ハッピーバレンタイン
「知ってた?七海一級術師って本命以外チョコ受け取らないらしいよ?」
たまたま、耳に届いた言葉。その会話の中にいるのが正しく今姿を探している自分の同期の名前で、思わず足を止めてしまった。
「あ、それ聞いたことあるかも。」
「新人の補助監督の子いるじゃない?あの子が知らないで渡そうとして、断られたからトイレで号泣してたらしい」
「あちゃー。でも、まぁ、遠回しにフラれてるようなもんだもんねー」
チラリと通路の角から声の方向を見ると、自動販売機の前で補助監督の子が珈琲を片手に二人で雑談をしていた。二人とも確か私と年が近い子で、送迎も何度かしてもらった事がある。何だか聞き耳立てているようで申し訳ないが、聞こえてきたんだから不可抗力だ。うん、しょうがない。
どうやら彼女達も私に気付いてる様子は無いみたいだった。一度体を引っ込めて、今度はちゃんと聞き漏らさないように聞き耳をたてながら息を殺し極力気配を消した。
「でもあの子、美人だからお似合いなのにね。七海一級術師の本命ってどんな人なんだろ?」
「さぁ?でも美男美女なのは間違いないよね!噂では、呪術師離れた時に出逢った人なんじゃないかって!」
「一般人ってこと?でも確かに、仕事にプライベート持ち込まなさそー!」
まだまだ年頃の、浮足だった話があまりないこの世界なのもあり二人は楽しげに黄色い声をあげて笑っている。新人の補助監督、はきっとこの間の子だと思う。京都から来たその子は、真っ黒な髪は触らずともツルツルサラサラで、長い睫毛と白い肌は儚さとその中に強さも感じられた。大和撫子、という言葉がピッタリな位美人な人だ。七海とその子が並んでる姿を想像してみれば、誰も文句つけられない位に美男美女で想像なのに眩しい。
顔がいいって良いなぁ、なんて勝手に妄想してると、楽しそうな笑い声が遠ざかっていくのに気付いた。また角から顔を出せば、もう彼女達は休憩時間を終えたのか姿がない。
「………これ、どうしよう。」
隠していた姿を出したものの、噂のイケメンを探して歩いていたので行き場がなくなって廊下の真ん中に立ち止まってしまった。私の手元には、茶色の紙袋が寂しくブラリとぶら下がっている。
高専時代は、最初に灰原と七海にお世話になってるから食堂を借りて一生懸命作った。灰原はすっごく喜んでくれて、普段表情のあんまり変わらない七海も柔らかい表情をしてたから、私もすごく嬉しかった。二年目は、灰原はいなかった。どんどん衰弱していく七海に耐えられなくて、コンビニでチョコ系のお菓子を全部買い占めて七海の部屋にばら撒いてやった。
「馬鹿なんですか?」
そういって七海は弱々しく困ったような呆れなような表情で、やっと小さく笑ってくれた。あの時は食べ切るのに二週間くらいかかったっけな。懐かしい。
思い出に耽りながら、改めて手元の紙袋を見下ろしてみる。あれから私たちの中で勝手に恒例になったバレンタインとホワイトデーのチョコレート交換。まぁ、私が一方的に毎年贈りつけてるだけだけど。七海は律儀にいつだってお返しをくれるし、受け取ってくれるが、まさかそんな事実が隠されていたなんて予想外だった。
昼間の情報番組で大人気!凄く美味しい!って特集されていたブラウニーを休みの日にちょっと遠出して買いに行ってみたのに、贈り先にこの子を届けることは出来ないようだ。
「七海にあげないとなると、お世話になってる伊地知くんか…お返し目当てに五条さんもいいな…」
「私がどうしたんですか?」
「ほぎゃー!」
グルメな七海は何が喜ぶかな、なんて考える時間も楽しかったのになーと惜しみながら紙袋の紐をくるくる指先に絡めながら独り言を呟いてると、不意に背後から聞こえた声に変な奇声をあげてしまった。慌てて振り返れば、今考えていた噂の主が私の奇声に眉を顰めて立っている。
「な、なななな七海!脅かさないでよ!」
「"な"が多いですよ。それに、私は廊下の真ん中に突っ立ってる貴女に声をかけただけなので、驚かしたつもりはありません。」
七海は淡々と言葉を紡ぎ、その唇の隙間からフゥー…っと深い溜め息を吐き出して特有のサングラスの位置を整える。驚きでバクバクと五月蝿い心臓を落ち着かせる為に胸元の服を握りしめて深呼吸を繰り返していく内に、どうにか呼吸は落ち着いてきて肩の力を抜いた。
「それで、何か用ですか?」
「あー…っと…」
