測してると何が正解がわからなくなってきて、困ったように首傾げるとまた溜息を吐かれる。

「出し過ぎでしょう、イロイロ」
「…え、もしかして三十手前のくせにやめてくれ的な意味?喧嘩売ってる?」
「いや、そういうわけではありません。…変な人たちから、絡まれるでしょう」
「別に絡まれても倒せるよ。まぁ、まず悲しきことに絡まれないけどね!」

最初言われた意味が分からなくて、数秒してからやっと彼の発言の意図を理解する。確かに、普段若い生徒達と関わり合ってるから忘れがちだけど、ふと肌のコンディションが悪くてメイクのノリが微妙だったり、小学中学校の友人がSNSなどで子供が産まれた投稿を見たら、あー自分ってもうすぐ三十だったなーってしみじみする事はあるのは事実だ。だから自分の格好が年相応じゃないと言われてるのかと思って、下から睨みあげながら拳を握って見せたけれど、どうやらまた違う意味らしくとりあえず安心した。私の圧に一瞬たじろいた七海が咳払いして言葉を続けるので、そんな事かと笑い飛ばしてさっき彼に向けて握りしめていた腕で力こぶを作ってみせる。そんな私の様子を七海は呆れたよう見つめて、グイッとジョッキの中身のビールを飲み干す。ジョッキを煽った時に男性特有の喉仏が揺れていて、とても美味しそうに感じる。惚けてそんな様子を眺めていると、ジョッキを置いた七海と視線が絡む。そしてまた少し距離を詰めてきたので身を引こうとしたけど、腕を掴まれて離れられなかった。

「貴女は、無防備過ぎるんですよ」

至近距離にある真剣な目線に息を飲んだ。そういえば、サングラスを外して直接こうやって目が合うのは久々な気がする。学生の頃から、よく七海にこうやって怒られるけれど、自分はそんなに自覚はなかった。むしろ周りの事にちゃんと気を配れるタイプ、だと思ってはいる。上手に返答が出来なくて目を離せられないでいると、さわりと太腿に何か這う感触がした。驚いて目線を下ろしたら、七海の指先がショートパンツから出ている私の足を撫でていた。

「な、なみさん…?」
「そこら辺の男たちがエロい目で見てるのがわからないんですか?」

少しカサついた指が、ゆっくりと膝下から太腿まで撫であげてくるのでくすぐったくて身じろぎする。最終地点のショートパンツまでくると、裾のラインを指先でトントンと叩く。触れるか触れないかのタッチに、まるで火傷したみたいにそこがジクジクと熱を帯びてくるのを感じた。何やってんの、と笑って止めなきゃ。そう思うのに、口から出るのはハッハッと短い自分の呼吸だけで、自分の肌を滑る七海の手から目を離せなかった。そうすると、七海の指先がショートパンツの裾のラインを確かめるように撫でてから、クッと端に指をかける。私の太腿とパンツの間に七海の第一関節が埋まって、まるでそれがこんな薄っぺらい布一枚の境目なんて簡単に取り払う事が出来るぞ、と分からせられてるみたいだった。
色々な感情でもう爆発しそうな私に、七海は顎で後ろを指してきて、やっとそこから視線を外す。一体なんだろうと後ろを振り返ると、ガヤガヤと皆が飲んでいる中でテーブル席にいる何人かと目があって、すぐにパッと逸らされた。そんな彼らが、彼の言うエロい目線…ってやつらしい。でもそれは私にではなく、こんなに密着してくる七海への視線じゃないかとも思う。だって、目の前にいる昔馴染みのこの男は、もう色気しかない。そう反論したいけど、発言すれば一が十になって帰ってきそうで、躊躇われたので大人しく口を紡いだ。

「頼むから、警戒心をもて」
「は、はい…」

珍しく口調が崩れた言葉に、私は返事しか出来なかった。それを反省したと捉えたのか、七海は小さく息を吐き出すと案外さらりと体を離した。何事もないかのように梅茶漬けをかきこんでいる七海を惚けてみて、さっきまでのは夢だったのかなとさえ思えてくる。何だか私一人だけ翻弄されてドキドキしてるのがバカらしくなって、冷やしトマトを頬張りながら二杯目のビールをオーダーした。

