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ベルモットの声に肩をわずかに強張らせながら、僕は彼女に向き直った。その表情は落ち着いていたが、心の中では警戒心が高まっていた。ベルモットは組織の中でも特に読みにくい女だ。



「何を話していたかですか? 単なる世間話ですよ。アマレットは…...面白い方ですね。彼女の素性について少し興味があったものですから。ジンに拾われたとか」



僕はグラスを手に取り、氷をゆっくりと回しながら続ける。ベルモットの反応を窺いながら、慎重に言葉を選んだ。



「あなたもアマレットをかわいがっていると聞きました。まるで...…実の娘のようにね」



僕の口調には、ほんの少しだけ探りを入れるような響きがあった。彼女との会話は常に駆け引きだ。アマレットを守るためにも、このベルモットという女の考えを知っておく必要がある。ベルモットは読めない顔で微笑みながら僕の隣に立つ。



「そうね、アマレットは無邪気だもの。手を出したら駄目よ?」



僕の言葉に少しだけ目を瞬かせるとベルモットはいつもの食えない顔を浮かべる。



「へえ、アマレットに聞いたの? そうよ、彼女は捨て子なの。だから私が可愛がってるのよ。親を知らないあの子にね」



ベルモットは少し遠くを見るような目をした。ベルモットの言葉に、微かな違和感を覚えた。彼女の言う「捨て子」という表現。そして、どこか懐かしむような遠い目。ベルモットの素性は謎に包まれているが、アマレットとの関係にも何か隠されているのかもしれない。僕はグラスの氷を回しながら、慎重に言葉を選ぶ。



「親を知らない、か。組織に拾われた子供の運命としては、不幸中の幸いかもしれませんね」

「そうねえ……。それでもあの子はここに生きるには少し無邪気すぎるわね。今度は、毒を教えてあげようかしら?美しい薔薇には棘が必要だもの」



彼女はそう言ってクスクスと笑った。本気でそうする気はあまりない様子で。ベルモットの「毒を教える」という言葉に、瞬時に表情が引き締まった。冗談めかした口調でも、その言葉には重みがある。僕はグラスを置き、わずかに身を乗り出す。声のトーンは低く、静かな威圧感を滲ませていた。



「毒ですか...…冗談だとしても、アマレットにそんな教育は必要ないでしょう。彼女の無邪気さこそが、この組織で彼女を特別にしている理由ではないですか」

「あらあら、怖い顔しちゃって。まるでアマレットを穢すなとでも言いたげね? あの子は良くも悪くも真っ白だものね。だからこそ、簡単に染まるわ」



声を低くし威圧感を醸し出すバーボンを揶揄い、本心を突くように言葉を選びながらバーボンの気配を見極める。そんな目だ。



「アマレットが『染まる』と言いましたが、彼女はすでに組織の色に染まっています。ただ、その色合いが違うだけです。彼女の純粋さは、この組織の闇の中でこそ価値がある」

「純粋、ね。そう思ってるのならあの子に変なこと教えたら駄目よ? まだ彼女にハニートラップは早いもの」

「ハニートラップなど教えるつもりはありません。アマレットには、もっと別の強さが必要だ」

「そうね、貴方はそういうの嫌がりそうだものね。特にアマレットに関しては」



ベルモットはバーボンの内心を探るような目を向ける。



「何も僕に限った話ではないでしょう。ジンがアマレットを気に入っているのは珍しいことです。あの男が誰かを『保護』するなんて。ベルモットさん、あなたとジンの間に何かあったのですか?」



僕の目は鋭く、しかし表情は穏やかなままベルモットを観察していた。組織の中でこの二人の関係性を知ることは、アマレットを守る上で重要な情報になるはずだ。ベルモットは目を細め、バーボンを観察するような目をする。