それをずっと見下ろして待っていた七海の言葉に、ハッとして思わず紙袋を後ろに隠す。用事かと問われれば、コレを渡すために探していたけれど…噂が本当ならば話が変わってくる。
「えっと、元気かなー…なんて…」
「特に普通ですよ。3日前に任務で一緒だったでしょう?」
「まぁ、うん。そうだね。」
誤魔化すために言葉を振り絞ったけれど、すぐにバッサリと切り捨てられた。あはは…と作り笑いしてみても、余計に七海の眉間の皺が増えるだけで何も状態を改善してはくれない。どちらも相手からの言葉を待って口を噤むので、しんっとした空気が二人の間で流れてしまって大変気まずさしかない。
「あ!私報告書書かなきゃいけなかったの思い出した!それじゃ!」
きっとこれ以上この場に七海といると余計な発言してボロが出そうだったので、この静寂に耐えられずに無理矢理話を切り上げて来た道を戻ろうと七海の横を通り抜ける。唐突だとは思うけど、報告書が残ってるのは間違いないから嘘ではない。自分に言い訳しながら早足で歩き出そうとしたけれど、手首を強い力で掴まれて次の一歩は踏み出す事が出来なかった。
「…伊地知くんから、私を探してると聞いたのですが」
振り返れば、相変わらず七海がいて。パチリとサングラス越しに目が合った。いつもその色味に隠されているけど、髪色と同じ睫毛は長くて昔から光を反射してキラキラ綺麗だし、瞳の色も海のように透き通ってる。サングラス、着けなければいいのに。昔の学生時代を思い出してると、その視線は私から外されて少し下に落ちる。
「本当に、何もないんですか?」
その目線を辿って自分も視線を落とせば、七海から握られてる手首の先には大切に握られている茶色い紙袋がある。あぁ、なんでこっちの手を握るかな。思わず緊張でじっとりと湿ってきた手のひらを誤魔化すように力を込めると、中の箱が揺れて紙袋の角にぶつかりカサリと音が鳴った。
「う、ん……なんか、用事忘れちゃった…」
勝手に私が押し付け始めた恒例行事だけど、それは彼が呪術師の世界から離れた期間は空白だった。その時に本命ができて、戻ってきてそれ以外を断っているならば、私は暫く迷惑な女だったって事になる。きっと、私が昔馴染みだから断れなかったんだろう。
お互いにその紙袋の贈り先も、言葉の意図もわかるけれど私は途切れ途切れに下手くそな嘘を重ねることしか出来なかった。とてつもなく流れる時間が遅く感じたが、三秒ほどしてからまた七海は深い溜め息を吐き出してゆっくりと私の手首が解放される。
「そしたら、そのチョコは誰にあげるんですか?」
もう遠回しに聞くのは辞めたのか、どこか開き直ったような態度で腕を組んで七海は私を見下ろしてくる。答えるまで行かせません、というのが全身で物語っていて、何だか気を張っていた肩の力が抜けた。
「……七海、性格悪いよね。こうやって、わかってて聞いてくるところとか。」
「えぇ、大切な事なもので。」
「…毎年恒例行事を行おうと思ったんだけど、今年はちょっと状態が変わってきたというか…」
平然と返される言葉に、何だか渡さないこっちが悪いことをしているような気分になって行き場のない片手で頬をかく。チラリと七海を見上げてみると、目線がどう言う意味だと言いたげで、何だかこうもまぁ感情を露わにしてる七海はレアだなぁとしみじみした。
「………本当に、それは他の人に渡すもの、ということですか?」
「あー、えっと、違う違う。これは七海のだったんだけど…」
"七海のだった"と言った瞬間、七海の眉がピクリと動く。このままだと青筋も立てかねないから、えーっと、と言葉を振り絞りながらどうにか一番誤解もなく最善なのかをなけなしの脳みそをフル回転させて考えた。
「…本命以外、もらわないんでしょ?今朝も、補助監督の子からのチョコ断ったって。」
「……あぁ、その件ですか。」
「だから、昔馴染みとの習慣だったとしても、その断られた子達だったり、ちゃんと律儀に断ってる七海にも、本命の子にも悪いなー…と思って」
きっと私が知らないふりしてコレをあげれば、七海は律儀な男だから絶対に受け取ってくれる。でも、それだと誰も幸せにならないから。頬をかきながら私の紙袋が迷子な理由を述べても、七海は私を見つめるだけで相変わらずの顔色だった。おかしいぞ?この流れだと「わかりました。」とかいつもみたいな淡々とした返事が返ってきそうな展開じゃないの?