「…七海、酔ってるー?」
「ん、ぼちぼちですね」

それからは何もなかったかのようにいつも通りに後輩達の話とか上の悪口などに花を咲かせた。食事もお酒も進んで、いい感じにほろ酔いになってきて気持ちがいい。カウンターの料理は結構無くなってきて、黙々と食べている七海を頬杖をついて眺める。七海って意外とこういう時よく食べるから見ていて面白い。流石男子、といったところだ。そう思うと、さっき触れてきた手も胸板もしっかりしていて、線が細いイメージだった学生の時との違いをしみじみと感じる。改めて、彼は男性なのだと意識してしまった。お酒のせいか、それとも七海との触れ合いに酔ったせいなのかホワホワとしてきた私とは裏腹に、彼は全く顔色は変わらず酔ってなさそうに見えた。


「明日、仕事ですか?」
「ううん。休み。七海は?」
「午前に一件。あと今日の報告書を提出しに行きます」
「あ、私が誘ったからごめんね。そしたらあんまり遅くなると明日きついね」

よく見ると、七海の目元は薄っすらクマが出来てる。私も彼も、きっと今自分が何連勤中なのかもうわからなくなっている。つい、色素の薄い肌に刻まれたクマに手を伸ばして七海の目元に触れてみると、目線が絡んだ。その瞳は先程よりもお酒のせいか少し水分で潤っていて、やっぱり彼も酔ってはいるのかもしれない。口を開こうとした瞬間、店主がラストオーダーの有無を聞きにきたので慌てて手を引いてお会計をお願いした。気付けばすっかり店内は騒がしい声が少なくなってきていた。

「送っていきます。」

ずっと前からの二人のルールで、今回も割り勘でお会計した。お互いに同じくらいお給料は貰っているし、いつまでも七海とは対等でいたいから、女だから少なめとか奢ら
れるとか、そういうのは嫌だった。
外に出るために荷物を纏めていると、ふと上から声が落ちてくる。見上げるといつも通りジャケットを羽織って立っている。七海はこうやってご飯の後はいつも送ってくれるし、別になんてことないはずなのに、何だか今日はその言葉に緊張してしまった。声にならない言葉を口の中でもごついていると、いきなり七海が噴き出した。

「送り狼にでもなってくれ、って顔してますよ」
「は、はぁあ⁉︎」

確実に酔いではない熱が一気に顔に集まってくる。思わず大きな声が出てしまって、意地悪そうに笑う七海を睨みつけたけど効果は全くないようだった。今日は私一人振り回されていて、本当面白くない。悔しくて先にお店の外に出ると、外は暑さは日中よりも少しは和らいだもののぬるり風が頬を撫でて、冷房のない外にまたじとりと汗が滲んでくる。

「で、どうしますか?送られますか?」

暖簾をくぐって追いついてきた七海が、さっきより真面目な声で問いかけてくるものだから思わず立ち止まってしまう。でも振り返ると、相変わらず悪戯っ子のような笑みを浮かべている気がして恨めしい。

「…七海のバカ」
「昔から私の方が成績良かったでしょう」
「うるさい。…仕方ないから、送られてあげる。」
「はいはい、素直じゃないですね」

せめてもの抵抗で、バカとまた呟いて汚れ物の入った鞄を差し出すと、躊躇う事なくそのまま持ってくれる。重たいと思っていたのに、七海はなんともなさそうでまたそれも悔しい。すると空いている方の手を差し出されて、暫くその掌を眺めていて立ち止まる。最終的にはいつまで経ってもフリーズしてる私の手は七海に絡め取られ引かれた。

「…キスでもしておきますか?」
「調子乗んなバカ!」

触れ合う肌からじわじわと熱が広がっていく。それが私の熱か、それとも七海かわからない。七海の余裕そうな態度が癪で、小さな抵抗で指を絡めて握り返してやった。


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