「さあ? 知らないわ。そんなこと聞いてどうするの? やけにあの子を気にしているようだけど、貴方も彼女を気に入ったの? 手を出したらジンに怒られるわよ?」

「彼女を気にかけるのは当然でしょう。貴重な『素材』ですからね。組織の資産として」



そう言いながらも、目には別の感情が浮かんでいる。彼女を保護したいという思いだ。



「それに...…僕が誰かに手を出す場合、ジンどころか誰にも気づかれませんよ。それが僕の仕事ですから」



僕は口角をわずかに上げ、挑戦的な笑みを浮かべた。



「へえ……まあそういう事にしといてあげるわ。どっちの意味での『手を出す』なのかしらね。ふふ……期待してるわよ」



急に真剣な顔になると妙な言葉を残して背を向けた。そのままヒールを響かせながらゆっくりと歩き出していく。僕は立ち上がり、ベルモットと同じ方向に歩き出す。彼女は妖しく微笑む。ベルモットの挑発的な言葉に、僕は顔色一つ変えず静かに見つめ返した。彼女の鋭い洞察力は侮れない。



「『期待』とは、何に対してですか?」



僕の声は冷静さを保ちながらも、わずかに緊張感を含んでいた。



「僕が彼女を守るのは、単なる『組織の資産』としてではありません。この世界で彼女のような存在が消えてしまえば、僕たちの存在意義も薄れる」



僕の目には決意の色が宿り、静かな炎が燃えていた。アマレットを守るという使命と、公安としての立場。その狭間で揺れる心を隠しながら。



「決まってるじゃない。貴方の仕事ぶりによ。それ以外に何かあって?」



ベルモットは言葉の裏の真意を隠しながら核心を突くようなことを言って、僕の反応を見ているようだった。



「存在意義って? もう、しっかりしなさいよ。そんなこと私に言われても知らないわ。それに言葉を慎みなさい。私、貴方の事は結構買ってるのよ」



ベルモットは振り返らず、歩みを止めないまま答えた。僕はベルモットの言葉を聞きながら、わずかに眉を寄せた。この女は常に人の内面を見透かそうとする。



「買っているとは光栄ですね。でも、」



グラスに残った酒を一気に飲み干し、静かに置いた。



「彼女が純粋なままこの世界で生き抜くには、誰かの庇護が必要です。それがジンでもベルモットでも構いません。ただ...…」



言葉を選びながら、ベルモットの背中に向かって続ける。



「この仕事で『純粋』を保つことがどれほど難しいか、貴女なら理解しているはずです。僕が彼女に教えられるのは、せいぜい自分を守る術くらいでしょうか」



ポケットに手を入れ、冷静さを装いながらも、アマレットを思う複雑な感情が胸の内で渦巻いていた。そんな時だった。更にもう一人の足音が聞こえてくる。



「おい、仕事だ。ベルモット、バーボン、ついて来い」



そこに現れたジンがどこか機嫌が悪そうに要件だけを述べる。ベルモットが「不機嫌そうねえ、ギャンブルでもして負けたのかしら?」などとさらっと述べる。ジンは「ああ? 単に寝起きなだけだ。早く来い」と言う。僕はジンの不機嫌な声に反応し、即座に態度を切り替えた。公安として情報を得るチャンスでもある。



「了解しました。何か重要な任務でしょうか?」



声のトーンを落とし、組織の一員としての冷静さを装いながら歩み寄る。ベルモットの軽口にジンが険しい表情を見せているのを見逃さなかった。ジンの目を真っ直ぐ見つめながら質問する。その目は任務に対する忠誠心を示しつつも、細部を観察する探偵の目でもあった。



「寝起きとは珍しい。通常、貴方はもっと早い時間に活動されていますよね」



何気ない会話を装いながらも、情報を引き出そうとする駆け引き。僕の頭の中では既に複数のシナリオが組み立てられていた。アマレットの姿がないことにも気づき、内心で安堵しつつも警戒を解かない。寝起きではないことを指摘されたジンは舌打ちをする。