「まぁ、自分で食べてもいいんだけど、これ買う時についでに私もちょっと高いチョコご褒美に買ってたからさ!それならリサイクル?じゃないけど、他の人にあげてハッピーになってもらってもいいかなーって」
お店に行ったら賞味期限が当日の生チョコタイプのブラウニーを発見して買ってみた。それもしっとりしててカカオの深みが甘すぎない大人の美味しさで、来てよかったと心底感動したくらいだ。きっと甘党の五条さんあたりにこれも渡したら、ホワイトデーには予約取れないアフタヌーンティーらへんに連れてってくれるかもしれない。なんて下心満載で笑って見せれば、七海は引くどころか呪力の揺らめきを感じるほど顔から表情が抜け落ちていた。ほら、やっぱり長引くと余計な事言っちゃいそうだから早く立ち去りたかったのに。
「それ、私のだったならください。」
「…え?話聞いてた?」
「えぇ、貴女じゃないので全て聞いてます。」
不機嫌そうな七海にどうするか解決策を見つけられないでいると、大きな手を差し出される。刺々しい言葉に断る選択肢は一切存在しなくて、しょうがなく紙袋を手渡せば七海はそのまま袋から箱を取り出して綺麗に包まれたリボンを解き始めた。
「え?なに?今食べるの?」
いつもは丁寧な指先が、包装紙を焦ったそうに剥がしていく。あ、紙破けちゃった。まぁいいけど。少し大雑把な仕草は七海にしては珍しくて、呆気に取られているとその手は箱の蓋を開けてふんわりとチョコの甘い香りが広がった。普通のブラウニーと、アールグレイとオレンジピール、それに白ワインベースと色々な味を楽しめるセットにしてみた。自分で選んだけど、私が自分用に買ったやつよりも中々に美味しそうだ。その中のノーマルのものを七海が指先で摘むと、それはあっという間に口へと運ばれて消えていってしまった。
「美味しいです。ありがとうございます。」
「はぁ…そりゃ、よかった…」
そんなにお腹減ってたのかな。目の前でもぐもぐと咀嚼して飲み込むと小さく頭を下げる七海を見つめて、私は呆けた返事を返すしかなかった。
「もう食べたので返せません。」
「まぁ、そんなに食べたかったなら別に良いよ。私の分は家にあるし。」
別に、噂は聞いたけれど本人が食べるというならどうのこうの私が考えても仕方ないし、気を取り直してどうぞどうぞと彼の手元の箱を差し出して見せる。当初の目的はこれで達成され、次は溜めた報告書を仕上げるミッションも残っているためこの場を後にしようと思い足を一歩踏み出した。が、先程のデジャブなのかまた手首を七海に掴まれて二歩目は進むことはなかった。
「きちんとお返しもしますので、ホワイトデーは予定を空けておいてください。任務が入るようでしたら調節しますので忘れずに連絡を。」
「いや、だから、」
早口に告げられる内容に流石にそれは、と続けようと振り返ったが、見上げた七海の目にヒュッと喉が締まって音を出すことが出来なかった。
「私は本命以外の贈り物はお断りしてます。なので、今回いただきました。」
真っ直ぐ此方を見ていて、学生の時から今まで見た事のない視線。普段海の底みたいな瞳の色なのに、奥深くにチリチリと燃えているような、全てを飲み込み頭から食べられそうな感覚。友達にも、昔馴染みにも、同僚にも向ける事のないもの。私は、この視線の熱の意味を知っている。
「では、また来月に。」
私の反応で理解したのを感じ取ったのか、七海はいつもより瞳孔の開いた目を細めて手を離した。さっきまで私の手元にあったチョコレートは、今や七海の手元で嬉しそうに香りを漂わせてる。それだけ短く言い捨てると、七海は私に背を向けて歩いていつの間にか廊下の遠い先まで消えていってしまった。
「え、えー……」
相変わらず、廊下の真ん中で一人呆けて立ち尽くして気の抜けた声を漏らす。恒例の行事も、今年のホワイトデーで何かが変わってしまいそうだ。とりあえず、この顔のままでは報告書を書いていても周りに何事だと質問の的にされてしまいそうなので、熱を冷ますべく中途半端に歩き出した足をUターンさせ自動販売機へと向かうことにした。
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