よそ見してたら噛みつくよ
ゴンとキルアとステラはくじら島に来ていた。三人で釣りをする事になり、ステラは釣りをしながら時々密かにゴンの横顔を見つめていた。俺は隣で竿を握るステラの視線が、時々ゴンの方へ向いていることに気づく。
「なーに、ゴンのこと見てんだよ」
「なっ! そ、そんなんじゃないもん。ただ、キラキラしてて眩しいなあって思って」
からかうように口元を歪めると、わざとらしく大きなため息をついてみせる。ステラは頬を赤らめながらも釣りを構え直した。
「ま、アイツは何も気づいてねーだろうけどな。そういうとこ、鈍いし。ほら、集中しないと魚、逃げちまうぜ? 俺が先に大物釣っちまうからな!」
そう言いながら、自分の釣り竿の先をステラの浮きにちょん、とぶつけた。
「見てるだけでいいの。自由なゴンが好きだから」
ステラの言葉に、一瞬だけ表情が曇る。見てるだけでいい、か。そんなわけないって、俺は知ってるのに。
「……ふーん。ま、ステラがそう言うなら、そうなんじゃねーの」
少しだけ不機嫌でぶすっとした口調で返事をしながら、自分の釣り糸をわざとステラの糸に絡ませるように動かした。
「おっと、わりい。手が滑った」
「ちょっ、なにしてんの!」
悪戯っぽく笑ってみせるけど、その目は笑っていない。本当は、そんな風にゴンを見てるステラを見るのが、少しだけ面白くないなんて言えるはずもなかった。
「ほら、お前のせいで俺の魚が逃げただろ。責任取って、今日の夕飯の魚、全部お前が釣れよな!」
ステラはキルアと自分の糸が絡まるのを見て唖然としている。キルアの言葉に目を丸くして驚き、それから絡まった二人の糸を見る。
「えーっ!? キルアがぶつけてきたのに!? っていうか釣りできないよこれじゃ! わざとでしょ、今の!」
「あれ、絡まっちゃったの? 大丈夫だよ! 俺に任せて!」
ゴンはそう言ってステラの釣り竿を手に取る。途端にステラの頬が赤く染まる。
「ありがとう、ゴン。お願いしていい?」
ゴンがステラの竿を手に取り、優しく支えるのを見て、胸の奥がチクリと痛んだ。二人の距離が、やけに近く見える。
「……チッ、俺がいなくてもよかったみてーだな」
わざとそっぽを向いて、自分の竿を乱暴に巻き上げる。魚なんて、もうどうでもよかった。
「ゴン、ステラにばっか構ってっと、俺が大物釣っちまうぜ」
「え〜! 俺だってすぐ大物釣るよ! 待っててステラ、もう少しだからっ」
楽しそうな二人の声が耳に届く。本当は、自分がステラの隣にいたいのに。そんな簡単なことが言えない自分が、もどかしくてたまらない。
「……早くしろよな。腹、減ったんだけど」
「もう、キルアがぶつけてくるからでしょ! いっつも意地悪してくるんだから」
ステラはキルアに振り向くとぷんぷんしながら文句を言う。
「それがキルアの愛情表現なんだよ! ねっキルア!」
ゴンの『愛情表現』という言葉に、一瞬心臓が跳ねる。思わずステラの方を見ると、彼女は驚いたように目を丸くしてこちらを見ていた。
「……っ、んなわけねーだろ、バカ! 何言ってんだよ! からかって遊んでるだけだっつの。ステラの反応が面白いからな」
動揺を隠すように、大声でゴンの言葉を否定する。顔に熱が集まるのを感じ、バレないようにと慌てて再び水面へと視線を落とした。強がりを言ってはみたものの、の視線がまだ自分に向けられているのを感じて、落ち着かなかった。
「……それより、さっさと釣りやがれ。ゴンに全部釣られちまうぞ」
ぶっきらぼうにそう言うと、無理やり自分の釣りに集中しようと試みる。だが、耳まで赤くなっていることには、きっと気づかれていないはずだ。
「……違うって言ってるよ、ゴン?」
「うーん……でもキルアはほんとは優しいんだよ。ちゃんと俺達の事好きだから安心していいよ。ほら、解けたよ!」
「わあっありがとうゴン! ゴンは優しいね!」
それからステラはちらりと俺を見て、「それに引きかえキルアは意地悪ばっかりなんだから」と口を尖らせて言った。ステラの『意地悪ばっかり』という言葉と、ゴンへの『優しいね』という言葉の対比が、静かに俺の胸に突き刺さる。
「……うるせーな。優しいヤツが好きなら、ずっとゴンの隣にでもいればいいだろ」
呟くように言った言葉は、自分でも驚くほど冷たい響きを持っていた。言ってしまってから、しまった、と思う。こんなことを言いたいわけじゃない。顔を背けて「……俺は、優しくなんかなれねーよ。そういう風には、作られてねーから」とぽつりと零れた本音。ゾルディック家での日々が脳裏をよぎる。優しさなんて、殺し屋には不要な感情だった。
「……腹、減った。もう帰んぞ」
気まずい空気に耐えられず、一方的に釣りを切り上げる。二人から逃げるように、乱暴に釣り竿を片付け始めた。これ以上、ステラの顔を見ていられなかった。
「えっ! ちょっと待ってよキルア! ねえ、本気で言ったんじゃないよ。キルアが本当は……優しいって事知ってるよ。いつも意地悪してくるけどさ。さっきはごめん言い過ぎた」
ステラが慌てたようにこちらを振り向く。俺を怒らせたと思ってるらしく、少し俯いて「だからさ、仲直りしない……?」と言った。ステラの言葉に、竿を片付ける手が止まる。俯いたままの彼女の顔は見えない。だが、その声に含まれた後悔の色は、痛いほど伝わってきた。
「……別に、怒ってねーよ。……それに、お前が謝ることじゃねーだろ。意地悪したのは、俺の方だし」
絞り出すように言った声は、自分でも驚くほどか細かった。本当は、怒っているわけじゃない。ただ、どうしようもなく惨めな気持ちだった。顔を上げられないまま、ぽつりと本音を漏らす。いつもみたいに強がれない。優しくないのも、すぐに意地悪を言ってしまうのも、全部本当のことだから。ステラは俺の言葉にぱっと顔を上げた。
「ほんと? 怒ってない?」
「ああ。仲直りとか……別に、ケンカしてたわけじゃねーし」
そう言って、ようやくステラの方をちらりと見る。彼女の悲しそうな顔を見たら、胸の奥がまたチクリと痛んだ。本当は、こんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「良かった。キルアを怒らせちゃったのかと思ったよ。でも、たしかにお腹空いたね」
「うん、俺もお腹ペコペコ。早く帰って食べようよ!」
ゴンはそう言って駆け出した。ステラも釣り竿を片付けてそれを追いかけていく。
「ほらキルア、置いてくよ!」
ステラとゴンが駆け出していく背中を、俺は少し離れた場所から見つめていた。さっきまでの気まずさが嘘のように、二人の間には明るい空気が流れている。
「……ったく、調子狂わせやがって」
小さく悪態をつきながらも、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。置いていかれるのは癪だが、ステラの顔から悲しそうな色が消えたことに、心の底から安堵している自分がいた。
「先に帰って魚、全部食っちまうぞ!」
わざと大きな声で叫ぶと、先を行く二人が笑いながら振り返る。その瞬間、胸の奥にあった冷たい何かが少しだけ溶けていくのを感じた。今はまだ、この距離でいい。そう自分に言い聞かせながら、キルアは二人を追いかけてゆっくりと走り出した。