「ちっ……。仕事というのはアマレットの事だ」



そこで言葉を切り、ジンは冷酷な顔を浮かべる。



「……アマレットに手を出した輩がいたらしい。頼みたいのはそいつの処分だ」



ベルモットは肩をすくめて「完全な私情じゃない。今度は何? アマレットの下着でも盗まれた?」と言う。



「そういう話じゃねえよ、ストーカーだ。つまりノックが出た。三度は言わねえ、さっさとついて来い」



僕の表情が一瞬だけ硬直した。アマレットに関する事件……これは単なる任務ではない。心拍数が上がるのを感じながらも、冷静さを取り戻す。



「ストーカーですか。了解しました、すぐに対応します」



声のトーンは低く抑えられ、プロフェッショナルな響きを保ちながらも、内心では激しい怒りが湧き上がっていた。ジンに続いて歩き出す。



「ターゲットの詳細情報はありますか? 素人か、それとも何らかの組織絡みでしょうか」



質問しながら、拳を握りしめた。ボクシングで鍛えた腕の筋肉が緊張で強張る。相手が誰であれ、アマレットに危害を加えようとする者には容赦するつもりはなかった。公安としての立場と、バーボンとしての任務が今は完璧に一致している。



「ノックだと言ってるだろ。組織の人間だよ。アマレットを連れ去ろうとしたらしい」

「それでアマレットはどうしてるの?」



ジンの言葉に反応したベルモットは真剣な顔つきで問い質す。



「……眠らされてはいるが、無事だ。今は医務室で寝てる」

「この件、僕に任せていただけますか? 静かに片付けます」



ジンの言葉にベルモットの顔に怒りが芽生えた。ジンもイライラした様子でバーボンを見る。



「ああ、任せるからさっさと行ってこい。秒で済ませろよ」



医務室という言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが切り替わった。表情は冷静さを保ちながらも、眼光だけが鋭さを増す。



「了解しました。任せてください」



一言だけ告げて、すぐに準備に取り掛かる。肩のホルスターに手をやり、銃の装填を確認した。組織内部の人間が……なるほど。冷たい表情を浮かべながら、頭の中では既に幾つかの可能性を計算していた。



「医務室に立ち寄ってから向かいます。アマレットの状態を確認し、詳細を把握したほうが効率的です」



僕はジンとベルモットに一瞥をくれると、足早に部屋を出た。廊下を歩きながら、拳をぎゅっと握りしめる。ボクサーとしての本能が目覚め、怒りのパンチを放ちたい衝動を抑えるのに苦労していた。



「アマレット…...」



医務室への道を急ぎながら、僕はつぶやいた。表の顔である公安警察官としての冷静さと、組織の一員バーボンとしての忠誠心の間で、今は珍しく感情が一致していた。

医務室に入ると、そこには静かに眠るアマレットの姿があった。僕は慎重に近づき、彼女の呼吸が規則正しいことを確認する。指先で軽く脈を取りながら、全身を素早く調べた。外傷もほぼ見当たらず静かに眠っている。おそらく睡眠薬を嗅がされたものと思われる。



「大丈夫か...…睡眠薬の効果は数時間で切れるはずだ」



小声でつぶやくと、僕は部屋の隅に置かれた椅子に腰掛け、彼女の顔を見つめた。長い付き合いの中で、こうして無防備な姿を見るのは珍しい。連れ去ろうとした奴は許さない。拳を握りしめる。医務室の静寂の中で、僕の中の怒りが静かに燃えていた。アマレットのほんの少し乱れた髪を優しく整えながら、僕は立ち上がった。



「すぐに戻ってくるから。今度は僕が守る番だ」



彼女の額に軽く手を当て、部屋を後にする。廊下に出た僕は、既に次の行動を決めていた。敵を仕留めるために、まずは情報を集める。バーボンとしてもそして降谷零としても、許せない裏切り者を追うために。










きみの周縁をなぞるよ

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